DiaryINDEX過去の日記
2018年06月22日(金) 私の指導方針

私が空手の指導で収入を得て生活するようになります22年になります。初めは指導員として給料を頂いていましたが、自分の道場を出してから15年は空手の指導で道場を経営し、おかげさまで今はその収入で家族を養っています。なので私の1番の仕事は空手の指導をする事です。でもだからそこ私は一生求道者であり挑戦者でありたいと思っています。毎日一生懸命に稽古し空手道を追求し、新たな事に挑戦する中で感じた事や発見した事や気付いた事を生徒達に指導して行きたいと思います。自分の稽古する姿勢で生徒を導いて行きたいと思います。そして子供達には空手を教えるだけではなく教育者でいたいと思います。空手の先生の良いところは、子供達に毎日会うわけではないけれど、子供達と長く付き合う事が出来ます。出来れば生徒と一生付き合える先生になりたいと思います。子供達がいつか大人になった時に一緒に酒を飲める先生を目指したいと思います。


2018年06月21日(木) 書きたい事

毎日一生懸命生きる事を毎日の目標にして活動しています。この日記を書く事もそうです。一生懸命に何かを学んだり、何かを一生懸命に頑張っていれば、いろんな事を感じたり、いろんな事を考えたりします。そうすればこの日記にも書きたい事がどんどん出てくるはずと思って活動しています。何も書きたい事が思い浮かばなくなってしまわないように毎日を頑張りたいと思います。


2018年06月20日(水) 七夕の願い事

雑色道場があるコミュニティーセンターにある竹に七夕の短冊に願い事が書いてあります。私の長男の願い事は「世界一強よい人になれますように」で、次男の願い事は「ウルトラマンになれますように」でした。面白いもので2人の願い事は、私の子供の頃の願い事と同じものでした。私の願い事は2人の願いが叶いますようにです。私は基本的に自分の事で願い事はしません。それは願い事は自分の力で叶えるしかない事を今までの人生で学んだからです。だから私は願い事はありませんが、夢や目標は沢山あります。それを必ず自分の努力で掴んで見せます。


2018年06月19日(火) 次男の言葉

次男が「サン」と言えるようになりました。今までは「サン」を「タン」と言っていました。自分の事は今でも「真白」を「マチロ」と言います。幼稚園の事は「ヨーチェン」と言います。長男も3歳ぐらいの頃は「てんとう虫」を「トントンシー」と言っていました。次男も来年ぐらいには言葉がしっかりしてくるの思いますが、それも少し寂しい気持ちもします。もう少し小っちゃい可愛い真白でいて欲しい気もします。子供達と一緒にいる貴重な時間を大切にしたいと思います。


2018年06月18日(月) 私の尊敬する人

最近、私の父の事を書いていますが、私の父はなかなか壮絶な人生を歩んだ人なので、いろんなエピソードがあります。もちろん私の1番尊敬している人は父です。ですが、ずっとそうだった訳ではありません。父を嫌いだった時期もありましたし、私もそれなりの歳になり、いろんな人と出会い接する中で「父より偉い人なんていっぱいいるじゃないか」と自分はたいした事もしていないくせに、生意気にもそう思っていた時期もありました。でもそんな時期もあり一周して今は父を1番尊敬しています。父が私にしてくれた事を私は子供達にしてあげれるか分かりません。そのぐらいの事を私は父にしてもらいました。そして私も子供達が大人になりいろんな事を経験し、いろんな人を見た中で最終的に尊敬されている父親になりたいなと思います。


