自分のことは棚に上げといて・・・
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2002年02月22日(金) 15歳のコイゴコロ。 「ほしのこえ」 新海 誠

詳細緻密なデータの積み上げで展開される架空戦記物が好きな人には、その世界観の設定自体が許せないといわれる可能性を否定できない。

世の中にはどうしてもその設定にこだわりを持ちすぎるがゆえ、その世界に没入できない人がいる。

そのこだわりは仕方がないことかもしれない。
この戦闘シーンはあのアニメの影響受けてるんじゃないの? あのキャラのセリフにそっくりだよな?

どんな作品も最初からあげあしを取るつもりでみれば、つっこめる部分はあるだろう…。


けれど、できるなら目の前の映像を、耳に残る音楽を、彼らの言葉を、素直な気持ちで受けとめてほしいと思った。

まあ、こんな事を書いている私が『リバーズエンド』では「設定が…」とかいっているんだから…。

『ほしのこえ』が自分にとってかなり「魅力的な作品」に仕上がっていたということだね(苦笑)


世界観が「許せる」「許せない」というのは高橋しんの『最終兵器彼女』を基準にすることができるのではないかと、個人的には思う。
あの作品を「恋していく物語」として認識できるかどうかが、この「ほしのこえ」を素直な気持ちでみられるかどうかの境界線になるのではないかと。



新海さんが描きたかった物語の核となるものは、板野サーカスでも、宇宙兵器を操る制服姿の女子中学生でもないはずだから。きっと…。
(制服なんて只の記号です)



距離、時間、後悔…

すべてをとび越えて、伝われ…コイゴコロ。




好きな人に「好き」のひとことすら言えなかった自分のふがいなさ。

なにげなく過ごしてきてしまったあの頃のこと。

平凡と思われる毎日の中に大切な思い出が残されていた。




それは下校途中の雨宿りだったり、放課後の屋上からながめたグラウンドだったり…。

そんな懐かしい「匂い」を感じさせてくれた。
そして、それはもう自分の中からは無くなってしまったと思っていたもの。
けれど、気がつけば胸の奥から染み出すように、溢れてきたあのころの記憶の数々。


スクリーンの前で新海氏と1対1で対峙しているような気持ちになった。

いうなれば、この作品は彼の「ご馳走」なのだと思う。
人数をかければ、分業でやれば、もしかしたら今よりもより「良い作品」にはなるかもしれない。

けれど大切なのは彼の想いがこの作品には詰まっているということ。

 畑から自分で材料を掘り出し、米つぶをよりわけて炊き込み、自分の手でおむすびを握り、僕の目の前に差し出された「ご馳走」がこの
作品なのだと思う。

勿論それを支える協力者がいるのも確かだが。
 (音楽、歌、声)



 マンガズーが後ろ盾につくことによって、その味を知る人が増えていくのなら、それもまた仕方がないのかもしれない。




そしてすべては、作品の最後に流れるセリフのための物語であることを知らされる。



「『彼女と彼女の猫』と同じ展開で…」と思うか「新海節」とらえるかでその評価はかわるような気がする。

わたしは当然後者の立場ですけど。

すべての出来事、想いを積み重ねて行った先にあの言葉がある。

言葉じりだけとらえれば「まあ、そうだよね…」とも「あれだけ盛り上げておいてこれ?」とも思う。



できるなら、その言葉はスクリーンの前できいてほしい…。



自分がどんな中学、高校生活をおくってきたかによって、そのセリフの響き方はきっと違うものになると思うから・・・。

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川崎ゆう |HomePage

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