**In my heart of hearts**
心の奥のこころ


2020年06月26日(金) 世界も変わったのね

久しぶりにパソコンのキーボードを叩く。指が思い通りに上がらないから、違うキーにあたってしまうのがもどかしい。左の中指は垂直には無理みたい。ねじりもちょっと、効かずに痛む。あ〜あ、しょうがないね・・・。
半年がかりの部屋の模様替えが今、少し落ち着いたところで、この机にノートパソコンを持ってきた。これまでは、スマホや、タブレットの手軽さにずっと、傾いてたからね。でもまた、ちょっと飽き足らなさも覚えてきたし、なにより、ウェブに文字をこうして残すことはしずかいから、私的には。youtubeにも面白みを失いつつある。 さて、これからまた新しいパソコンライフを再スタートね。 2日目の休日なので、うたた寝というか、寝落ちというか、免れて昼下がりを過ごしているわけだ。 水分補給替わりのちょうどコップ一杯ぶんの白ワインが半分になった。きのうの残りの冷えたやつ。最近はこれがしっくりきてこれまで、赤しか飲めなかったのが、年齢のせいなのか、このさっぱりした飲みごご地が気に入っている。 定年前に職場を変えようと決意してた去年の私。まだその一歩を踏み出す前から、必然的に辞めざるを得ない状況が降ってわくようにして、私の前に現れた事件。事件とよべるかな。自分でやらかしたちょっとしたミス。そこから決心がついたというわけで、退職を申し出たこと。そしてこのご時勢、職安などに足を運ぶ必要などなく、スマホで一から十まで転職はスムーズに運んだ。 年末から始まり半年が過ぎ今に落ち着くところの私がいる。そんな流れと並行して世界も一変してしまうとは、なんというこなんでしょうね。コロナ一色で春は過ぎていき、どこへも出かけられないステイホームの連休の5月という初めての経験を世間は味わう。」年明けから始まった、残念な出来事で今に至ってる。 韓国行きをキャンセルし、心で泣いたもんだ。すべてのイベントもつぶれて、春はほんとうに涙したよ。今はやっと少しの戻り。 悲惨な業界のニュースも胸を痛めたものだけど、まだまだ、今年がすぎるまで、警戒一色で行くべきところだ。 旅行やっぱり行く気にはなれないな・・。あー悲し。



2018年09月08日(土) なんとなく感想

日記つけるのに題名をつけるとなると、ちょっと、戸惑う。
ウェブ日記だから、当たり前だけど、その場で頭に浮かんでくる言葉を文字化することを、行き当たりばったりにやっているから。 このエンビツというサイトに、出会ったのは、パソコンを始めたばかりの頃。なつかしいな。西暦2000年に突入して、やっと仲間入りを果たし、夢中になって、毎日向かい合ったこと。 
ガイド本を買ってきて、自分のHPというものが、作れるんだなんてと感動しまくる。学校の勉強もあれらい夢中でやれたら、まだもっとましな生活を送っていたかもね。

ウェブ日記に関しては、いまだに継続した自分のページはこの、最初の「エンビツ」さんの場所だけですなぁ・・。そのころは無料版があって、そのまま継続で使わせて貰ってる。ありがとう。18年も存在してるなんてね。一度はパソコンから消してしまったりして、実は何年か忘れていた。 それが、ある日、ムーンリバーというペップバーンの曲から、その意味を調べようとしたら、自分がこのHPに書いた、訳詩が出てきてしまった。一度書いているのに、何の因果でまたその曲に思い入れをもったかは、よく思い出せないのだけど、見つけたときの驚きは確かに大きくて、嬉しくて、このサイトは手放すまいと思った。なので、要らんことばっかり、書いている情けないページの数々を削除して、すっきりしてからまた、再開した次第でした・・。

思えば、慌ただしくて派手だったアパレルの仕事生活を辞めて、しばらく家に引きこもろうと決めた直後の頃だった。はじめてのウェブ日記。季節もちょうど今頃のこと。もう、18年・・。まだ18年・・。両方の感慨はなんだろうね。いい年なのに、それ相応に落ち着くことのできない自分を肯定も否定もできない。



