「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2017年03月22日(水) 自分の中の、別の自分に出会ったら

先日、日本人のお友達どうしで集まった時、一人の女性が「自分には2つの人格があって、一人は今こうして皆とあってる活動的な自分。もう一人はどこにも出れないで家の中にこもっていたい自分。いつも活動的な自分が外に出て楽しんだ後に、陰気な自分が、なんでそんなことしたの!と、もうひとりの自分を責めてくるので辛い」と話し始めました。

皆さんにもこのような事を感じた経験はありますか?

多重人格と聞くと、一般的には精神的な問題を抱えた人のことを指し、特別な意識を持ちがちですが、自分の中に幾らかの、違う自分がいるのは特別なことでしょうか?

私は、私たちの中には少なくとも3人以上の人格が存在していると思っています。その人格達は、それぞれの状況において自分のために活躍するのです。自分のためにそこに居るのですから、多くの場合は、自分の人生をよりよい形に持っていこうとして活躍するのです。これは特に問題がないばかりか、よいことでしょう?時には頭の中の声に気づいたりして、そんな自分を知っていれば、別の人格たちと語り合い楽しむことができそうではないですか?

ちなみに、冒頭に書いた女性のように、活動的な自分を攻める自分がいるような場合はどうしますか?責められたら辛いですし、活動できなくなるのも問題でしょう。

そんな時は、ネガティブな自分がいるその原因、つまり、「外に出ちゃだめ!」と言う自分がいるその原因を探せるように行動を起こすことです。自分を探求する。例えば、その人格の言葉や、頭に浮かんでくることをひたすら書き出したり、どうしてそう思うのかと尋ね続けたり。ネガティブな自分に巻き込まれないように、持っている能力をしっかり意識することが前提になる作業ですが、丁寧に続けていくことで、何かしら、小さな形でも、道は開けてくるのです。

冒頭の女性が言いました。「でも、トラウマは癒せないよね」
私は答えました。「トラウマは自分で癒やせるんです」
自分の経験談なしでは心のことのは語りにくいので、私は自分の経験を語りました。

私のしたことは、まさに、自分の抱えていた問題の原因を探せるように行動することでした。繰り返しになりますが、その人格の言葉や、頭に浮かんでくることをひたすら書き出したり、どうしてそう思うのかと尋ね続けたり、と。ネガティブな自分に巻き込まれないように、持っている能力をしっかり意識して、丁寧に続けていくことで、何かしら小さな形の変化が起きてきたのです。開けた窓の外から春風が、レースのカーテンをふんわりかき分けて、そーっとこちらへ入ってくるように、静かに静かに道は開けてきたのです。



2017年03月10日(金) 心の目で視えるもの

皆さんは、生活様式や文化の違いなどを理由に特定の人に対してネガティブな感情を持つことがありますか?そんな自分に気づいたらどうしますか?

私は最近、仲良くしようとして接してくれる人を受け入れられない自分に気づきました。それは、無意識のうちに相手が近寄ってこないような方法や理由を考えている自分を何度か演じたあとのことです。私は、相手は自分に好意を持っており良い関係を築こうとしているのを知っていましたから、私の中に芽生えるネガティブな感情は自分の過去の経験から来ていると分かりました。(文化の違いに対する戸惑いは、相手を否定する理由にはなりません^^)

しかし、どうしましょう。そんな自分をわかっても、今、受け入れられないものは、今は受け入れられないのです。それなのに、相手は私に好意を持っているのですから、そんな相手を嫌いになれる理由もないのです。

頭のなかで、この状況を思い浮かべてみて下さい。うっかりすると、罪のない人を嫌いになる自分への否定が起こると思いませんか? 私もその例に漏れず、暫くの間、そんな自分を持て余したのです。

しかしその後、私は不思議と(いやなものはいやなのだから、仕方がない)と思うようになりました。そして、ある時から、私はどれだけその人のことを嫌いなのか、その相手と接している時の自分を観察しようと思い始めました。

すると、どうでしょう。それまで感じていた、いつの間にか相手に対するネガティブな感情が沸かなくなってきたのです。少し大げさな言い方ですが、私はある日、自分実験をしました。ネガティブな感情を持っている自分に気づいた時、「自分を観察しよう」と自分に言って聞かせたのです。すると、そう思えて間もなく、否定の感情は何処かへ行って、ワクワクする気持ちすら沸いてくるのです。

この気持ち、とても楽なのですよ。興味深いと思いませんか?それにしても、この変化は何でしょう?

