なべて世はこともなし
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|アイルランド真実紀行へ
2005年10月18日(火) |
高名の木登りを体験するワイト島旅行記(3) |
リニューアルで私の作ったページがうまく表示されないという問題があったという話をしましたが、今になって、ふっと解決方法に気がつきました。
テーブルを入れ込めばいいんだ。
ホムペを作成されたことのない方(htmlを勉強したことのない方)には何のことやらでしょうが、要するに、煮詰まってると見えるものも見えてこないということです。
さてさて。数日前の日記の続きです。読んでない人・内容を忘れた方はその(1)・その(2)をまずご一読を。
9/11は言わずもがなのアメリカ同時テロの記念日です。あの3000人もの犠牲者を出した忌まわしきテロから4年
…だから航空券が爆安だったのよね…。
本当のところはどうなのか知りませんが、いろいろ試していて、この週末のチケットがあたかも台風の目のごとく安かったのです。まあ、9/11にアメリカと同様テロの対象となっているイギリスの、しかも、首都のロンドンの空港に好きで行こうとは考えないというのも肯けます。
そんな中、午後5時15分のフライトをつかまえるためにヒースロー空港へ。レンタカーを返しに行かなきゃ行けないし、空港までどれくらいかかるか想像もつかんとうことで、早めに移動してまして、空港間近のM25(ロンドンの環状高速道路。ダブリンと違って完全に環状線になっている)に着いたのは午後3時前。
いやー、ダブリンとかいう片田舎に住んでいる私にとってM25の忙しさは尋常ではありません。ダブリンではM50(C字状の半環状高速道路)が片側2車線しかないのに対し、M25は片側4車線もある。しかもその忙しいこと忙しいこと。私の運転も慎重になります。
で、いよいよ次の出口がヒースロー空港というので、私は左から2番目の走行車線を制限速度の40マイル(64キロ)以下でトロトロ前の車に続いて走ってました。すると、左側を走っていたトレーラーがウィンカーを出して私の車線に入ろうとしてきました。理由は簡単、左端の車線は1キロ先で出口専用になるらしいのです。
レンタカーということもあり慎重に運転していた私は感心にもスピードを落としこのトレーラーに進路を譲ることにしました。この判断がこの9/11の運命を狂わせるとはつゆ知らずに。
次の瞬間起こったこと。
ガン
という大きな音。気がつくと、そのトレーラーの後ろにいたトレーラーが私の車の左側面にダイブしてくれたようなのです。
つまりこういうことです。この私の車にぶつかったトレーラー、前のトレーラーが車線を変えたもんだから、確認もせずに前のトレーラーについて行こうとして私の車にぶつかったわけ。
私は車を停めつつ頭を抱えました。
なんで空港まであと2キロの地点で事故を起こす!
で、止まったトレーラーを見ると左ハンドル。運転席に行ってみると…
相手:「#G*$%HJ」 私:「英語話す?」 相手:「#%#$」
…なんとまあ、英語をまったく話さない。良く見ると、車のナンバーはスロバキアになっている。
とりあえず、ケーサツを呼ぼう。
オペレーター:「ケーサツですか。救急ですか。消防ですか」
へぇー。イギリスじゃあまずオペレーターが電話を振り分けるのねん。アイルランドもそういえば緊急時の電話は999だから同じようなことになるんだろうなあ。
私:「ケーサツを」 警察:「ケーサツです」 私:「あのー、交通事故なんですけど」 警察:「場所はどこですか」 私:「M15の15番出口の手前1キロなんですが」 警察:「怪我人はいますか」 私: 「幸いいません」 警察:「車は道路を塞いでますか」 私:「今は左側の第一車線に車を停めてます。路肩には工事用のパイロンが置いてあるもんで」 警察:「わかりました。現場に人を向かわせます」
これが午後3時くらいのこと。あとで気がついたが、この事故はあの9/11で最初のツインタワーが倒壊したのとまったく同時刻だった…。
さあ、5時15分のフライトまであと2時間。このあととんでもない展開になるのだが、…とりあえず続く。
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