2018年05月01日(火) 引っ越し記念日

引っ越し記念日の今日。胸があふれてきて切ない曲を聴いてると、顔が泣きそうになってくる。決して涙は出ないのだけど。涙腺は一生このままなのかもしれないな・・。切なさに紛れたような胸騒ぎなのか、地震前によく感じるものに似ていて、どうなることやら。やばい、やばい、う〜〜。 28年がたったという引っ越し記念日に感動しているだけならいいけどね。



2018年02月21日(水) 幸せでありがとう

このところ、寒さがゆるんでセーターを一枚減らして歩ける。
もう春の足音が目の前にきていることを思わせてくれる。旧暦の正月が終わったら急にこんな空気をつれてくるんだなあ。 今月も雪景色にうっとり見とれる日々が続いたり、気温の急激な変化を味わったりの、先月に続いて、前半と後半の違いの大きさが身に染みる月だ。 そしてまたもうすぐの韓国行きが待ってる。 こんなに幸せでいいのかなと思う毎日だ。今まで生きてきた中で今が一番幸せで、有り難いと感謝する。



2018年01月21日(日) 外へ出て脳活、筋活

昨日もいつもの定食屋さんに寄る。毎度同じお気に入りの品と、冷え過ぎてまずくなってる残念な瓶ビールに、店づくりにはそぐわないジャズのBGMという定番。そして週刊誌が相棒。仕事の疲れと孤独を癒す時間をここに求めるのだ。もうすっかり人並みの暮らしをしているなと、何かにつけて、感じるわけだ。この歳にまでなってようやくという話なんて、笑われても仕方ないだろうけど。本当のことだからね。こんなことをメジャーなブログにはかけることではない。読んでもらうようなちゃんと面白いことを書ければいいけどね。人との会話でもそれは言えることか。何気ない会話が苦手。飲んダリして、かっこつけてしゃべるのは、好きというか、得意なつもりだったりする。反動的に。でもそれも、卒業に近いところにいる。器量でもよけりゃシャレになるけど、もうこんな不細工な顔で甘えもくそもないだろう。

朝の5時きっかりに起きた。
そしておいしいコーヒーを飲んで、即パソコンと遊んでいる。

真っ暗な空がもう明るい朝へと変わった。年末年始の空気もすっかり去ったなと感じる一月の後半にやっとほっとして、やっと新年を迎えて、やっと始まったなあと思うのが常のこと。太陰暦の正月が自分を迎えているかもしれない。 今年はというと、あらら、2月18日と出ていた。去年は一月の下旬だったかと思う。プサンへ行ったときがそうだった。 抜けるような青空で温かい気候で驚いた。今回のプサン行きは三日後にやってくるぞ!ああ、幸せ!だた気温が0度になるらしい・・。

吉井のお骨参りを今日こそできるかなと思ったりもしている。理由は気持ちがわさわさしているから。なんか胸の奥がもそもそするというか。これを胸騒ぎというにかどうか。阪神の震災の時のことを思い出す。やっぱり半ば過ぎに仕事も正月モードから解放され本当にほ〜〜っとした夜のこと。訳のわからない胸のざわつきに襲われたことを。そして次の朝の信じられないテレビの光景。

ちょっと似ている。 友達と思う人からのラインの返事が来なかったことのちょっとしたショックからなんとない不安な気分がきたり、疲れから仕事の中の不機嫌とか自分のことを情けなく思う気持ちのせいと感じられるものだけれど。 

大きな災害が起きないことを願いたい。

前回の休日が旅行以外で出かけるようなことをほんとに久しぶりにする。今日もまたその続きを自分に許せそうなモードで今朝を迎えている。



2018年01月05日(金) 今年の抱負はブログを書く

キーボードの新しいものを買ったので打ち安くなったはずなので、ブログと仲良くしようかと思う。 新しい年の始まりは生活も意識してこまめに活発に変えていきたいというのが抱負だね。

