Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?|それまで|これから
2002年02月07日(木) |
ウルトラマンの話をしよう(1) |
前回書こうと意気込んだもののパソコン打ちのあまりの長作業に気分が悪くなって途中で挫折してしまった「ウルトラマン」の話。今日はこの壮大なテーマに敢えて挑戦したいと思います。かなり長文になる恐れがあり、私も今日のうちに全文を書くのは無理だと見込んでいますので「こんな駄文、長々と読みたくねーよ」という方や「ウルトラマン?興味ねえな」という方は読み飛ばしていただくことをお勧めします。
ウルトラマン全体の概論を述べる前にまずは現在放映中の「ウルトラマンコスモス」の話をしようと思います。「コスモス」は今述べましたようにリアルタイムで放映中のウルトラシリーズ最新作です。放映日時・時間は地域によって違いがあるようですが私の住んでいる東海地域では土曜の5:00より放送されています。 ウルトラマンは時代が変遷していくにつれ新たな要素を取り入れその内容を変化させてきました。従って物語の骨子もその作品によって多様な変化を見せます。今回も「怪獣を保護するのがメインテーマ」というウルトラシリーズの一大改革とも取れる新要素が盛り込まれています。 思えば怪獣はウルトラシリーズが始まって以来、常に攻撃対象でありつづけました。若干の例外はあるものの「平和を脅かす怪獣をウルトラマンが退治する」という不文律が今までのシリーズにはしっかりと当てはまります。しかし「コスモス」はそれらの既成概念をついに覆しました。 考えてみれば怪獣も生き物。大切な命です。ですからこのテーマを設定すること自体は大賛成です。しかし実際の「コスモス」に対する評価は残念ながら芳しくありません。「コスモス」にはスタッフたちに「逃げの姿勢」が感じられるからです。「逃げ」とは勿論「怪獣保護というテーマを正面から描くことからの逃げ」を意味します。これまでの作品群を見ているとどうもスタッフは「人間に利益があるかあるいは通常危害を加えない怪獣は保護するが人間にとってマイナスな存在の怪獣は(例え故意でなくても)倒す」という観点で製作しているように思えます。これでは怪獣保護の真のテーマ性が浮き上がってきません。人間の利害関係だけで保護対象・攻撃対象を決めてしまっては怪獣保護の大義名分も独り善がりで上滑りなものになってしまいます。チームアイズ(今回の防衛隊組織の名称。正確に言うと防衛ではなく怪獣保護を職務とする)が理想論としての怪獣保護を行うのはまだ「人間側の論理」ということで納得もできますが、それらを超越した存在であるウルトラマンまでが「人間側」と同じ行動をとってしまったら今回の大変意義深いテーマを立てたことはほとんど意味をなさないでしょう。本当に怪獣保護をテーマに据える気があるなら人間との利害関係を超えたレベルでの怪獣保護を遂行していくか、あるいは遂行していく方向に向かうように努力していく姿勢を見せて欲しいものです。例えば人間側の勝手な保護論とそれを遂行しなければならない主人公との対立・葛藤、怪獣保護が失敗したときの無情さを描いて欲しいと思います。今のところでは「信じていれば奇跡は必ず起こる」みたいな空元気のような明るさしか感じ取ることが出来ません。これでは以前の様に怪獣は所詮人間社会では適合して生きていくことのできない悲しい存在として描いた方が物語の真実味があると思います。
橋本繁久
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