新世紀余話
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2014年01月03日(金) |
この日記、まだあったのか |
題名がそのまま本文になってる。
2010年03月03日(水) |
なぜネット右翼とやりあう「左翼」が少なかったのか? |
今の時代、まともな人間は国のためには命を捨てないものだ。
自己のため、あるいは家族や友人など自己と連なるもののため、生きるのを望む。
多くの人はまず、快適でありたいとねがう。
ところが、ネット右翼と「議論」するほど快適ならざることはない。
したがって逆説的な言い方になるが、ネット右翼と同調できない性向の人ほど彼らとの戦いの場には出ていきたがらなかったのである。
実際、よほど信条のある者かブログ主のような物好きをのぞけば、そんなことに時間と労をつぶせるものではなかろう。
ほとんどのネットユーザーは、エンターテイメントやレジャーの話題を求め、ロマンチックでフレンドリーな気分に浸りながら交流の幅をひろげようとする。
政治や歴史のことに関心をしめす人自体、そもそも数が少ないのだ。
ブログ主の仲間でもネット右翼とは一度やり合うだけで閉口したというのがほとんどだ。 普通の相手なら納得するはずの道理と根拠を示してもなお屁理屈を繰りだしてくるような、自己と思想性を異にする者 (実は、日本人のほぼすべて) への確信的な悪意に辟易してしまうのだ。
誰も相手と戦争しているのではない。
ネットを共有する者同士で意見のやり取りをして、交流したいのである。
ところが、ネット右翼の「論敵」に対する態度はそういうものとまるで違う。
議論する相手を侮辱し、怒らせ、傷つけることしか考えていないのだ。
だから、ネット右翼がいかなるものかを知った人がふたたび彼らと鉢合わせしても、もはや取り合おうとはしなくなる。
かかる次第で、まともな人間ほどネット右翼を忌避し、相手にしなかったと言っていい。
したがって、持続的にネット右翼に敵対するような者は現れようがない。
(一文の得にもならんのに、何が悲しくてそんな真似をするだろう)
さらに特筆すべきこと。
2ちゃんは言うにおよばず、ヤフー板、OKweb、知恵袋などネット上で政治や戦争、歴史を論じる場のほとんどが、なぜかバカウヨ思考の担当者にばかり管理されていた。
レフェリー自体がバカウヨにしか味方せず、バカウヨ側の形勢が不利になれば自分もバカウヨになって背後を突いてきて、いよいよのときはトピックごと削除してしまう(実際にあった)。
そんな勝負など、馬鹿馬鹿しくて誰がやるものか。
以上が、ネット右翼に自分らが多数派だと自惚れさせたカラクリにほかならない。
むろんそのことは、社会がネット右翼の主張を歓迎したり、彼ら流の屁理屈に打ち負かされたのを意味しない。
多くの人は、PCから離れた投票の場では、「ネット世論」なるものと逆行する政治的選択をしてみせた。
それがまさに、ネット右翼の身をおいた現実であった。
ば〜か
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2009年01月10日(土) |
戦争はみんな、怖いがやりたがる |
「どうして人は戦争をするんだろ。なんで〜?」
とか間の抜けたこと訊いてる人。 そう、そこのあなた。 みずからを欺いていませんか?
あなたは理由を知っている。
戦争映画は好きでしょう? 戦争ゲームも好きでしょう? 格闘技とかも見るんじゃないですか?
それで、なぜ戦争が起こるかわからない?