お正月という気分があまり感じないというか、必要としていない。 大晦日から出勤して、きのうからが初めての今年の休日で、休日というより、正月休みと言ったほうがいいわけで、ささやかに二日間のデイオフ。

今年は何か書こうと思って、随分と久しぶりに、メジャーなほうのもう一つのブログのお気に入りの面々のブログを読んでみたら、自分が書くブログの拙さが恥ずかしくて、書こうという意欲が失せた。
文は体を表すとはよく言い得た言葉ね。 これからは極力拙い表現はやめよう・・・。 

正月の始まりの二日間の美しすぎるような晴天と夜にはスーパームーンの神々しい輝きとを、味わった。何もない自分でもこんな自然の恵みを受けてそれだけで充分だわ。

せっかくの休日は途端にお天気は下り坂。でかけるにはためらわれる雨模様となってしまった。どうしようか・・。時間をどうつかおうか・・。



2017年12月17日(日) 来年の抱負

新しく、ワイヤレスのキーボードとマウスをゲットした。初の文字打ちに、このブログを使うことにした。指は固くなって関節が初めの頃のようには、滑らかに打つことができない。 今時のスマホでは、メールの文字打ちもマイクのところをプチっと押せば、自分の音声がそのまま文字になるということを、最近知った。もちろん検索では知っていたけど。どんどん便利に進化していくものね。使いこなすレベルまでいかないいままでぶら下がっている感じ。
今年もなんと、もうあと2週間しかないのか・・。つまり今は年の瀬の真っただ中ということ。とてもじゃないけど信じられない。 いろいろ今年を振り返っての感慨はどうよ。 今の職場に2年半という時。連休を惜しげなく与えてくれる、物わかりのいいチーフ看護士さん。病棟師長の位置づけであるマネージャーという役の人が不在のままこの病棟がきているのと、ほぼ同じ期間である。私にとって、ここに入職できたことがまことにラッキーなことであったと思える。金銭面では大差はなくても、ほかの色々なところで感じることができるものが多い。そういいつつも、泣いても笑っても、あと3年だと常に心に上ってくるよね。あと3年すると、60歳という年齢なんだなあ。・・・・。まだ青春気分なのにね。顔をみれば、おばあちゃんだ。異性を求める気持ちもまだ少しはあるけれど、若い時のように切実でもないわけだ。その分楽ね。強烈な孤独感が沸いて来ることでそれを意識させられたりして、辛くならずに済むのよ。

今日は日曜日か。ちょうど先々週の風邪の体調低下と目の結膜炎で、休日が5日ももらえた後からの、出勤が始まって、先週は水曜日の1日だけの休みで1週間が過ぎた。喉の風邪のほうもどうにか収まって。きょうの休日は久しぶりに元気で安らいだ感覚の時間の中にいる気がする。 食事代にしかお金を使うことがなく、外食も当たり前のようになっている中で、おいしいものを食べても、以前のような味の感じ方をしていない気がする。 ストレスがあるようで、実はそれほどないのかもしれないと言える。

自分にちょっとハードルを設けてみてはどうだろうか。 有給休みをもらった日に大学の通信課程のパンフレットのページをじっくりと眺めた。そしてかなりその気になっている自分がいた。 私の中では、ほぼお金を払ってもいいぞと許している。 他にあまり使い道がないということもある。 服を買うのを楽しみにしたりすることがなくなっている。 楽しみは韓国訪問を毎月のようにできていること。 それ以外に無駄使いをあまりしたがらない私。まあ、いいことでしょう。 

来年という言葉が目の前にきた。そうね。来年は勉強の年にして、自分を高めたいものよ。そのためには、部屋の掃除片付け よろしくね!!



