「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2017年07月31日(月) 心のファシリテイターとして育つ会 2017年7月号

心のファシリテイターとして育つ会7月号

みなさんこんにちは。心のファシリテイターとして育つ会のMamoです。いかがお過ごしですか? いつものように毎日の暮らしの中におもしろいことを発見しつつ暮らしている私。今月は二つの話題を書きます。


<失敗を恐れる時の自分>
何か新しいことをする時に失敗したらどうしようと思うことはありませんか?もしあなたが今頷いているのなら、私も例に漏れないうちの一人です。

私は7月からヨガインストラクターとしてフィトネスジムで働き始めたのですが、初日の日にちが遠いうちはなんでもないと思えていたのに、初日の日が近づくにつれ緊張が増してきたんです。このような経験、きっとどなたにもありますよね。初対面の人が集まって自分の自己紹介の順番を待っている間、クラスでプレゼンテーションの順番を待っている間、不思議なことに待ち時間が長ければ長いほど、心臓の鼓動が高まるんです。

だけど、私たちがこんな状況の時いつも不安になるのは何故なんでしょうね。待っている時間にこそ、ああしようこうしようと本番をイメージして楽しむことができたらいいのに。

私にとってその原因は明らかでした。それは、第一に私の中の自発性が育っていないから。第二に、頭の中でマイナスの想像が大活躍するから。

自発性はわたしが1歳を過ぎた頃から育ってくる予定でしたが、わたしは大人の考えに沿って動くことを強いられたために、自分のしたいことが分からない大人になりました。40歳前まで、わたしは誰かの意見に沿って動くには上手ですが、自分からアイデアを発掘したり、自分で何かしなさいと言われるとどうしていいかわかりませんでした。ですから “その時” を待っている間じゅう、相手は何を望んでいるだろうか、私のアイデアは相手の意に沿っているだろうかと不安で仕方がなくなるのです。

二番目に挙げた、マイナスの想像は、多かれ少なかれ未解決のトラウマを持ったまま生きている私には得意な分野です。なぜなら私たちは物事を、過去の経験を基準にして捉えますが、多くの場合私たちの意識は、苦くて悲しい経験の方に向きがちで、新しい経験をする時にもついつい、<前にもこういうことがあったし、あの時はこんな風に失敗した>と思ったようにいかなかった自分を思い出して、また今回も前と同じようになったらどうしようと考えるんです。

マイナスの想像を促進させる原因として、<読心術>というものもあります。
読心術とは、現代用語でいうと<空気を読む>ということでしょう。相手の顔の表情や体の動きから相手の心理を読もうというものです。

もちろん、ホワイトライ(善意の嘘)のように空気を察して相手に心使いをしたい場面が私たちの日常には多々あります。読心術をプラスに利用できるならば、私たちは周囲の人と良い関係を築き社会生活をより楽しむことができるでしょう。例えば日常で、思いついたことをすぐに言葉にせず、その場の雰囲気を読み、今ここで語るには相応しいかどうか吟味した後に伝えることができたら、私たちは本当に言葉を介して人々との関係をより暖かいものにすることができますよね。

しかし逆に、この読心術をマイナスの方法で利用してしまうなら、私たちは常に周囲の視線を気にして身動きの取れない毎日を過ごすことになりますね。例えば目の前で眉間にしわを寄せている彼や彼女、もしかしたら、目の前の彼/彼女はその人自身の問題で苦しんでいて笑顔を忘れているだけかもしれないのに、私たちは自分に何の落ち度があったんだろうと一生懸命考えてしまうのです。

このマイナスの読心術は私たちが子どもの頃に育てられるのです。例えば、わたしは子どもの頃「そんなことすると、○○に笑われるよ」、「○○すると、○○に怒られるよ」という言葉を度々聞かされました。何かに失敗したり、誰かの意にそぐわないことをすると自分は笑われたらバツを受けるのだと長い年月をかけて学び、他者の表情や動きによって自分を評価するという間違った方法を、まるでそれが自分の考えのように取り込んでいたのです。

ちょっと話が逸れましたが、そんなわけで、ヨガクラスの初日本番を迎える前の私はそんな自分に気づくまで、これまで一度も会ったことのない人々の意に沿わなかったらどうしようかとドキドキしていたのでありました。大変なエネルギーの消費量ですよ。このエネルギーのマイナス消費のおかげで数日間便秘になりました。


