2004年09月03日(金) |
チェチェン人のテロ攻撃 |
ロシア(プーチン政権)は、チェチェン人のテロ攻撃にさらされている。チェチェン人の仇討ちの恐怖が、ひしひしと広がっているようだ。プーチン政権は、人口100万人のチェチェン共和国(過日の大統領選挙の有権者58万人)の独立を拒否して軍隊を送る。さまざまな情報によれば10〜20何人近いチェチェン人が殺されている。連続しているテロは例外なく、露軍に夫や肉親を殺された女性の仇討ちなのである。8月24日のロシア南部で旅客機同時墜落事件(90人が死亡)は、チェチェン出身とみられる女性2人が決行している。これほどの規模の「女性の仇討」が過去の歴史に存在しただろうか。 1、ロシア南部の北オセチア共和国(チェチェンの隣)爆発物を身に着けた武装集団10数人が学校に突入。犯人は児童らを人質にして立てこもった。教師や保護者、児童ら354人が人質となった。犯人グループはロシア軍のチェチェン共和国からの撤退と、27人の解放を要求しているという。 現段階での人質解放交渉を拒否。窓際に生徒を立たせ、治安部隊の攻撃を防いでいるという。プーチン政権は、モスクワ劇場占拠事件のように、毒ガスで決着を図るのだろうか。 2、モスクワの地下鉄駅前で自爆テロが起きた。モスクワ市北東部の地下鉄駅近くで、8月31日の夜爆発が起きた。この事件で9人が死亡、約50人が負傷したしたという。捜査当局は今回の爆破を女性による自爆テロと断定。一連のテロはチェチェン独立派による犯行との見方である。米ソともテロとの戦いと発想と行動がある限るテロは続くという皮肉な顛末が続くのだろう。(メモ チェチェン:失敗した侵略を引用) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 癒しの森380 2004年9月3日
癒しの森ポプラ社の作品市場に公開
癒しの森の1年分をポプラ社の作品市場の公開することは8月31日に書いた。当初は9月3日の予定であったが、1日の夜不完全な配列であったが公開された。公開された少々の時間で、30代の女性が次の感想文を掲示板の書き込んでくれた。 「さん、しぃ、ごぅ。 (30代 、女性 ) 2004年09月01日 21時31分 とりあげる題材もさることながら短歌で結ばれているところが大変面白い。ひとつ頂いてふたつの味を楽しめるお得感は、女性にはたまらない逸品!」 公開されてまだ2日と経っていないが、これまでの閲覧人数が15人となっている。2日の夜40代の男性から次の感想文が掲示板に書き込んでくれた。 「たねもりしげる (40代 、男性 ) 2004年09月02日 22時09分 まず色々な意味で驚き、読み進めるうち次第に癒されていく自分を感じておりました。長年におよび日々このような思いを残される素晴らしさに敬意を表するものであります。当方中々時間が取れず全文を拝読することはかないませんでしたが、今後折りをみながら読み進めることができればなど思っております。」
・ストレスと 悲しみ共に 語り合う 君も行こうよ 癒しの森へ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ チェチェン ―失敗した侵略 (大富亮/チェチェンニュース) ●最悪の1週間 つぎつぎと事件が起こっている。 先週、ロシア南部で二機の旅客機が墜落したかと思えば、おとといはモス クワ市内で10人の死者を出す爆破事件がおこり、昨日の朝には北カフカス の北オセチア共和国で学校が占拠され、人質は300人になるという。これ らに紛れこむように、親ロシア派の新しい大統領を選ぶ官製選挙も行われた。
