Kamenashi Kazuya + α...


2003年08月22日(金)
 *どこまでも着いて行きますよ。

パチ読んだら、すごく考えさせられて。
その取材は沖縄ファイナルの3日後のものだから、Naoも一番いろんなこと考えてたり振り返ってたりしてた時期だったのかな。。。とも思うのだけど。


Naoが抱えているものは、とてつもなく大きい。


なりたい自分。
目指してる自分。
やりたいこと。
目標としていること。

ギャップに苦しんだり、迷いながらも歩いていかなくちゃならなかったり、Naoのライブがどんなものなのか、参加している人の気持ちを自分で実感することができなかったり。

Naoが知りたいこと、教えてあげられたらどんなに良いだろうって思う。
それができないもどかしさがNaoの言葉を目にすると、まるで共鳴するかのように生まれてくるんだよ。


何かをやり始めた時って、目指す先がはっきりと見えていなくても、あやふやなまま1つ1つ埋めるように積み重ねていけば、完成した形はきっと目指しているものなんだって信じていくしかないよね。
完成した段階では、すごく充実した気持ちになってて、自信も持てたりもするけど、そのうちギャップに気付く。
求めているものがまだ見えていなくても、違いだけがハッキリ見えていたり。
だからどうすれば良いのかって考えてもわからなくて、また1つ1つ手探りして積み重ねていくしかない。

たぶん、そういうギャップに気付けることが大切なんだ。
答えを永遠に探すことになっても、探し続けることにはきっと意味があるから。

隠したり、嘘ついたり、カッコつけたりしてても、それがその時の等身大の嘘だったりカッコつけなら良いんじゃないのかな。
Naoは背伸びしていると思う?
カッコつけるのもNaoらしいカッコつけならカッコイイんじゃないのかなーって単純に思うなぁ。


何かを犠牲にしてその反対側にある利益みたいなものを得ているような・・・
そう思って、そんな自分をヤダって。
すごく気になってずーっと考えてた。
Naoが犠牲にしている何かって何なんだろう。
Naoが得た利益っていうのは何を意味しているんだろう。って。
それって、矛盾を矛盾だと感じながらも目を反らしてやり続けて、本当にやりたいこととは違うことで人を喜ばせているのが嫌だっていうことなのだろうか。

深読みすることではないのかもしれない。
けど、歌詞を出すのは反則だと思うけどそのほうがいいならやってもいいかとか、芸術っぽくエンタテイメントしているのは嫌いだったりとか、そういうNaoが持ってる気持ちと逆のことが構成としてあったわけで。
でも、パフォーマーになりきれないギャップっていうのは、少なからずパフォーマーとしての部分も大切にしているんだろうと思うし。
目指しているもの自体に迷いがあるのかなって。
それは前から何となく感じてはいたんだけど。

“藤木直人らしいライブ”に迷いがあるとはNaoも確かに言ってる。
いろんなことをやってきたから、演奏することだけをやってみたいっていうのはある意味、挑戦じゃないのかな。
参加した人が楽しめるライブをやりたい。そう思うことがいろんなことをやるライブとしての形になってて、いろんなことできるのが“強み”であると私も思う。
でも“強み”と“やりたいこと”とは別物。
強みは強みとして、色あせることはないから、Naoがやりたいことがカタチになれば良いなって思う。
きっと、これから先もいろんなことをやれると思う。
いろんな発想も生まれてくると思う。
そんな中で、やりたいと思うことが演奏することだけのライブなら、それもまた「いろんなこと」の1つだと思うんだよ。

私は演奏だけのライブに参加してみたいと思います。

音楽から離れていってるのかもしれない。ってNaoがそう感じるのは寂しい。
ただひたすら、音楽というものに没頭して、会場がNaoの音楽で1つになる。
そんな音楽一色で埋め尽くされるのも良いよね。





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*繭玉日記〜Real Face〜 / 繭玉

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