そこで私のしたことは、二つ。
一つ目は、スキルリスト(これまでに達成できたことや長く進めてきたこと)を自分に浸透させること。二つ目に、自分に安全な人々を探して彼らに多くの質問をする、ということです。「私はうまくいくと思う?」「このポーズはどう?」「私の英語はどう?」。不安の材料になっていることを次から次へと、自分にとって安全な人々に尋ねて歩くんです。実際には二つか三つも説明すれば、自分の周りには新しいことをしようとしている自分を脅かす人はいないんだと気付くのですが。笑。そして、「あー私ってお馬鹿ちゃんだったなー」と自分を笑ってそれから、今の自分に必要な言葉をかけてあげるのです。

<恥中毒症>

人間に失敗はつきもの。この、人として当たり前のことを、誰が笑ったり非難したりするのでしょう。確かに世の中には完璧主義に囚われた心ない人がいるのも確かですが、そのような人がいつも自分の周りにいるとは限らないですよね。しかしわたし達は本当にこの苦しい魔術の世界にとらわれてしまうのです。

このような状態が長く続いていることを、心の専門家たちは恥中毒症と読んでいます。「自分は自らの行動のせいでよく恥ずかしい目にあう」という固定観念を持っていて、例えば実際にたまたまなにかミスをして恥ずかしい思いをした時に、ほらやっぱり。。と思うのです。正確には、個の時の恥ずかしい思いも自分自身の中から湧いている場合が多いでしょう。米国心理療法家でインナーチャイルドワークの一人者と言われている John Bradshow は彼の著書 Home Coming の中でこれを中毒性の恥と呼んでいます。

恥中毒症の固定観念はいろいろな場面で自分の行動力を狭め自分に限界を設定し、一度しかない人生をつまらないものにしてしまうんです。もったいないですよね。それに、そんなヘンテコな恥を感じなければ、いつだって新しいことを試すのが楽しいはずなのに。この恥中毒症の固定観念がどこからやってきたのかは、前述したように私たちの子ども時代の経験を思い返すことで答えを見つけられるでしょう。もしあなたに何か思い当たることがあるならば、その糸口をたどってみるのも楽しいかも知れません。

自身のマイナスの面にきつくことは悲しいことではありません。わたし達は変わろうと意識することでいつでも自分を変えていくとが出来るからです。例えば、いつもマイナスの想像の中で生きてるなと思ったら、朝起きた時に「今日1日マイナスの想像をしない自分でいる!」と意識することで、それだけでも違うでしょう?言い方を変えて ("ない" を使わない表現にして)「今日1日、プラスの想像をする自分でいる」と決めると、もっと効果的な気がします。だって、そう言葉にした時点ですでに私たちは、昨日までのマイナス発想の自分とは違う自分になっているんです。そうした、プラスの自分が、新しいことに取り組む自分を応援するのです。素敵なことだと思いませんか?


ご意見ご感想をお待ちしています。

この会の名前になっている、"心のファシリテーターとして育つ会" には、人々が心の育ちを促進し合うという意味が含まれています。(ファシリテーター=促進する。日本でNPO Gobamcan を立ち上げ不登校の子どもと親ごさんを対象にしカウンセラーをされていた Haydo の立ち上げたものの、名前をお借りして継続させてもらっています) とかく経済主流の社会に巻き込まれがちな現代社会ではありますが、感じていることを少しでも言葉にし、さらに人々と語り合うことで心の勉強がより深いものになると信じています。

(生きてくる中でトラウマがひとつもない人はいません。私が実際に取り組んだ/取り組んでいるインナーチャイルドワークについて知りたい方はPMにてお尋ねください)

