INDEX OLD NEW :::2004年01月08日(木) :::とりのこされる私 さささ、さむいです・・・! なんか今日は空気が冴えるっていうか、寒かった。そのわりに卒論の口頭試問を決めたあとに、外でゼミのこと一緒に立ち話してしまった。よく考えたらもう卒業式まで会わない子もいるんだ。と思うと、なんか名残惜しくて。 って言ったら、卒業式前に謝恩会じゃないけど(当日は先生都合悪いかもしれないから)打ち上げの飲み会をしようっていう話になりました。たのしみだ。 なんだかんだでゼミの子はほとんどが東京にいるみたい。一人、郷里で教師になる子がいて、その子のことをみてると、なんか教師像が想像できるっていうか、なんていうか、私が選ばなかった道を選んだということでなんとなく感慨深い。けど私は、少なくとも今の私はその道を追いかける気持ちはない。 口頭試問は来週の今日の5時から。メモ代わりに書いておこう。 がんばろう。とりあえず、公表としては、がんばったねっていわれたし。でも自分で弱い部分がわかってるから、そこら辺、どうなんだろう。取り繕うかのように話すか、それとも素直にそこは失敗したと言ってしまっていいのかどうなのか。 なんていうか、学生でいたい。それが叶わないとわかっていても。 多分それは今の私の立場からくることで、そのうち消えてしまうものなのかもしれないけれど、今は憧憬になりきれず、今もその場所にいるのにそこにいたいという、なんともややこしい事になっています。 そんな、私をブルーにさせている元凶である所の就活なのですが。 昨日の夜にひさびさにYちゃんとメールで話していました。彼女もこっちで就職を探している仲間。でも、就活の先輩。彼女から、Kちゃんが来年は専門学校生になるって聞きました。正直ちょっとうらやましかった。 でも、てことは私は今この状況から逃れたくて仕方がないってことで、それってなんかダメだと思う。適当な職についてどうしようもなくなりそう。 そんな私のところにまた新しい選択肢が出来ました。 私の幼馴染の子も同い年で、彼は3年で中退して、今は働いているんだけど、彼とこの間就活の調子について話してて、そしたら、もしどうしようもなくなったら彼のお父さんの会社(商社)になら、おじさんが入れてあげるから、っていってるって言ってくれて。おじさんは来年定年なんだけど、ギリギリで大丈夫だから、って。 ただ、条件としては、本採用にするためには来年の4月からになるということ。決まった時期にしか採用はしないからだ。それまでの1年間は実家でフリーターをするとかしかない。しかししかししかし、一応安定は手に入れられる。お父さんの会社の系列会社だったりするんだけどね(それは微妙) 確かに願ったり叶ったりなんだけど、でも郷里なんだよね(そりゃ幼馴染だし)実家に住まなくてもいい状況にはなるんだけど、でも郷里。むむむ。郷里がいけないということじゃないはずなんだけど、なんかやっぱり東京にこだわってるのかな私。それとも自分の力じゃ職も見つけられないという状況にプライドが反発している?よくわからない。 ともかくちょっとぐらぐらきてます。逃げ道としては申し分ないから、なんていうか、逃げるためなんだろうけどそっちもいいかもと思ってしまう。 もう少し考えよう、活動だって進んでるんだから。面接だってある。 その道に行く事に関しては、それだけを考えれば実は文句のない職場です。 立地条件だっていいし、仕事だって私が希望している事務だし、けどお茶くみの女の子ではなく、きちんとした仕事をくれるという。 それでも思いとどまるのは、それがこの場所から通えないということと、おじさんにお世話になる事になる(自分が不甲斐ない)ということと、自分の可能性はもっと明るいんじゃないかという根拠のない考えというか、希望。 ここに何があるわけじゃないし、力を持っていないから今も将来が決まっていなくて、何もしないでなんとかなるほど世の中甘くないことも知ってる。 でもわかっていても、ちょっと違うんじゃないかと思う自分がいる。 弱気な自分をなんとかしたい。 ここにいたいのはなんなのか、そこに理由なんてないのかもしれない。意志だって実はないのかもしれない。けど気持ちだけがここにある。 自分がどうしたいのか、それがどのくらい強い気持ちなのか、きちんと見据えて、それをかなえるための行動を取らなければいけなくて。でもたくさん出てくる求人は私にはちっとも光って見えなくて、それでもそこから選ばなければならないのか、どうなのか。 こうして書いていてもよくわからないのに、本当に見えるのかな。どうして私は進まなくちゃいけないときに進む道を見失ったりするんだろう。昔は夢はもっとクリアで、そこまでの一本道があるような気がしていたのに。実際は違ってた。 これでなければいけないということがなくなって、たくさんのこれが欲しいが出来て、そこまでの道もたくさんあって、でもその中にはどんなトラップがあるかもわからなくて。 もー、もー、どうしよう。なんでもありだけどなにもない。ひどく不安定。 早いところ乗り越えなければ。いつだってなんとか乗り越えられてきたけれど、タイムリミットが近すぎて、今回は自信がない。けど、やるしかないんだ。 ・・・と、色々かいてきたけど、やっぱり、逃げ道提示されちゃうと弱いよ。 ホント、今の私はギリギリだから(こんなの春に就活してたみんなにいったら笑われそうだけど)(就活に関してというか、自分の問題として)その言葉にちょっと飛びつきそうだったよ実は。 自分の弱さを痛感すると共に、そんなこと気にしてくれたんだと思うと、幼馴染の子に対して感慨深い気分でした。昔のこととかから思い出して。昔はどっちかっていうと私が無理矢理引っ張りまわしてたのに(野生児)育ったなあ・・・。 -------- お父さんから今メールが入って、教職についてもう一度勧められた。 私が思っている以上にお父さんはそうなって欲しかったみたいだ。そして私の持ってる肩書き(学歴)が、私が思っているよりも大きいといわれた。 確かに親からすれば、お受験(私は運で面接合格だけど)がんばって入学した将来有望(親バカで学歴主義だと思うけど)な娘が社員数名の会社に勤めることが嫌なのだと言う。確かに私は別の意味で気が進まないけれど。 大学受験のときにそうだったように、お父さんにとって会社とは株式上場クラスより上、ということなんだと思う。受験のとき、大学の名前で反対したりしたように、就職についてもそうなんだと思う。ただいまは、あの時とは違って、彼なりに私のことを考えているということの結果としてそうなるんだということがわかっているからつらい。 私は先生にはならない。先生になるための道に戻るともう一度考え直せば、とりあえず目標が出来るし、今の不安からも解消される。けれどそんな理由で目指したくなんてない。 考え方が違うとわかりながらも、それでも、どんな言葉にも揺り動かされる。 そっちに行こうかな、ではなく、それだけ考えてくれるのに不甲斐なくてごめんという意味で。私は職業に対してそんなに希望を持っているわけでもないし、そういうだらけた人間だから。仕事は仕事、生活は生活。そういう人間だから。だから私は、今の私は先生にはなれない。 けれど親だから、彼は私がまだ将来の希望に燃える人だと思ってる。 こんなに逃げ道探してる私は、遠いところにいるから見えない。 4年間もの間お世話になりながらもこんな事になってるなんていえない。 |