2009年10月06日(火) |
五輪リオへ―「南米初」に喝采を送ろう |
1、社説:五輪リオへ―「南米初」に喝采を送ろう 2009年10月5日 朝日新聞 2、東京はこれで終わるのか 2009年10月5日 新潟日報 3、ブラジルの経済 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88
52年ぶりの東京五輪の夢は消えた。落胆している人も当然いることだろうか、ブラジルの決定は妥当に感じる。私が理解する範囲では、世界№1の親日の国はブラジルだと思う。人口 1億8000万人のブラジルは、発展の可能性を秘めた希望の国ように思う。日系の人たちの160万人あまりおり、明治の初期から移民で100年以上の交流のある国である。
国際オリンピック委員会(IOC)総会で、リオが東京、シカゴ、マドリードを振り切り、2016年に南米初の開催である。 招致をめぐる大混戦の中で、ルラ大統領やサッカーの王様ペレ氏らが「南米の若者のために、五輪を新たな大陸にもたらしてほしい」と訴え続けた。それがIOC委員の心を幅広く捉えたようである。
ブラジルでは2014年に五輪と並び称される世界的イベントのサッカーのワールドカップ(W杯)が開かれる。二重の喜びに沸いていることだろう。サンバのリズムに乗る歓喜の歌声が地球上に発信されることは良いことだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1、社説:五輪リオへ―「南米初」に喝采を送ろう 2009年10月5日 朝日新聞 52年ぶりの東京五輪の夢は消えた。だが落胆している人の耳にも、地球の裏側からサンバのリズムに乗る歓喜の歌声が届いていることだろう。 カーニバルで知られるブラジルのリオデジャネイロに7年後の夏、聖火がともされることになった。 コペンハーゲンで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、リオが東京、シカゴ、マドリードを振り切り、16年夏季五輪の開催都市に選ばれた。南米初の開催である。 招致をめぐる大混戦の中で、ルラ大統領やサッカーの王様ペレ氏らが「南米の若者のために、五輪を新たな大陸にもたらしてほしい」と訴え続けた。それがIOC委員の心を幅広くとらえたのだろう。 ブラジルは中国、インド、ロシアとともにBRICs(ブリックス)と呼ばれ、世界に存在感を増す有力な新興国の一つである。ルラ氏はG20の顔でもある。中南米諸国や他の大陸の途上国への支援呼びかけもリオ五輪への共感を広げる効果があったに違いない。 ブラジルには約150万人の日系人が住み、日本からの移民が始まって100周年を昨年祝った。2014年のサッカーW杯開催国にも選ばれており、世界の耳目を集めるスポーツの祭典を立て続けに開くことになった。 南米大陸は、経済や資源外交でもこれからの日本にとって重要性を増す地域になろうとしている。五輪を通じてこの地域に日本人の目が向くことは必ずやいい影響をもたらすだろう。 五輪開催地としては犯罪率の高さといった問題が指摘されてきた。だがこれからに期待したい。スポーツを通じて、若者の非行を防ぐ政策が実を結びつつある。リオを推した委員は、街と市民の負の側面ではなく、潜在力を評価したといえる。 スポーツの持つ力が人々に夢を与え、社会の活力を生み出す。それはどの国にも通じることだ。五輪はブラジル国民の自信を大きく育むだろう。 総会会場にはオバマ米大統領や鳩山首相らが乗り込み、誘致を競い合った。各国の世論を背に火花を散らし合いながらも、開催地決定の後は互いに健闘をたたえあう。そんな首脳外交もいいものだ。 盤石の財政やコンパクトな会場配置を柱にした東京の提案は評価を得た。鳩山首相の演説も、2020年までに温室効果ガス排出量を25%削減するという野心的な目標をいれたもので力があった。12月にはCOP15でのより厳しい交渉が待ち受けている。 東京への誘致は、「世界初のカーボンマイナス(二酸化炭素削減)五輪」を訴える試みだった。敗れたとはいえ、今後の都市づくりに生きれば、これまでの誘致の努力も決して無駄にはなるまい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2、東京はこれで終わるのか 2009年10月5日 新潟日報 2016年の夏季五輪の開催地にブラジルのリオデジャネイロが選ばれた。リオデジャネイロ市民に祝意を表したい。 南米での開催は五輪史上初めてとなる。ブラジルでは14年に五輪と並び称される世界的イベントのサッカーのワールドカップ(W杯)が開かれる。二重の喜びに沸いていることだろう。 治安や交通インフラなどの問題が指摘されているが、開催までにはまだ時間はある。一つ一つ解決し、大会の成功につなげてほしい。 リオのカーニバルで知られる熱狂の地である。華やかで陽気なサンバのリズムが、世界中のアスリートを迎えてくれるはずだ。どんな五輪になるのか。7年後を楽しみに待ちたい。 16年大会の招致は最終的にリオデジャネイロを含め東京、マドリード(スペイン)、シカゴ(米国)の4都市で争われた。開催地は国際オリンピック委員会(IOC)総会で委員の投票によって決まる。 1964年以来2度目を狙った東京のほか、スペインも米国も過去に五輪を開催している。リオデジャネイロの勝因は「南米初」によるところが大きい。来年のW杯のホスト国は南アフリカである。「新しい大陸へ」の流れは五輪も同じだったということだ。 東京は残念ながら2回目の投票で選から漏れた。コンパクトさと環境重視を訴えたが及ばなかった。世論の盛り上がりの低さ、アジアでは2008年に北京で開催されたばかりなどがマイナス材料となり、IOC委員の広範な支持は得られなかった。 日本の夏季五輪招致は1988年大会の名古屋、2008年大会の大阪に続いて、これで3連敗となった。いずれも大会運営案や財政面では高い評価を受けていた。だが、選ばれなかった。 世界が五輪に何を求めているかを忘れた結果ではなかったのか。招致に最も必要なのは開催の理念である。その意味でリオデジャネイロには「南米初」という明確さがあった。日本は招致の在り方を見直すべきだろう。 忘れてならないのは名古屋、大阪とも一度の失敗で招致レースから撤退したことである。東京も同じ道をたどるのか。それでは「やはり理念なき招致だった」と言われよう。 「なぜ東京なのか」である。IOC委員はもとより国民の心に響く理念を掲げて、地道な活動を続けていくべきだ。五輪だけではなく、あらゆるスポーツの振興に力を注いでほしい。 「価値や文化的な側面を持たないスポーツ競技は、軍事パレードと変わらない」。近代五輪の創始者であるクーベルタンの言葉という。招致レースもまた同じであると考えたい。
|