なーんて、最後はスーパーまじめな締めとなりましたが、来月も乞うご期待。。。して頂けたなら幸いです❤

まも


2017年07月10日(月) インナーチャイルドヒーリングワーク

今日は興味深い体験をしました。ヨガクラスのミィーティングでのこと。普段から、グループの中では黙って聞き役に回る私。今日もまたそのようにして座っていました。ところが不意に発言したくなって、手を挙げて質問したのです。すると、先生を始めクラス中のほぼ全員(と思った)が私に耳を傾け、私の質問に対するいろいろなアイデアを投げかけてくれました。クラスは私の話題でしばらく盛り上がりました。その間私は、緊張しているが故にさらに支離滅裂な英語を使って、しかし一生懸命返答しようとしている自分自身をその背中から見ていました。私は、話題を提供し人々の会話の中に入って空間をシェアし楽しんでいる自分も見ました。

興味深いことが起きたのはその後のことです。ミィーティングが終わって車に乗った途端に、私はなんとも嗚咽を漏らして泣きたくなったのです。でも私には、泣きたいのは自分ではなく、私の中のインナーチャイルドが泣き出したのだとすぐにわかりました。その時は車を運転する必要があったので一旦気持ちを切り替えて自宅に戻り、戻るとすぐに、心の状態を確かめようと一人の空間を作りました。

それから泣きたい自分をもう一度呼び起こすように意識を集中させると、泣きたい自分に巻き込まれそうになる自分と、その奥で激しい声で泣き叫んでいる子どもの頃の私がいました。誰にも構ってもらえる誰も居ない家の中に放置されている自分とライス畑の広がる田んぼの真ん中で大きな声でおいおいといつまでもいつまでも泣いている小学生の自分。傷ついたインナーチャイルドです。

私はしばらくの間、彼女を少し離れたところから眺めていました。そして、「出てきてくれて本当に良かった」と思いました。大きな気づきを得たからです。ヨガのグループミィーティングでいつも静かに座ってただみんなを眺めているのは、単に英語のミスを恐れる自分ばかりではなかったのです。もう一つのもっとも奥深くに潜む根本的な原因は、子どもの頃に声を上げても気に留めてもらえなかった当時の傷ついたチャイルドが、「私は静かにしているべきなんだ」と大人の私に暗示をかけていたからなのです。

ということで今夜は、私はそのチャイルドのそばに座り、話を聴き、出会えて良かったと言葉にしました。その時間は約10分くらいだったでしょうか。彼女はしばらくするとすーっと消えていきました。今夜のところ、彼女はまだ私の中にいますが、私が楽であるのと同じくらいに彼女も今、少し楽なのがわかります。どういう風にわかるかというと、私自身が今とても楽だからです。

私はこれからしばらくの間、おそらく何十回何百回に渡ってこの傷ついたインナーチャイルドのヒーリングワークをすることになります。私は彼女を大人の私の中で育てません。彼女は当時したかったことをしなおす必要があるからです。私はイメージの中で、彼女がそのことができるように手伝ってあげます。これが、私が折に触れて、その機会を得るたびに真摯に取り組んでいるインナーチャイルドのヒーリングワークです。このような経験はありますか?あったら、もし良かったらあなたの体験を聞かせてくださいい。





2017年07月03日(月) 心のファシリテイターとして育つ会6月号ニュースレター

心のファシリテイターとして育つ会 2017年6月号


みなさんこんにちは。心のファシリテイターとして育つ会主催のMamoです。今月もまた、日々の出来事を通して心の探究を続けている私、今月のテーマは、感情と思考を切り離す、ということです。


感情とは<私たちが日々感じていること>でいいと思います。よく観察してみると、いつも何かを感じている私たちがここにいるはず。思考とは、<考え> なのですから、持っている価値観や自分なりの哲学と言えると思います。加えて、思考は多くの場合、感情をもとに起こるものだと思います。つまり、こちらもいつも変化するものと言えるでしょう。

目覚ましに起こされて起きたんだけど、昨晩寝付けなくて、眠いのに起きなくちゃいけない。
起きたはいいけど、頭がいたい。
今日は午後から友達と約束があったんだ。疲れてるし面倒だな。月曜日までの課題本もまだ読み終わってないのに。
でも断れないし。
あー雨が降ってきた。ますます憂鬱。
待ち合わせ場所に着いたところで友達がドタキャン。残業が終わらないって。せっかく頑張って来たのに、もうこの世の中どうなってるのよ。。

こんな風に何もかもがうまくいかない日を誰でも一度は経験していると思います。全部うまくいかないことを、こんな日もあるさって片付けることもできますが、ちょっと紐解いてみると。。。

朝の出だしがうまくいっていないですよね。1日の始まりがこんな風だと、その時点で、マイナスのムードを抱え込んだまま活動を開始してしまうことがありませんか?

