I小学校への派遣指導が終わりました。 今回も、安心してひとり立ちを見送ることができました。日本に来て約半年、小二のSちゃんは、生き生きと学校生活を謳歌しています。 最初はとても不安そうで、家庭の事情でお母さんと離れて暮らしていた長い歳月を埋めるのは、とても容易なこととは思えませんでした。 ところが、子どもがもっている「未来へのエネルギ-」は、驚くべき速度で新しい状況を「生成」していきました。 Sちゃんは、もしかしたら特に適応力がある子だったのかもしれません。いずれにせよ、教室に来て、みるみる元気で明るくなって行く様子、学校へ通うようになってからも、ちょっとしたいざこざも経験しながら仲の良いお友達ができていく様子を、これまで他の子にも見てきた様に、今回も見守ることができました。 子どものやり場のない不安定な様子を見るのは心が痛みます。眠っている「自分のためのエネルギー」が早く発揮できればといつも願います。 そんな私達に、今回Sちゃんは大きなふたつのことで応えてくれました。 来日してまだ半年なのに<日本語でスピーチ>に参加し、「日本の学校は大好きです!」と元気に発表したこと(このことで、全校生徒の前で校長先生から表彰されました!)。指導最後の日に、「先生、あとで見て!」と作文を書いた紙をニッコリ笑って渡してくれたこと。 初めて書いた「運動会」の作文でしたが、「おかげさまで、私はここまでになりました!」と言っているようで、スピーチでの"ことば"も含めて、こんな配慮ができるSちゃんは、私達の心も見通せるのかもしれません。
ご無沙汰しました。 教室の方は、順調に動いています。 現在、生徒は9人。中国人4人、フィリピン人4人、ドイツ学園に通っている子が1人です。 1〜2年前からフィリピン人が増えました。 中国人とは違って、ひらがな、カタカナに加え、漢字も0からのスタートです。 学校の授業に不自由しないほどの漢字を身に着けることは大変ですが、みな興味を持って習いはじめます。 新しいことを学ぶ喜びを失なわない様に指導できたらと思っています。
2006年06月22日(木) |
2006年の教室風景は? |
みなさん、お元気で活躍のことと思います。 教室風景、活動報告など、どうぞ、ここに書き込んでください。
小中学校に行っている子ども達のことを児童生徒といいますが、世の中、児童福祉と言うことばはあるけれど生徒福祉はありません(児童生徒福祉はありますが)。 児童は放課後、大人の保護下で居場所が保障されます(学童保育等で)が、中学生が学校外で自分を出せる公的に保障された場はなかなかないようです。中学生への福祉の実態があまり見えてきません。
そんな日本の状況下、外国からきた中学生はどうしているのでしょう。 ぐるりっとに来ている中学生の何人かは(ほとんどが中国出身ですが)、こちらが感心するほど、勉強に熱心です。自分の意思で学業に真剣に取り組んでいます。他に選択の余地がないというのも理由でしょうが、年齢相応にやるべきことをやるとしたら、やはり「お勉強」というのが当然の考え方なのです。 将来、中国では、こういう子ども達が国を支える人材となるのです・・。 日本という地で、我々はそのお手伝いをしているのだと、時々考えることがあります。頭でっかちではない、余裕のある魅力的な人間になってもらいたいと思います。 でも、そんな心配は無用と最近分かりました。彼らは気づいていました。 日本の、生徒が自主的に取り組める楽しい授業の良さ(「ゆとりの教育」の成果?)も理解した上で、中国の高い学力をできるだけ維持しようとしているのです。 まだそこまで気づいていない子もいますが、ぐるりっとに来ている中学生達の将来が楽しみです。みんなみんな「花の中学生(!)」なんですから。
2004年07月20日(火) |
3歳から18歳まで T |
今、ぐるりっとの教室には3歳と18歳の生徒がいます。 「あれ〜、小中学生のための日本語教室じゃなかったの?」というご質問の声が聞こえてきそうです。「はい、そうなんですけど・・。気が付いたらこうなっていました。」 3歳はフィリピンの女の子で、他のフィリピン3兄妹の中の5歳の女の子と一緒なら見られるかな・・、18歳は中国の男子で10月から学生ビザで日本語学校へ行くまでの3ヶ月間という条件なら・・ということでそれぞれお引き受けしたのでした。 もちろん、他にちゃんと(?!)と小中学生もいますから、指導スタッフはその分忙しく奮闘しています。報酬も夏休みもほとんどなし。でも、嫌な顔をする人はいません。生徒達と親御さん達が本当に心から喜んで下さっているのを知っているからです。 それに3歳から18歳までの日本語習得の様子を同時に見ることができるのです。この対比が中々おもしろいのです。有能で好奇心旺盛な研究者だったらよだれが出るような状況かもしれません。 それはともかく、3歳のJちゃんが最初に教室に来た日、愛らしい笑顔で何度も何度も「アリガト!アリガト!」と言って帰って行ったのが印象的でした。
