今日、小泉首相は靖国神社を参拝しませんでした。 公約を守っていないとのご批判はありますが、状況を見て正しくないことを 貫く方がよっぽど悪いと思います。公約は憲法ではないんですから。
さて、終戦後60周年を迎え、あらためて憲法9条のことについて考えて みます。
以前、この日記では、憲法9条を守れと言う共産党や社会党の言うことは、 つまり自民党の言っていた改憲と同じ意味を持つということを述べました。
共産党や社会党は、憲法9条を維持することで、少なくとも戦争を起こす ことへの歯止めが効くと主張しています。自民党は、あいまいな憲法9条を 改憲することで、できないこととできることを国民が理解できる言葉で 書きなおす、ということを主張しています。(特に山崎拓氏)
アメリカは、日本はアメリカの核の傘の下で、アメリカの脅威になることなく 同盟を結んでいろ、裏切るな、と言います。一方では、自己の防衛は自己で 責任を持て、アメリカは介入しない、とも言います。また、海外での国民の 生命は、国として守れとも言います。
これはどういうことかというと、核を持たずに戦力を保持しろ、ということ。 最低限の国家としての軍備を保持し、アメリカの脅威となる核だけは持つな、 ということです。核さえ持たなければ戦力の制限はしない、ということ。
海外での国民の生命を国として守ることを宣言している以上、海外での武力 行使が可能となる法制化は必要。共産党や社会党の主張のままでは、これが 不可能になってしまいます。これを可能にしようとするなら、戦後自民党が とってきた憲法解釈と同じ道を辿ることになります。自民党は、憲法条文で この点を明確にしようと言っているわけで、共産党や社会党が、この海外での 武力行使を可能にしたいのなら、憲法9条の条文を書き換える行為そのもの 以外は、なんら自民党と変わらない、ということが言いたいわけです。
この条文書き換えだけをとって改憲反対と唱えるのはいかがなものかと思います。 この点だけは、共産党と社会党にははっきりして欲しいですね。 重要なのは、憲法条文を変える変えないではなくて、やるべきことを正しく 伝えるかどうか。戦争しようとは誰も言っていない。自己責任を取ろうと 言っているわけで、そこが自由主義にそぐわない共産党や社会党には理解不能。 でも共産党や社会党が悪いと言っているわけではなくて、どうせ言うなら積極的に 軍隊保持を反対するべきなのに、それが弱いところが共感を得ないところ。
かつては野党らしい野党だった共産党や社会党も、いまや自民党となんら 変わり映えのしない政党に成り下がってしまったと言わざるを得ないかも しれません。都知事の石原慎太郎氏が「社会党はなくなる」と言うのも うなずけます。時代の要請がなくなった、対抗勢力としての使命が終わった、 とも言えるでしょう。(村山富一元首相をかついだ際に社会党が与党になってから)
改憲が云々と言う前に、日本の武力をどうしたいという点を明確にして欲しい。 他国がどうであれ、自国の行く末を考えて、日本の将来象を考えて。
はい。今日は曇りのち一時雨。(東京地方)
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