例えば、起きるの嫌だな。。。の感情に巻き込まれてしまうと、その自分をどうするかという発想の転換ができないですが、眠くて起きるのが嫌ならば、あと10分でも5分でも3分でも、寝てあげればいいでしょう?

痛いという感情に巻き込まれると、これもうまくいかないでしょうけれど、頭がいないのならば、薬や何か他のものを利用して頭痛が軽減するようにしてみるといいんですよね。

約束を断れない理由を作って自分に無理をさせたり億劫と思う自分を責めたりるとますますネガティブになりますが、本当に疲れていて、または気が乗らないとかその他の理由でも、正直に断ればいいですよね。

ネガティブな感情の中にいると、何の害もない雨ですら恨めしく思えてきますが、雨が降ってるなら傘を使えばいいでですよね。

そして最後に、友達が残業でドタキャン。もう、世の中全てが間違つているような感覚にさえなってきますが、残業という現実的な理由がそこにあるのですから仕方がないですよね。

こうして考えてみると、日常の出来事は単に、今そこで起きている、または起きた出来事であって、私たちはその出来事に沿って自分を動かせばいいという、とってもシンプルなものだと思うのです。本当にシンプルでしょう?それはまるで、トカゲやアリんこが壁や石や何かの障害物にぶつかって、迷いもためらいもなく即座に道を変えて進み続けるくらいの単純なものだと思うのです。(何だか、トカゲとかありとか、おかしいですねぇ。笑)



ということで、このようにとっても単純な <出来事> に速やかに対応出来るように練習してみませんか?きっと、物事って自分が思っているほど複雑でも難しいものでもなかった、ということに気づく日があると思います。

感情と思考を分ける技術を高めるものの一つが、瞑想です。瞑想というとなんだか、例えば座禅を組んでじっと座っているお坊さんのイメージが浮かんだり、普通の世界とは違うことをするようなハードルの高さを感じたりするかもしれませんが、瞑想とは、呼吸を整え、心を穏やかにし、脳を休めることで、ストレスやストレスを感じる度合いが減少し、自分の小さな感情に気付きやすくなったり、切り替えが上手にできるようになる、便利な道具なのです。(一文がちょっと長かったですか?笑)きになる方はリサーチ結果を探してみると、瞑想後の脳細胞や内臓機能の変化など、科学的な根拠も確認することができますよ^^。

実は、私はこの二ヶ月、座って行う2分瞑想1日6回という瞑想法を楽しんでいるんです。
方法は簡単。2分間の瞑想を1日6回するのです。どんなに忙しい方でも、2分という時間を作るのはそんなに難しくないでしょう? 私の場合はまず朝起きた時と寝る前。その二つを挟んで日中に4回、例えば車の中やシャワールームなど。場所はどこでも構わないですし、2分なんて本当にあっという間ですよ!時には姿勢を整えているだけでも過ぎてしまうんです。それでは瞑想したことにならないじゃないかという方もいるかもしれませんが、まずは瞑想しようと姿勢を整えてみた自分がまず素晴らしいではないですか。それに、せっかく姿勢を整えたのだから、続きをしてみたくなるのも自然なことです。

さらに、世の中には音楽を利用したり日記を書いたりと、いろいろな種類の瞑想がありますから自分の気に入ったものを利用して、取り組んでみることをお勧めします。そして、必ずメモを残すこと。私の場合、それは日々成長している自分を体感する大切な道具になっています。読んでくださったみなさんも、一度試してみませんか?そして何か感じられたことがあったらぜひ私にも聞かせてください。

この時期、カリフォルニアは気候が安定せず、とっても暑い日の日が沈むと、とっても寒くなったりします。日本のこの時期も同じですよね。皆様、お身体大切に^^
Mamo


2017年06月23日(金) 10分ケア

あらあらあら。。。あれこれしている間に一ヶ月があっという間に過ぎています。時の経つのは本当に早いですね。
そして、今日はしばらくぶりにこちらへやってきたにもかかわらず、ほんの少し書いておきたいな、と思うことをのコズのみの日記です。内容は以下:

