Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2005年05月25日(水) お話サンドウィッチ

a.「ケータイ刑事」の余勢をかって、宮崎あおい主演の「害虫」を観た。
野心的な若手監督が陥りやすい即物的な演出とフェティシズムのみに染まりきったつまらない作品であったが、ところどころいいシーンはあったし、宮崎あおいの芝居を堪能するという点ではまずまず楽しめた。

b.近所に新しいサンドウィッチ屋が開店した。ハムやカツレツ、BLT(ベーコン・レタス・トマト)、ハンバーグなどをベースにトッピングの組み合わせ方でメニューは100種類以上にも上るという。オープンから三日間は持ち帰りのサンドウィッチの値段が半額になると聞いて、私もお相伴に預かることにした。極めてオーソドックスな味わいだったが、サンドウィッチ屋に行くという行為自体が新鮮だったので、箱詰めサンドイッチを手にしての帰り道はなかなか満ち足りた気分に浸れて良かった。

c.宮藤官九郎が当代随一の人気脚本家であることは今さら説明する必要もないだろう。人気が本格的に爆発したのは「池袋ウエストゲートパーク」からだと思うが、その後「木更津キャッツアイ」「マンハッタンラブストーリー」など毎年ヒット作に事欠かない安定した仕事を続けている。現在も最新作である「タイガー&ドラゴン」が放映中で、おおむね好評のようである。
 このように時代の寵児の名をほしいままにし、ある種のカリスマ性まで獲得してしまう宮藤氏を取り巻く環境に対してある程度の疑問を感じてしまう私は、実は彼の作品に今ひとつ興味をもてない人間だ。それほど多くの作品を見たわけではないのだが、何とも底が割れてしまって物足りない印象が残ってしまうのだ。
 私が見る限りでは彼の作風は終始一貫しているように思う。細かく説明すると疲れるので簡潔に書くが、第一にジャンクフード的な世界観を構築し、その世界の住人たちに勝手気ままに喋らせながらひたすら猥雑に見せてゆくという手法である。
実は宮藤作品はここまでがイノチであり、これは確かに現代の混乱した状況を最もポップに切り取るという点で優れた方法なのだが、その後の構成はテーマは掲げてあるものの非常にオーソドックスと言うかひねりに欠ける嫌いがある。本質から外れたところでのバカバカしい出来事の積み重ねはものすごく手が込んでいるのに、肝心の本筋は意味不明だったり中途半端だったりする。と、こんな風に書くと宮藤ファンから「そこが彼の良いところなんだからしょうがないじゃん」と言うに違いないだろう。確かに彼のそういう超感覚的なところがウケているのだと思うし、稚拙で低級な作品を「おバカ映画」と呼んで楽しむ現代の人々の感性に合致するのだろうことは容易に想像がつくのだが、ハッキリ言えばこういう作り方は物語とは言えないのではないか。カテゴライズするのはあまり好きではないが、宮藤氏の作品は明らかに邪道劇の造り方に分類されるだろう。それ自体を否定する気はさらさらないが、意図的に本質からずらしたところで表面を掬う邪道劇ばかり作っていては結局は袋小路に陥ってしまうのは目に見えている。純粋劇が好きな私としては、世の映画・ドラマがこういう邪道劇ばかりになってしまうのは困るのである(もちろん、飛び道具としての邪道劇は嫌いじゃないですよ)。
 かつてテレビが中途半端な芸人よりも素人の方が面白いといって安易に素人ばかりを使い、優れたコメディアンの育成に手を抜いたことが今日の衰亡を呼び起こしたのと同じように、脊髄反射的なドラマばかりを流していれば「物語」は消え去ってしまうだろう。そろそろこの辺の問題に対して危機感を持つべき時期に来ているのではないだろうか。
追伸:もう一度強調しておくが、私は宮藤氏に対して不満があるのではなく、宮藤氏を取り巻く環境に不満があるのである。


橋本繁久

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