INDEX OLD NEW :::2004年04月11日(日) :::臆病な告白 今日はひっさびさに、子供泣きをした日。 とはいえ、つらいことは何もないのです。むしろ楽しい。 そして楽しいから、泣いたのかもしれない、という感じです。自分でもよく分からないや。 実はずっと隠していた、というか、日記上ではないものとしていたことがあります。それは日記上に上げるのがちょっと、ということもあったけど、実際に自分の心の中でも、その存在を無視したくて仕方がないことです。 東京に残れる方法が見つかった!と喜んでしばらくした辺りから、くすぶり続けている気持ちです。 今日はそのことを書こうと思います。感情的になっているので、読んでも意味が取り難いかもしれませんが、もしよろしければ、解読するつもりで流し読んでいただければと思います。 今私は春からの新社会人(響きが初々しい)としてもりもり働いているわけですが、日記には書いてなかったけど、実は他の道へ歩き出そうともしていたわけだったりします。 去年あれだけ色々脳内で回り道をしていたにもかかわらず、実は来年の春から、去年試験に落ちて、さらにあそこに行くのはちょっと・・・と捨てた院に進学できたらいいなとか思い始めてしまっていたりするのです。 卒業式の後、謝恩会の席で、もし去年試験に受かっていたら師事することになっていたであろう先生と話をする機会があって、自分が去年落ちたことに対してすごく謝られて、その謝る理由を(ここではくどくど書かないけれど)教えてもらって、その段階で私は全くもって気にしていないから、先生も気にしないで欲しいと言ったのですが、もし私が今年の秋口にある試験の筆記に通ったら、一番に合格にするから、といわれたところでグラッときてしまい。 その段階で、研修に入る前に何度か職場を訪れていた私は、なんとなく会社勤めな将来を何十年も続けていくことに疑問を感じていて、やっぱり勉強を続けて、それが職業に出来たらいいかも、とか新たなことを考え始めていたので、いろんな意味でちょうどいいタイミングでそんなことを言っていただいてしまったので、グラグラ揺れたのでした。 それを両親に話してみたら、両親はすごく喜んでくれて、去年亡くなったおじいちゃんが、ちょうど私に成り代わっているようだと言っていました。戦争のせいで勉学を続けることができなくなって、それでも生涯勉強を続けたおじいちゃんのようだといわれて、とても嬉しかったし、そして家族やおじいちゃんを知る人達が、私が勉強したいということを喜んでくれて、私も嬉しかった。 結局謝恩会でのその言葉で私は試験を受けてみようという気持ちになって、中国語の勉強をひそかに始めて、まだ(今も)どうするかは考えられないのだけど、取り敢えず受けることは受けようと思って、4月のスタートを切ったのです。 けど、実際に入社してみると職場は楽しくて、今までやらなきゃいけなかったこととかから開放されるし、家に帰ってからレポートを書くこともなくて、正直楽しい。けれど充実という意味の楽しさではなくて、という状態。 怠けることができるという意味で、私は今の生活を続ける(試験を受けない)方を選ぼうかな、と思い始めてしまっている状況でした。 それが今日までのひと月近くの流れです。 今の生活は楽しい。でもって、それを捨てて来年大学に戻ったとしたら金銭的には極限だし、さらに進める道もけっこう限られてきてしまうかもしれないという恐怖もある。何よりあまりにもハッキリしない自分の今の感情でその道を望んでも、いいことにはならないのではないかと思います。 けど、今私の前にはきっと、そっちに行くには最後のチャンスとも言えるものがあって。 要するに守りに入ってしまっているのではないかと思います。もしできるならばチャレンジしたいけど、リスクを考えてしまう。けど今守りに入っている場所だって、ずっといられる場所ではないし、仕事の内容を考えてみたら充実しているとはいえない。快楽的な楽しさだ。それはそれで、いいものだけれど。 