DiaryINDEX過去の日記
2026年02月23日(月) 昨日の自分を超えろ

私の運営する道場の強化稽古でした。私が現役時代に走っていたコースをはしります。池上本門寺の1番長いダッシュのコースを中学生には3本走ってもらいました。斗夢が1本目2分20秒、2本目3分7秒、3本目3分4秒、陽生が1本目2分30秒、2本目3分11秒、3本目3分18秒、光が1本目3分9秒、2本目3分15秒、3本目3分30秒でした。私は29歳から34歳までこのコースを1人で走っていました。それ以前は仲間と走っていたのでタイムは取っていませんでした。仲間が私を引っ張ってくれたのでタイムを取る必要はありませんでした。でも1人で走るようになり、自分で自分を引っ張っらなくてはいけないので、タイムを計って走るようになりました。34歳の時に出した1番よいタイムは2分30秒でした。でも斗夢や陽生に負けないのは2本目と3本目です。2本目は2分40秒で3本目は2分50秒でした。5本走っても全て3分以内に走る事が出来ました。おそらく20代の時はもっともっと速かったと思います。そしてもう1つ彼らと違うところは私はその時の体重が85キロだった事です。85キロの体重でそれを走る事ができました。それでも私はチャンピオンになれなかったのだから、当時の極真のレベルが高かったのだと思います。確かに他の格闘技で活躍した選手や地方大会でチャンピオンになった選手が城南支部に出稽古に来ても稽古のメニューに誰も付いてくる事は出来ませんでした。この日も20代位の格闘技をやっているだろう人が3人で来ていましたが、1番短い坂のダッシュを5本走ってシャドーをして帰って行ってしまいました。稽古というものは量を経て質と言うコツを分かって行きます。若いうちは量をやらなくてはいけません。中学生は長ダッシュを3本、短ダッシュ3本、階段ダッシュ3本、やったので、なかなか体力はあると思います。小学生にも長ダッシュを1本走ってもらいました。芽生3分38秒、紡生4分6秒、紗綾佳4分18秒でした。昨日の自分をどんどん超えて行って欲しいと思います。


2026年02月22日(日) びっくりドンキーは青春の味

長男と次男と3人でびっくりドンキーに行きました。びっくりドンキーは私の青春の味です。中学生、高校生の頃によくびっくりドンキーに行きました。なのでびっくりドンキーには思い出がたくさんあります。私が注文するのは必ずチーズバーグディッシュです。ハンバーグで他の物を頼んだ事はたぶんないと思います。チーズバーグディッシュはあの頃と変わらない味でした。チーズバーグディッシュを食べながら青い春の思い出も噛み締めました。


2026年02月21日(土) 妻がいないので、焼肉のタレ

今日は妻がお泊まりで神社巡りに行ったので、私がお風呂を沸かしたり、ご飯を作ったりしました。ご飯を作ると言っても肉を焼くだけなので鉄板を出して、玉ねぎを切って、焼肉のタレを作るために大根をおろして、ニンニクを剃っただけです。菅野家秘伝の焼肉のタレを紹介します。大根おろしにニンニクを剃って入れて、そこにポン酢をかけます。この焼肉のタレは私の母が作ってくれて、私が子供の頃はよくこのタレで焼肉を食べていました。私は20歳で家を出たので、それを食べる機会はなく、すっかり忘れていました。10年前ぐらいに両親が私の家に泊まっていた時に、母がこの焼肉のタレの話をしても思い出す事が出来ませんでしたが、そのタレを作ってもらい食べてみたら、その味を思い出しました。やっぱり味は忘れないのだと思います。長男はこのタレは食べる事が出来ません。お腹が痛くなるそうです。私と次男はこの焼肉のタレが大好きです。でも私も少しお腹が痛くなります。私は水泳の試合の前の日はスタミナを付けるために、このタレで焼肉を食べていました。そして試合当日はいつもお腹が痛かったです。私は試合の日にいつもお腹が痛くなるのは緊張しているからだと思っていました。母にも「お前は気が小さいんだ!」と言われていました。今、考えるともしかしたら?と思ったりしています。妻は今日は鹿島神宮と香取神宮に行きました。私が道場を出した23年前に鹿島神宮と香取神宮で買って来たお札を妻に返納してもらい、新しいお札を買ってもらいました。食後は男3人で「クワイエット・プレイス」を見ました。


2026年02月20日(金) 次男のこと

次男の真白は本当に可愛いです。妻と次男がじゃれあってるところなんて見ていると本当に可愛いなー!と思い、私の心もほのぼのとして来ます。次男は女の子にモテます。たぶん優しいからなんだと思います。あとは面白い事をして人を笑わせてくれます。今日も女の子に告白されたと言っていました。私が「で?どうなったの?」と聞いたら、「付き合うことになったよ!」と言っていました。いつまでも可愛い真白でいて欲しいです。


