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:::2003年11月11日(火)
:::塩味




実習終了しました!
で、滞在を1日伸ばすことになったので、やっぱり郷里からの更新。


いろんなことがあって、なんかすごく号泣して帰ってきました。
時計を見ると「今○○をしてる時間だ。○○君また叱られてないかな」とか考えてしまいます。きっとそれはそのうち消えていってしまうのかもしれないけど、今は体が中学校(しかも担当した1年2組)に馴染んでしまってて、大学の90分授業に耐えられるかすっごく不安(苦笑)


実習生じゃなくて指導者として、生徒に何ができるかっていうことが、3週間目の課題でした。生徒と仲良く、ニコニコしてるだけなら誰だってできるけど、目の前で起こっていることに対して、自分という人間を出して指導できることが指導者としての資格で、私は情ではなく理の人だからそれができるか不安だと、ある先生に言われていました。
確かに私は最初のほうでクラスに入って行く時に転校生のような気分でいたりして、それは分かっていたんだけど、実際に指導したいと思っても、どういう形にしようかと考えるところから入ってしまって、できなかった。それで誰かがからかわれてて(ちょっと悪質)それを注意するのにもそんな感じで、結局話題の流れを変えるくらいしかできなかった。


先週の木曜日の給食の時間に、メニューにヨーグルトがあって、みんな大好き!な感じだったんだけど、いくつもそれを給食をもらいに並んでいる間に持ってる子が何人かいて(発言力のある男の子たち)、ちょうど、けっこう強引に持ってかれてるところ(しかもその子はよくからかわれてる子だった)を目撃してしまって、それで私は我慢できなくなって、その貰われてた子に牛乳とヨーグルトをあげて「ヨーグルト嫌いじゃないでしょ?あんまりあげないほうがいいよ!」と言いつつ、その後、給食の進行を強引に止めて(権力を使って)「友達にくれって言われたらよっぽど嫌じゃない限りあげるでしょ?でも本当は食べたいかもしれないじゃない」「時間切れでどうせ残すからあげるっていわれるならまだしも、給食が揃う前に(ヨーグルトは牛乳みたいに別に配る)もってくなんてどうなの!?」「私も中学の時にこれが毎日続いてストレスになって学校行けなくなったからどうしても。あとはみんなが考えて欲しい!」って感じに教室に言いました。でかい声で。
私は中3の時に給食を恒常的に取られてた事がきっかけになって学校に行かなくなった過去を持っています。だからそれを見て、なんかどうしてもみんなの笑顔を消してでも指導したいと思って、そんな事態になりました。


あとから生徒に報告を受けた先生に「暴れたな!」と言われました。
「祈暁先生がキレてたって言ってたぞ」とも。冷静さを保とうと努力したんだけどな・・・いつも元気に優しくをモットーにしてたから驚いたのかもしれない。


結局みんなはなんとなく真意が分かってくれたみたいだし、勝手な判断でした事だけど先生にも褒められたしで良かったんだけど、ドキドキしました。血が逆流したみたいで。
そうできたことで、なんだか吹っ切れました。それまで先生たちに言われていた事がようやく理解できたみたいで。そこが私の3週間のハイライトかもしれません。嫌われるとかそういうのを気にしてるうちは学級委員のままだった。けどそこがわかったことで、やっぱり教職に就きたいと思う心が強くなりました。
教師は職業としては旨味がないけど趣味としてやるなら最高だ、って言われたことがあって、本当にそうだと思います。いつも彼らに何をしてあげられるかな、とかそういうことを考えて毎日過ごしていて、それが幸せだった。最後まで本当の意味では打ち解けられなかった生徒もいたけれど、でもその生徒だって好きだ。そういう気持ちが1番この職業には必要なんじゃないかなと思います。


あと、国語の先生としては、毎日2〜3コマ、ひどいときには1限から連続で授業をしてて、上手く流れる事もあったけどやっぱり進行が強引だったりして、失敗だらけでした。
でも、全6回分の単元(障害のある人とスポーツについて)の後半部を同じ事に興味を持つ人同士で班に分けて、調べ学習→発表っていうのをして、研究授業の前日は7時近くまで生徒を残して発表のリハーサルをして、教頭先生に怒られたりもしたんだけど、その研究授業で失敗したら先生になれないかも!って言ったら生徒が「なれなかったら僕たちのせいですか?」とか心配してくれて、リハーサルが終わったあとも「家で全員練習してこいよ!」とか声掛け合ってるのを見て、うれし泣きしそうになってしまいました。「ありがとう」って言ったら「なんでお礼なんていうんですか?」とか分かってていうし。可愛い。


