2003年12月17日(水) |
米軍 フセイン元大統領を拘束 (3) |
中東で反米の行動を取った旗手がいた。四半世紀に渡って独裁政治を行ってきたサダム・フセインだ。しかし、米国が侵攻すると逃げ隠れする。そして、アラブの反米の旗手というイメージとはほど遠い、みじめな姿で逮捕された。こんな姿をさらしてまで、なお生きたいのだろうか。 元大統領が潜んでいたのは、2部屋しかない日干しレンガ造りの小屋で、地下に掘った小さな穴に潜んでいたところを、ネズミのように捕まったという。泥やれんがで入り口を隠した、たこつぼのような穴の底に、フセイン元大統領が潜んでいたのだ。米兵に突然、発見されてうろたえ、「撃つな、私はイラク共和国大統領、サダム・フセインだ」と穴のなかで叫んだという。
独裁者を逮捕したことで、3月に開始されたイラク戦争は終焉を迎えたといえる。ブッシュ政権にとっては、好材料となることは間違いなく、来年の大統領選挙での再選にも、今回のフセイン逮捕はプラスに働くと思われる。
昨日ネオコンの考え方を書いたが、来年ブッシュ大統領が再選された場合、次の独裁制のターゲットは北朝鮮になると思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 癒しの森118 2003年12月17日 映画 ラスト・サムライ(2)
武士道は新渡戸稲造(1862‐1933)が英文で書いたものが有名だ。1984年発行の「武士道」ではその淵源・特質、民衆への感化を考察し、武士道がいかにして日本の精神的土壌に開花結実したかを説き明かしている。
武士道は特別な存在ではなく、多少薄められたとはいえ日本の精神文化の一つになって、今日も生きているように思う。武士道の支柱は「義」である。現代の言葉で言えば、正義、忠義、恩義、信義、道義などの意味を含む概念である。義とは、「人間が踏み行うべき正道、人間と人間社会が成り立っていくうえで欠かすことの出来ない秩序感覚の基であることが理解できます」(潮出版社「旭日の世紀を求めて)から引用」とある。
義とは、武士道を知っているかどうかに関係なく、上記の通り社会が成り立つ秩序感覚の根幹なのである。イラクにはこの「義」という秩序感覚がないに等しいので、これから展開されるのは、勢力対勢力の殺し合いが延々と続くのである。
現役の頃、多くの企業倒産を見て来た。振り返って見るとバラバラと崩壊していく企業は、「義」に代表される秩序感覚が弱い集合体であったように思う。日本はサムライがいなくなっても、武士道の「義」の精神は静かに流れていると思う。その一例をあげれば、日本の指導者の多くが、吉川栄治の「三国志」を読んでいる。この小説全編に「義」の精神が波打っている。
・サムライが 残せし文化は 少なくも 今も息づく 義の精神
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