朝某モニター依頼で来客があった。家を片付けコーヒーを用意してたら玄関先で固辞された。帰りに会釈をしている来客にケロが会釈を返していた。
ケロが1人用のコーヒードリッパーでままごとをしていた。何かをすくってタワーの箱に移す真似。私が思うにあれはホームベーカリーをセットする私の真似だ。
「しろくまちゃんのほっとけーき」のホットケーキ(のページ)を舐めていた。食べるものだと理解→ごっこ遊びの段階を経てそういうことが起こったらしい。ふーむ。
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月曜日(14日)の日記の追加いくつか。
月曜日の朝、N社(机のレイアウトは違う)で働いている夢を見た。私の席の横にはコピー機があり、ちょっと斜めになった原稿をまっすぐに、端まで写るように用紙サイズを調整してコピーをとり「うーん美しい」と自画自賛していた。 朝起きて、本当に当時は「お茶汲みコピー取り」が仕事として存在していたんだよなぁと感慨にふけった。その後景気も悪くなり私の仕事も色々変わり、他人の「お茶汲みコピー取り」でお給料がもらえる会社はあそこが最後だったが、いまでもああいう仕事は大企業の中には生き残っているんだろうか?でもああいう絵に描いたようなOLが体験できたことは無駄ではないと思うよ。他人の出張手続きで時刻表読めるようになったしね。
ケロが手を叩いて踊るので家人が一緒に膝の下で拍手したら、ケロは片足で立てないのでかわりに両膝を叩いた。家人が頭の上で拍手したら自分もやってみたが手が短くて頭の上では拍手できず、おでこの前あたりで拍手していた。その姿が可愛くてめろめろになった。
ちょっと前に他人様の日記&掲示板で、「お墓問題」というか「葬儀埋葬の方法」について話題になっていた。お墓がいらないから自然散骨を希望する人、海に撒かれたら入りたくなくなると抵抗がある人、微生物の研究者であっても鳥葬には抵抗があるとか、土葬が桶葬だと嫌だとか、お墓に安置してもらいたいとは思わなくても死後の遺体/遺骨の扱いには意外に抵抗がある不思議。 その話を家人にしていたらばっさり。「海に撒くったって、皆が同じところに撒いたらヘドロになるだろう」「鳥葬だって、よくわかんない日本人の頭蓋骨を石で割る人が迷惑だろう」「自然散骨するくらいならトイレに流せばいいんだよ(それだっていつかは海に帰るんだから)」等々。 死んだ後の魂の依代として、生者にも死者にも遺体や遺骨が必要なのかどうか、その辺の思い切りが人により違うのでこの問題は統一見解が出ないんだろうな。 私は臓器提供カードも持ち歩いているし(他人には勧めませんが)遺体はどうしてもらってもいいけど、何百万もかけてお葬式してお墓作ってもらうよりはそのお金は生きてる人のために使って欲しいなぁ。旅行でぱーっと使ってもらっても地雷撤去キャンペーンとかユニセフに寄付してもらってもいいんだけど。 (問題は死ぬ瞬間に心変わりして『やっぱりお墓に入れて〜』と思ったかもしれない、と遺族が思うかもしれないというところだな。)
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