すべての暴力に、枕詞のように「チェチェンが関与」という見出しが躍 り、ここ10年間チェチェンを助けて来た人々の胸には、いままでにも感じ たことのある、複雑な失望が突きつけられている。私には、それらの犯人が 誰で、これから人質事件がどうなるかを書くことはできない。ただ、背景 を、一冊の本をもとに示すことはできると思う。つまり、チェチェン戦争に ついて。 ロシアの記者、アンナ・ポリトコフスカヤの「チェチェン やめられない 戦争」(NHK出版)が、とうとう刊行された。彼女はロシアの新聞「ノーバ ヤ・ガゼータ」の記者。第二次チェチェン戦争が始まったとき、社命でチェ チェンを取材してからというもの、チェチェンへの関心は彼女の胸を去ろう としない。 チェチェンはロシア政府によって封鎖され、外国のジャーナリストが自由に取材することはできない。しかし彼女は、煩瑣な手続きに耐えて毎月のようにチェチェンに行き、戦争の現実を、そこに住む人々から聞き取っていった。空爆と地上戦によって荒廃しつくしたチェチェンの土を踏みしめ、ときに彼女自身、ロシア軍に拘束され、「おぞましく、割愛するしかない」ような扱いを受けながら。
●戦争:人々の欲望の最悪の成り行き 読者は、この戦争がいくつかの複合した原因で成り立っていることに気が 付くはずだ。まず、ロシア政府・軍部による侵略という原因。「掃討作戦」 とは、チェチェン市民からの財産の略奪の別名だ。これは、主に下級兵士た ちの取り分になる。そしてチェチェン人を誘拐して身代金を取る作業は、将 校たちの稼ぎになる。次にポリトコフスカヤは、国防省の文書庫を渉猟し て、さらに上級の将軍たちがチェチェン戦争をどのように食い物にしている か、その重要な部分を明らかにしている。 掃討作戦の途中で、チェチェン女性が強姦・殺害されることもあるが、運 の悪い戦車隊のブダーノフ大佐のような人物でもなければ、裁判にかけられ ることもない。女性たちの運が悪いのではない。それはほとんど必然的な災 厄で、加害者が訴追されるほうが例外なのだ。 抵抗を続けるチェチェンの独立派はどうか。国民と国際世論に活発に訴え るよりも、地下に追われて沈黙することを選ぶようになってしまった大統領 マスハドフ。金(とおそらく特殊な名誉欲)のためにどんなことでもする野 戦司令官バサーエフ、そして、中東からの資金を取り次ぐことで最後まで彼 を支えたハッターブ。親ロシア派の政治家や役人にいたっては、汚職と石油 売買の利権争いに忙しく、「ロシア人よりひどい。すべてを知っていて、何 もしない」そう市民の一人は吐露する。ポリトコフスカヤは、これらのプレ イヤーの誰にも好意を示さない。ロンドンに亡命しているマスハドフのス ポークスマン、ザカーエフとの多少の友情をほのめかす他には。 彼女の目を通して見るチェチェンの惨劇は、人間の欲望の最悪の成り行き だ。いま、チェチェンで実際に抵抗を続けている人々は、ロシア軍に肉親を 残虐に殺された人々の小部隊であり、彼らは大統領や、司令部といった中心 的な存在を持たない。このことはロシア側にとっても、イスラムの大義をか かげる側にとっても都合が悪い。そこで、「対テロ作戦」や「ジハード」な ど、プロパガンダ臭のする粉飾が繰り返される。 ここで日本に戻ろう。 いつになくたくさんの記事が、いっせいにチェチェン問題とテロを結びつ けようとしているこのごろ、手に入る限りの新聞を切り抜いて読む作業をす るうちに気が付いたことがある。「人権」という言葉がほとんどないのだ。 それらを読むと、まるで地の果ての野蛮な国チェチェンが、ロシアの言うこ とに従わないばかりか、文明を踏みにじるためにテロを続けている、そんな 印象を受ける。 「地の果ての野蛮な国」では、まるでかつての「蝦夷」か何かのようだ が、そうなるのは、とても簡単な理由がある。書き手が取材せず、また聞き の情報しかないから「地の果て」になってしまい、片方の暴力だけを報道す るから、「野蛮」になるのだ。そして最大の見落としは、チェチェンに暮ら す人々がどんな苦痛をこうむっているかを、誰も書こうとしないことだ。い くつかの事件がチェチェンのゲリラのしわざであったとして、「報復」と書 くのなら、何に対する報復なのかを示さなければ、何かを書いたことにはな らないのに。
