2005年05月03日(火) |
マスコミの指摘には違和感が |
澄みきった五月晴れになりました。(花粉やホコリは飛んでいますが。)
JR福知山線の事故が起きてから1週間過ぎましたが、いろいろな事実が明かされる中で JR西日本に対する批判が続出しています。その中でも1番大きい指摘が「安全第一」。
結果的に事故を起こしたから改めて指摘されることですが、公共機関である以上は 当たり前のことではあります。しかし、事故を起こしたからといって一斉砲撃をするのは どうかなと思います。(でも社会的制裁とはこういうことなんでしょうね。)
JR西日本は、みなさん記憶に新しいでしょうが、旧国鉄改革に伴って、完全民営化を 課された企業です。赤字の垂れ流しを止めるために民営化を余儀なくされた会社です。 安全を確保するという企業使命を持つ一方で、収益の確保が絶対的な使命でもありました。
また、経営理念として次の言葉を謳っています。 「JR西日本は、人間性尊重の立場に立って、労使相互信頼のもと、基幹事業としての鉄道の 活性化に努めるとともに、地域に愛され共に繁栄する総合サービス企業となることを目指し、 わが国のリーディングカンパニーとして、社会・経済・文化の発展、向上に貢献します。」
ここでわざわざ「労使相互信頼のもと」と謳っているのは、それだけ労使間の戦いが 旧態依然として続いていることを意味しています。根底にある体質は変わっていない。
さて、JR西日本も自覚している「少子化」に向かう中での収益確保。 これはまさしく競争に勝つ、ということです。大きな収入減である旅客輸送において 競合他社に勝つ、ということです。サービスの向上をどのような形で表すか。
福知山線の場合、停車駅を増やしても、到着時間を同じにすることでした。 これがいいか悪いかは別にして、これは私鉄でも他のJR各社でもやっていること。 現実問題として、魔のカーブで制限速度である70km/hを守ることが絶対としても、 遅れを取り戻す区間に制約があったこと、遅れに対する教育方法に問題があったことが 運転手の精神を圧迫していたことは否めないことだと思います。
ただ、ひとつ言いたいのは、国鉄時代の安全性とJRになってからの安全性の考え方に 違いがあると思います。それは、JRになってからの安全性とは、利益があっての安全性 であるということ。ボランティアでないかぎりは、利益をサービスに転嫁するのは当然。 だから躍起になって利益を追求する。これを否定されてしまっては、安全もままならない。
利益の追求は当然のこととして、それ以上に安全を追求してくれというのならまだしも、 利益を追求することを全否定するかのようなコメントには腹立たしささえ覚えます。 社会貢献を第一に考える企業であるべきならば、なんのための民営化だったのか。
事故を起こしてしまったことを弁護するわけではありませんが、マスコミ各社において、 その指摘の仕方に問題があるのではと考える今日この頃です。あなたはどう思いますか? (特に日本テレビの番組内でのコメンテーターに問題があると・・・。)
なにはともあれ、JR西日本の経営者を始め、社員の方々の今後の信用回復に期待したい。 亡くなった方々の命の重さを感じながら。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
|