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2002年03月21日(木) おばぁちゃんへ。。。

前夜朝方まで遊んじゃったので、
昼間で思い切り寝ちゃった。。。

昼からお墓参り。
新横浜に1時だとゆー息子を、
遅刻ながら、慌てて送り届け、
その帰りにお墓に行く。

こっちのお墓は、毎月義母がお参りしてるけど、
ぁ〜実家はお墓、四国のまんまだねぇ。
つか、おばぁちゃんは四十九日を過ぎても、
納骨もしてない・・・。
早く近場に墓地購入しなきゃ・・・。
ってあたしには関係ないか。

おばぁちゃん。。。
94年。。。よく頑張ったよね♪
最後の7年。故郷の四国を離れて淋しかったと思う。
おじいちゃんも95歳まで生きたから・・・
・・・大変だったよね。
満州で父を生んで、叔父さんを生んで・・・
よく連れて帰ってきてくれたよね。
残留孤児になってたら、あたしここに居なかったし。
もしかしたら、中国語喋ってたかも・・・(まさか)
おじいちゃんとおばぁちゃんの歴史は、四国で灰になってしまい、
今残ってるのは、ほんの少しの記録だけになっちゃった。
ご先祖様は戦国武将って言ったって、
今のアタシタチも、子供達もピンと来ないだろうなぁ。
一応、士農工商の頭だぞっ。って
なーんも偉くはないんだけどね。o(*^▽^*)oあはっ♪

でも、あたしは、優しいおばぁちゃんを忘れない。
お花が大好きで、いつも庭いっぱいに花を咲かせてた。
ひとつひとつ説明してくれる花の名前も、
小学生だったあたしは、覚えていないけど、
あたしもお花は好きだよ。
テキパキと家事をこなすおばあちゃん。
女性が仕事!なんて言われる時代に、
仕事をしてた、キャリアウーマンの走り?
まわりから色々言われただろうけど、
あたしは素晴らしいと思います。
教育ママゴンの先駆者でもあったんだよね(笑)
筋の通った生き方をしたよね。
健康に気を配り、おかげで長生きしてくれました。

故郷を離れるとき、羽田に迎え行った車の中で、
「ここはなんて言うところ?」といいながら
あたりを一生懸命見てるおばあちゃんは、
常にいろんなものに興味を示す
向学心旺盛な人だなぁと思いました。
とても当時88歳とは思えなかった(笑)
ピンピンしてたしね。

100歳のお祝いができるかなって思ったけど、
その願いもむなしく、病魔の襲われてしまったね。
「車で来たんなら連れて帰ってよ」って
病床で話した日が最後の会話になっちゃった。
あとは、ずっと眠ったままだったけど・・・
あたしの顔を見ると、笑ってくれたね。
強い人でした。

おばぁちゃんが居てくれたから、
今のあたしが居る。。。
最後の夜、おばぁちゃんの部屋に一人で寝たよ。

ゆっくり眠ってください。
いつか、あたしも逝くからね・・・☆




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