みなさんが御住まいの地域の気候は最近いかがですか?私の暮らすカリフォルニアは数週間とても暑い日が続いています。日本に比べると湿度が低いので過ごしやすいのですが、湿度が低い分、体から出て行く水分が多いことに気づきにくいので、水分を取るのを忘れるとあっという間に疲れが出てきます。

疲れに気づいた時、私はできるだけ、少しでも横になります。しばらく目を閉じて瞑想をします。しばらく深く長く呼吸をして、手足の先まで体が温まってきたのを感じられたら、自分の両手をお腹に当ててみます。ここで自分の持っているエネルギーを感じることができます。しばらくしたら、両手を上にずらして、腎臓や膵臓、消化器官に当たる部分を少し時間をかけて触っていきます。左右のどちらかの手一つを後ろへ回して臓器をサンドイッチするようにします。

こんな風にしていると、疲れている部分を自分で感じられることがあります。場所がわかったら、その場所にしばらく手を当てて呼吸を送り届けることを繰り返します。こんな風にして、大抵は10分くらい、短い時で5分くらいの時間を使って体に意識を向けてあげます。そして、10分後にはかなりの確率でエネルギーを取り戻した動きの軽い自分になることができます。

このようなことを試してみたことがありますか?もしあなたが、私と同じような経験者でしたら、もしよかったら、お話を聞かせてください。


2017年05月29日(月) 消費と休息

人間の体は素晴らしいということをどれくらいの人が毎日感じているでしょうか?例えば私は、今こうしてタイピングするという作業の際にも、何千という小さな小さな細胞がこの動きを担ってくれているということを、そのつど意識することなど殆どありません。

そんな私ですが、最近、解剖学を学ぶ中で、私たちの身体はすべての動作において、必要最小限の細胞を使うようになっている、という事実を知りました。例えば、腕を曲げて何かを持ち上げた時、しばらく後に腕がプルプル震えてくることはどなたにも経験があることだと思います。この、腕が震え始めた瞬間、体内ではそれまで腕を持ち上げていた細胞がエネルギーを使い切った後その役目を終えようとしており、そのすぐそばで別の細胞が役割交代しようとして動いているのだと。また、ある動作が繰り返し行われることで、脳はその動きに必要なエネルギー量を計算し、どの部分をどのように使うかを探し出すそうです。長年続けていることの中には無意識に出来てしまう理由はここから来ているのでしょうか。

こんなことを考えていて、心の状態も同じだなと思いました。どういうことかといいますと、私たちの心も、エネルギー消費ということに関しては最小限の範囲で行うようになっているのではないかと。このように捉えると、例えば日本で社会現象とも言える、引きこもりや不登校、出社恐怖症と言われている人々は、消費しきったエネルギーを充填する必要があって、社会から離れているのだと。

私たちはコミュニケーションを取る生き物として生まれているせいか、世間ではとかく社会と関わりを持っていない状況を不安に思ったり、周囲から何かしらネガティブなイメージを持たれがちですが、ガソリンが無くなった車はガソリンを補充してもらうまで動けないように、ガス欠になってしまった心もエネルギーが満たされるまで、安全な場所で過ごす必要があると思うのです。その環境がたっぷりの愛とやさしさで満たされていれば、その回復が早いことは一目瞭然です。

そんなわけで、改めて人間の体はすごいな、と感心している今日この頃♥


2017年05月26日(金) 生きるという継続力

継続は力なりと言いますし、どんなことでも続けていればそれなりに成長するので面白いものです。しかし、続けることは時には難しいですよね。この忙しい時代、目の前にある問題や興味そそられることについつい時間を消費して一日を終えてしまうものです。そういう私も、もともと三日坊主です。少しずつでも続けるために、続けたいことを大きな紙に書いて目に留まる場所に貼り付けるのは私の習慣ですし、毎年初めの<今年の抱負>の中には必ず、三日坊主を4日坊主にする、という言葉を入れます。笑 結構効果がありますよ^^