●国家によるテロリズム なるほど、飛行機に爆弾をしかけて撃墜し、乗っている人々を殺すことは 犯罪でしかない。政治的な目的がそこ加わればテロだろう。しかし、飛行機 から爆弾を降らせて都市を焼け野原にしたり、難民たちの車列と知りつつ上 空から機銃掃射し、国際赤十字の職員もろとも殺戮することはテロリズムで はないのか。99年のチェチェン再侵攻の時、ロシア軍はためらうことなく そうした。その後の展開はポリトコフスカヤの本に記されているとおりで、 正直なところ、ページをめくるのが怖くなる時がある。 日本では、こういう考え方はまだ一般的ではないかも知れないが、チェ チェン戦争とは、ロシアによる侵略戦争だ。初めは、この土地の人々が独立 宣言したことに対する敵意と、エリツィン政権の延命のためだった。94年 の第一次チェチェン戦争の直前、ロシア安全保障会議のロボフ書記が「われ われには勝利をもたらす小さな戦争が必要だ」と発言したのは、つとに有名だ。 侵略は明らかに失敗しようとしている。対テロ作戦どころか、隠しようも ない犯罪が毎日繰り返されている。軍と特務機関、オリガルヒや軍産複合体 がそれぞれの利権のために行動し、ロシア領内でのチェチェン関係の事件は 増加し、戦争全体がクレムリンにとって制御不能なものになっている。これ が、続発するテロ事件の背景だ。 ひとつの地域紛争の舞台であるチェチェンにも、過去と、現在と、未来が ある。こういうことを書きつづけている私の経験では、一番関心を持って聞 かれるのは、現在のチェチェンがどうなっているかだ。たとえば、チェチェ ンにアルカイダがいるか、とか。「アルカイダとの関係があるとされるチェ チェン独立派の犯行とみられている」といった無責任な言葉は、日々の新聞 でお馴染みでもある。帝政ロシアの侵略に始まる、チェチェン戦争の過去の 歴史を知りたがる人は、どちらかというと奇特な人に入る。二番目に聞かれ るのは、「これからどうなりますか」という質問で、これは未来のことだ。
●情報封鎖の意味すること このニュースレターを読む人の中には、レポートのためにチェチェン問題 をおおざっぱに理解したいという学生もいれば、情報を集めて「客観的」に 報道するプロも大勢いると思う。そういう人たちにも、そうでない人たちに も、提案したいことがある。 まず、チェチェンとロシアの置かれた状況を、自分とは関係ないものとし て捉えることを、もうやめよう。その立場は無害どころか危険だ。私たちが 調べ、それぞれの視点から意見を発表したり、報道することそのものが、悲 惨な戦争の終わりを、早めもすれば、遅めもする。今のように、ロシア政府 の政策に無批判な報道(たとえば「人権」の二文字が使われない記事)が続 けば、それは「客観報道」のつもりでも、この悲惨な戦争の終わりを後に延 ばす役割を果たし、人権侵害を続行させる力になるだろう。続けることで得 をし、批判もされない仕事を、進んでやめようとする政治家や官僚、軍人な ど稀なのだから。 私たちがチェチェン人を直接助け出すことは、たぶん、ほとんどできな い。けれども、きわめて効果的な武器はある。わたしたちは今、何冊もの本 を手に入れることができ、星の数ほどあるインターネットサイトから情報を 得て、それをもとに考えることができる。武器は容易にチェチェンに流れ込 んでも、ジャーナリストは入れない。その封鎖が意味することは―――ロシア政府がもっとも恐れているのは、チェチェンで何が起こっているかを、世界が知るという「危険」だ。 だから、時間の歯車を早めて人の命を救うことも不可能ではない。人権侵 害と未曾有の貧困に苦しむチェチェンの人々を意識しながら、報道し、文化 を紹介し、授業や研究会で発表しよう。さらに一歩進めると、ホームページ やウェブログで意見を書き込んだり、新聞やロシア大使館宛てに投書した り、芸術の場に引っ張り出すことができる。たとえば歌でチェチェンを歌っ たっていい。考えつく、あらゆる場でチェチェンにスポットライトをあてれ ば、確実に関心は高まっていくはずだ。 私たちはチェチェンを知ることができる。それはそのまま、チェチェンの 情勢を良くし、いまより安定した地域にする、その可能性をつかんでいると いうことだ。
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