DiaryINDEX過去の日記
2021年01月26日(火) 幸せ

長男がギターを習い始めました。土曜日に空手の稽古を3回稽古した後にギターを習いに行くのだからよほど好きなのだと思います。初めて練習した曲はマリーゴールドだったそうです。この前の練習で合格し次の曲はレモンを練習するそうです。ギターの先生に「頑張ったね!とても上手になったよ!」と褒められたそうです。長男もとても喜んでいました。勉強や空手では見せない長男の姿でした。頑張って好きな事をやって欲しいと思います。この世の中で1番の幸せは、自分の好きな事や自分が本気でやりたい事や生き甲斐を見つけて、それを一生懸命にやって行く事だと私は思っています。それを生業に出来るか?は分かりません。好きな事を生業に出来たらそれは素晴らしい事だと思います。でもそれを生業にしてお金持ちになりたいとか思ったら、それは諦めた方が良いかもしれません。好きな事を生業にして他で我慢して仕事をしている人よりお金を儲ける事はなかなか出来ません。お金持ちになれなくても好きな事をやって生きて行きたいと思う気概があるのならば、やって見たら良いと思います。これは私個人の意見ですが、アルバイトをしながらでも好きな事は生業に出来ます。今の日本なら何をしようと贅沢さえしなければ人間一人ご飯を食べていく事は出来ます。でもやはり裕福に暮らしたいと思うなら、好きな事を生業にするのは一旦諦めて、あくまでそれを趣味と割り切って、他の事でお金持ちになる方が良いです。おそらく40歳後半ぐらには経済的にも安定し、仕事の時間も自分で調節する事が出来ると思うので、その時にはまた趣味に没頭する時間を作れるのではないか?と思います。私は好きな事を生業として生きる事に決めて、今まで生きて来ました。そのせいでいつもギリギリの生活をしていました。23歳から内弟子となり給料は25歳まで5万円、27歳まで7万円、29歳まで18万円、29歳で自分で道場を出し始めの2年は家賃を払うので手一杯で午前中はバイトをしていました。やっと安心して暮らせるようになったのは34歳ぐらいからです。でも正直お金の心配は今でもあります。好きな事をやって生きているこんな僕と結婚してくれた妻には本当に感謝しています。子供達には申し訳ない気持ちもあります。でも私は好きな事で生きて行けて本当に幸せです。空手を始めてから32年間ずっと幸せです。お金がなくてもずっと幸せです。


2021年01月25日(月) 極真空手をやっていなければ

おかまで右膝の状態も日に日に良くなっています。道場生の皆さん、ご父兄の皆様には、あたたかい声をかけて頂いたり、お守りやお手紙や体に良い物や私の好きな物などたくさん頂きました。本当に本当に感謝しています。また極真会館に、そして極真会館を創立された大山倍達総裁に、松井章奎館長に、私を導いて下さった師範、先生、先輩に本当に感謝しております。私は人生の前半は、この社会の中で落ちこぼれでした。小さい頃は体が弱く虐められ、身体が強くなったら一を虐めるようになり、小学校では学校の馬鹿の代表で、中学に入ると何度も母が学校に呼び出されるような事をし、高校に入学し1カ月にも満たない時に退学になり、それまで人生で唯一真摯に頑張っていた水泳もやめる事になり、私の人生はある意味あの時にリセットされました。自分が生きている意味なんて一つも見つける事が出来なくなってしまいました。その後、仕事をしても何度も首にもなりました。私が学校を退学になった時に校長先生に言われた言葉が印象に残っています。「君は海の魚だから川では生きられないんだよ。学校は川という狭い世界だからね。君はそのその狭い世界の枠では生きられない人間なんだね。海という大きな広い世界で生きた方が良いよ。」たぶんおそらくこれは私の事を本当に思って言った言葉ではないと私は思います。学校の規律を守れない、学校では手に余る、学校には居られない間違いを起こした私を社会にほっぽり出す言葉だったと思います。でも今では感謝しています。そのおかげで極真空手と出会えました。そして学校や仕事では落ちこぼれだった私が何故か道場では、師範や先生や先輩に目をかけて頂き可愛がられ重宝される人間になりました。自分のやりたい事を見つければ人生は変わるし、自分の生きる世界で自分の価値だって変えられるのではないかと私は思います。極真空手をやっていなければ、私がこんなに人生が楽しくなる事はなかったと思います。