そして、そんな私の中にも、またはその他の、自分は物事を続けられない大人だと思っていらっしゃる方にとっても、生まれた瞬間から今の今まで、どんなときも途切れることなく続けられていることがあるんですよね。それは、息をするということ。もっと素敵な言い方をすると、自分を生きるということだと思います。

どんなに細くても小さくても、息をしている間、私達は生きている。生きて一秒先へと進んでいる。
現在の生き方が気に入っているかどうかはさておいて、私達は、生きるということを途切れることなく続けているのです。
なんて素敵な継続力だと思います。この継続力がより良い方向へ伸びていきますように^^


2017年05月25日(木) 悲しみを感じたら

人と関わっていると、時々不快になったり悲しい思いをすることがありませんか? 特に仕事をしていると、職場においてはその頻度が高いのではないかと思います。例えば私の場合、先日、職場で男性上司と電話で話をしているときに上司が他者の命を軽視していると受け取れる言葉を口にするという出来事がありました。私は予期せず飛び込んできたその言葉に戸惑い、返す言葉がありませんでしたから、沈黙の数秒が過ぎました。上司の使った単語を書いて表すのは控えさせていただきますが、ここに書くからにはそれなりに過激な言葉であったと想像して頂けるとうれしいのですが、このように、上司の言葉に傷ついたり戸惑ったりするケースは世界各国で起きることだと思います。

その後の経過は省略させていただきますが、私は当初、受け入れられない物事に対して沈黙という形で抵抗した自分を評価し、仕事を終えて自宅に戻った後には、すっかりその出来事を忘れていたのです。ところが。。。

それから数日後、その時の様子を同僚に話していたときのこと、しだいに胸のあたりが重たーくなり悲しみが沸き起こってきたのです。あれれ?と不思議に思いませんか?上司と会話をした当初は、私はただ予期せぬ状況に戸惑っていたのみなのに、数日後の私は戸惑いに加えて悲しみも感じているのです。何だか変でしょう?私の中で何が起きたのでしょうか。

実は、悲しみという感情が加わった理由は単純です。悲しみの直接の原因は上司ではありません。上司の言葉は私の心の扉を開く引き金にしか過ぎないのです。つまり、大人の私は、上司の言葉を聞いて、うんと昔の子どもの頃に家庭内で日常的に聞かされていた大人同士のネガティブな会話を思い出し、それに伴う子ども時代の悲しみに巻き込まれたのです。もっと簡単に言うと、大人の私が自分の潜在意識の中にいる傷ついたチャイルドに巻き込まれる、という現象が私の中で起きていたのです。

大人の私はチャイルドに巻き込まれていても、子ども時代と違って、感じている悲しみを隠したり、感覚つまり感じる度合いをコントロールしたりすることが出来ますから、子ども時代のように気が済むまで泣いたりしきりに誰かに訴えたりはしません。別の言い方をしますと、大人の私は悲しみに巻き込まれた自分を抑圧することが出来るのです。無意識に。しかし、そんな自分をよーく観察してみると、どこかしら活気がなく、私自身の好奇心がここ数日、幾らか小さくなっていたことに気が付くのです。

いつでも同じことですが、気付きは変化のきっかけですから、私はすぐにトラウマを癒やす作業をし、今は、いつものように晴れやかな心でここに座っています。どなたか他の皆さんにも同じような経験はあるかな、と思いながら。

自分観察は何よりも面白い遊びの1つです。もしよかったら、あなたの体験を聞かせていただけませんか?
貼付の写真、ピントが合っていないんですが、気に入っているので載せちゃいました♥




2017年05月14日(日) 本質

先日ヨガを通じてお友達になった女性とランチをしていたときのこと。話題がつい最近の北朝鮮から日本海に向けた放たれた不発弾ミサイルの話になりました。ただ、私たちの会話は、それが恐怖であるとかこれから日本はどうなるのかとか(これは最も大切なことではありますが)ではありませんでした。それは、この不発弾ミサイル騒動を通して思う、誰がどこでこの地球を支配しているのか、ということだったのです。