2026年02月19日(木) 遠回りしてもよいから、遠くまで行きたい。

「この道より我を生かす道なし この道を歩く」武者小路実篤が残した言葉です。私はこの言葉が大好きです。「何故、極真空手の先生をしているのか?」そう聞かれたら、私はこの言葉を言いたいと思います。実際に他に自分を生かす道がもしあったのなら、私はそちらに行っていたかもしれません。この道しか無いと思うから、この道を歩いて来れたのだと思います。でも、この道を歩いて自分を生かせている自負はあります。この道しか自分を生かす道はないけれど、ちゃんとこの道で自分を生かす事が出来ている事を誇りに思っています。自分はこの世に生まれて来た価値はあったと思っています。そしてこの道が存在した事に感謝しています。極真空手を創った大山倍達総裁をはじめ、極真空手を繋げて来てくれた諸先輩方には、本当に感謝しています。この道にあとから来る後輩達にもそう言われるよう、私も極真空手のために尽力して行きたいと思っています。そして、この道を誰よりも遠くまで歩いて行きたいと思います。人より遠回りしてもよいから、誰よりも遠くまで歩いて行きたいと思います。


2026年02月18日(水) ようこそ!極真空手の世界へ!

私は極真空手の世界で一般の人が受けないような体験をして来ました。ここで言っておきたい事は、私はその出来事に感謝していると言う事です。師範や先生や先輩が私の事を思って、やった事か?と言えば、それはそうではないのかも?しれません。もしかしたら私を苛ついてムカついてやった事だったかも?しれません。そんな事はどうでも良いのです。これは受け取った人間がどう思ったか?そしてそれを後の人生で味噌󠄀にしたのか?糞にしたのか?感謝しているのか?恨みに思っているのか?と言う事です。もし師範や先生や先輩方にして頂いた事やされた事を糞にしてしまっているのなら、恨みに思ってしまっているのなら、その人は正しい成長をしなかったのかも?しれません。そして今の自分の人生が輝いていないのかも?しれません。私は極真空手の世界に入って本当に良かったと思っています。もしかしたら極真空手と言う幻想に騙されたのかもしれませんが、たとえ騙されたとしても、騙されて良かったと思っています。だから私もこれからこの極真空手の世界に入ってくる子供達を「ようこそ!極真空手の世界へ!」と言って極真空手幻想で騙してあげたいと思います。


2026年02月17日(火) お金を払っても出来ない経験

黒澤浩樹先生とはウエイトトレーニングも一緒にやらせて頂いていました。原宿のトリムと言うトレーニングジムでした。ホテルとフィットネスジムとサウナが利用できる施設でした。表参道から直ぐの所にあるとてもおしゃれな感じのジムで芸能人の方やなど今でいうセレブな方々が利用しているジムでした。当時としてはとても広くて器具やマシンも多いジムだったと思います。黒澤浩樹先生とは火曜日と金曜日の夜と日曜日の午後にトレーニングしていました。私の記憶では2時間のトレーニングだったと思います。種目はベンチプレス、ダンベルベンチプレス、プルダウン、プーリーロウ、ショルダープレス、アップライトロウ、プルオーバー、スクワット、だったと思います。全て5セット行っていました。アップを2セット、メインを3セットと言う感じでした。先生とのトレーニングは高重量で5回上げるトレーニングでした。途中でつぶれたら(つぶれるというのは途中で上がらなくなること)、先生にぶっ飛ばされるので本当に緊張しました。トレーニング中だけではなく、トレーニングの日はとても緊張していました。トレーニングの1時間前にはジムに到着し、トレーニングメニューを確認しておきます。全ての種目の先生が行なう重さを覚えておいて、素早くバーベルにプレートを付けたり、マシンの重さを変えなくてはいけません。モタモタしていたり、重さを間違ったら、ぶっ飛ばされます。そして次に使う器具やマシンも素早く取って置かないと、やはりぶっ飛ばされます。なので自分のトレーニングだけではなく、遅刻をしない事や次に使うマシンを素早く取る事やトレーニングのメニューや重さを覚える事など全てに緊張して気を配らなくてはいけませんでした。トレーニングのあとは先生とサウナに入って帰りました。先生がサウナに入るタイミングで入り、先生が身体を洗うタイミングで自分も身体を洗わなくてはいけません。基本は自分が先生が動く前に先回りしてドアを開けたりするので、先生にしっかりと気を使っておかなければいけません。たまにホテルのしたにあるとんかつ屋で先生と一緒に食事をしました。その時も先生が水を飲んだらすぐ水を注いだりしなければいけないので気は抜けませんでした。先生と別れたあとは、もう疲れでグッタリと言う感じでした。なのでかなりメンタルも強くなりましたし、人に気を使えるようにもなったと思います。そして1番は先生とトレーニングしていた頃は1回1回が命がけなので、トレーニングで扱える重量がどんどん伸びて行きました。例えばベンチプレスは先生と始める頃は100キロを1〜2回上げれるぐらいだったのが、約半年で130キロを5回上げる事が出来るようになっていました。本当に良い経験をさせて頂きました。先生のおかげで人間的にも大きく成長出来たと思っています。そのおかげで城南支部に移籍してからは、先輩方に菅野は気が利くなと言われ先輩方にとても可愛がられ重宝して頂きました。あの先生との経験は、今ではお金を払っても出来る経験ではありません。本当に黒澤浩樹先生には感謝しています。