2021年01月24日(日) 休日

次男と2人で床屋に行き髪を切りました。次男も私と同じツーブロックにしたいと言い、私と同じツーブロックにしました。帰りにインド料理屋でカレーとナンを買って帰り、みんなで昼食にカレーとナンを食べました。そのあとはテレビを見たりとダラダラと1日を過ごしました。


2021年01月23日(土) 読書

中村文則作品の「最後の命」を読みました。中村文則の作品はどれを読んでも良いのですが、この作品もとても好きになりました。人間というものについて、人間の命について、生きるという事について、罪と罰について、などいろいろと考えさせられる作品でした。私は好きな作品は何度も読むのですが、その読んだ時々で感じ方が変わるので面白いものです。この作品もいつかまた読みたいと思います。読書の良い所は、読むスピードと言うか、進む時間を自分で決める事が出来るところだと思います。映画だと2時間30分なら、2時間30分のスピードで映画が進んで行くので、物語の進むスピードを自分で決める事が出来ません。そしてその一場面にいろんな情報が入っていて、主人公の顔の表情などでいろんな事を理解しなければいけなかったりもします。そしてもう一つ読書の良い所は自分で情景などを想像してストーリーを進める事が出来る所です。読書は好きな時に好きな場所でゆっくりと自分のスピードで読無事ができ、休みたい時には休む事が出来ます。理解出来なければ少し前に戻って読み返す事だって出来ます。自分のスピードで理解していく事が出来るので読書は本当にお勧めです。


2021年01月22日(金) 肉体改造上手くいかず

1月4日からお酒を止めて肉体改造をしています。手術をした事でなかなか身体が動かせないので、体重も上手く落ちていきません。昨日からやっと入浴ができるようになり、入浴後に体重を計ったら94キロでした。目標は80キロなので、まだまだ道程は遠いですが、頑張りたいと思います。4月1日には80キロになっていたいと思います。


2021年01月21日(木) 環境

私の人生が劇的に変わったのは、20歳で東京に来た時でした。もちろん17歳で極真空手を始めた時も、それまでの自分とは大きく変わった時だったのですが、どうしても地元にいると夜は友達と遊んでしまったりお酒を飲みに行ってしまったりという事がたくさんありました。そのために稽古をサボってしまう事もたくさんありました。でも東京に来てからは「自分は空手をしに東京へ来たんだ」という思いから、空手の稽古なりトレーニングをしなかった日は意味の無い1日と思い頑張れるようになりました。また道場にも自分と同じように空手をするために上京して来た仲間がたくさんいたので、その仲間と一緒に頑張れた事も良かったと思います。そう考えると環境と言うものは大事だなと思います。


