**In my heart of hearts**
心の奥のこころ


2017年12月06日(水) 自分史 1

ソウル旅から後の長めの勤務。休みの日は午睡を決め込んでいた。久しぶりの”金縛り”。そのあとから足の関節が痛んだり、疲れが取れていないからなのか、風邪までうつったようで、周りの人も咳き込む人が目立つ中、丁度一週間近い間、喉がやられて調子悪い。気持ち的には割とすっきりしているつもりではいる。 ソウルで雪を味わったし、こっちの気温が暖かいことをさらにかんじてしまう。でもそれなりの冬らしい空気の中で、同じ時期の過去を重ねて思い出したりして、なんだかなあ。。

小学3年の夏がはっきりと父と別居して、新しい生活が始まった時。一軒家を社員寮に借りた、会社の寮母として母が働くことに。そして兄と私の二人も一緒に住み込みで居候するのだ。子連れだったから居られたといえる。息子一人より娘も居れば、それなりの気持ちの拠り所ができた母ではなかったのかと思うのに、私に対しては、複雑な思いのようだった。




2016年04月21日(木) 晴れたり、濡れたり

昨日の晴天からまた、打って変わって今日はもう夜明け前からずっと雨が降り続いている。部屋でじっとしていることが正当化されるので、よけいにリラックスできるという二連休の始まりだった。脳みそがもっと働くといいけどなあ・・。この鈍さで小学生のときから、ずれて突っ走ってきたわけだ。安全圏内に入り込める賢さがない、あはは・・。そうは言いつつ、実直に何かをやるというわけでもないくせに。じぶんを飾っても今さら無駄すぎる。
思考のパワーが欲しいと今、謙虚な気持ちで思ってしまう。 欲しいと願うならやってみてからじゃないのかということよ。

熊本で大きな地震が起きた。ちょうど奈良で寝ていた頃のことで何も情報は得ていなかった。 突然に家族を失った悲しみ、家屋を失った悲しみ。この世での試練を体験する人たちの心に光がともりますように。



2016年04月09日(土) 桜も散った

桜の花が一気に満開になったのは、この一週間の間だ。そしてあっという間に散って艶やかなピンクの妖精たちが消えてった。日本中の至る所で、美しい喜びの色をいた花が枯れ木にしか見えなかった風景を変身させて、人々はうっとりとその様子に心を奪われていたことだろう。 梅がまだ寒い冬の空気のなかでも咲き始めて、黄色い菜の花と赤い椿が咲き誇り、白いモクレンの花、桃の花、そして春の空気をつれてくる桜が景色を更に盛り上げる。短い間だけ、夢のように咲き誇る桜。 日本の春。こんなに花を色々目にする時間を持てたのは、今の恩恵である。回り道をしてここに来た私がいる。

桜の花が満開のころに、暖房の切れた職場で体を冷やしてしまった。久しぶりに長引く咳と喉の風邪をひいていた。 そのピークの時だ。やっと翌日は休みの日になるので、こんな時はじっと映画館でスクリーンを眺めて楽しめばいいと寄り道した。苦しい咳と頭のふらつきはあっても意識は大丈夫な感じ。部屋へ帰ると、留守電だった。 うろたえたその声。私にどうしろと言うのだろう。サキ子さんは桜に迎えられたかのようにしてこの世の幕を閉じた。倒れてから、2年くらいだったろうか。いずれわかっていたことでしかない。私には、何かを想像するほどの関心すら、沸くことはないしそれが当たり前のこと。宗二はとうとう別れた切りで関係をつなぐことなく、過ごすことになる。
知らせるのは兄か、母か。 母は私が知らないとでも思うのか、留守電で、お亡くなりになった、などと、妙に丁寧な言葉を使う。私は白ける。城戸で葬儀を終えたとか言っていたようだったけど、泣きついて世話になったのかと、どこまで身勝手な父かと、叔母の死にも冷淡だったのではないのか。 それが、私の父親なのだ。そして長い年月のあと心を開こうとした私に血の通う言動の一つ、示す思考回路を持たないことをあえて、突きつける人。 何も変わらず私は最後までないがしろにされた傷を心に受けるとは、笑ってしまう。 こんなことが私の親子のストーリーか。今になればまっすぐに見ることができる。だから、そういう今が有り難く思える。 私はもういい加減に中年のおばさんだものね。



2015年08月18日(火) 痛みの消えた夏

お盆休暇も終わり・・私のことではないものの、ちょうど昨日と今日は連休がとれていたので、そんな時期の気分も味わっているような、いないような。

昨日の朝は土砂降りだった。涼しさも伴う恵みの雨だけど、最近ほとんどない、激しい雨を見るといよいよ来たかと身構える感じにもなる。でも、そんな思いも裏切られてほどなく止んでしまい、午後からはすっかりいい天気だった。

