しむちゃんのつれづれ日記
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2004年12月12日(日) 「新選組!」最終回

「新選組」のことを「新撰組」だと思っていたのは自分だけではないでしょう。
事実、文字変換をする時に「新選組」とは出てきません。
(正しくは「新選組」、ただし「新撰組」でも間違いではない、とするようです。
詳しくはご自分でお調べ下さい。)

以前にも書きましたが、やはり新選組は時代の流れの中で生まれた必然的な集団、
と考えています。徳川時代の真っ盛りならば、いくら忠義の厚い個人が集まっても
それは士農工商の身分を悦脱した行為であり、武士集団から切られておしまい、
そう思います。

それでも農民が武士を望んで、それが叶う時代というのは、徳川政権が末路を
迎えていたからだと思います。そんな時代の流れがあるにも関わらず、武士の
あるべき姿を追求し、それが正しいと貫き通した新選組は、今の時代にどんな
メッセージを与えているのでしょうか。少なくとも、この「忠義」とそれを
貫き通す意思の強さが今の時代に欠けていると言っているのだと解釈します。

ただ、時代を変えるだけのエネルギーが日本中に鬱積していたのは確かで、
そのエネルギーが時代を守ろうとするエネルギーに勝った結果が明治維新で
あった、と考えるべきでしょう。どちらが正しいというわけでなく。

同じことがフランス革命であったしロシア革命であったし南北戦争であった。
求めるところやプロセスは違ったにせよ、国内に鬱積したエネルギーが爆発した
ことには変わりありません。

そういう意味で、近藤勇と新選組は、潰されるべくして潰された集団であり、
だからこそ悲劇のヒーローとして歴史に名を残したわけです。

正当性がどうだとか野暮なことを言ってはいけません。
幕府側にエネルギーが無かっただけです。幕府側にエネルギーがあれば、
明治維新はなされておりません。どちらの側も正しいと思う行為をぶつけていた
わけですから、冷静に何が正しいのかを評価できる人は皆無だったのではないで
しょうか。事実、その後、数十年たってから、時の政府の元、何回も戦争をして
いるではないですか。挙句の果てには核投下なんていう悲劇を被っているわけで、
体制としては新しい時代に突入しましたが、それが正しかったかどうかは今でも
評価は難しいのではないでしょうか。

気になるのは、今でも会津と長州・薩摩の人とは、根のところで当時の恨みを
抱き続けているとういうこと。藩同志の戦争ではなかったのに、片や幕府、
片や朝廷の命を受けて(受けさせた)の代理戦争ですから、恨む相手を違えて
いるような気もしますが、まぁ朝廷を動かした薩摩のずるがしこさを恨んで
いるとも言えますけど。

私の地元の久留米は、明治維新のきっかけを作った真木和泉という人を輩出した
土地ですから、間接的には会津の敵にはなりますけど。(久留米藩は尊皇攘夷派
の情報中継地でありましたが、ある時から佐幕派へと転身し、明治維新後まで
藩内は混乱し、結果として、佐幕派も尊皇攘夷派もいなくなります。)

歴史は身近なところでもいろんなことを考えさせてくれます。

はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)


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