「予定調和」
この言葉を見聞きすると、去年の冬のこと(秘密)を思い出してしまうんですが、 その当時はまるで理解できなかった言葉です。
当時の日記にはこう書いています。
”分業と自由競争は神の見えざる手の様に予定調和を実現する、という アダム・スミスの出発点は道徳哲学だった。アダム・スミスにおける 自由は、封建社会や教会勢力の権威による理不尽さへの突破口だった、 と解説しています。彼にとっては神の意志である「調和」が経済の ビジョンであることは自明だった、と。”(2002年1月17日分)
今見ても良く分からないことを引用して書いていますが、意味は文字通りです。 つまり、「予定されていた調和」です。
ここで問題なのは主語が誰かということです。 誰によって予定されていたかというと、キリスト教でいう「神」なんです。
絶対的な「神」が決めたことは人がどうあがこうとも変えることはできない。 神に決められたとおりに物事は収斂していくということです。
これだけでは舌足らずなんですが、エキスだけを言うとそういうことなんです。
決められているんだったら、何にもしなくてもその通りになるんだったら、 別に何をしなくてもいじゃないかと思いますが、その決められたものが何なのか 予め分かっているのならそうですが、先のことなんか誰にも分からないんだから、 ひとつの目標に向かってそうなるように行動する、その行動が神の予定した ところに収斂していくというものです。自由市場とは神の見えざる手によって 正しいところで調和していくと考えるのです。ここに人間の意思と操作は 関与してはならないという考えから、政府の市場への関与は良くないと考える わけです。
決めたのは神であって人間ではない。でも正しいかどうかは問われない。 神が決めたことだから正しい。そして人間の価値観が介入する余地はない。
この思想に基づくのが、いわゆる古典派と言われる人たち。 これに異論を唱えたのがケインズであり、その流れを汲んだ人たち。
これを数学の言葉で言うと、以前(2003年7月27日分)申し上げました、
方程式=ケインズ派理論 恒等式=古典派(新古典派)理論
となるわけです。
教えてくれる人がいないと時間がかかって仕方がないんですが、たとえ1年半 経ったとしても、いいじゃないですか。字面だけで分かった振りをしていた 学生時代とはワケが違いますから。
さて、学術的にはどう書いたらいいんでしょうかねぇ。 え?ここで書く必要はないって? おっしゃる通りです。 今年は学生らしい勉強の仕方をしていないもんね。読書のしっぱなしです。(苦笑)
それにしても経済用語ひとつとっても幅がありますね。
はい。今日は曇りところにより一時雨。(東京地方)
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