2023年12月10日(日) |
だらだらと生きてきただけさ |
プライムビデオで葬送のフリーレンを一気に観ていたんだけど、フリーレンがぽつりと言った、
「だらだらと生きてきただけさ。長く生きたからといって優秀な訳じゃない」
というセリフ(アバウトにしか覚えていない、確か最初に勇者様御一行と出会ったときの話)と、
「だらだらと生きてきただけさ。ほめられるようなことなんて何もしていない」
(確か僧侶のハイターに魔力を制限しながら生きていることを指摘される直前のセリフ)が、なぜか妙に気に入っている。普通フリーレンの名セリフと言ったらもっと他のいいセリフがとてもたくさんあるのだけど。
なんだかその自己認識、他人な気がしない。 なんなら自分のSNSのアカウントのプロフィールのところに、 「だらだらと生きてきただけ、ほめられるようなことなんて何もしていない」 と書いておきたいくらい。
魔力の制限さえ、してはいないのだけど。
2023年10月01日(日) |
お気に入りの店と店舗と私 |
お気に入りの飲食店が移転して、移転先では相変わらず良いサービスと美味しい食事が提供されていて、それでも何となく以前ほどにはくつろげない感じがしてしまうことがある。どういう要素が関係しているのかと細かく見てみると、変わったのはお店でも店の人でも私でもなく、場所と自分との相性だったりする。
そういう現象を一言で表す言葉があったら便利なのに、と思ったり。
この日記のタイトルは「Espressoを飲みながら」である。 随分遠い昔、ボンダイブルーのiMacを使っていた頃にこの日記を書き始めた。 年月が過ぎ去り、世界でも身の回りでも多くのことが変化した。
どうしてあの頃「Espressoを飲みながら」をタイトルにしたのか? 当時はまだ日本ではEspressoが流行り始めでちょっと旬な感じがしたのと、部屋にEspressoマシンを置いて、エスプレッソを多飲していたから。
最近yahooの何かの記事で、河内長野に初のスタバがやってきたという内容のものを読んだ。「それは良かったね」と思うが、河内長野市には既にエスプレッソやカフェラテを飲めるカフェは存在するので、市民に珈琲革命が起きる訳でもなく、既にスタバのある大阪市内などに出掛けて働く河内長野の人が地元でもスタバを楽しめるのと、豊かな自然を求めてやってきた観光客がスタバで一息つけるくらいのメリットがあるというくらいだろうか。
それでもまあ、2021年というのは河内長野にさえスタバのある時代なのである。
調べてみるとスタバが初めて日本で店を開いたのは1996年で銀座、関西初出店は1998年で場所は梅田のHEP FIVEだったという。
そう、もうスタバが日本に来てから四半世紀が経ったのである。 もっともみんなエスプレッソをよく飲むようになったかというと、そんなに変わらない気がする。スタバではみんなラテやフラペチーノをよく頼んでる。 日本で最初に話題になっていた頃は、テレビが老舗の珈琲専門店に取材して、スタバのエスプレッソの出来栄えをどう思うか?などと質問していたりした。
「チェーン店にしてはよくできているんじゃないですか」
みたいな答えだったと思う。
まだそんな感じだった頃に、「Espressoを飲みながら」というタイトルを考えた。昔にくらべるとドリップでブラックの珈琲を飲むことの方がすっかり多くなったのだけど、この日記のタイトルは当分変えないでおきたいと思う。
新型コロナウイルスに感染して親の同窓生が死んだそうな。 まだ後期高齢者ではないにしろ、70は越えてるので年齢のみでもハイリスク層に該当するだろう。亡くなったのは先月のことで、ワクチンを打っていたかどうかは聞いていない。
70を越えてるのだから他の理由で死んでも珍しくない年だし、それ以上年を重ねて長生きしても老いだの病だの辛いことも多いのではないか。早すぎず遅すぎず、ちょうどいいくらいの年齢で人生を終えられたのではないかと自分は思いがちであるが、そう言うと親が不機嫌になる可能性が高いと思ったのでそうは言わなかった。
コロナ死の多さで話題になった関西の大都市の高校の同窓会の話。
まだ直接の友達のコロナ死はないけれど、親の友達のコロナ死はある。 それくらいの距離感か。
高校を卒業した夢を見た。 現実の僕は高校も大学も卒業しているのだけど、 高校を卒業した頃のことを思い出す夢ではないのだ。
まず時期的には高校を卒業してから 何年も何年もあとの設定で、 僕は「高校を卒業していながら卒業していない」と いう二面性を持っている。 意味がわからないと思うが僕にもわからない。
そして僕は「卒業していながら卒業していない」 というこの状態のことをとても気にしている。 不完全な卒業を何とかして完全な卒業にしたいのだ。
完全に卒業するには、もう一度高校に通って 学校から認められると「完全な卒業」になるらしい。 僕は母校に行ってクラスに出席するが 一つストレス源がある。人間関係だ。
いじめられるとか無視されるとかではないが、 クラスにいるのはかつての同級生ではない。 知り合いが基本的にいない。たまに例外的にいる。 基本高校なので、それ以外の生徒は16〜18歳くらい。
僕1人が、とても浮いている。 しかし通学をやめれば悪くすると高校卒業資格が 取り消しになるんじゃないかと僕は心配している。 忍耐強く通うしかない。
苦手な数学や物理にもう一度向き合わなければ ならないのもストレスになる。でも何とか通う。 テストを受けても結果に自信がなく、 改めて落第して退学になるんじゃないかと 不安に感じている。
先が不安な中、先生に呼び出され、 「もう大丈夫だよ。君卒業済だから」 と告げられる。
