ひとにやさしくない - 2006年03月22日(水) 裏切られることが怖いと云った。 事実怖かったし、あたしはこれまで色んなものに裏切られたと云って喚いてきた。 それでも信じることを辞めたくないと、そんなような綺麗事ばかりを吐いてきた。 そんなことを云う資格が果たしてあたしにあっただろうか? 反面ずいぶん他人を蔑ろにしてきた。気付かなかったとか、深刻に受け止めていなかったとか、仕方がなかったとか、そんなのはただの言い訳でしかなくて、あたしもまたたくさんのひとや気持ちを裏切り疵を抉ってきた。 自分ではそこそこ取り繕えているつもりだった。せめて自分の薄っぺらい良心に対しては誠実でいたつもりだった。つもりだった、ということはこれ以上なく罪だ。 誰かを裏切るという行為は、同時にふたりを、相手と、誠実であろうとした自分とを、裏切ることだ。 報いることが出来なかった想いや、護ることの出来なかった約束や、踏みにじってしまった信頼や、そんなものを思うと酷く噎せそうになるけれど、 多分あたしに傷付くような資格はない。 偽善者もいいとこだという自覚ならあった。でもきっとあたしは偽善者にもなりきれてないのだろう。 わかってる。あたしは誰かがあたしのせいで苦しむのがいやなんじゃなくて、自分が見損なわれたことがいやなだけなんだ。ああ厭だ。なんて見苦しいんだろう。 ごめんなさいすら不誠実だというのならあたしは口を噤むしかない。 この重石みたいな吐き気を引きずり続けることが罰なら、それには甘んじなきゃならない。これ以上あたしがあたしに絶望しないためにも。 ...
|
|