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:::2003年08月03日(日)
:::ここにいつまでも




いつも私はそこにとどまっていたいと思い続けて生きてきた。
小学生のときはこれ以上年なんて取らないと本気で思ってた。
大学受験のときにも、今のこの大学生活を望んだわけじゃなく、制約の中でようやく選び出した道がこれだった。
今の自分がどれだけ幸福かなんて判らないけど、少なくとも今のままであと10年やってても飽きないと思うから、それなりに幸せなんだろうと思う。


いまだってそうなのだ。


私は今、ここにとどまっていたくて、何者にもならないままでいたくて、それでも選択を迫られている。そうして選び出した道だって、なんだかうそみたいに見えて、隣の芝生が綺麗な青に見えて、自分の周りは溝みたいに見える。
テレビで、私が少しだけはいりたいなと思った企業のリーダーが嬉しそうに将来を語っていて、それでゆれた。自分は漢字ばかりの本を、休日なのにコンタクトつけて読んでるというのにと、こんな細かなことばかりやっていて社会が見えてない自分が少し恥ずかしくなった。
もし私が春の時点でこんな風に思っていたならば、それは私の将来を決定するきっかけになったかもしれない。けど、思ったのは今日だ。


いつだって今あるままでありたいと思いながら、引き剥がされてきた。
だったら将来の私だって、そのままでありたいと願ったりはしないのだろうか?
私は社会全体を見通す目なんてまだまだないけれど、今もっている知識で親戚のおばちゃんの笑顔を引き出せたり、お姉ちゃんの涙を乾かせたりしたんだ。
人は無駄とか無駄じゃないとかそういうことで物事を判断しようとするけど、本当は無駄なことなんてひとつもない。適材適所という言葉があるように、私だってどこかに適する場所っていうものがあるのかもしれなくて、今こんなにも自分に対してマイナスの感情を抱いてしまうのは、本当の場所を見つけたときにちゃんとわかるようになのかもしれない。
そしたらきっと、ずっとそこにいたいと思えるし、学校制度じゃないんだからずっとそこにいることが出来る。今私がかりそめに、院に残りたいと思っていることだって、そこがすべてではなく、仮にそこを出たところが私の場所じゃなかったら、さっさとそこから新しい場所へと旅に出ればいいという、ただそれだけなんだ。


自分がとんでもない岐路に立たされている気がしてたけど、いままでだってそれはそうだったんだと気がついた。受験に落ちた所でまた他の場所を探せばいいし、もし院に入って卒業するときに先生になりたくないと思ったとしても、つける仕事は少ないけどゼロじゃないんだ。
自分で自分にたくさんの制約をつけてきたことが今更はっきりと分かるよ。
それはその通りで、人の心を強制できるのは自分しかいないんだから。




何を言いたいかというと、もう無理かもしれないけどマイペースに、自分を追い込まないようにした結果が私のその時点の最善だということでやってみようと思うということ。
なにをしていたって、私は誰かに喜ばれる仕事につきたい。だったらどの仕事だって同じじゃないかと思うからです。それは自分の運と、タイミングと、心の持久力に任せてみようと思う。


とりあえず、今は、体が自然に図書館に向かって、自分の頭くらい重い本を取り出そうとするのでそれに従うだけ。


土曜日の涙だって何かの役に立つんだ。
可愛くない女の子かもしれないけど私はどこまでも考える子でいよう。
だって今までだって、悩んでも必ず進んでこられたんだから。


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