2021年01月20日(水) 私は空手家

私が今まで得た知識と言うものは、空手家として成長するために得たもので、別に物知りになりたくてでも、ましてやその知識をひけらかして自分を賢く見せるためでもありません。では何故、もともと勉強が嫌いな私がたくさん本を読んだりして知識を身に付けたのか?私の生きるベクトルの方向は空手家として成長する事に向いています。若い頃は私のそばにいつも先生がいて私を指導して導いてくれました。私はその指導を信じて付いて行くだけでした。ですが29歳で先生の元を離れて1人になってからは自分で考えて稽古をするようになりました。その中で無駄な事もしましたし、間違った方法で稽古していた事もありました。その時に学んだ1番の事は努力も仕方によっては無駄になってしまうという事でした。それは言ってみれば、東京から大阪に行きたいのに北に向かって一生懸命に走っているという事です。また大阪に向かったとしても飛行機や新幹線があるのにひたすらに走っている、または時刻表を調べずに家を出たため時間を大幅にロスしたり、迷って目的地に着けない、でももし知識があり正しい情報があれば、最小の努力で最短でそこに着く事が出来ます。そのために知識が必要なのだと思ったのです。ですが知識があるからなんだと言う事もあります。知識があってもその知識を実践の中で試し活かして自分が成長して行かなければ、その知識も無駄なものとなってしまいます。それこそただ空手の知識やウンチクが多いだけの頭デッカチの物知りの空手オタクになってしまい、人からウザがられてしまうでしょう。だから知識は自分の成長のために使い、また出来たらその知識を人のために活かせれば良いと思います。私は空手オタクになるつもりも、空手を教えてお金を稼ぐだけの空手屋さんになるつもりもありません。あくまで空手家です。自分が人間としても空手家としても成長したいから空手をしています。空手の稽古をする時間を作りたいし、せっかく自分が学びを得たのだから、それを人に教えて人の役に立てて社会に貢献出来たら良いなと思い、空手の道場を経営して空手の指導をしているわけです。だから私は空手オタクでも空手屋でもなく空手家なのです。


2021年01月19日(火) 空手をやって自分の身体を理解する

先週の14日木曜日に手術が終わって昨日で4日後の昨日から松葉杖がなくても歩行出来るようになりました。道場や病院などに外出する時は何があるか分からないので松葉杖歩行で行きますが、家の中や道場の中や少しその辺に買い物に行く時は普通に歩いて行っています。そして昨日から出来る範囲でのストレッチとリハビリの筋トレと型の稽古を始めました。今日から上半身のウエイトトレーニングを始めました。本当は明後日に抜糸をして2週間は松葉杖での歩行と言われていたのですが、32年空手で鍛えて来た私の強靭な気と心と身体は4日で歩けるようになってしまいました。医師の診断を受けてからにした方が良いよとか、また無理をして悪化するのではと思われるかもしれませんが、私も自分の身体と47年付き合って来ましたし、空手を始めてから32年はあらゆる怪我をし、あらゆる痛みや苦しみを経験して来たので、今の自分の身体の状態は誰よりも理解しているつもりですし、どこまでが可能でどこからが無理かも今までの経験から誰よりも正しく判断出来ると思っています。もちろん自分では治せない病気や怪我もありますし、医師の診断を受けなければいけない事もありますし、今回の私のように手術を受けなければいけない事もありますし、鍼治療やマッサージなど人の手を借りなくてはいけない事もたくさんあります。ですが、自分の身体は自分が操るものですし、出来る出来ないが本当に分かるのは自分しかいないと私は思っています。その証拠に病気に行き、嘘でも自分が痛いと言えば医師は必ず診断してくれますし、薬や湿布や何かの処置をしてくれます。自分の痛みの具合や出来る出来ないの本当の所は自分にしか分からないものだと思います。これは私は子供の時にはもう分かっていました。でも逆もあると思います。医師に大丈夫だと診断されても自分が無理だと思うのならば、また病院を変えて医師の診断を受ける必要があると思いますし、自分で休む事を決める必要があると思います。今回の私の手術はまさにそうでした。初め何軒か整形外科に行きましたが、別にそんなに問題はないと言われ、今すぐたくさんの検査を受けて処置をする必要はないと言われました。ですが私はこれは絶対に何かがおかしい、今しっかりとした診断を受け処置をしないといけないと思い、大きい病院を紹介してもらい、MRIとCTの検査をし医師の診断を受けました。そうしたところやはり早い段階での手術を受ける必要があると診断されました。自分の身体をここまで理解出来るようになったのはやはり空手のおかげだと思います。空手がここまで自分の人生に役に立つとは空手を始める前の自分には分かりませんでした。本当に空手をやって良かったと思っています。