旅気分を求めるほど、ストレスがあるわけでもなく、なんか妙に満足感と感謝の気持ちが胸を占めているばかり。こんなことって、今までなかったなと、不思議な気持ちをかみしめているような気がする。 いつもこんな夏の時期は何かに追い立てられるような焦燥感が心を押さえてきたと思う。

弟を取り戻したい。会いたい。心のおくの声が叫んでいたからだと知っている。去年とうとう、夢は現実のものとなった。母のそばで一晩を過ごした弟。
一才そこそこで、母のもとから連れ去った父。 実母の存在を抹殺するはずの父がいた。

運命という偶然が何度も働いて、弟は実母のもとへ帰ってきた。

今年は、小さいころからのつらい思いが、切ない願いのもとに初めてその姿を消したと感じられて、胸に残った傷をわすれさせた。胸がこんなにも軽い。

何度となく 書き残しておきたい言葉はこんな小さな家族の絆の話ばかり。



2015年07月22日(水) 書いていかなければ

7月も半ばを過ぎて、すっかり夏モードのはずなのに・・。今日も雨に降られた一日は涼しくて、季節がわからないくらい。 どこへ出かけるというでもなく、その願望もさして、あるわけでもなく、部屋の整理整頓がうれしい今日この頃だ。今までと同じではいられない。 カーテンを変えることにずっと意識を向けていたので、一気に店に通って、色々眺めて、折り合いをつけたものを買ってそろえた。 これまでいつかしなければと思いながら決して実行に移そうとしなかったことだった。

部屋の掃除やものの片付けを一通りした後になって、やっとすんなりと行動が伴ってきたんだな。「生活」というもの、生きることを活かすと書く。そんなことを実感できるのがやっと今になってなのかな・・。

また、これからは色々と書き綴って行かなければ、考えて文章にしなければと思い始めてきた。 感じた事を表現して残す事。大事な事だな。 思考の大事な訓練でもあることだろう。 努力を惜しんではいけない。



2015年07月11日(土) 夏本番前

新しい職場に入って、ひと月以上があっという間に流れていった。バス通勤もなじんで、この街の中心部の駅で人々の色んな顔と服装を目にするのもこれまでの日常になかった場面がまた付け加えられる。

降りるバス停までの約20分も半ばくらいから故郷らしいやさしいなだらかな連山の緑が空気を一変させる。 毎日小さな旅気分まで味わっている。

小さい頃からのなじみの風景。車に乗ってお寺参りの思い出の道。 明日にはそういえば、インドネシアから帰国した兄が夫婦で親戚周りと墓参りに母のもとへやってくる。

天気は週末の朝は夏を思わせるくらいだったけど、またしてもどんよりした梅雨のような曇り空にもどる。去年に兄たちと会ったときは、良い天気だった。老舗のうなぎ屋さんの高い食事。かなり質素だったけど・・。 あれから日本を後に一人、異国の会社へ転職し滞在する兄だった。

弟は肘の抜釘手術入院中だったかな。 その後私は、資格試験の願書作成とか、秋には私も3日間の手術入院を控えていた。入院中に過去問題集を始めるいい時間がもてた。 元気も付いてきたので、バイトでもしようと思った。インドネシアへのチケット代でも稼ごうかなとか、手術の出費がくやしかったりで。 起爆剤になったものだ。

そして半年の間、ファーストフードのハンバーガーと付き合うことになる。裏方でマニュアルどおりに焼いて、揚げて、包んでという作業も慣れるまでのおっかなびっくりを楽しみながら 仕事の息抜きにもなって続けられたものだった。

今はどうかなーと、検討中。もうそんな精神的なエネルギーがあまってない気がして。 通勤時間が長くなった分が大きいかな。

病院は近代的なスタイルで綺麗で機能的なところだ。初代は明治9年に開業していて、いまの院長が5代目だという。  研修会で話を始めて聞いたけれど、頭のきれるビジネスマンという感じのしゃべり方をされていた。

入院患者さんの名前を覚えるのに精一杯の何週間かだったけれど、ナースたちの名前など、把握してしまうまでにはまだ、接触時間が要るようだ。介護士たちは
それぞれの個性がやっと、手に取れてくる頃。 どこにおいても、何をしても他人との競争心、自分至上主義の世界との戦いが顔をもたげるものだと、今更にして分ってしまう。現実の分析には疎い自分だということね。 つまり、おばかさん。

介護の仕事はやっぱり好きなことだ。ハンディーを持つ人たちに寄り添う事が自分にとっての喜びを生み出す事、有難うと言ってもらえて、心が潤う事。大事にしていきたい。

掃除、片付け、これまで取り掛かることが億劫だったのが改善されてきたのは、怪我して休んでいた頃にマイペースで頑張ったし、それが楽しさを感じたことの下地もあるのだろうきっと。 最近はちょっと気が付けばもう体が動いてくれるし、朝目覚めてから、もうすぐになんだかんだと動かしたりしたいる。 