わが友よ、答えは吹き荒れる風の中にではない、子供の心の中にある。
そう、子供。 かつて、あなたがそうであり、今のあなたがそこから出発した存在。 (いまだに子供のままかもしれないが)
なぜ人は戦争をするか? 実のところ子供は、答えをすでに知っています。 でも、自分じゃわかってないだけなんです。 大人の前でいい子ぶるとかいうのでなしに。
でも子供って、単純じゃありません。 戦争をけっして、カッコいい、面白そうとだけ思うこともない。
怖いものであることも知ってるんです。 いいえ。怖いものでなければならないんです。
「怖いものでなければならない」ってどういうことだ? その説明は次回にしましょう。
2007年04月05日(木) |
今回の「慰安婦ショック」が教えてくれるもの |
世界的な包囲網を形成した観がある慰安婦をめぐっての対日非難。 今回の件では、心ある日本人もふくめ世界中が被害女性の味方に回りました。 地球上の針の先で突いたように小さな一点、永田町をのぞいて。
「証拠はない」「強制ではない」「発言を誤解された」 永田町の声はいかにも支離滅裂で、その場しのぎの繰り返しという印象ですが、なんとかして責任の押しつけから逃れたいとの一途な思いだけは際立っています。 そしてそれこそ、安倍晋三の本音なのでしょう。
「自分は兇悪きわまる拉致事件に挑んだ英雄行為により国民から崇敬さるべき存在。なぜ、海外から卑猥な言いがかりで戦犯みたいに扱われ、大昔のことで謝罪せねばならんのだ?」
この人たぶん、自分の地位と過去の史実との因果関係がなにもわかってないんじゃないかと思います。 その安倍は先頃、ホワイトハウスとの電話で、「河野談話を継承する」意思をあらためて伝えたそうですが、だから今更どうした、と言いたくなります。
日本国総理が合衆国大統領に確約したからケリがつくほど小さな問題なのでしょうか?
すでに口先だけ慎ましくすれば済ませられる時代ではないのです。 安倍ひとりが謝罪してそれを国民が他人事のように眺めているようでは、世界はけっして納得してくれません。
事実、日本人の立場にありながら安倍だけを非難して正義漢ぶるとしたら、それはとても非常識なことです。 ぼくらの祖父を、ぼくらの父を、そして慰安婦たちの苦難について無知なまま戦後を生きたぼくら自身を、咎ある者と認め、責を受けなければならないからです。
しかも、この償いの気持ちは、今この時だけで終わらせず、日本人すべてが子々孫々にまで継承していかなければなりません。 ほんとうに幾万もの女性達がこうむった非業の運命に対して悔いているなら、次世代によっておなじ暴挙が繰り返されないよう、かたちある対応がなされなければなりません。
日本の男は女性を虐げる暴漢ばかりと思われかねない現状で、日本への信頼を回復するにはそれくらい断固たる施策が必要なのです。 安倍は、ぼくら日本の国民ひとりひとりに、過去の自国の落ち度について自覚させなければいけないんです。
「強制連行じゃなかったし、謝罪も必要ない」と言いはるバカモノを一喝し、学校でも従軍慰安婦の悲惨さを明確に教えるようにしなければなりません。 それができてこそ、立派な一国家の指導者といえるのです。
そこにおいてやっと、国家的な暴力によって青春と余生をズタズタにされた彼女達の犠牲は、無駄にならず、後世に生かされたことになるのです。
2007年02月10日(土) |
いま、裁判がおもしろい! |
いや、おもしろがっちゃ不謹慎だな。 もっか話題が盛りあがってる日系人アーレン・ワタダ中尉の兵役拒否をめぐる裁判だ。
http://www.google.co.jp/search?q=%83%8F%83%5E%83_%92%86%88%D1&hl=ja&ie=Shift_JIS&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5
たしかに、彼がまったくの臆病者とは思えない。 軍の出動命令を拒絶するというのは、戦場での武功とは別の意味で勇気がいることで、特攻や玉砕を命じられ、断ることもできず捨て駒にされる昭和ファシスト軍よりずっと意志の強さに恵まれた男といっていいだろう。
むしろ、イラク戦争がテロリズム根絶の大義の戦争といまだに信じようとする私などより聡明で、度胸があるに違いない。いずれにせよ私の立場から、自分が行けもしない戦争に他の誰かが行くのを拒んだからと文句を言うことなどできようか。
とにかくワタダは、「卑怯者」「裏切者」として生きるという、かなりの覚悟がないと歩けない道を選んだ。 それは彼が移住して三代目というアメリカ人に成りきった世代だからなし得るのかもしれない。