私は以下のように思います。

相手にネガティブな感情を持つ時の私は、見ている対象、考える対象が相手になっている。(実際に目の前にいる人を見ることではなく、心の目で観察するという意味です。観ている、という字を使うべきかな)反対に、自分を観察しようと意識する時の私が対象にしているのは自分自身。つまり、真に自分に目を向ける時、他者がどうであるかは関係がないのです。実際に、私の心の目が対象にするべきなのはいつも自分自身ですものね。

この私の経験について、あなたはどう思いますか?よかったら、あなたの意見を聞かせてください。そして、生きていくのに大切なこと、ニュートラルな生き方について語り合いましょう。


2017年03月03日(金) 行事に思うこと

日本では、今日はひな祭りの日なので、こちら米国でも、ひな祭りを祝おうとする人々を対象にして、日本食材のお店には、ひなあられや桜餅が並んでいました。
 
米国でも日本でも、その他の国においても、行事というものは古くからその国に伝わってきた、その国の歴史や特徴を表す意味のあるものだと思うので、人々はその行事を大切にすることで、その国の文化を次の世代につなげていくのでしょう。
米国は多国籍の国で、いろいろな文化をお手軽に経験できる利点もありますが、米国独自の文化が何なのかわかりにくくなっていることを思えば、その国の文化をその国の特徴として伝えていくことは、私たちが世界を学ぶという意味で必要なことだと思います。

そして、別の面では、これらの行事の日には悲しい思いをする人々もいるということでしょう。例えば本日の、おひな祭りですと、子どもを持てないご夫婦や祝ってくれる大人が家庭に居ない子どもさんなど。私の子ども達も、親の都合でひとり親家庭に育ち、普通でないと言われている人々の中に入るので、どんな思いを持っているか機会があれば尋ねてみたいと思っています。確か、以前息子は、そういうのは気にしない家庭だから、と言っていましたが。。。

さらに、問題と思う考えも浮かんできます。例えば、もしかすると幾らかの人々は、これらの行事にまつわる経済作戦に足を引っ張られているのではないか、ということです。雛人形は、品質にこだわらなければ、今では100円ショップでも買えるようになりましたので、決して高くはないですが、女の子が家庭にいることを嬉しく思う為に、必ずしも雛人形が必要ではないでしょうから、そうすると、その100円ショップ訪問さえもいらない気がしてきます。彼らの性別に関係なく、子どもや孫が、人生の喜怒哀楽をシェアする相手としてそこに居ることだけでも充分な喜びのように思うのです。

そんなわけで私は、歴史や文化を学ぶ目的以外では、いろいろな行事にあまり関心がありません。その代わりに、今の時期ですと、日差しが少し暖かくなって瞬く間に開花した梅の花をじーっと眺めている方が楽しいのです。時には、戴き物のひなあられでお茶を楽しみながら。







2017年02月25日(土) グラウンディング

ヨガをしていると、Grounding (グラウンディング)という言葉をよく聞き、練習の最中にかなりの頻度で意識します。グラウンディングがうまく出来て初めてポーズの安定はもちろん、自然界のエネルギーを上手に体内に取り込んだり、体内で作られるエネルギーが無駄に放たれるのを防げると言われています。

このように言ってしまうと何か特別なことのように思われるかもしれませんが、私は、これは日本語で言うと <地に足をつける> とか <根付く> とかいうことだと思っています。自分の考えを持って、周囲の状況に右往左往せず、安定した心で生きている、大地に静かに立っている大木のようなイメージです。時には強い風に吹かれて葉の先端が小さく大きく揺れますが、その土台、私たちの中心はいつも私たちの中に、揺るぎなくそこにあるのです。なんと素敵なことでしょうか。(エネルギーに関しては、別の機会に語り合いたいと思います)

ヨガでのグラウンドは、身体の安定を思わせますが、実際には心の安定も大きく関係しています。今していること、ヨガの時間ですから、ヨガのこと以外は全て頭の外に小さくたたんで置いておき、そうして、意識の全てを自分の呼吸と身体の声に向ける行為は心の安定があればあるほど楽だと思います。そして、そのように意識することは心の安定にも繋がるのです。こうして考えるとヨガは心と体の安定に一石二鳥です (他のスポーツにおいても同じことが言えるでしょう)

そんなわけで、グラウンディング/血に足がついている自分をいつも意識して、安定した自分を育てましょう。意識することによって、上がらなかった足が少しずつ上がるようになり、伝えられなかったことが少しずつ伝えられるようになり、見えにくかった世界が少しずつ、楽に見えるようになり、心と身体の利用領域が広がりそうだと思いませんか?


