|
INDEX OLD NEW :::2003年08月10日(日) :::黒い鶴 家賃滞納疑惑は晴れました! 管理会社のおじさんに電話して、他の所に払ってましたって正直に言って謝ったら、今まで期日の数日前に振り込んでいたということもあるから、全然疑ってもいなかったよ、って。 日ごろの行いのおかげで助かりました。 というわけで、月曜日に振り込みに行って、実は誰に間違って振り込んだのかを銀行で追跡調査してもらって、お金を返してもらう手続きに行きます。そういうことが出来るのだそうです。というのは、おじさんが、ある日突然30万円増えてて、それが間違えと分かって戻されていったという経緯を持っているから教えてもらったの。 とにかくここにまだ堂々と住めるということになってよかった。 追い出されはしないと思ったけど、でも滞納がちな子だと思われたらどうしようかと思っていたよ。 -------- なんだかんだいってついつい陰摩羅鬼を読了。 いつもより薄め(といっても700ページちょいあるから長いのか)なのですぐに読めて助かりました。宴並みだったらどうしようかと思った。多分変わらず根性で読んだだろうけど(電車の中とか決めた睡眠時間を削るとか) ※以下ネタバレしてます なんかいつもよりも「え」って感じだった。私でも最初の20ページくらいで、事件が起きてもいないうちから大体のことが推測できてしまうくらいだった。 でもって、多分それが覆されてびっくりなのかしら、と思ったらそのまま終わってしまって、なんていうか、起承転結の転がなかったみたいな感じでした。それでも久々の新刊だから楽しく読んだけれど。 意図的にそうしたのかしら??なにを狙って??あと伯爵がなんで礼次郎って誤字で呼んでいたのかが分からなかった。亡くなる/無くなるの不自然さを埋めるため??それとも彼の中で疑念が発生することないというのがいいたかったの??よくわからない。これから他のサイトを回って・・・は、さすがに今の立場からすると危険なので来月末にしよう(試験と実習の間の休息時) とりあえず関口君(なんか君付けで呼んでしまう)(作中での呼ばれ方に影響されてしまう私)が元気になってよかったと思いました。 次は邪魅・・・ってなんだろうと思って調べてみた。→これ。 犬っぽい・・・?画像が乱れてるから?? というくらいの認識しかしていないです。どうも悪いことをする妖怪の総称らしいです。邪な魑魅(ちみ)で、じゃみ。おおー。 -------- 去年やってた民俗学のことがちょっぴり出てきた。村がどうのっていうやつ。 それがどうしたってわけじゃないんだけど、自分の頭の中身と他人の頭の中身ってやっぱり違うんだよねと、当たり前なんだけどね、思ったよ。たとえば話の中で自分では日常語だと思っている言葉が出てきたときに「なにそれ」って聞き返されることがあるとき、それはその言葉については、相手は知らないっていうことで、でもだからって自分が物知りかっていったら、ある部分では全く歯が立たないようなことがあるっていうこと。 私は自分がやっている分野については全くの無知ではないと思うけれど、この分野においてはどん底どころかさらに土を掘ったところに立っているようなもの。でもそういう分野に全く触れていない人にとっては全く知らないようなことを知ってるよね、すごいね、と言われたりすることがあってこそばゆい(主に「大きくなったわね!」と言ってくれるような人たち) というわけで、私がやっていることは途中で、しかも終わりなんてなくて、さらに自分の年頃につき合わせたとしてもかなり出遅れているという、なんともかわいそうな状況に今自分がいて、でも今から転向なんてしたらそれこそどうするよ?っていう状況なんだなあと思います。 一言で言うと中途半端だ。これからあと何年私にはあるんだろう。 勉強よりも本がいい。自主的に読んで、ああ面白かった、で、自分の中の当たり前の知識が増えていったらいいと思う。それは素敵な生活だなあ。 -------- 今日は暑かったので、寒天と小豆の缶詰でゼリーを作りました。 なかなかに風流だったよ。そして安上がりな上に美味しかった。 どうしてこう、関係のないことについては楽しく意欲的に出来るのだろう。 紙を相手にする勉強なんて、手の汗かき具合が非常に気になるのに。 心頭滅却すれば火もまた涼しって、完全ではないけど本当にあることなんだね、と感心しました。ということは私、全然やるべきことに対して真剣に向き合っていないってこと?? まあ、そうなんだけど。やりたくないなあとは思わないんだけどね。 やっぱりどこかで、古典だけじゃなく中国語だけじゃなく、現代文学にも触れたいし、ヨーロッパの絵画も見に行きたいし、散歩して汗だくになっりながら冷たいお茶をラッパ飲みするのもいいと思うんだよね・・・ 私は偏りのない生活が送りたい。 それだけ。なんでもしたい。 だからなにをしても大丈夫な今がいとおしく、なにか一辺倒になる(専門の人になる)ことがどこか恐ろしいのです。それだけをして生きていくことが。 なにをすると気だって、それだけを見ていたら全体像が見えないから、そこから1歩引いた所で、全く関係のない方向を見る第3の目があることは大切だと思う。 けれど要領の悪い私が、あれもこれもと果たしてやっていけるだろうかということが心配なのです。だったら専門職である教師なんて目指したら大変だよ、とも思うのだけど、でも国語はいつだって飽きなかったものだから(主に読書が)そして営業ではない対話を職業に出来ることは大人の中からしたらけっこう少ないと思うから。 けれど進学するという道を目指すことに不安を抱くことの根底にあるのは、そこに今年の私を繰り返す、つまり古典と国語教育のことだけを念仏を唱えるかのように繰り返し思索探求していく生活に、果たして私は幸せが見出せるかということ。 確かに勉強は好きだけど、そのために払う犠牲は大きいから。 実の所、半々です。帰って地元で教師を目指す自分の姿も想像できる。多分進学してもそれは将来的に必ず自分が経験することになると思う。東京に残ってずっといるということは、6割くらい、いやもう少し多い確立でなくなると思う。歌舞伎は見たいけど・・・ 今ここにいる友人知人とはなれることはいやだと思うし、都市にある魅力は大きい(大きな図書館や情報量とか) でも人は流転していくものだと思う。新しい場所に移ることで、私は何度も新しい友人を作ってきた。それが増えることは喜ばしいことだと思う。そんな中で私が郷里に帰ろうと思ったのは新しく作れない親族(結婚とかじゃなくもともとあるもの)という要素があるから。あと、やっぱり土地土地の人柄っていうのをすごく感じる。東京が合わないわけじゃないんだけどね。 すぐにではないかも知れないけど、私は必ず、いつかはあそこに帰るのだと思う。先になるかすぐになるかは分からないけれど。 なんでこんな話になったのか分からないけど、とりあえず、最近は流されるままです。勉強はするけど、うまくいえないけど合格するためじゃないと思う。くじ引きの、くじの入った筒を振る行為に似ていると思う。 それは半分半分に、両方の道の可能性を持っていくための行為。だって本当に全く勉強しなかったら受かるはずのない試験なんだもん。だから半分半分にして、ま、それは偶然に任せようと思う。 家族は私が進学を熱望していると思っているのだけど。 私にはどちらも意味のある未来だと思うよ。どちらも良いと思うから、の、選択です。 どこにいても私は幸せです。 |