2017年12月06日(水) 自分史 1

ソウル旅から後の長めの勤務。休みの日は午睡を決め込んでいた。久しぶりの”金縛り”。そのあとから足の関節が痛んだり、疲れが取れていないからなのか、風邪までうつったようで、周りの人も咳き込む人が目立つ中、丁度一週間近い間、喉がやられて調子悪い。気持ち的には割とすっきりしているつもりではいる。 ソウルで雪を味わったし、こっちの気温が暖かいことをさらにかんじてしまう。でもそれなりの冬らしい空気の中で、同じ時期の過去を重ねて思い出したりして、なんだかなあ。。

小学3年の夏がはっきりと父と別居して、新しい生活が始まった時。一軒家を社員寮に借りた、会社の寮母として母が働くことに。そして兄と私の二人も一緒に住み込みで居候するのだ。子連れだったから居られたといえる。息子一人より娘も居れば、それなりの気持ちの拠り所ができた母ではなかったのかと思うのに、私に対しては、複雑な思いのようだった。




2016年04月21日(木) 晴れたり、濡れたり

昨日の晴天からまた、打って変わって今日はもう夜明け前からずっと雨が降り続いている。部屋でじっとしていることが正当化されるので、よけいにリラックスできるという二連休の始まりだった。脳みそがもっと働くといいけどなあ・・。この鈍さで小学生のときから、ずれて突っ走ってきたわけだ。安全圏内に入り込める賢さがない、あはは・・。そうは言いつつ、実直に何かをやるというわけでもないくせに。じぶんを飾っても今さら無駄すぎる。
思考のパワーが欲しいと今、謙虚な気持ちで思ってしまう。 欲しいと願うならやってみてからじゃないのかということよ。

熊本で大きな地震が起きた。ちょうど奈良で寝ていた頃のことで何も情報は得ていなかった。 突然に家族を失った悲しみ、家屋を失った悲しみ。この世での試練を体験する人たちの心に光がともりますように。



2016年04月09日(土) 桜も散った

桜の花が一気に満開になったのは、この一週間の間だ。そしてあっという間に散って艶やかなピンクの妖精たちが消えてった。日本中の至る所で、美しい喜びの色をいた花が枯れ木にしか見えなかった風景を変身させて、人々はうっとりとその様子に心を奪われていたことだろう。 梅がまだ寒い冬の空気のなかでも咲き始めて、黄色い菜の花と赤い椿が咲き誇り、白いモクレンの花、桃の花、そして春の空気をつれてくる桜が景色を更に盛り上げる。短い間だけ、夢のように咲き誇る桜。 日本の春。こんなに花を色々目にする時間を持てたのは、今の恩恵である。回り道をしてここに来た私がいる。

桜の花が満開のころに、暖房の切れた職場で体を冷やしてしまった。久しぶりに長引く咳と喉の風邪をひいていた。 そのピークの時だ。やっと翌日は休みの日になるので、こんな時はじっと映画館でスクリーンを眺めて楽しめばいいと寄り道した。苦しい咳と頭のふらつきはあっても意識は大丈夫な感じ。部屋へ帰ると、留守電だった。 うろたえたその声。私にどうしろと言うのだろう。サキ子さんは桜に迎えられたかのようにしてこの世の幕を閉じた。倒れてから、2年くらいだったろうか。いずれわかっていたことでしかない。私には、何かを想像するほどの関心すら、沸くことはないしそれが当たり前のこと。宗二はとうとう別れた切りで関係をつなぐことなく、過ごすことになる。
知らせるのは兄か、母か。 母は私が知らないとでも思うのか、留守電で、お亡くなりになった、などと、妙に丁寧な言葉を使う。私は白ける。城戸で葬儀を終えたとか言っていたようだったけど、泣きついて世話になったのかと、どこまで身勝手な父かと、叔母の死にも冷淡だったのではないのか。 それが、私の父親なのだ。そして長い年月のあと心を開こうとした私に血の通う言動の一つ、示す思考回路を持たないことをあえて、突きつける人。 何も変わらず私は最後までないがしろにされた傷を心に受けるとは、笑ってしまう。 こんなことが私の親子のストーリーか。今になればまっすぐに見ることができる。だから、そういう今が有り難く思える。 私はもういい加減に中年のおばさんだものね。


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