ぐるりっとの新しい試みとして、この4月から学校への派遣指導を始めました。通常は個人1人が学校に出向いて日本語指導をするのですが、ぐるりっとの場合は複数が交代で1人の生徒を見るというもの。 ある小学校の校長先生がこの方法を絶賛(!?)してくださいました。「1人の子どもに3人(この子の場合)の大人が付くなんて何と贅沢な(!)。おかげでとても人(特に日本人)に慣れている(!)。しかも、指導者が一人のように連携がきちんと取れている(!)」と。 前二者はそのはずです。モンゴルから来た1年生のB君は、入学する前に1ヶ月ほどぐるりっとの教室に通い、自分と同じ仲間と出会い「友達(の付き合い方?)慣れ」「クラス(風?)慣れ」「日本人(のおばさん・お姉さん)慣れ」しているのです。これは、現在中学校へ行っている中国出身のS君の場合も同じことがいえます。 本人達はそれなりの覚悟で新しい環境に臨んでいるようで、それを確認しさらにサポートできるのもこちらとしては安心できて嬉しい事です。学校に出向いても互いに旧知の仲なので和やかに授業が進みます。先生方は皆さん「お陰で、指導がとても楽です」と言ってくださいます。 今のところ良い事尽くめで、これを「ぐるりっと方式」としてきちんと確立し、多くの方々に紹介できたらと思っているところです。
Y2さんは、上海出身の中一の女の子。ぐるりっとの教室で3ヶ月間日本語を学び、その後一旦上海に戻り一年後の去年の6月に再来日しました。現在大田区の中学校に通いながら週に一度来ています。 彼女は自分で学習パターンを組み立てることができます。今教室でやっている「国語学習」も何をどんな風にやりたいか自分から提案してきました。 通級し始めて半年、この学年末テストではクラスで最高の87点をマークしました。「すごいね!Yさん!」というスタッフのことばに、「たまたま見て行ったところが出たんです」といたって控えめな返答。 試験のために特別に何かをしたというよりは、日頃からこつこつ取り組んでいたことが実を結んだのです。「だからこそスゴイ!」 今、彼女を担当しているH先生共々最初に関わった者としても誇らしい気持ちです。でもこれを教える側の成果とするよりは、Yさんの資質と努力に由るとした方が妥当でしょう。 そうはいっても、一つの成功例として今後の「国語指導」の道が少し開けたような気にもなっています。 「国語の壁」って実際のところ何なのか・・改めて考えさせられています。
2004年01月10日(土) |
さようならR君とYちゃん T |
昨年、12月最後の授業の後でパーティーをしました。 中1のR君と小2のYちゃんに取って,教室最後の日でした。二人には、中国から来たことと家が中華料理店を経営しているという共通点があります。 R君は、親が出店のため遠くへ引越したのでもう教室に来られなくなりました。これから家の手伝いもしながら新しい中学校に通います。茶目っ気があってよく気が利く彼は、来た時はすでに片言の日本語を話しました。中国語話者によく見られる例の「助詞脱落」の日本語です。 一方、Yちゃんはゼロからのスタートでしたが、活発な性格もあってか周りの誰もが驚くほどの吸収力を発揮しました。自他ともに納得しての「送り出し」です。 二人が来ると、教室はいつも明るくにぎやかになりました。どちらも、話し出すと助詞がおかしくなる癖は残っていますが、自分を出す術だけはかなり(!)身に付けたのではないかと思います。 「二人とも元気でまた遊びに来てね!」 去年4月に送り出したK君が、ちょっと大人っぽくなって弟と一緒に今回顔を出してくれたみたいに・・・(!)
2003年11月01日(土) |
「分」を弁えた子ども達 T |
教室に来ている(来ていた)子ども達を見ていて感じること。 全体的に「素朴で子どもらしい」ということです。その中に「子どもの分を弁えている」面があり、逆に「大人っぽさ」を感じることがあります。 学校の担任の先生との話でも、こうした話題が上ります。 「素朴でまじめ」「進んで仕事をする」「礼儀正しい」「何十年か前の日本の子どもを見ているよう」等々。 これは、国の事情や社会状況の違いからくる大人の「教育への姿勢」の違いの結果でもあるように思います。もっと巨視的には、あるいは(もはや?)文化の違いからくる価値観の違いともいえるのでしょうか。 中国から来た14歳のR君が言っていました。「日本の大人はみんな優しい、怒らない」。この優しさが日本の文化的価値観の一部であるとしても、現在果たしてこれが教育の場に生かされているでしょうか。
子ども達が既にもっている良い面が、日本に来て崩れてしまうことのないようにせめてしたいものです。 「優しさ」が彼らをむやみに甘やかし、「分」を見失わせてしまっては何とも申し訳ない話ですから・・。
2学期が始まりました。 ”ぐるりっと”の教室からは、「帰国した子」「学校に通い始めた子」「在籍校に戻った子」の三通りの子ども達がみられます。 今回は、「帰国した子」以外は、ほとんどの子が教室に残っています。正確には、「午前中勉強して午後から学校に戻っている」のですが。
学校教育を主体としながらこういう教室形態を築き維持していくためには、いうまでもないことですが、本人、保護者、学校、行政からの「要望/容認」ということが必要です。いずれかが抜け落ちてもいけません。理想は五位一体なのですが、当面は日本語教室(日本語指導)により比重がかかることになります。 そう考えると責任は重大です。でも「子どもの立場にたって」を基本に考えれば、道は少なからず開けて来るように思います。
その子にとってより良い(と思える)ことは何なのか、しかもその時孤立して考えるのではなく、できるだけ大勢の人が当事者として話せることが、より良い「言語環境」を築く第一歩に繋がるのではないでしょうか。 どんなりっぱなカリキュラムもメソッドも、この「言語環境」なくして有効の日の目をみることは難しいように思います。 わずかながら、そうした手応えが感じられる2003年の2学期です。
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