ちと堅い題名ですね。自分でも良く分かっておりません。(笑)
とある夕刊紙のコラムに目が止まりました。 文化勲章や朝日賞を受賞した故大塚久雄東大名誉教授についてです。 マルクス、ウェーバーを通した欧州経済史研究で世界的に知られている 方です。お亡くなりになって5年ほどが過ぎました。
自分は大学では文学部で英語を専攻しておりましたので、経済史やら 社会科学やらにはお目にかかっておりません。しかしながらなぜだか この故大塚名誉教授のことは目にしたことがあるのです。記憶にある。 人間的なアプローチが脳裏に焼き付いているんです。細かいことまでは 覚えていませんでしたが。
彼の主張をコラムから引用すると、”資本主義は、隣人も外部の人も 分け隔てなく「等価交換」で適正な利潤をあげるなら互いに幸福になる、 そのための努力は神にも認められる”という倫理観だそうだ。 自分だけが利潤をいくらでもあげていいという発想でなかったところが 多くの人、世界中の多くの地域で受け入れられたんではないだろうか。
それに対する現在の日本社会。経済的豊かさと精神的貧困が問われる。 日本だけでなく、世界的に見ても途上国では社会資本の整備無しに 金融などの経済のグローバル化だけが先行してしる。彼に学んだ 関口東大名誉教授は、企業や資本主義が倫理的であり続けることは 難しいが、倫理を喪失した企業や資本主義は崩壊する、というのが 故大塚名誉教授のメッセージではなかったのではないか、という。
それに代表されるのが米国での自爆テロ行為ではないだろうか。 つまりグローバル化を叫んできた米国に突入してきたビンラディン 率いるテロ集団。決して彼ら(首脳部)は貧困ではないんですが、 貧困の代表がごとく米国の象徴を攻撃(を指示)し、世界経済を混乱 させる。被害をこうむったのはグローバル化にのっかっている先進国 およびビンラディンを支持したイスラムの人たちではないでしょうか。 そういう意味で、あのテロ集団は行き過ぎた資本主義への警鐘を 鳴らしたのかもしれません。
さらに故大塚氏は「内と外」の二重基準をもつような「むら共同体」 からの脱却が近代化には不可欠だとしたそうですが、それは個々人 が砂粒のように解体されることを意味するのではなくて、「新たな 共同体」を求めるものだと言います。NGOやNPOに見られる 非営利な自発的な集団を連ねたネットワーク型社会原理が、肥大化 した管理型システム社会への対抗軸としての共同体を考える上で 重要だと、故大塚氏門下の梅津聖学院大学総合研究所教授は指摘 しています。
難しい言葉が続きましたが、企業の中では壁を作らないガラス張りの、 社会の中ではイジメの起きないような世の中。これらが必要という ことでしょうか。あまりに簡単過ぎましたか。(笑)
故大塚名誉教授が、社会や歴史をとらえるには経済や政治の領域に 視野を限るのでは不充分だとして、社会科学に「人間」を持ち込んだ といいます。それは彼が内村鑑三門下のキリスト教者であったことが 影響しているんでしょうか。もしそうであるとしてもないとしても、 人間の歴史はすべて人間が関わってできてきた事実があります。 経済活動も、所詮人間がつかさどってきた活動。理論では説明の できないことは過去にもたくさん起きています。特に最近の不況は。
そういったことで、社会科学における「人間」を追求した方法論や 姿勢は、今後の経済社会を占う際にも示唆を与えてくれるんじゃ ないでしょうか。
「人間」をベースにした経済へのアプローチ。学校じゃ勉強しません。 学校の勉強に飽き飽きした人は、こんなところから見つめてみても いいんじゃないでしょうか。資本主義社会に生きている人間として。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
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