2021年01月18日(月) 型について

私は2014年8月に初めて型競技の試合に出場しました。2016年5月から2年間、全日本空手道連盟の型競技講習会に参加し四代流派と言われる流派の型を学びました。その型は全日本空手道連盟の第一指定型八つ、剛柔流のセーパイ、サイファ、松濤館のカンクウダイ、ジオン、糸東流のバッサイダイ、セイエンチン、和道流のセイシャン、チントウでした。そして2018年3月から、さらに独自で松濤館の型や沖縄空手の型や歴史を調べたり稽古したりするようになりました。そうして調べていると今行われている型は、ほぼ全て沖縄から伝わって来たのですが、大体の型は歴史が古く伝承が不明であったり何時、誰が創作したのか?など正確には分からない物ばかりです。しかし平安(ヘイアン、ピンアン)の型は何時、誰が何を目的として型を創作したのか?がハッキリしています。平安の型は創作者は糸洲安恒先生で、1905年(明治38年)に完成させたと言われています。型を作った目的は、沖縄の中学生の体育授業に空手が採用された事がもととなっています。はじめはナイファンチ(極真会館の鉄騎その一)だけを2〜3年練習させていましたが、より生徒達が空手に親しみやすく、基本技を修得させようという事で平安の型を考案し創作したそうです。この型は公相君(コウソウクン)いわゆるクーシャンクー、カンクウと言われる型をもとに創案されたと言う説があります。ですが良く型を研究して見ると平安五段(極真会館の前ピンアンその5)はバッサイダイの部分が多く含まれています。なので平安の型では高度な技術の部分部分を分割して学ぶことが出来ます。そしてもう一つ大きな特徴があります。大体の型と言う物は闘争術、殺人術の秘伝的な技を学ぶために作られているので、いわゆる禁じ手と言うか反則技ばかりで型が作られています。ですがこの平安の型は護身術や体育的な事を目的に作られているため、目潰しや金的への攻撃などの技は入っていません。またこの型の全てが受けから始まっています。この受けから始まるという事で、先ずは相手の技を受けて戦いを避けようとする謙虚な気持を表す意味で平安と名付けたとも言われています。またこの型の技術を修得しておけば平安な心でいられると言うことから名付けられたのだと言う説もあります。そして平安の型は、昔は平安二段(極真会館のピンアンその二)が平安初段だったそうです。そして平安初段が平安二段だったそうです。何故それを逆にしたかと言うとそれはただ単に難易度からだそうです。では何故、糸洲先生は現在の二段から始めさせたのかと言うと、それは先ず難しい型を学んでから、安易な型を反復するのが良いと考えられてそうしたそうです。私の師匠である広重師範は、型は平安の型が出来れば、実戦で使う動きや技はほぼ事足りている、逆に平安の型が出来ずにたくさんの型を出来ていても、それはただ型をたくさん知っている物知りで終わってしまい、型の動きは実戦では使えないと言っていました。私もたくさん型を学びましたが、全くその通りだと思います。そのように思うので私は、身体の内面を作るために鉄騎その一と三戦をやり、身体の動きと技を作るために抜塞大と観空大を毎日稽古するようにしています。


2021年01月17日(日) 私の心と身体は頑丈です

私の心と身体は頑丈です。今日は右足に体重を60パーセントは乗せる事が出来るようになり、膝の可動範囲は0〜90度まで行くようになりました。と言うのも退院の日から家にいる時はずっとアイシングしリハビリもしていました。普段の生活では当たり前の事ですが、靴下も下着も自分で履けるようになりました。軽いストレッチなんかも出来るようになりました。運動をしないと太ってしまうので、次男と買い物がてら松葉杖で散歩に行きました。右足に体重を乗せる事が出来るようなったのもありますが、松葉杖歩行が上手くなり楽に歩けるようになりました。これも全部、空手をやって心と身体を鍛えてきたからだと思いました。心と身体はお互いにお互いを補いながら強くなって行きます。なので心だけが強くなる、身体だけが強くなると言うことはありません。だから自分にピンチが訪れ身体が悪くなってもそれを強い心が補ってくれ、心が弱くなっても強い身体がそれを補ってくれます。それを今回の事ですごく感じました。明日から元気に指導したいと思います。空手の素晴らしさを道場生に伝えていきたいと思います。


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