しむちゃんのつれづれ日記
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2002年07月09日(火) 長野県知事の不信任

いわずもがな、田中康夫長野県知事です。
いまだかつてない県知事の不信任案が県議会において可決されました。
(過去には収賄容疑で書類送検された岐阜県議会以来2度目)

ダム問題以外は知事の県政には県議会も賛成しています。
ダム問題についてのみ反対しているこの事実の中での不信任案可決。
でも県治水・利水ダム等検討委員会からはダムによらない対策を知事に
答申していました。保守派には期待ハズレの答申だったのでしょうか。

田中知事の支持率は60%を越えており、一方では県議会では孤立状態。
これは民主主義の歪かと思われます。4年間の任期のうちまだ1年8ヶ月です。
いまだかつてない行動を取ってきた田中知事に対する反抗が保守派には
あるようです。今までの権益を守りたい人があまりにも多いことを意味します。

議会の中で、そのトップとスタッフがケンカしているようなもんです。
どちらも県民から選挙で選ばれた人たち。それなのにその選ばれた県議から
失格の烙印を押されました。これもまた民意を表していることになります。

国政と県政の大きな違いは、その長を国民が直接投票できるか否かの違い。
地方を預かる身と国を預かる身の違いです。やってる中身が違うんです。
それだけ県知事の方が国民に近い存在なワケです。市長や町長はもっとです。

ではこの状況に関してどう思うかっていうことなんですが、これは行き過ぎた
議会の抵抗とでもいいましょうか。全ての人が同じ方向性を持つことは危険。
一方ではその均衡があまりに崩れてしまうのは良くありません。

小泉首相も同じ状況だと思います。
抵抗勢力をあらわにすることで、その抵抗勢力に対する民意を問う。
これもまた構造改革のひとつだと自分は考えます。

国民が、県民が信任するその長が苦悩しているんです。
必要な改革を推し進めるのに、その行動を否定し、邪魔する勢力が存在する。
信任したその長が実行できないでいる状況に対して批判することは簡単であり、
諦めることは簡単ですが、その抵抗勢力に対して我々が何の行動も起こさないで、
つまり見て見ぬ振りをしている自分たちを差し置いて、信任した長を批判する
のはいかがなもんかと思います。なんで抵抗勢力が存在するのか、彼らを
生かしておいていいのかということを真剣に考えれば、おのずと攻撃の矛先は
決まってくるんじゃないかと思います。そうでなければ、我々はただのお気楽。
きっと誰かがやってくれるだろうとのんびり構えているお気楽平和ボケ国民。
そうです。国民の目が腐っているんです。

ま、いつの時代でも国民というのは勝手なもんですから、国民の総意という
のは本当に正しいのかどうかという議論になれば、必ずしもそうでないという
ことになります。老いも若きも男も女も、しっかりした人もそうでない人も、
定職のある人もそうでない人も、お金持ちな人もそうでない人も、政治に興味の
ある人も無い人も。いろんな人がいるわけです。育ちも違うし、教育の受け方も
違うだろうし、もちろん考え方も違うわけです。そういう人の集合体が国民
なんですから、その総意というのが正しいかどうかというのは統計でいう
「分布」に拠るところが大きいかもしれませんが、民主主義では数の論理。
数の中身は問われません。そこが問題といえば問題なんですが・・・。

さて長野県の場合はどうかといえば、どうやら政策としての県知事の方向性は
間違っていないようです。とかいったチェック機能が県議会に求められているの
ですが、彼のポリシーである「脱ダム」のショックが大きかったんでしょうか。
ダムの議論になると声を荒立てて反抗する姿勢をする議員が大半です。それだけ
ダムに対する県議の期待が大きかったことを表していますが、その期待という
のは、自分に対する見返りの大きさを期待していたからに他ならない。
「オレ」は地域を支配している偉い人だという自負心と地域への約束を守るべし
という曲がった思想から来ていると思われます。

地域の一部の人間の利益をその地域の声だと称して自分の利益へ転化していく
彼らのえげつない行動に対して、県民は異論を唱える時期に来ているのでは
ないでしょうか。そんなえげつなさがまかり通る県であるのかそうでないのか。

周囲を高い山で囲まれた閉鎖的な県である特殊事情はあるものの、その閉鎖性を
利用していたのは議員達。県政の停滞に異論を唱えた田中康夫氏を県知事に
選んだ県民の意識は、それらの議員達に一矢を報いたい県民の「総意」でしょう。
聡明な長野県民のことです。田中県知事は来週失職するでしょうから、その後も
彼を県知事に選ぶでしょう。反田中派(そんな派閥があったのか(笑))は
対抗馬を選んでる最中とのことですが、これぞという人はいないでしょう。

カネが動くということは、そこには必ず利権が存在します。
そこで儲けている人が存在しているということです。
その儲けは県民の税金であるし、交付金という形で支給される国庫金は国民の
税金であるし、国の借金の一部です。少なくともこの税金が潤っている時代でも
ないし、将来潤うことが見込まれているわけでもありません。ここに所得の分配
を期待するのはあるべき姿でないことは明白です。

というわけで、田中県知事にはこれからもがんばってもらいたいという期待を
しているわけです。アホな姿は彼の演出。こんなつまんないことを問題にする
ぐらいならば、もっと本質的なことを問題にすべきです。>関係者へ。

はい。今日は晴れのち雨。(東京地方)


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