前の職場での自分のこと、言動や物の見方、心の奥にあったものやなんかがこうして一歩離れてみてよく見えてきたりするものだ。
慣れの中で出てくる甘えとか他人への批判とかの垢をためていたこと。批判する前に自分のいい加減さで周りの人はうんざりしていることを見てみぬふりもした。
そんな風にして何年かが過ぎていたわけだ。結論を出さずには要られない状況は自然に自分の止まらないミスの連続の中で積み重ねられて行く。
それでも口だけは生意気に そして自分かわいいさでの甘えた話。 誰もが嫌っていながらも私の前では思いやりを示してくれて、そして肝心のところでは繫がりをしっかりと遮断する。賢い冷静な人たちだった。
言葉の大事さ その使い方の大事さが今 身にしみて感じられてきた。簡単なようで難しく その影響力の強さというものも。やっと気がつくのかこの年で。
盛り場でお酒の席で酔って男性をもてなし憂さを晴らしてあげることでお金をもらっていた時期が20歳代の大半だった私と 高校生時代の家庭の陰りを人に隠していた心の偏りとが私の人格の中に成熟しない部分を残している。
それともそれは建前であってもっと何か単純に自分の器量の悪さとか頭の悪さとかの問題なのかなとも思えるけど、 それが私の人生を動かす一つの鍵かもしれない。けっきょのところはね・・。
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