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:::2002年08月19日(月)
:::海水の粒子とか。




青春の証が誕生してしまいました。(に、で始まってび、で終わる3文字。決して口にはするまい)


テレビで見たのですが、ごはんとか麺類とかに含まれる糖分の凄まじさに閉口。これじゃあ普通に砂糖食べてたほうがまだ量が少なくて済みそうだ(飽きるから)
ちょっと驚愕の事実でした。お米料理ばかりでこの夏を過ごしてる私としては。一生懸命アイスの量をセーブしているそばからアイスよりも強力な糖分料理を……かなりショック。けどどうすれば。おかずだけのごはんなんて到底ごはんとは認められませんな!だってごはんってお米のあれそのものも指す言葉だし!
というわけで、頑なにごはん食と麺(パンはなんとなく間食っぽい感覚なので排除)で過ごします。決めました。


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明日父上から12リットルものミネラルウォーターが送られてきます。
素晴らしい。ミネラルウォーターで米を炊くということを初めてしてやろうと計画中。そしてミネラルウォーターで作ったお味噌汁を添えるのです。なんとなく贅沢チック(普通はそうするのでしょうか……?)


今日弟のために行くつもりだった魔の場所については、なんか知らないけど水曜日に行くことに決定されてしまった模様。せっかく久々に目覚ましとか設置したのに。
台風だと新聞少年たちは働かされるらしいです。それにしてもなんかむかつくなー。彼の悠長さに。私は遅くなってごめんなさいと、謝る要素がまた増えてしまった。


私は例によって今日も読書していました。
ああ、なんか寂しいけど、あと一冊で入手している京極堂シリーズは終わってしまいます。後は文庫化されてないんだなあ。どうしよう?
形は違うけど読むことに重点を置いてそろえてしまおうか……。ペースから察するに、そうぽんぽんと発行されてはいないようだし。ていうか、文庫化が進んでいるいま、既に発行されている本が流通しているのかも怪しいです。探してみよう。


今日はなんだか台風が近づいていたらしいのですが、私の住んでるここ辺りでは、普通に雨が降ってるな、という程度でした。中途半端に遠いからかな。
雨降りの日に出かけなくていいっていうのはなんだかすごく得した気分になります。で、出かけなくていいって言われると出かけたくなるらしい私は、結局隣の街まで買い物に出てきました。天邪鬼です。


で。帰りに結局地元で購入した食材を使って、今日は手作りハンバーグです。肉がちょっと気持ち悪かったです。「そういう」本を連日読んでいる身としては(そういうこと言わない!)
けどお味は最高でした。……多分。私は余程不味くなきゃ不味いとも言わないし、余程美味しくないとおいしいっ!と言わなくて、結局大抵の食事に美味しいという評価を与えてしまう人なので。味オンチなのかもしれない。けど自分の料理の技量に照らしてみると、かなりお得な舌を装備しているようだ。


明日は何を食べようかなあ。なんか楽しいけど虚しい。やっぱり実家に帰っといたほうがよかったかな、とか考えてみたり。一人より大勢のご飯の方が格段に美味しい。分かってるんだけど。


なんとなく、秋のけはひがいりたって参りました(日本語がおかしい……)
そうするとにわかに夏っぽい光景が恋しくなります。すいか、今年食べなかったよ……。すいかは西瓜ではなくすいかが宜しい。
最近ひらがなの方が好きなものと漢字にするといいものと、そういうのを言葉を見ると時々考えたりしています。


アステカ文明とか、そういうのを解明しに旅立ちたいです。どうして私は女性なんだろう……女性であるがために損してることっていったら、一人で旅に出られないことです。
それさえなかったら、人生設計とか度返しにしてシベリア鉄道で多くの駅を回りながら積荷を積み込む人として働いたりしながら、いずれ全世界の路線でそういうことをする日雇いの旅とかをして、人々の写真を撮り続ける人になりたかった。
女性が嫌っていったらそれくらい。女性に生まれたからそういう夢は無理なので、そういうことを夢想してはかけ離れた文章を書いたりしながら、一体何通りの人生を仮想体験できるかということを繰り返しています。けっこう楽しい。


自分が持ってるもの(才能)で満足しておくことや、自分が生み出したものに無条件の信頼を持って、それを人に開示することできっと誰かの人生がましになると心から信じる。
そんな人を知って、なんだか勇気が出た一日でした。すごいと思う。


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多分声を出さなくても腕を伸ばさなくたって、目が見えなくても音を識らなくたって、私はその人の所に辿り着くことはできるのだろう。
けれどそうしないのは、あの大きなひまわりの花を咲かせるこの小さな種にささやかな羨望を向けていて、もしかしてこれを体内に取り込んだら私もあんな大きな花を咲かせる事ができるかもしれなくて、そしてなんとも都合のいいことにひまわりの種が食用でもあることを耳元で囁かれた今も、なんとなくそれを口にすることを躊躇っているのと同じような気持ちで。


そうすることを選ばなかったことだけが残った自分の意志のような、そんな脆い意識の中での出来事のような気がするけれど、多分その小さな砦のようなものが私を支えているのだと考えるとなんとなく可笑しい。


しょくぶつはグロテスクだ。




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