Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?|それまで|これから
2005年01月15日(土) |
マイ・アイドルグラフティ Part1 |
アイドルについて書くとなると、どうにもガラじゃないと思われるかもしれない。確かに私は世間一般でいうところの”添え物”には興味がなく、映画にしろテレビのバラエティ番組にしろ確固たる存在感を持った女優を好ましく思う傾向がある。そういった女優群の象徴的存在が寅さんシリーズのヒロインで、これはもうほとんど余すことなく好きなのだが(特に壇ふみと竹下景子)、こういった人達は言ってみれば過去の名優で、私と同時代的に輝きを発したわけではない(失礼を承知で書いている)。自分が熱中する存在に対して、時代的に懸隔があるのはやはり寂しい。そこで今回は私がリアルタイムで見てきたアイドル・女優を具に追ってゆくことで、主に90年代の女性芸能史の栄枯盛衰を辿ってみようと考えたのである。付け加えておくと、今でこそかなり少なくなったが、以前の私は生粋のテレビっ子であり、様々なジャンルの番組を全く分け隔てなく雑食していた上、何故かこういうことに関する記憶力が抜群に良いので、間違ったことは書かないはずである。
さて、私が初めてアイドルという存在を意識したのは1993年、小学校6年生の時だったと思う。この年の夏、日本テレビで「ポケベルが鳴らなくて」というドラマが放映された。親子ほど歳の離れた男女が不倫するというケッタイな内容で、主演の中年男性を緒形拳が演じた。そしてその相手役を務めたのが、”マイ・アイドル第一号”である裕木奈江であった。裕木は芝居が結構こなれていて臨場感があり、ドラマも数字的には成功したようである。因みに、この作品の演出を担当したのは堤幸彦氏。 この時点で裕木は既に一定した人気があり、それはオールナイト・ニッポンのパーソナリティを務めるほどの盛り上がりであった。さらに、同年秋に公開された山田洋次監督の「学校」でも中々の名演を見せ、評判をさらに上げることになった。このままいけば上手く”脱・アイドル”を果たして良い女優になるのではないかという期待が私の中にもあった。 ところが、不幸なことに、女性週刊誌か何かのバッシングの標的になり、あっという間に評価を落として芸能界から消えてしまった。そのバッシングの理由が”中年をたらしこむふしだらな娘だから”というのだから泣けてくる。ドラマの登場人物と本人のパーソナリティを混同するとは、げに恐ろしきは集団ヒステリーであることを再確認させられる一幕であった。
明けて1994年になると、ショートカットのボーイッシュな少女が颯爽と登場してくる。「時をかける少女」の内田有紀である。この年の”内田フィーバー”は凄まじく、ドラえもんで名前をもじられて登場したぐらいである(ドラえもんでは旬なアイドルのエセ・キャラが度々登場する)。当時、私は「中学生コース」という月刊誌を購読していたが、ほとんど毎月のグラビアに彼女の写真が載っていた記憶がある。因みに、男性アイドルで最もグラビアに登場したのはキンキ・キッズだったように思う。 内田の人気ぶりは「半熟卵」というドラマの主題歌である「TENCAを取ろう!〜内田の野望」からも容易に感じ取ることができる。内田自身が歌ったこの歌は軽薄を極め、それでもセールスは大ヒットであった。私は「人気者は、何をやってもウケるんだなあ」と妙に納得していた。 しかし、この好調も長くは続かなかった。翌年の「花より男子」あたりを最後に内田バブルはハジケ、さらに翌96年の「翼をください」に出演した時には人気はかなり低落していた。この落ち込みの原因は、彼女の最大の魅力である向こう見ずな元気の良さが影をひそめ、落ち着いた大人になってしまったことに端を発している。以後も様々なドラマに出演している(97年公開の映画「キャッツ・アイ」で三女・愛を演じたが、映画の出来があんまりだったので事実上封印された。因みに長女・泪を藤原紀香が、次女・瞳は稲森いずみが演じた)がイマイチパッとせず、2002年に「北の国から」で共演した吉岡=満男=秀隆と結婚して半引退状態になってしまった。アイドルが輝いている時期なんて本当に短いものである、と考えるといささかわびしい気持ちになってくるものだ。 この時期、他に活躍していたアイドルにも一応触れておこう。前述したドラマ「半熟卵」で内田の妹役を演じたのがともさかりえである。1995年には「金田一少年の事件簿」でヒロインを任され、さらに人気を上げている。爆発的なブームは作れなかったがコンスタントに活躍し、一定の地位を築き上げた。だが、総じて私の好みではなく、それはあるときのインタビューで「(結婚に対して)無理ですよ。生者必滅の世で永遠めいたものをもちかけられてもねえ」と自意識過剰の最高に気持ち悪いコメントを発した時に確信に至った。 93年に岩井俊二が監督して一定の評価を得たテレビ映画「打ち上げ花火 上から見るか 下から見るか」に出演した奥菜恵はその後どんどん肉感的になり、今時珍しいアダルトな風体を持つアイドルとなった。かたせ梨乃の娘を演じた「禁じられたあそび」にしろ、キンキ・キッズとスクラムを組んだ「若葉のころ」や「青の時代」にしても、どこか健全でない危うさがあり、その点において終始健康的だった内田有紀とは好対照だったといえよう。 「SELE!」で私が一時的にファンになった菅野美穂は、「走らんか!」などを経て堅実にステップアップしてゆき、妙な騒ぎとなったヘア・ヌード問題を何とか片付けて今ではかなりのランクの女優となった。脱・アイドルがこれほど上手くいった人も珍しい。 この他には「Rex」で天才子役の名をほしいままにした安達祐美が、94年-95年の連作「家なき子」で人気を博したが、やはり子役の法則は崩せず長持ちはしなかった。この人は、最終的には杉田かおるみたいな人生をたどる事になってしまうのだろうか? さて、内田が後退した1996年、芸能界には一見すると極めて内田に近しい少女が現れる。言うまでもなく、”最後の国民的アイドル”・広末涼子であるが、この人については次回に詳細を記すことにしよう。
橋本繁久
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