2026年02月16日(月) 城南支部時代に楽しかったこと

東京城南川崎支部時代に楽しかった事は蒲田道場で3ヶ月に1回、金曜日の稽古後に行われる飲み会です。皆で輪になって料理を食べたりビールを飲んだりしました。二次会は必ずヒットと言うカラオケボックスに行きました。みんな凄くお酒を飲んでいたので、終電がなくなり帰れなくなった人や飲み過ぎて潰れてしまった人は蒲田道場に泊まっていました。今の常識では出来ない事ですが、ビールの一気飲み大会がありました。これに優勝すると先輩に褒められるので、私も頑張って何回か優勝しました。こういう所で頑張って目立つと先輩方に気に入られて可愛がってもらえるので、飲み会もとても重要だったと思います。私は一気飲みをしたりモノマネをしたりして、けっこう頑張って目立っていたので、先輩方にはすぐ気に入られて可愛がって頂きました。男の世界は飲む事も大事ですし馬鹿になる事も大事だなと思います。


2026年02月15日(日) 私の運営する

私の運営する極真会館東京城南京浜支部の第28回型競技支部内交流試合と第19回I.K.Oセミコンタクトルール組手競技支部内交流試合が行われました。極真ルールの組手が苦手な人や年齢的に難しいや身体的に難しい状況にある方達が目標を持ち挑戦出来るように、この試合を開催しています。参加人数は少ないですが、生徒達の頑張る場所を提供するためにも継続して行く事が大切だと思っています。


2026年02月14日(土) 私が9年所属した道場

私は東京城南川崎支部に9年所属していました。極真会館と支部長協議会派(現新極真会)の分裂までの2年間と極真会館と極真館の分裂までの7年間の9年間でした。やはり最初の2年間が1番楽しかったです。私も1生徒として道場に通っていたので、自分の稽古に没頭出来ましたし、凄い先輩方に囲まれて稽古をしていました。私は蒲田道場所属でしたので蒲田道場所属の先輩方や蒲田道場を指導する先輩方や蒲田道場が東京城南川崎支部の本部道場だったので帯研や朝練が行われているので、廣重師範を始め、師範代や分支部長の先輩方や指導員の先輩方など、ほぼほぼ黒帯の先輩方とは接する機会がありました。私が良く稽古させて頂いた先輩は川原先輩、佐伯先輩、木浪先輩、阪田先輩、小井先輩、数見先輩、高久先輩、塚本先輩、鈴木先輩、錦城先輩、志田さん、矢島さん、佐々木さん、井上さん、後輩では進藤さん、馬埼、久保と良く稽古させて頂きました。川原先輩には肋骨を三本折られました。佐伯先輩の上段回し蹴り、上段前蹴り、後ろ蹴りは全然見えなくて道場を逃げ回る事しか出来ませんでした。小井先輩には右の上段回し蹴りのカウンターで意識を飛ばされました。木浪先輩には怖くて思い切り向かって行く事が出来ませんでした。とんでもない道場に来てしまったと思いました。本当に天才の集まりでした。地方大会のチャンピオンクラスが移籍して来ても、みんな自信を失って居なくなってしまうほどでした。ですが私が何故この道場で長く空手を続ける事が出来たかと言えば、それは稽古中は先輩方は怖くても、稽古が終われば友達や優しい兄貴のように後輩に接してくれたからです。くだらないイジメやシゴキはいっさいない道場でした。それでも先輩方が偉大でカッコ良かったので、先輩をなめる後輩なんて1人もいませんでした。皆が伸び伸びと稽古していて、いい具合にピリッと緊張がある本当に素晴らしい道場でした。やはりそれは廣重師範が素晴らしい指導者だったからだと思います。廣重毅師範に出会えた事は私の人生で本当に本当に本当に幸運な事でした。今の自分がいるのは廣重師範のおかげだと思っています。


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