本番では、予定していた発表のための時間の半分でみんなの発表が終わってしまって焦ったんだけど、そのあと各班に質問コーナー(多分手は挙がらないから流そうと計画していた)ですごく手が挙がって良質な質問も出て授業のハイライトみたいになって、それは私の力量不足で深められなかったんだけど、結局予定していた時間ギリギリまで活発に活動できました。最後に書かせた感想&もっと知りたいことのプリントはうちのクラスが回収率1番良かったし。
他のクラスの子もうちのクラスほどじゃないけど交流できてて、そのおかげで熱心に発表してくれたり。でもやっぱり、調べ学習とかそういうのは、その生徒たちとどの位人間関係が作れたかによって習熟度が全然違うと思いました。
先生方の評価はその先生の教育観や教科で賛否両論だったけどでも、私は最高の授業になったと思います。
最終日である昨日は自由に時間を使っていいっていうことで、作文を書こう!の授業をしました。担当教諭の先生が、ちょうどその日に授業のないクラスでもこれをやっていいかな。って言ってくれた!(褒めてくれたよ!)


・・・という感じに、語り尽くせないくらいにいろんなことがあって、半分別の人間、というくらいに成長できました。考え方とか、書かないけど変わったし、不登校だった頃の担任の先生(当時大嫌いだった)とも話が出来たし。
失敗の方が多かったし、生徒に迷惑もかけまくったかもしれないけど、昨日(文化の日のせいで月曜終わり)おっきな花束とぎっしりな寄せ書きと大量の涙、あったかい言葉と笑顔の写真撮影会とたくさんの握手と共にお別れしてきた3週間はすごくすごく密度が濃かったです。
終わりのセレモニーは、気付かないうちに用意されてて、本気で驚いて、うれし泣きでボロボロ涙をこぼしてしまいました。はずかしい。笑顔で泣いたよ。
それとは別にも、あんまり個人的に話したりしなかった子から「寂しい」って言われたり、個人的にもらった手紙を見ても泣けてきたり、あと、なにげなくかけた励ましの言葉がその生徒にはすごく嬉しかったらしい事とか、きちんと叱ってくれてありがとうとか言われたり(意外だった)(少しウザいって嫌われるかと思ったのに)
手放しに楽しかったなんて絶対言えないけど、本当に本当に数え切れない幸せを感じました。自分のしたいことを見つけられた気がします。


最終日の給食時間の校内放送に、全校に向けて3人の実習生からお別れの言葉を言うという機会があって、軽く台本を書いて2,3分話をしたら、あとから職員室の某先生に「アナウンスとかの仕事してたの?」「マイクの扱いに慣れてる」っていわれました。
カードバイトのときの店内放送だ・・・!
(本日は当店にご来店いただきまして誠にありがとうございます・・・」とか)
どこで何が役に立つのか本当に分からないと思いました。たぶんウグイス嬢とかもいけるんじゃないかと思う。辛かったけどホントいいバイトだったなあ(時給とかも)
台本がないとしゃべりながら墓穴掘ってるけど、放送は良かったと担当の先生に言われました。即興でスピーチをするのは私には無謀みたいです。経験を積まなければ。






・・・さて、そうして感動的に終わったわけですが、このあと待ってる不吉な80枚の白紙原稿用紙。もしくは真っ白なモニター。どうしよう・・・!
そうとう気合を入れないと終わらない気がする。そして大学生に戻れるかしら・・・「先生」って呼ばれるのが当たり前になってしまった。バイトに授業に頑張っていた学生の自分に早く戻ってバリバリと論文を書かなければ。
1番困るのが、授業はどんどん分かり易く!と作っていた作業なのに、卒論は細かいところまで難しく書くものだから、逆なんだよね・・・そして今頑張りたい事は卒論ではなくて教育学だから、さ・・・(ひとつのことに熱中すると他が留守になる人です)(先生にからかわれた)
ともかくがんばります。とりあえずがんばるって思っておけばなんとかなると。


そして明日(今日のつもりが書類関連で今日帰れなくなった)の昼には東京へ向けて出発です。懐かしい。ひと月足らずなのに、1年近く行っていなかった気分。
日記をまた書くのは、あとから送ってもらう荷物(パソコン入り)が東京の家に届き次第です。


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