「この国では、全ての国民は問題を学習し、意見を表明するよう奨励されている。ワタダ中尉はまさしくその通りにした。私見では、彼は教養があり、知的で、物事を深く考える人物のようだ。 彼は、あまり一般的でない、非常に困難な立場に身をおくことになる決意をしたが、どのみちそれに耐えるだけの勇気があったのだろう。 我が国は自由の国であり、彼の意見を表明する権利を尊重する必要がある。」 (マービン・ウラツ、第二次大戦退役軍人)
「暗いニュースリンク」から引用。 http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2006/07/post_0105.html
裁判については世界的な関心の高まりと応援にもかかわらず、軍に有利に進められているようなので、残念ながら有罪で押しきられる可能性が高い。 しかし最悪の宣告をされたとしても禁固数年で済むのだから、第二次大戦末期に銃殺となった米兵スロビクよりはるかに恵まれている。
ともあれ、裁判の成り行きを見守っていきたいと思う。
2007年02月07日(水) |
いま、大統領がおもしろい! |
ジュリアーニ前NY市長が出馬へ・08年米大統領選
【ワシントン=加藤秀央】米同時テロの際にニューヨーク市長として危機管理に手腕を発揮したルドルフ・ジュリアーニ氏が5日、2008年の米大統領選に事実上の出馬表明をした。共和党内で知名度や人気が高い「本命」の1人と見られており、主要候補の顔ぶれが出そろってきた。
ジュリアーニ氏は同日、米テレビ番組で「目的は勝つこと。私の選挙戦は未来を訴えるものになる」と発言、事実上、出馬の意向を固めていることを示した。同氏の陣営は、正式な出馬表明の時期や場所を探っている段階という。
同氏は2001年9月の同時テロ直後の対応が高く評価されたほか、ニューヨーク市内の治安を改善したことから行政手腕が高く評価されている。すでに出馬に向けた「準備委員会」を設立してアドバイザーなどを集めてきたが、外交や経済政策に関する実績がないことを不安視する声もあり、去就が注目されていた。(NIKKEI NET:国際 ニュース)
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20070206AT2M0602F06022007.html
オバマにヒラリー、ジュリアーニ…… こりゃあ、見ものだ。 アメリカで選挙権のないのが残念だなあ。
ネット右翼って、「反日」という言葉を、いかにも忌むべきもののように口にします。 でも、「反日」って何なのか? いろいろ考えてみたけど、彼らのいう「反日」って結局、自分らに逆らう発言や行動のことなんですよね(爆) どうやら、本来の「反日」(=日本に敵対する行為)とはだいぶ意味合いが異なるようです。
さらにネット右翼は、「個より公を重んじるのが愛国心」とか、わけのわからんことを言いますが、普通の人でイザというとき、「個より公を重んじ」られる者などいるわけないでしょう(キッパリ) ていうか、私事を大事にできない者が国事に役立つなんて、絶対できません。 だいたい「個より公が大事」なら、ただの全体主義で、国を愛するのとはぜんぜん関係ないじゃないですか。
ここで、ひとつ質問です。 もしも、日本が周囲の国にまたもや害なすことを始めたら、それをやめさせるため戦うことができますか?(日本とですよ) 突拍子もないことを言ったつもりはありません。 だって、自分の国に対して本当に責任をもとうとすれば、結局そこまで行き着くことになるんですから。
まあそれでも、多くの人がたぶんに戸惑う問いかけでしょう。 実は、ぼくもわかりません。 いくら自分の国だって外道な真似につき合う義理までないと頭ではわかりますが、イザ人間性の本質を試される場面になったら、どうでしょうか。 「コロを撃てない? てめえもコロだろ!」 案外、脅されただけでコロッと意を翻しちゃうかもしれないですね。
いや、面目ない。 だから、そんなハメにならぬよう、日本をそんな国にさせぬよう、今のうちから全力で「反日」していようと思います。 しかし、こんな風におおっぴらに反日活動たのしめるってことは、まだまだ日本は捨てた国じゃないですね。
2007年01月28日(日) |
映画『南京』は、視点が新鮮なドキュメンタリーのようだ |
予想されたようなものとは違う内容らしい。 大勢の中国人を殺す日本軍を描くのでなく、逆に、日本軍から大勢の中国人を保護した人々を描くものだという。 そう、安全区で活動した国際委員会の面々が主役なのだ。
