2004年01月10日(土) |
フィッシュ・アンド・チップス、本家は英国外か |
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O.R.メリング一気読み。あー楽しかった。感想は後日。
というわけでトラブルの原因切り分けはまだなのです。>Yさん
* * *後日加筆
O.R.メリング「妖精王の月」(2004-004) 講談社(1995年2月)
最近、面白いと思う本が講談社に多いような。(京極夏彦の妖怪シリーズや小野不由美押さえてるしな。)
さて、O.R.メリング。どきどきわくわく面白かった。「妖精王の月」は日本の翻訳では最初だけど、シリーズ3作目。カナダの青少年が選ぶルース・シュワッツ賞の1994年度受賞作。ジュブナイルなので全て主人公はティーンエイジャー(以下も)だが、ケルトやアイルランド、ファンタジー好きなら楽しく読める。
最初から「古本屋を兼ねた喫茶店」なんて素敵なところが出てくる。墳墓で寝た夜(墳墓とか塚山とか聞くとつい「指輪」思い出すわね)従姉妹フィンダファーを妖精王にさらわれ、グウェンはそれを追いかけてアイルランドを走りまわる。
フィンダファーとグウェン(グウェニヴァー)はアイルランド系とウェールズ系の、もとは同じ名前だそう。アーサー王の妃グィネヴィアも同じ名前?と調べたら、どうやら豊穣の母神で五月祭の女王らしい。なるほど。さらに文中に出てくるフィオナヴァール(フィンダファーと同じ名前の変形)を調べたら、ガイ・ゲイブリエル・ケイのフィオナヴァール・タペストリー(「夏の樹」以下が訳されない)が出てきて、これも同じ井辻朱美訳だったよ。なるほど。お好きなんですね。 翻訳で少し原文が透けて見えるところがあり、無理に訳さなくても…という感じはあるんだが。シンデレラについて「妖精物語だから?」というくだりは、fairy taleを直訳してるのは分かるんだけど、日本語として普通「妖精物語」とは言わないでしょう、やっぱり。for love or moneyとかもそのまま直訳してるし。と私が言うのもおこがましいが。
それはさておき、5冊全部読んでみてもこれが一番面白い気がする。最初の方でフィンダファーとグウェンが4年ぶりに再会して、お互いが「大事なこと」を忘れていないことを確認し合うところなんか叫び出したい位だった。ファンタジーを愛する気持ちを持つ同志がいるっていうのは、何て幸せなんだろう。そして二人でアイルランドで別世界に通じる扉や通路の探索の旅に出るなんて。ああうらやましい。
最後の方でキリスト教的世界観が出てくるのはちょっと萎えるが。「妖精ディックのたたかい」もそうだったな。ケルト神話とキリスト教(あえて神話とは言うまい)は相いれないものだと思うんだけど、それをあからさまにやってしまうとハリポタみたいに焚書の憂き目に遭うわけか。何にせよ、幸せな恋人達が出てくるお話は良いね。
O.R.メリング「ドルイドの歌」(2004-005) 講談社(1997年1月)
最初に読んだ「妖精王の月」が実は3作目だったので、出版順ではなく創作順で読むことにした。これが最初の作。 カナダからアイルランドの叔父夫婦のところへ夏休みを過ごしに来た姉弟が、アイルランドの神話に描かれる「クーリーの牛取り」の遠征に紛れ込むことになり、お札の図柄にもなっているメーヴ女王や勇者クーフーリンと出会うお話。
これはケルティックに「<歌>の意味がわかったよ!終わりなんかない」って話でよしよし。人は時間の中を過去から未来へ向かっていくけれど、過ぎ去ったものが失われたわけではない、ということ。「失われた時を求めて」ですね。
なんて考えながらも、キリスト教が受け入れられた素地として「何度も生まれ変わりを繰り返す」ことより「天国で楽器を弾いて暮らす」方が死生感として幸せそうな気がしたという人々の生活の辛さも考えるが。
