2003年11月14日(金) |
火星に湖や川の跡? 「扇形の地形発見」とNASA |
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昨日から、ジーンズを産前にディフォルトで履いてたサイズにダウン。(それまでは+1インチの奴を履いてた。)まだきつきつなんだけど(^^; 産後6ヶ月は脂肪が流動的らしいから、今のうちに体に覚え込ませるのだ。何といってもバイク用の革パンが履けなくなると大損害なので。(矯正下着とか着ければダイナマイトボディーにもなれるかも。苦しいからやらないけど。) 体重は人生最大のデブだった妊娠前に比べると−2kg。でもスポーツクラブ黄金期に比べたらまだ+*kg。(あえて秘す。)しかしあんまり急激に痩せると母乳に良くないらしい。というのは体力が落ちるからだけではなく、沈黙の春状態で脂肪に蓄積した化学物質などが母乳を汚染するからのようだ。
★ここから★ ちょっと自分語り。
ずっと母体となる意志もなく生きてきたので、いわゆる「安全な食物」に気を配ってこなかった。野菜の皮を剥くとか、バナナ1cm位は食べ残すとかはしていたけど、それ以上には拘らなかった。 何故かというと、今口に入っているものだけでも既に何かを犠牲にしていると思ったから。オーガニックもスローライフもいいけど、それだけでは地球上の人口全ての食物を賄えない。今の日本で、食べるに困らない状態で、そんな贅沢まで言って良いんだろうか、生産量を上げたオーガニックじゃない食物で多少寿命が短くなったって、飢える心配のない生活のリスクとして受け入れるべきじゃないだろうか…なんてことを考えていた。(もちろん面倒だとか高いとかいう理由もあった。)
んで、自分ひとりの体についてはそれで受け入れられたんだけど、身を削って子供を育てるとなると急にそういった「安全な食物」が気になるようになった。子供の顔の湿疹がアトピー性湿疹の先駆けじゃないかと思うと、化学物質を取りまくった自分のつけが次世代に回ったようで非常に申し訳ない気持ちになる。 でもそれで「安全な食物」が気になるのが世界に対するエゴのようで、気持ちが落ち着かない。そして、まだどちら側に行きたいのか結論は出ない。自分でもやっかいな性格だと思うよ、本当に。
★ここまで★ 自分語りおわり。
お宮参りの写真を受取に、車で外出。下道で行ったら1時間半かかった。 六切サイズにしたカメラ目線で不機嫌な顔の写真より、舌を出しながら笑ってるスナップサイズで焼いた写真の方が可愛いので落ち込む。モニタで見た時はブレてたんだけど、モニタと同時に撮っている銀塩の方は綺麗に撮れていたようだ。 どうぞ写真を見た身内の誰も「こっちを延ばした方が良かったのに」と言い出しませんように。(そんなこと言われたら暴れそうだ。)
この写真撮影は、元々思うところあったのとか撮影で思うところあったのとか乳児湿疹のピークだったので頬が赤いのとかで撮りなおしたい気持ちは山々だが、冷静に考えればたかが写真だ。身内に配って義理を果たしたらそれで充分。深呼吸。
図書館からリクエストした本が2冊用意できたと電話。でも借りてきた本読んでからじゃないと借りにいけない。1週間以内に取りにいくためには手持ちの本を読まなくちゃ。
というわけで
佐々木譲「ベルリン飛行指令」(2003-095) 新潮社(1988年10月)
日本から三国同盟を結んだばかりのベルリンへ、零戦(零式戦闘機)を飛ばす話。この辺の世界史は急ぎ足で通り過ぎるあたりだし第二次大戦については太平洋戦争についてのお勉強が多いので、それがどれだけ危険な任務か実感がわきにくいが、とっても無謀な計画だったらしい。(って書き方がすごーく馬鹿っぽいと自分でも思う。)フィクションだけど、歴史上の実在の人物も登場する。
日本の太平洋戦争直前の状況に、独立前夜のイギリス植民地各地の独立運動をからめ、戦闘機乗りと戦争屋の色々を描いている。当然、格好いいのは戦闘機乗り。もうちょっと言葉を控えてよっていう位に格好よく書かれている。どきどきわくわくで読み進めるけど、段々話の進行が早くなるし結末はもともと本の最初に書いてあるのだった。最後まで読んで、最初に読んだところの余韻が沁みてくるというにはちょっと物足りない。何故だろう。読んでる時は面白かったんだけど。
あと正しくは「れいせん」と言うのではなかったっけ。文中で外国人が「ゼロ」って言ってるのも、作者らしきジャーナリストが「ゼロ戦」って言ってるのもいいけど、開発に携わったはずの人が「ゼロ戦」言うのかな。それとも素人相手だとそうなのかな。小説の導入部分だからゼロ戦と連呼するのかな。
11月16日追記:google君に聞いてみた。諸説あったが当時現役だった人に直接聞いた話では「ゼロ戦と呼んでいた」の方が多いよう。ということで↑の私の?は見当違いだった。
そして常々どうして新宿中村屋のカリーがインド独立運動と関係あるのか不思議だったんだけど、当時の様子が何となく理解できた。敵の敵は味方だったのね。というわけでカレーが食べたくなる本だった。
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