”資本主義の考えは、エトスの転換に始まった。”
なんだか難しげな言葉ですね。 「エトスって何?」といったところから疑問が沸きます。 エトスとは、いわば行動様式とか行動規範とでも言いましょうか。 エトスの転換とは、宗教改革のことを指しています。
世界史の教科書なんかではカトリックが腐敗して贖有状(しょくゆうじょう。 免罪符のこと)を盛んに売りまくった。これに憤激したルターなどの人々が カトリックを批判したことがきっかけとなって宗教改革が起きたと述べられて います。しかし史実上はそれほど簡単なものではなかったといいます。
経済を勉強しているとどうしてもぶち当たる壁が「キリスト教」です。 特に資本主義の思想を詳しくすると、その精神は宗教の合理化であったことに 行き着きます。宗教とはキリスト教のことを意味しています。
キリスト教の本質は信仰にあったにもかかわらず、中世カトリック教会では サクラメント(秘蹟、聖礼典)という儀式(7つの儀式である洗礼、聖体、 堅信、婚姻、告解・悔悛、叙階・品級、終油)により仕切られていて、聖書を 読ませることを禁じていたといいますから、まったくもって驚きです。聖書を 読ませなかった理由は、聖書の記述とかけ離れたことを教義としていることを 悟られないためだと言われています。
イエスを信じてさえいれば救われるという合理性を排除して、儀礼により救わ れると教えているのですから、これを腐敗と言っているわけです。マクス・ ウェーバー曰く、既にキリスト教でなくなっていたカトリックを倒してキリスト 教の本来の姿に回帰させたのが宗教改革だといいます。本来のキリスト教への 復帰すなわち宗教の合理化を行なったプロテスタントの倫理こそが資本主義の 精神を作ったのだといいます。
※誤解して欲しくないのは、カトリックが悪くてプロテスタントが良いという ことを申し上げているのではなくて、資本主義精神の起源を申し上げている までです。それ以上のことを言うつもりはありません。
今日の記述ではこれぐらいに留めておきますが、前述に加えて「予定説」という 言葉がキーワードになるようです。この予定説が非常に大事な意味を持っている のですが、これにつきましては別の機会で述べてみようと思います。
はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)
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