2017年02月17日(金) すきま風が入ったら

私たちは、実は気付かないうちにマイナスに巻き込まれていることがあるのです。例えば、これは私自身の体験ですが、
先日の、なんとなく活気がない自分に気づきました。特に心当たりが浮かばないうちにあ、(うんー。なんか今日は冴えないなぁ。。。)という程度だったのですが、それにしても、そんなふうに思うのはおかしいと思って原因を探したのです。そうしたら。。。

原因は、その前の日に女性のヨガクラスメイトに会った時の彼女の涙にあったのです。涙の理由の詳細は省きますが、彼女の話を聞く中で私は過去の自分をぼんやりと思い出していました。うんと昔、生きている意味を見いだせなくて右往左往していた過去の私です。しかし、過去のことを思い出していたのはほんの一瞬ですし、まさかその自分に巻き込まれているとは思いもしませんでしたが、今考えてみると、彼女と語り合った後の一日とその翌日、彼女の表情を度々思い出していたのです。つまり、彼女と過去の自分を重ねていたのでしょうね。

このように、私たちは往々にして、知らないうちにネガティブに巻き込まれていることがあるのだと思います。ネガティブはまるですきま風のようにスーッと、気付かないうちに私たちの心に入り込んでくるのでしょう。

しかし、いろいろな自分に気付けることは心からの喜びです。特にその気付きがネガティブな自分であった場合は心の整理をしてトラウマを癒やせばいいのですから。

皆さんにはこのような経験はありませんか? 機会があったら、シェアできたらうれしいです^^


2017年02月15日(水) 目線の違い

ご無沙汰していました。実は全米ヨガアライアンス資格取得のためのレッスンに通っていたので、睡眠、食事、おトイレとシャワー以外の殆どの時間をヨガに利用していました。ちなみに、資格が捕れるのは少し先のことです。これから数ヶ月自分で丁寧に練習し、春にもう一度2回めのクラスを受け、解剖とヨガレクチャーの試験にパスすると資格が取れることになっています。

今回一緒に勉強した生徒さんは殆んどアメリカ人の女性、男性は2人でそのうち一人は日本人でした。年令的には、私よりも若い方が半数で、残りの半数は私と同じか少し年上の方もいらっしゃいました。ここで既に、日本文化と後外に気付かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本では、60代近くになって新しいこと、特に身体を使うことに挑戦しようとする女性は少ないのではないかと思います。

年齢幅も含めて、経験の度合いも違っていました。運動系のお仕事をされている方、ヨガに魅了されてヨガの世界で生きている方、それから、東洋医学系のお仕事をされてきた後、ヨガにたどり着いたという方など。私の場合は、身体と心のつながりを深めることにこの上ない魅力を感じていますし、自身の体の成長を観るのはほんとうに楽しいですし、この楽しみを人々と分かち合えたら、という思いからヨガを続けています。そして、せっかく米国にいるのですから、英語でレクチャーできるようになるのもまた楽しいのではないか、という思いです。

基本的に英語技術の不足がある私、皆さんの英語をなんとかかんとか一生懸命聞き取りながら、わからなすぎて落ち込みそうになる私を手伝ってくれたのは、ヨガインストラクターとして活動したい私におつきあいしてくれている日本人の生徒さんたちを通してほそぼそと続けているヨガクラスでした。それから、周りの人のほんわかした空気の中で、アメリカ生活の中で一番充実した日月だったと思っています。

さて、そんな私、最終日の数日前に、あることに気付いたのです。
心のことを勉強し始めてからずっと、なが〜い間、そして今でもヨガクラスを開く時、自分の子ども達と語り合う時に、心に留めているいることが1つ。(他にもたくさんありますが)

私は、教師やヨガのインストラクターなど、他の人の成長を手伝う仕事をする時、彼ら(生徒さん)の成長は彼ら自身の力によるものだ、ということを手伝う側のほうが意識していることが基本だと思うのです。というのは、私は日本で度々”おかげ”という言葉を聞来、その言葉に違和感を感じてきたからです。

