一晩寝ぐずりしたケロ。家人は「今日楽しかったんだよねー」と牧歌的なことを言っていたが、明け方から体が熱いので朝起きてから体温を測ると37.4。その後でまた熱くなったので計ったら37.8。具合が悪かったのね。保育園のクラスノートに熱を出す子が多いと書いてあったので、保育園で貰ってきたか。 というわけで、今日予定していた某身内(昨日とは別)との会合は流れた。
「ミッフィー」と要求するケロにミッフィーのDVDを見せ、おもちゃで一緒に遊び、押したいスイッチがあると「こ?」と言うケロを抱っこで持ち上げ、口を指差すケロにご飯とおやつをあてがい、「お母さんも自分のことしたい」と抗議しつつ付き合った。 ベランダに出たがったケロを一人で出すと、最初はベランダ用のサンダルを履いてかんじき状態でそろそろと歩いていたが、そのうち脱いで裸足で走り回っていた。足の裏真っ黒だけど、1日外出てなくて可哀想だからいいやと大目に見て、あとで捕まえて石鹸で洗った。
隙を見て読書。
島田荘司/笠井潔「日本型悪平等起源論」(2005-106) 光文社カッパ・サイエンス(1994年3月)
両者とも本職はフィクション作家らしいが未読。本の内容は「日本人の嫌なところは何に起因するものなのか」に関する対談というか放談。 内容が内容なので読んでいても嫌な気持ちになり、楽しい本とは言いがたいが、過去の出来事を俎上にのせていくので、知らなかった事実(なのかどうかソース出てないのでいちいち検証できないが)を色々知った。ちょっと米作農家の方からはクレームつきそうな内容が多かった。
嫌な話ではあるが自分の中にもあったりする、そして大きな事件がおきた時などに感じたりする、日本人の嫌なところを論ったという意味ではよく書いてあるが、何かこれ喋った二人はその呪縛からは解き放たれてるみたいな断罪ぶりが少々不快だった。人の振り見て我が振り直せ>自分。
築山桂「甲次郎浪華始末 残照の渡し」(2005-107) 双葉文庫(2005年3月)
大坂を舞台に時代小説を書いていらっしゃる築山桂さんの新刊。前作「蔵屋敷の遣い」の続きで2年後の話となっている。あいかわらず甲次郎は事件体質。2年経っても人間関係に変化はなくてやきもきするが、現代と違って縛りの多い時代のこと、流れに逆らうのはずっと難しいのでしょう。でも続きはどうなるのかしらー。ついでに甲次郎、全然店の仕事手伝ってる様子がないけど大丈夫かー?そうだ、祥吾が同心を辞めて信乃と結婚して若狭屋に入ればいいんだーって駄目かな。
後書きなどがなくて寂しかったので著者のサイト「つきやま楽所」を覗いてみたら、明後日(7月12日)に第三弾が刊行されるそうだ。嬉しいー。
舞台のひとつになってる十三(じゅっそう)、大阪に友達を訪ねた時にネギ焼きを食べに連れて行ってもらった場所と同じか。淀川の十三番目の渡しだったのでこういう名前がついたんだそう。
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