2018年06月17日(日) 長男の運動会

長男の通う小学校の運動会でした。この学校には私の道場に通っている子がたくさんいるので本当に楽しく見る事が出来ました。この歳になると涙脆くてダメです。子供達が一生懸命に走っているところやダンスしているところを見るとついつい涙腺が緩んでしまいます。特に長男がダンスをする前に私を見つけ、私に笑って手を振ってくれ楽しそうにダンスをしている姿を見た時はもう涙が止まらなくなりました。元気に育ってくれてありがとうと言う気持になりました。それと6年生の組体操がとても良かったです。あれだけのものを作るのは本当に大変だったのではと思います。前で指揮していた先生が泣いている姿を見て、私も感動しました。一つのものをみんなで一生懸命に作り上げれば感動が生まれるのだなと思いました。もしあの中に自分の子供がいたら私は号泣してしまったかもしれません。それと駆けっこで順位は1番最後でしたが一生懸命走っていた生徒を見た時も涙が出ました。一生懸命走って最後だったという事は自分より速い人達と走ったと言う事です。その中で最後まで一生懸命に走るという事は素晴らしい体験をしたんじゃないかなと思います。私の長男は駆けっこでは2位でした。私が思っていたより速く走れていてビックリしました。なかなかカッコよく走れていました。最後の高学年のリレーはカッコ良かったです!やはり高学年にもなると速いですね!あの中にもし自分の子供がいたら親としては興奮するんだろうなと思いました。家に帰ってから長男と「高学年のリレー、カッコ良かったね!リレーの選手を目指そう!」と話しました。私は1度もリレーの選手になった事は無いので、長男がリレーの選手になるのはなかなか大変だと思います。でも頑張れば不可能ではないと思います。


2018年06月16日(土) 親睦会

今日は道場の親睦会でした。道場生やご父兄様といろんな話が出来て嬉しかったです。特にご父兄様とは子供達の今の状況や家での生活の事や空手に対する取り組み方などいろんな話が出来ました。子供達の将来は、その子に関わった人でその子の将来が決まると思います。もちろん友達や恋人なども大きな影響を与えると思います。でもやはりその子供の土台は小さいうちに子供達に関わる大人の影響で決まると思います。これは私の考えですが、子供達がいろんな大人に関わる事が大切なんじゃないかなと思います。そして出来ることならその子に関わる大人がみんなで手を組んでその子を良い方向に導いてあげたら、子供達は良い成長をしてくれると思います。いろんな役目の大人がいて良いのだと思います。その子を励ます人、厳しくする人、優しくする人、逃がす人、食い止める人、いろんな正解があって良いと思います。でもみんながあまりにバラバラだと子供は都合の良い方に逃げて行きますし、都合の良い話しか聞かなくなってしまうので、ある程度の共通認識を持ってその子に接する事が必要だと思います。そこでやはり中心になるのはお母さんなのかなと思います。お母さんは子供に1番接する人なので良く子供を理解していると思います。なのでお母さんが、お父さんや学校の先生や習い事の先生とコミニケーションを取ってその人達に出来ることを話してその子に接して貰えばより良くなるのではと思います。私も道場の子供達とは一生付き合って行くという気持でいます。子供達の為になるのならどんどん私を利用して欲しいと思います。


2018年06月15日(金) 父と私と息子達の生き方

私の父は中卒ですが自分の力一代で東北電工の協力店となる光電工という会社を設立しました。私は小さい頃は父は高卒だと聞かされていました。何かのキッカケで実は父は中卒だった事を知りましたが、私はそれを知り逆に父をさらに尊敬するようになりました。学がなかった父は会社を設立するまで本当に苦労したと思います。ですが父は仕事は誰よりも早かったです。私は子供の頃から何度も父の手伝いに行っていたので、父が働いている姿はよく見ていました。父は誰よりも仕事が早く一生懸命でした。仕事に対して几帳面で繊細で従業員さんへの気遣いも行き届いていました。ですが怒る時は凄く怖かったです。父は仕事も喧嘩と一緒だと言っていました。私はそんな父の姿を見て人の上に立つ人間というのはこう言う人なんだろうなと思いました。これは母から聞いた話ですが、父は一つの仕事を請け負う際もその仕事はどの位の期間がかかり、旅館代、ガソリン代などの経費がいくらかかるか、従業員さんの給料を引いて、どの位のお金が会社に残るかを大卒で東北電工の社員になった人が計算した明細を見て、その場で頭で計算して訂正していたそうです。そして仕事が終わると父の計算が必ず正しかったそうです。私が父になぜそんな事ができるかを聞いたら、父は「長年働いていればそんな事は分かるんだよ」と言っていました。でも私は父の仕事を継ぎませんでした。それは私は父のようにはその仕事を出来ないと思ったのと、父の後を継いだら私は一生父には勝てないと思ったからです。そして何より自分の道を自分で決めたかったのです。父が一代で何かを築いたように私も自分で何かを築きたかったのです。菅野秀雄二世ではなく、初代菅野秀行になりたかったのです。そして両親はその私の我儘を許して私に沢山の力を貸してくれました。自分の行く道は自分で決めると啖呵を切ったくせに結局私は両親の力をたくさん借りて今を築く事ができました。だから私は息子達に自分の仕事を継がせる気持ちはありません。自分の行く道を自分で決めて欲しいと思いますし、私の父の孫で私の子供なので、必ず自分の行く道を自分で決めてくれると信じています。そして私が両親にして頂いたように、私も息子達の行く道に協力してあげたいと思います。