映画「南京」 サンダンスで初公開 際立つ「日本の残虐性」 http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070126/usa070126000.htm
例によって、なんでも中国の陰謀と結びつけたがるサンケイの偏向ぶりときたら、現代日本の恥部を体現してあますところなしだが。 そうした報道からでも映画の真実は垣間見えてくる。
さすがアメリカ人、作戦がスマートである。 たしかに、「いくら殺した、いや殺さない」といった不毛な論争より、このやり方のほうが皇軍の実態と罪の規模というものを際立たせてくれる。
あのとき、安全区で国際委員会が健闘しなかったなら、どうなっていただろう? 記録に残るよりも日本兵が紳士的に振る舞うなど期待できなかったことを思えば、委員たちの功績は偉大である。 彼らは、いまならばノーベル平和賞の授与が確実なほどの大仕事をやり遂げたのだから。
私は肯定派というより、史実を素直に追認する者だが、これまで、皇軍の罪科を追うあまり、現場にいて父祖たちの罪を命懸けで食いとめた功労者らを過小評価していたのに思い至らなかったとは、悔恨というしかない。
たしかに、肯定派は罪をなした者と犠牲者にばかり目を向けてきた。 そして、善き人々を讃えることを忘れていた。 胆に銘じなければなるまい。
2006年12月22日(金) |
2ちゃんねるは嫌韓厨の巣窟か? |
2ちゃんねるとは、何万というスレッド群からなる巨大な掲示板サイトです。 相次ぐ中傷裁判での敗訴により自衛措置が講じられたのか、今は下火となったものの、かつては個人情報の暴露、企業のチクリ、芸能人叩き、仕掛けリンクなどが野放し状態のままに溢れかえっていました。 ヒッキーやオタク同士で傷つけ合ったり、在日や同和の人をいじめたり、他人様の不幸を実況したり、この世のものとも思えない様相だったのです。
そして、嫌韓宣伝に関してはいまだに盛んなままで、管理する側が韓国や在日社会への侮辱発言への削除に応じることはありません。 実際、民族的冒涜に対する抗議をいちいち取り上げていたら、もっとも悪名の高いハングル板などは存在できなくなるでしょう。 (ハングル板のようなものがなくなっても、普通の精神状態の人で困る人は誰もいませんが。)
よく、2ちゃんねるは嫌韓厨の巣窟といわれます。 実際には、嫌韓厨は2ちゃんねる全利用者のごく一部にすぎないわけですが、それでも掲示板管理者らの政治的方針がそれら少数の変質者とぴったり重ね合わさることでこれほどサイトの性格がくっきり打ち出された状況は他にないのではないでしょうか。 (別の事例として、ナチズムと反ユダヤ主義者の組み合わせが思い起こされるかぎりです。)
「嫌韓流ブームは2ちゃんねるによってつくりだされた」と断言する人もいます。 そうではなく、嫌韓派が宣伝活動の拠点として、2ちゃんねるを利用しているだけという見方もあります。 でも、「2ちゃんが先か嫌韓が先か」などというのは「タマゴが先かニワトリが先か」とおなじで、本当はどうでもいいことです。
ともあれ2ちゃんねるでは、嫌韓厨による宣伝活動が日常となっています。 あらゆる板のあらゆるスレッドに、議論の流れと関わりなく、文章やAAによって韓国や在日社会をおとしめるデタラメな内容の投稿が周期的におこなわれ、しかも削除されることはありません。 そう聞けば、どんな気違いじみた光景を思い浮かべますか? すべての2ちゃんねらが一体となり、韓国に敵意をむきだし、「在日でていけ」を唱和するのでしょうか? 違います。
2ちゃんねる利用者の99パーセントまでは、嫌韓派に同調などしないし、政治的な話題に興味を示すこともしません。 彼らは、道を歩いていて犬の糞でも避けるように、そうしたコピペを無視しながら投稿をやり取りするのです。 これは、汚物の散らばった部屋で食事を楽しむようなもので、なんとも無神経な振るまいとしか言いようがありません。でも、大多数の利用者は嫌韓宣伝に不感症になってしまっています。 「口に入れるのは料理だけで、汚物は食べないから大丈夫」という寸法です。 そういう神経をもった人達だから、2ちゃんねるにいられるのでしょう。
もちろん、罪もない人々が理不尽な中傷にさらされる傍らで自分達の話題に夢中になるというのは、普通の心の持ち主にはできない真似です。 それでも、2ちゃんねらの大半は、嫌韓宣伝が野放しになった状況を「あれは一部の逸脱」と言い訳し、ことさら無関心を装って、自分達の関心事項に没頭しようとします。 ユダヤ人を迫害していた頃のドイツも、こんな有様だったのでしょうか?
