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:::2003年09月15日(月)
:::希望の連鎖




家の前でフリーマーケットやってます!
でもでかけるのはがまん。収拾つかないことになりそうだ。
雰囲気を盛り上げるためにフルート演奏とかが行われています。
さらに神輿っぽいのとか踊り舞台とかがスタンバイ中。お、お祭り・・・??いや、この前やってたばかりだし。。


今日はなんていうか、自分の意志がいかに脆いかについて実感。
自分が持ってるこれという基準に沿って常に変わらず生活してるつもりだったんだけど、自分のおかれた状況によって、普段ならなんでもないことでもすごく苛々してしまったりへこんだりする。直接的に自分に危害を加えられるわけじゃないのに本当に耳や目を覆いたくなってしまう。
そんなことがありました。でも多分向こうにとってはなんでもないことなんだよね。私が過敏になりすぎてるんだよね。と思ってみないフリ聞かないフリ。



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おねえちゃんの元気がない。


おねえちゃんというのは正確には叔母にあたるんだけど、年が近いのでお姉ちゃん。そのおねえちゃんがどうも元気になれないらしい。
7月におじいちゃんが亡くなって、そのことからどうしても復帰できないというか、私の場合は遠くに来てるから、なんとなくまだあのお家に行けば会えるとか思ってしまったりということもあるんだけど(弱くてごめん)
お姉ちゃんの場合は自分の寝起きする家に写真とか仏壇とかがあって、さらにあの家で諸々の儀式があったり、また、ずっと毎日一緒に生活してきたということもあって、どうにもひとりの生活というものに復帰できないらしいのだ。


さっきも電話で話をしたり、写メールで仏壇の映像を「こんな風になりました」って送ってもらったりということや、私がちょうど仏教の講義を取ってるから少しわかるということで、お経にある用語の解説を請われたりしています。
つまり、お姉ちゃんとの話の中身は全てそれ関係になってしまっているということ。お母さん(お姉ちゃんのお姉ちゃんにあたる)(ややこしい)がすごく心配していました。


去年デススタディーズやっていたときに近親者を亡くした人のサンプルをいくつか学習したんだけど、それが全てとはもちろん言えないながらも、1年とかは平気で泣き暮らすとかがあってもおかしくないという気がします。私がもしあの家で暮らしていたら同じようになっていたかもしれない。
私の幸運は、そこにやるべきことがあっていつまでも浸っていては弊害が出るという現実があったから。おねえちゃんは仕事も安定していて、多分来年くらいには結婚するんだろう恋人(すっごくいい人)がいてという安定した所にいるから、自分の意志以外で落ち込みから脱することが出来ないんだろうと思う。
第一私だってまだ抜けきれてなんか、全然ないんだから。


ただ、このことで困ったのが、おねえちゃんが私におじいちゃんを重ねること。
いや、顔が似てるとかじゃないんだけどね。おじいちゃんも私と同じで勉強をしたくてしたくて、という感じの人だった。でもって、今私が住んでるところの本当にご近所に、学生の頃に住んでいたんだ。でもって生前(こんな風に書くのは正直いまだにつらい)私のことをすごくお祈りしてくれていたんだって。
そのことから、すごく期待されてしまっているのです。


私としては、落ちてもうかってもそれなりに満足できるし、進むべき道もそれぞれに見えているから、後は運任せという感じの心境なんだけど、おねえちゃんには、私のことがもうなんていうか、おじいちゃんの希望を叶える的なところに来ていて、すごく応援してくれるのは嬉しいんだけど、それに応えられなかったときを思うとすごく苦しい。


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