私のお伝えしたいことは、教える立場の人を無視していいということではないのです。もちろん、成長したい人をよりよい方法で導いてくれる人々は貴重なのです。そして、”おかげ”という言葉で、せっかく持っている自分の能力をどこか卑下したり小さく見積もったりしてしまう可能性があるので、気をつけたほうがいいということなのです。

私はこのアイデアを、特に自分の子ども達と語り合う時に意識します。彼らは彼らの力で生き延びているといつもいつも自覚しておくと、私自身を心の自立を手伝い、良い毎日を作るきっかけが掴めると分かるからなのです。

さてそんなある日、レッスンでインストラクターとしての活動についてのディスカッションを受けている際、私はこのアイデアについて発言しようと準備していたのです。ところが、ふと気づくと、と言うより、気付くのが遅かったのかもしれないのですが、レッスンの始めから終わりまで、それぞれの生徒さんが自由に発言し、それはインストラクターのコメントに追加する形であったり、時には反論する形であったりとバラエティに飛んだものなのですが、どうも見ていると、インストラクターの方は生徒が意義を申し立てることにネガティブな感情を持ったり、上からの目線で生徒さんの動きを止めようとするような動きが見られない。つまり、彼らは、私の目から見て、彼らは生徒さんと同等の立場にいるように見えてきたのです。ですから、私がこの10年間折に触れて思い返してきたこのアイデアについて、彼らの中に既に浸透している、当然のこととしてあるのだという結論にたどり着きました。

日本とアメリカの大きな違いだ、と思っているのは私だけでしょうか。それとも、私と同じように感じている方もいらっしゃるのでしょうか。いずれにしても、この気付きは私のココロのドアを更にオープンにしてくれました。自分の持っている能力は、他の人と比較するものでも自分の中にしまっておくものでもなく、持っているもの、自分を活かすものとして、大いに活用していいのだと、改めて感じた時間でした。

毎日が更にワクワクです。


2017年01月17日(火) 人生の主役はあなた自身

 人生の主役はあなた自身

先日、ヨガの生徒さん達と、人生の主役について語り合ったタイトル。

私たちは、私たちの人生の主役なのです。ご家族や友人、子どもさえも、実は、私たちの人生から見ると、準主役や時には脇役と言ってもいいのだと思います。脇役なのだから、彼らは主役の自分達よりも劣るということなどではないのです。

どういうことかと言いますと、私たちは自分の人生のために一日を過ごしている、その自分の24時間の中で、彼らはたまたまそこに、私たちの生命の時間の一コマを共有している、ということなのだと思います。

この捉え方を持っていると、例えば自分の周りに苦手な人がいたり、うまく関係を築けない人がいたりする時に、役に立つのです。 ”私の人生にちょっとのあいだ、介入しているだけの人” と思って切り替えることが可能でしょう?!それから、失恋しちゃったときなども、とっても役に立つと思います! 

一般の人々にとって、準主役に当たるのは、きっと子どもさんやパートナーやご両親でしょうか? または、ご家族でなくても、私達の人生がより良いものになるのをいつでも惜しまず手伝ってくれるような存在の人々など。準主役の方の存在は自分のそれと同じくらに貴重で、彼らがいなければ私たちの人生そのものの価値が無いかのように感じるということがあると思います。ほんとうに、私たちは多くの人の影響を受けて、人として進化と成長を続けているのですよね。

そしてそしてそして、そんな自分を少し遠目から見てみると、ほら、そこに、あなた自身の人生を歩くあなたがそこにいて、その周りに、あなたが人生を楽しく過ごすのをちょっと手伝う子どもさん、パートナー、家族、友人が。

そこには、彼らを自分の人生に招き入れ、人生の一コマを共有しているあなたがいるのです。

つまり、人生の主役はあなた自身


2017年01月16日(月) 呼吸

朝起きた時の、ベッドの上での背伸びは格別です。まるで、頭の先と足の先が互いにその先にある壁かどこかまで伸びていくような細長い開放感に包まれます。

その開放感を感じた後、自分の両手を体の上に置きます。1つはおへその少し下に、もう一つはみぞおちの辺りに。
そうして、まず自分の呼吸を感じます。一晩の睡眠の結果がここにあり。呼吸が鎖骨の方まで上がってこない時はだいたい、肩や首が固くなっています。頭が枕からずれていたり、または、何かナーバスになっているときです。