確かにWEBで確認しても卒業済になっている。 よくわからないが、確かに卒業認定だ! 何年も気掛かりだったことが、 ついに解決して、とてもほっとした。
それと同時に、明日からどうやって生きていこうかと 思案を始めた。
とても久しぶりに、enpituを覗きに来た。 最後に更新してから、いろんな変化があった。 一番こまめにenpitu日記を更新していたのは、 アバウトに言うともう20年くらい前だから。
久しぶりにここの空気を吸いたくなった。
それだけ。またね。
2013年01月26日(土) |
Lavazzaが好き |
時々家でエスプレッソをいれて飲むんだけど、illyの豆は外で飲むときに結構飲めるから、どちらかというとLavazzaのQualita Oroを選ぶことが多い。酸味が苦手な人には全くお勧めしない豆だけれども、やや苦味抑え目+強めの酸味を味わいたい人にはとてもお勧め。世間の評価は知らないけど、個人的には(良い意味で)かなり癖のある豆だと思う。
2011年05月26日(木) |
バグワン、怠け者の世界を語る |
別冊宝島16 精神世界マップ を久しぶりに読んでいた。
高校生の頃、なぜか興味をひかれ、大阪の旭屋か紀伊国屋書店かで、 購入して読んでいたのだ。一度紛失して、 その後2冊目を買ったくらいのお気に入り。
この本は、いろんな素晴らしくスピリチュアルな人々の 言葉が載ってる本なのだけど、 OSHOの言葉ももちろん多数掲載されていて、 そのうちの一つがダルシャン・ダイアリー 「生命の歓喜」なのだ。 そのなかで、OSHOは怠け者についてこんなことを言っている・・・
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・・・・・・それに、じきに怠け者の世界がやって来るだろう。なぜならば、だんだんとテクノロジーが人々を仕事から解放して行くだろうからだ。次の世紀は、まったく新しいはじまりになるだろう。怠け者が一番賞賛されるに違いない。だから、来世では・・・・・・今日から準備するがいい! 怠け者になりなさい。来世では世界は怠け者のものになるだろう。実際、科学者たちによれば、テクノロジーがあらゆる仕事をひき受けてしまう二一世紀には、活動的な連中をおとなしくハッピーに、健康にしておくのが難しくなるだろうと言う。彼らはトラブルを持ち上げるだろう。彼らは仕事を要求するだろう。彼らは災いをもたらすだろう。
怠け者は、この上もなくもてはやされるようになるだろう。怠け者はどんな仕事も要求したりしないからだ。
バグワンは、世界がこれほど繁栄するように なる前の過去においては、活動的な人々が必要 とされ、頼りにされ、それに対して怠け者は非 難されたのだと述べた・・・・・・
しかし、じきに車輪がぐるりと一まわりして、怠け者のスポークがてっぺんに来る時代がやって来るだろう。怠け者がノーベル賞をもらうようになるに違いない。何もしないことに対するノーベル賞、何も仕事を求めないことに対するノーベル賞―――。それは、いまはまだ想像しにくい。が、確実にやって来つつある。 だから、活動的な人間が正常で、非活動的な人間が異常だというような問題はない。そんなことはないのだ。ただただ自分自身の実存をのぞき込んでごらん。何であれ気持ちが良く、健康的で、お前をより全体的にしてくれるもの―――、それを楽しみなさい。それがお前にとっては正常なのだ。ほかに物差しになるようなもの、基準になるようなものは何もない。それぞれの個人が、自分自身の基準なのだ。
だから、非難というものを忘れなさい。誰もが自分自身のモーゼになって、自分自身の戒律を探して来なくてはいけない。十五日間、とにかく怠けて、見守ってごらん。―――それも、ごく客観的な観察者になること。
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これを読んだときは、なんだかとても安心したものだよ・・・(笑)
2010年01月02日(土) |
ムジカのアップルパイが好き |
いろんなお店でケーキを食べたことがあるけど、 「今まで食べたケーキの中でどこが一番おいしかった?」とたずねられると困ってしまう。
しかし、「今まで食べたアップルパイの中でどこが一番おいしかった?」ときかれたなら、Tea House Musicaだと答えるだろう。ティーハウス ムジカと呼ぶ人もいるし、堂島ムジカと呼ぶ人もいる。関西で紅茶好きなら、知らない人のほうが少ないのではないだろうか。地方の紅茶専門店でもここから茶葉を仕入れているお店があるので、あなたも知らないうちにムジカの紅茶を飲んでいるかもしれない。
当たり前のことだけど、生の林檎がそのまま丁寧にパイとして焼かれていて、香りからも味からも、それが伝わってくる。たとえば、それだけで今日堂島に行く目的に成ってしまうような、本格的なアップルパイ。もちろん、好きな紅茶を合わせて…先日いただいたときは、ヴィンテージ・ウヴァでいただいた。
テーブルから漂うウヴァとアップルパイの香りのハーモニーは、およそ食物の発する香りとしては、最も音楽に近いものだったと思う…
image...語れば崩れてしまうそれは、あまりにも脆く 脆さゆえに他のすべてを確固なものと誤解させてしまう
惑星といえど夏の蜃気楼のように形を滅していくというのに
何かについて語ることはたやすく、 何かを語ることはあまりにも難しい
夢を夢と意識してしまえば夢の先は見られない 知った後はただただ壊れていくのみ
爆破された塔が倒れるまでの一瞬に、 万華鏡のように見せる幾千の表情
塔であり、砂塵であり、風であるような、 そんなあいまいな何か、それをあなたは見ている
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