期限は迫ってきているのになかなか勉強に身が入らないので、もう私には無理だと思っていたのです。今もそれはすごく思っています。 確固たる信念がないのに、とか、自分よりもよっぽど優秀な人が周りにいるのに、その人達でさえ行かない所に私が踏み込んでいっていいのかなとか。 お金のこととか、自分の今置かれた条件なんかを考えなければ、当然行きたいに決まっているのです。けど、1年のブランクや、それを埋めるだけの努力や才気が備わっていない自分の能力のことなんかを考えて。 けれど話をした家族は私に期待している。私が頑張って勉強をしてると思い込んでて、それがとてつもない重圧となって私の肩に掛かっていました。 それで私は今日、正直に迷っている事実を電話でお母さんに伝えたのです。 思ってることを、取りとめもなくだけど話して、彼女はそれを聞いて、私の人生なんだから自分で考えていいと思うようにしたらいいよ、といってくれました。やっぱりそのほかに、今しかできないんだからチャレンジしてみたらいいのに、というようなことも言われたけど。 私は自分の言葉にして、今まで黙って考え続け、悩み続けていたことを形にして投げ掛けたことで、ちょっぴり気持ちが楽になって、自分の気持ちに整理がついてきて、結論は出ないけど取り敢えずは勉強を続けていこうと思うようになったのです。 そんな中、今日の夕方、うちにダンボールが2箱届いて、ひとつはお米とか食料がみっしり詰まってて、もう一箱には、プリンタ(卒論書いてるときに壊れてしまった)が入っていたのです。 いつも何かを贈ってくれるときには電話で言ってくれるのに、初めて不意打ちにお届け物。しかも今日はお母さんの誕生日なのに、私に贈り物があるなんて。 そう思ったらなんかよく分からないけどボロボロ泣けてきて、こんなわけわかんなくなってる自分を無条件に信じて応援しようとしてくれてるんだって思って、それなのにどうして、さっき自分は、怠けたいとか今が楽だからとかそういう理由(が半分くらいを占めている)で「やめたい」って言ったんだろう、ホントダメだな私、と情けなくなって涙が止まらなかった。社会人になってまでこんな風に親に心配掛けてる自分がホント情けなくて。 自分がこれからどうしようかとか、考えていることを、私は日記に書いてこなかった。それはもし諦めたとしても、自分の中でだけこっそりなかったものとして消してしまえばいいと思っていたから、その意志の弱さから。それでなくても私はころころと「あれがしたい」「これを頑張ろう」と変えすぎて、ホントいいかげんな人だし。 まだ正直どうしようという結論は見えてきません。こんな自分が、せっかく何かの運で居場所を手に入れられたのにこれ以上の高望みをしてはいけないんじゃないかとも思う。それでも巡ってきた好機を逃したらきっと後悔するだろうことも分かっていて、分かっていながら踏み出せない自分に苛立っていて、結局は何も前進なんてしていません。むしろ得た場所である会社で頑張ろうと思っていた頃からしたら後退しているかもしれません。 けど、私は結論が出ないなりに、自分としっかり向き合うために文書として、まあ、ただの日記なんだけど書き記しておこうと思って、今日の日記を書きました。 私以外の人にはどうでもいいことかもしれないし、むしろ「またか」と思われてしまうかもしれないけれど、これが今の、本当の私です。もちろん最近の社会人日記で感じている楽しさも本当だけど、楽しい部分だけ、書いていました。その反面すごくつらい毎日でもありました。だからこそ、このままでいる事を選んで楽になってしまいたいと思って今日のお母さんコールだったんだけど。 汚いし卑怯だし怠け者だし、いいかげんでどうしようもなくて、ホント情けないけれど、これが私なのだから、向き合っていかなきゃと思っています。 毎度のことながらタイムリミットも存在しているので(いつもそんなんばっかりだ)ゆっくり考えることはできないけど、断たれてしまっていたのにふと繋がってしまった可能性を、今現実のものとしてどうして行くべきなのか、自分のことについて、真剣に考えようと思っています。 |