こうした気付きを否定したり、正そうとしたりしません。なるほど〜と思い、昨晩のうちに気付かなくてごめんねとか、寝相が悪くてごめんね、とか、そういったことを自分に呟いています。 

それから、もう一度呼吸に意識を向けます。今度は、おへその辺りから始まる、深い呼吸が出来るように意識して。お腹が膨らんだら胸のあたり、最後に、鎖骨が広がるように息を吸います。身体に入っている力をすっかり抜いて、吸い込んだ空気が自然に全身に届くように。

吐く時には、鎖骨、みぞおち、お腹の順に空気を吐いて。

うまく行かなくても、そのまま続け、ただ、みぞおちと、お腹の膨らみを、それぞれの手を通して感じることをします。
5分位続けると、たいてい、リズムが掴めて内臓の広がりも感じることが出来ます。

その、呼吸、私が一日を通して繰り返したい呼吸です。細く長く、ゆっくり吐いて、細く長く、ゆっくり吸う。これを繰り返して一日を過ごします。忘れてもしまってもいいんです。なにかあった時に、または思い出した時に、していることをちょっと止めて、全ておいて、深呼吸。

気持ちいいですよ。是非トライしてみて下さい。


2017年01月12日(木) ヨガと癒やし

 今日は心がもう一つ軽くなる出来事がありました。それは、生徒として参加したヨガクラスのリラクゼーションの時間のことです。インストラクターが「今日は好きなカラーを思い浮かべましょう。そして、その色のあぶくのお風呂に使っている様子を思い浮かべましょう」といいました。既に目を閉じていた私は水色のバブルを思い浮かべ、それからそのオフロに入っている自分を思い浮かべたのです。すると、ふいに、お風呂とアブクに関係するチャイルドが現れたのです。私は、予想外の展開に(あらまぁ)と思いましたが、リラクゼーションの時間を利用してチャイルドを癒やす作業をしました。再びインストラクターの声かけに合わせて目を開けた私、「私がここに居る」と自分につぶやきました。ヨガは心の傷を癒やす作業にも充分に利用できるのです。


2017年01月11日(水) 一刻一秒

昨年末から、ヨガを提供しつつ、心の傷を癒やす取り組みに進めるような会を作り、今日で2回めを終えました。今日は、小さなお子さんをお持ちの女性たちが来てくださったので、子育ての話になりました。彼女たちの話を聞きながら、自分自身の子育ての時代を思い出していました。つまり、彼女たちが思い悩んだり子どもさんに願っていることと、私のそれらとがほとんど同じであったのです。(現在の私が小さな子どもを持っていたら、まったく違う考え方を持っていたと思いますが)いつの時代も、小さな子どもさんを持つ母親の思うことは似ているなぁという感想です。そして、それがプラスでもマイナスでも、みなさん、試行錯誤しながら子どもの成長のお手伝いをしているんですね。

そして、私はその年代から卒業した人ですから、若いお母さん方のお手伝いが出来る大人になれるように、自分育てをしようと思いました。

この日記を書こうとして、クラスでの様子を思い起こしている時、リズミカルな詩が浮かんできたので、書いておくことにしました。以下です。


この地球上で、時は一刻も休むことなく一秒一秒進んでいる
その地球上で、私たちは毎日生きている

私たちの身体も一秒単位で時を重ねている 
身体は一分一秒、現実と向き合う
寒いと血管は縮み、体温を保持しようとする
熱いと血管を広げ、体温を下げようとする

私たちの心も、一秒単位で時を重ねている
心も、一秒一秒、現実と向き合う
楽しい時、笑いたくなり
悲しい時、泣きたくなる
怒りは、発散したくなる

この、一瞬一瞬の感覚に上手に向き合ってあげることが、
人間として生まれた自分への最高のギフトだ
私たち人間は、現実と向き合うことで今を生きることが出来る
それは、進歩であり、それは、成長である

私たちは、時々、間違いもする
過去のことを思い続けたり、未来を悲観したりする
他人のことを想像したりすることもある
こんなとき、私たちの意識は現実から離れている

他人のことを想像しない練習をしようじゃないか
気付いたとき、修正していけばいい
これも、1つの、今を生きる方法だ
それは、進歩や成長を手伝う


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