2018年06月14日(木) 進化して行きたい

45歳にもなると20代30代の頃には出来ていた事が、出来なくなって来てしまうという事が少しずつ増えていきます。20代から身体を動かしていなければ、それは45歳にもなればもちろんたくさんあるのでしょうが、私の場合はずっと継続して鍛えていますので、同じようにやっているのにだんだん出来なくなって来て、ついにはもう出来なくなってしまったという事が何個もあります。もちろんもう一度鍛え直し出来るようにしようと言うものもありますが、あまり無理をしては身体を壊してしまいます。そしてどう考えてももう一度出来るようになるのは無理というものもあります。なので最近は出来なくなった事にこだわらず、出来ていた事が出来なくなる事が増えていく分、新しい事を出来るようにして行こうと思っています。今まで出来ていた事は自分が得意な事や好きな事だったりしますが、この歳まで出来なかった事という事は自分があまり得意ではなかったり苦手だったり嫌いだったりした事で、自分が疎かにしたり目を背けてきた事なのだと思います。だからそのような事に目を向けて出来るようにしていけば、今の自分より成長出来るのでは無いかと思っています。もちろん自分の変化が退化であることもありますが、自分の変化が進化になるよう頑張って行きたいと思います。私は人間は何歳になっても進化して行けると思っています。


2018年06月13日(水) 理不尽を力に変えた父の人生

世の中というのは理不尽な事がたくさんあります。でも私はその理不尽があるから人間は強くなっていくのではないかと思います。今の時代は理不尽から子供を遠ざけたり、理不尽から子供を守りすぎてしまっているのではないかなと感じる事があります。もちろん理不尽な事が無い世の中があればそれは素晴らしいと思いますが、それは無理な事だと思います。世界レベル、国レベル、社会レベル、会社、学校、仲間同士、どんなレベルだろうと大小の問わず理不尽な事がたくさんあるのが世の中です。だから私はその理不尽を力にして成長出来る人になれば良いと思います。私の父は家が貧乏だったために様々な理不尽を経験してきました。私の父が小学生低学年の頃に、近道をする為に田んぼのあぜ道を歩いていると、大きな農家の田植えを手伝いお金を稼ぐ人達が10人ほどいて昼食におにぎりを食べていたそうです。小学生低学年の父が通りかかるとその中の1人が「あの子は菅野のとこの子供だ。家が貧乏だからおにぎりが欲しくて来たんだな、ほら食べろ」と言いおにぎりを出したそうです。父は本当はその近くにようがあったのですが、それが悔しくてそのおにぎりを受け取らずに、その道をずっと真っ直ぐ歩いて行ったそうです。なぜ真っ直ぐにずっと歩いて行ったかと言うとそれは悔しくて泣いている顔を誰にも見られたくなかったからだそうです。父はその時に将来絶対お金持ちになって美味しいものを食べる事が出来る人になろうと思ったそうです。そして父は一生懸命に働き会社を作り、お金を稼ぎ親孝行をしました。父は理不尽な世界を恨んだり、不満を言ったりせずにそれをパワーにして頑張ったのだと思います。その理不尽な事がもしなければ父の人生はまた違うものになっていたかも知れません。


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