2006年11月16日(木) |
マッカーサー発言「日本の戦争は自存自衛の戦争」 |
マッカーサーが「日本の戦争は防衛戦争だった」と議会で証言……疑いもなくこれは、歴史修正主義者がいいふらす嘘の中でもっとも愚劣なものだろう。 あの長大な議会演説の中で、「日本の戦争に侵略の意図はなく、自存自衛が目的だった」と明言した箇所があったら教えてほしいものだ。
多くのネット右翼が「まさに、そういう意味だ」と引用してくる例の発言部分だが、これは要するに、共産中国への対応策を議会で説明するとき、かつての対日戦略を例に引いたもの。 「安全上の必要に迫られた戦争(in going to war was largely dictated by security.)」とは、日本の侵略意図を否定したのではなく、かつて禁輸など日本を孤立させるやり方で威嚇し、皇軍を太平洋におびき出して撃破した例をあげ、彼の構想する対中戦略を議会で納得してもらうためなのだ。
中国を包囲網で締め上げれば、経済的に息詰まって、政権が倒れるか、昔の日本のように自滅的な外征に出てくる」と言おうとしたのである。
だが、そんな例えを悪意のこもった口調でするわけにいかない。大戦中は「ジャップ」でも、この頃の日本はすでに敵国どころか、アジアでの反共闘争の前進基地として協調すべき相手だった。 だから「日本の労働力は、数も質も、どこよりも優秀」とか、友邦として非常に神経を使った言い方をされているが、軍国日本の侵略を弁護する意図からでは断じてなかったのだ。
マッカーサーは顕示欲が強く、大統領選への立候補さえ狙っていた男。それが議会演説で、多数の米兵の命を代償に打ち負かしたファシズム国家が「自存自衛の必要」からアメリカと戦ったなどと、世論を憤激させることを言うはずがないではないか。
だから、マッカーサー発言での「安全上の必要(largely dictated by security)」というのは、そうした、日本をことさら敵対的な言葉で傷つけないよう配慮する云い方だったのを、「場の空気が読めない」ネット右翼らがその部分だけ引用しまくり、都合のよい解釈でぬか悦びしているにすぎないのだ。
繰り返すが、このときの日本は、連合軍から徹底的に叩きのめされたうえ、東京裁判で洗礼も授かり、アメリカの言うことをきく従順な国になっていた。 なにしろ、マッカーサー自身が統治政策で日本をそのように改造したのだから!
だから、あの部分の真意は、「手を焼かせる野良犬がいただろ? 根はいい奴だし、盗むのも餓死しないためだろうが、野放しにはできないので食い物にありつけなくしたら、たまらなくなって、叩かれるために出てきた」というのとおなじ。 今度は、中共という野犬を同じようにやっつけ、飼い馴らしてやれという含みなのだ。
「マッカーサーが日本の正しさを認めた」などと、おめでたい解釈があてはまる状況とはぜんぜん違うのである。
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