O.R.メリング「歌う石」(2004-006) 講談社(1995年12月)
出版順で2作目、創作順でも2作目。今度はアイルランドの先史時代。「侵略の書 レボール・ガバラ」の物語の舞台に、幼い頃から奇妙な夢や幻視を見ていたケイが紛れ込んで、活躍する話。「すべての時はそなたのものじゃ」。 ほんの少しマルタ島の話も出てきて、ケルト人がアイルランドに最初から住んでいたわけではない話もちらり。そうなのよね、ついケルト文化っていうとU.K.+アイルランドに目がいきがちだけど、島だから残っただけで…。 牡鹿に乗った<見張り>は「闇の戦い」シリーズに出てきたね。
O.R.メリング「夏の王」(2004-007) 講談社(2001年7月)
「妖精王の月」の後日譚。創作順で見ると、メリングが自分の生まれたアイルランドを舞台にしたお話を書きたくて最初の2作は神話を借り、3作目で民俗学をとりいれて読者を多く得、4作目がその続編という流れが見えるような。
7年ごとの夏至の前夜、アイルランドの沖合いに姿を現すハイ・ブラシル。夏の王がここに最初の火をともし、国中のたきぎが燃え上がり、<太陽の輪>が出来る。その7年ごとの夏至が近づいてきたのに、夏の王がいないため火をともすことができない。双子の妹オナーの代わりに、ローレルが夏の王を探すことになったが…というお話。このハイ・ブラシル(ハイブラジル)はテリー・ギリアムが映画でよく使いますな。 このお話でミディールがお妃をみつけて良かったよ。
O.R.メリング「光をはこぶ娘」(2004-008) 講談社(2002年12月)
これも「妖精王の月」「夏の王」の続き。こんどは新しい副官となるルーフ王に伝言を伝えにいくのとひきかえに、心の底からの願いをかなえてもらえるというダーナのお話。これは環境汚染の話とか出てきてちょっと勘弁してよ。妖精のお話を何かの暗喩にされると萎えるのよ。このお嬢さんは現代の若者らしい悩みを抱えているし、ある意味でヤングアダルト文学の王道。だからどうした。へへんっ。
このメリングという作家は、「妖精王の月」では選ばれなかった心の痛みや友達が先に恋を知り自分を置いていってしまう淋しさ、「夏の王」では失った家族を自分が理解していなかったという後悔、この「光をはこぶ娘」では家庭崩壊の原因が分からないという苦しさや家族再生のための自分の犠牲、などなど、心に分け入るような感情を表現させてうまく読者を掴んでいるんだろう。 が、お話をお話として語っていく楽しさが段々薄れていく気がする。本当に書きたかったのはアイルランドの神話世界なのか、若者を主人公にした現代社会の問題なのか。どちらが手段でどちらが目的なのか。
一連の作品を読んで比べるのはイギリスを舞台にしたスーザン・クーパー「闇の戦い」シリーズ。あちらはグレートブリテン島を舞台に伝承を織り込んで語られるお話だけど、牡鹿の角を生やした狩人(「光の六つのしるし」)や、夏至のかがり火(「樹上の銀」)は出てくる。あれを読んだ頃はまだケルトの伝承など知らず(いや、あれがきっかけか)何だか分からない世界を覗いた面白さがあったが、どちらかというと使命感で動く話だからメリングのシリーズより受け入れられにくいかもしれない。恋愛出てこないし。謎のエピソードも多かったけど、世界観はあちらの方が面白かったような気がするなぁ。子供の頃に読んだせいかもしれないが。今でも時々機関車の中で編物をする奥さんのことなど思い出す。人間を描くという意味ではメリング>クーパーだけど、ファンタジーは綺麗にまとまらなくてもいいのでは。
何か面白かったといいながら文句ばっかり書いてる気がするけど、面白かった上での文句なので宜しく。
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