INDEX OLD NEW :::2004年03月04日(木) :::永劫続くかと思った 今日はPCなんて触ることが出来ないだろうと思っていたのですが、ようやく投与された薬が効果を発揮してきたようなので、ペンを執る次第。んん、ペン? 昨日日記を書いてから、軽く39度台に乗り、そこからぴくりとも動かないという「平熱39度の刑」に処せられた私ですが、今朝早速病院に行って来ました。 いつも病院に行くときには、そのままだと出掛けられない時(もっと早く出掛けよう)なので、薬を服用。そのため受付で渡される体温計も、そこそこ微熱、というラインまでしか上がらないので自然派治療推進の先生にはいくら頑張っても薬をもらえず、ということが多いのですが、今日は、もはや解熱剤が切れたときの発熱痛(神経や筋肉が痛い)が、麻薬中毒患者のように凄まじかったので、各所の細胞が死ぬのを感じながらそのままの私で行きました。 病院に入った瞬間、何も言わずにベッドを勧められ。 何でも、顔が土気色だったらしいです。眉しか書く気力がなかったので、ダイレクトに顔色の悪さが出ていて怖い。歩き方も、よくショッピングカートを押しながら歩くおばあさんのように、妙に大切に一歩一歩を歩んでいるように歩いていきました。 39度の割に話し方が淡々としているよね、と先生に驚かれました。自然派というのもあるけど、私の反応があまりにも普通なので、たいしたことはないだろうと思われてしまうのかもしれません。でもしょっちゅう発熱しているからいちいち騒いでもいられない。というより、発熱のせいで様子が変わるってどう変わるのだろう。私は熱いだけでぼーっとして、なんとも。 今回は病院で叩き出した記録としては最高の、39度4分を記録し、さすがの自然派先生も抗生物質を出してくれました。どうやら感染性大腸炎というものらしいです。一体何に感染したんだ私の腸は・・・で、それに対抗する私の体が好戦的過ぎて、熱反応がありえないことになっているらしい。確かにありえない。菌どころか自分の身体まで焼きつくさんとする勢いです。 結局念のために血を採られ、6種類の薬をもらい、もし明日の朝まであまり症状が変わらなかったら点滴に来いとのお達しをもらって、帰りました。 じつは、去年入院したときにはニワトリが持ってる細菌「カンピロバクターピロリ菌」というものに身体が乗っ取られていたのですが、今回も、症状が現れる前に、お手製餃子を作り、それが鳥な上に、微妙に生までは行かないけどレアな感じの部分を持つものが1個あったの。 だから「ま、まさか」と思って、怒られるの覚悟で「鶏を食べました」といったほうがいいのかしらとかなり逡巡しました。今この薬が効いてきているということはそれじゃなかったのかと少し安心しているところ。 そして、薬が効かない悲劇。 帰って来たのが昼過ぎだったので、速攻で昼の分を飲んだのですが、全く効果が表れないままに夜の投薬の時間に。何度眠って起きても全く変わらず、というか、起きたら熱帯で、という発熱地獄を味わいました。そして、そんなに熱なのに足先は常に冷え性っぽく、という偏った発熱。上半身ばかりが贔屓です。いつもは体中同じように発熱だったのに。 夜の投薬のあとに、ひさびさに3時間というまとまった睡眠をとることができて、そこで大量の汗をかいたために、多分もう大丈夫に近づいているのだと思います。薬は4日分あるからのんびりやろう。まだ、薬というヴェール(痛み止めとかだから)を通して鈍く身体がしびれてたりするんだけど、それでも昼間の、常に「うう」「ああ」と言いながらのた打ち回っていたのよりはマシというものです。 こうして考えると、春休みなのに病院に行くためにバイトを休まなければいけないくらいに忙しい毎日を過ごしていたのか私は、と妙に考え込んでしまいます。どうだろう、それは。大学生はヒマだろうという社会常識的な部分を、一度くらい経験して卒業したかったです。 とりあえず、こんな闘病日記なんてと思ったのですが、日記は続けてなんぼなので。 そしてこんなに熱なのって滅多にないよ、と思ったので。ホント、滅多にあって欲しくないです。これから私は学生ではないのだから、丈夫にならなくては。やっぱり食生活なのかなあ(免疫力低下) メールとかのお返事、毎度ながら遅れています。明日明後日くらいにもしこの調子で元気になったらそのあと書きます。「返事とか気にしなくていいです」っていってお見舞いメールをもらったり、嬉しかったです。自発的にメールボックス開かないと見られないのですが、さっきましになった状態で見ました。 明日のバイトは、昼間の大学のはなんとか休めそうなんだけど、夜のモデルバイトはどうしてもなので、このまま病も収束に向かってくれるとありがたいのだけど。 なんやかんやでドレスが買えていないので、さっさと治して街に繰り出したいと思います。 |