彼女と私の意見は大方一致しており、つまり、北朝鮮の不発弾ミサイルは計画的に不発で終わっているのではないか。背景にはここ数ヶ月の、某国大統領の分別のない行動から世界の人々の関心を紛らわせるという目的があるのではないか。北朝鮮はいつも、ミサイルを不発で終わらせているのは、どこからかそのような支持を受けて行っているのではないか。そうでなければ、なぜあの国が不発弾ミサイルをいくつも出し、莫大な資金を無駄にしながら、それらを作った国民を大々的に処罰したという情報が世界に流れないのか。などなど。。。

私たちの会話はあくまで憶測にしか過ぎないので、これを読んでいるどなたにとっても本気で受け取っていただくことは危険ですが、少なくとも、それが正しいかどうかわからないとしても、私たちの憶測が間違っていたとしても、このようにして世の中で起きていることを鵜呑みにするのではなく、そのもう一つ奥を読んでいくと、それだけで、なんだか楽しいですし、私たちはただ漠然と生きているのではなく、自分の意志で、この地球上で生きているのだ、という気持ちになれるので不思議です。

皆さんはこんなふうに思うことがありますか?



2017年05月05日(金) 全米ヨガアライアンス資格取得のご報告

今日は私事を書きたいと思います。
今年の初めから取り組んでいた全米ヨガアライアンス資格試験に、この度無事に合格しました。試験は三つの内容で行われ、それらは解剖、ヨガポーズの名前やヨガ哲学に度々出てくるサンスクリット語、それに、実際に生徒さんにレクチャーするというものです。時間を要したのはやはり英語です。英語さえできていれば、だいたいは時間を作って工夫しさえすればなんとかなりましたが、クラスでのレクチャー用の練習はなかなか進展を感じられませんでした。

しかし、それでも、これまで日本語でクラスを持ってきた経験を自分の能力として利用し、練習を続けていたので、試験の日にはそれなりに出来るようになっていて、自分でも少しびっくりしました。しかし後で思い返してみると、試験中の私は、生徒さんにレクチャーしているというよりは、自分で自分の声を聴いている感覚で楽しんでいたのです。きっと、自然に、自分で聴いて心地の良い声を試験レッスンの中でも使えていたのだと思います。

モチベーションを維持するのに役立ったのがクラスメイトの存在でした。私の亀さん英語に合わせてくれましたし、出来るだけ理解しようと耳を傾けてくれました。そしてもちろん、私に必要なことは丁寧に伝えてもらえたと思っています。それから皆が常にオープンでともに学ぶという視線と思いを持っていたことが大きいと思っています。

ということで、この度1つのステップを踏みだせたことをここに報告します。今後の予定は未定ですが、現在ヨガインストラクターとして、気持ちに寄り添って心地よく活動自分を見ていると、自分はこれからも、この世界を広げていくのだろうという気がしています。そして、もちろんここに心が寄り添うことは言うまでもなく、心を大切にしつつ、ヨガを生きていく技の1つとして活用し、これからも成長していく私です。ということで、みなさんいつも。。。。

ありがとうございます♥
Thank you so much♥
Cam on♥
Namaste♥


2017年04月24日(月) 瞑想するきっかけの作り方

世の中には瞑想する/自分を見つめる方法が色々とあります。音楽、散歩、日記をつける、自然の中に出かける。他には、食べることやテレビを見ることさえも、瞑想を始めるタイミングとして利用できるでしょう。利用するものがなんであっても、意識を一点に集中させることが出来るようになれば、こんな素敵なことはありません。大切なのは自分を見つめる時間を作る、ということなのですから。

少し、私の経験をお話すると、私はそれらの物を利用して自分を見つめ続けた結果、ある時から自分の呼吸の音に惹かれ始めたのです。自分の内側から聞こえてくるその音は、その他のどれよりも、より私に近く、つまりそれは私自身であり、他のどの音よりも自分を実感できたのです。それはまさに、生きていることを実感できる瞬間でもありますし、正しい呼吸法には他にも利点がありますから、瞑想/自分を見つめるのによい環境を作ることが出来ました。

そして、私という人間は心身ともに常に変化していますから、その時の状況や感覚で、音楽で自分を集中させたいと思ったり、料理をしながら瞑想したいと思ったり。良いことを発見したのだから必ずそうでなければならない、ということもなく、今ここにあるものを利用して、自分を見つめています。

みなさんはどのようにして自分を見つめる時間を作っていますか?よかったら、聞かせてください。


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