しむちゃんのつれづれ日記
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2003年08月17日(日) 予定調和ふたたび

「予定調和」

この言葉を見聞きすると、去年の冬のこと(秘密)を思い出してしまうんですが、
その当時はまるで理解できなかった言葉です。

当時の日記にはこう書いています。

”分業と自由競争は神の見えざる手の様に予定調和を実現する、という
アダム・スミスの出発点は道徳哲学だった。アダム・スミスにおける
自由は、封建社会や教会勢力の権威による理不尽さへの突破口だった、
と解説しています。彼にとっては神の意志である「調和」が経済の
ビジョンであることは自明だった、と。”(2002年1月17日分)

今見ても良く分からないことを引用して書いていますが、意味は文字通りです。
つまり、「予定されていた調和」です。

ここで問題なのは主語が誰かということです。
誰によって予定されていたかというと、キリスト教でいう「神」なんです。

絶対的な「神」が決めたことは人がどうあがこうとも変えることはできない。
神に決められたとおりに物事は収斂していくということです。

これだけでは舌足らずなんですが、エキスだけを言うとそういうことなんです。

決められているんだったら、何にもしなくてもその通りになるんだったら、
別に何をしなくてもいじゃないかと思いますが、その決められたものが何なのか
予め分かっているのならそうですが、先のことなんか誰にも分からないんだから、
ひとつの目標に向かってそうなるように行動する、その行動が神の予定した
ところに収斂していくというものです。自由市場とは神の見えざる手によって
正しいところで調和していくと考えるのです。ここに人間の意思と操作は
関与してはならないという考えから、政府の市場への関与は良くないと考える
わけです。

決めたのは神であって人間ではない。でも正しいかどうかは問われない。
神が決めたことだから正しい。そして人間の価値観が介入する余地はない。

この思想に基づくのが、いわゆる古典派と言われる人たち。
これに異論を唱えたのがケインズであり、その流れを汲んだ人たち。

これを数学の言葉で言うと、以前(2003年7月27日分)申し上げました、

方程式=ケインズ派理論
恒等式=古典派(新古典派)理論

となるわけです。

教えてくれる人がいないと時間がかかって仕方がないんですが、たとえ1年半
経ったとしても、いいじゃないですか。字面だけで分かった振りをしていた
学生時代とはワケが違いますから。

さて、学術的にはどう書いたらいいんでしょうかねぇ。
え?ここで書く必要はないって? おっしゃる通りです。
今年は学生らしい勉強の仕方をしていないもんね。読書のしっぱなしです。(苦笑)

それにしても経済用語ひとつとっても幅がありますね。

はい。今日は曇りところにより一時雨。(東京地方)


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