今までの自分ってなんだったろうかね。埃だらけの散らかり放題の部屋。 みーこの写真を目にして、鼻炎にさせたのは、私だったと、気が付いた・・・。


初めて韓国へ行ったのは2009年の春だったと思う。6年前のことか。 あの頃に真剣に部屋の片付けを考え出した。 今6年が経過して、ここにたどり着いたなあといる感慨を覚える。

日差しのない一日だったとはいえ、扇風機のお世話にはならないといけないようだ。 もう福岡の町で山笠のクライマックスへの序曲が始まる。



2015年05月31日(日) 最後の休み

一日おきに晴れたり降ったり、今日はまた光がまぶしい空になった。ようやく風邪の重たさも取れているようでもある。起きる時は鉛のように体が重くてまだまだどうなる事やらと思わされたけれど、起きてみれば頭がかなりスッキリしていてよかった。夢の中では変な緊張をさせるようなものをつらうらと追っていたのだけど。

あしたからの早起きの自信全くなし。 ぐっすり眠る自信もなし。孤独感に心がつねられているかのようだ。 静観していくだけだ。 突き動かされるようなエネルギーがわいていたのは、思えば10年前くらいまでのことかなあ・・。

自分がもうかなりの中年だというのをどう思ってるのかな。

さて、連休最後の今日は、そして日曜日ときている。人ごみが恋しかったりしないのか、私は。気になる博物館までが、やけに遠く感じてしまう。今パワーがないときだ。風邪ひいた分だけ何かをかなり消費してしまって、まだ立ち直りができていない。

精神疾患を抱えた人のことを見たり、思ったりしすぎる毎日も気が滅入る。慣れ親しんだ場所や人々と別れることも、淋しくないとはいえない。自分のことを知ってくれていた人が日常の中からいなくなる。 そんなマイナスの感情を癒すために親しい人との交流、形式的な事柄などを生活の知恵としてやっていくものなのだ。

そんな流れの中でさらに交流を深めていったり、学生時代だってそんな事を学ぶ場所であったのかもしれない。だからそこらへんから私は、違ってきたからね。

いつも何かを言いたくなくて、隠していた。片親であったし、経済的に余裕なかったし、まず家自体がなかったこと、説明したくなかった。根本のところを。

人並みでないとは自分で認めなかったから。 普通の家庭で生まれ育ったのだから。 8歳のとき破綻したとはいえ、プライドがあった。 だからそのままそのつもりで振舞いたかったのだ。
そんな自分がずっと、この年になっても変わっていない。 それでいいのか、悪いのか、私にはわからない。

さて、今日の一日洞過ごそうか。 体調次第なので、体にきかなくちゃ・・。



2015年04月16日(木) 忙しい日々

最近 色んなことが次々に起きるので、退屈してる暇はない。 先月一日は、半年間の試験勉強の最後の山、2次の実技試験を受けに朝は4時半におきて、小倉駅へと向かった。 これまでにない経験だったな。わずか5分間の実技の審査。待機時間で疲れて頭が飽和状態で惨敗だったと、呆然とした気持ちで会場を後にした。 

そんな日々の中、マクドナルドのバイトは徐々に慣れて、気分転換にもなり、一石二鳥の状態でやっている。  老人病棟の仕事も楽しかった。何を言われようが、介護する中で、得る事のできるささやかな喜びが支えてくれていた。 試験には失敗しただろうと思っていたから、このまままた、一年過ごそうという気持ちと、あそこまで、人を否定する上司の態度に、退職を決心して、病院探しを始めたりもした。

面接を終えて帰った日の事、合否発表当日だったその日、ネットで知る事ができるのはすっかり忘れていた。 ふとそれを思い出して、おそるおそる番号を調べてみると、なんと私の番号が乗っていた。



2014年05月25日(日) 自分なりに語りたいけど

新緑の5月は引越記念日、生活は夜から昼へとの激変もあり、その年は20代の卒業の年であり、仕事も生活環境も人間関係もゼロからのやり直し。孤独と自由と若さの中で燃焼していた思い出。20年前のこと。



2013年11月17日(日) 心の氷山

書きたいことがないとは言わないけれど、何も文字にできそうにない。
そんなことをいうために、これを開いたわけではないけれど。
心にあてた光はすぐに薄暗くなって見えなくなってしまうようだ。
何かを書き記すにしても、自分が何か成り切っていなければ出来ない事
のように思えてきた。 何かはっきりとしたスタンスというのだろうか、
視点をしっかりすえた根底がなくては言葉にならない気がする。
私が人と話しべたなのはそういうこともあるかもしれない。

口癖・・、表現癖というか、 〜のようなきがする、〜かもしれない
〜のだろうか。 そこから発展させる事もないまま、思考はストップする。
私の悪いクセ。 自分を知らなければという意味はこんなところにもあるの
だろう。ここは断定して書ける・・。

友人を持つという事は、自分の意見を磨いていくための試練なのだと、
学生だった時に覚えそびれたんだなと思える。 自分にバリヤーをはって
いた訳は、必死で隠しておきたいことがあったから。


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