2022年11月29日(火) |
轟々風の唸り狂う夜、明かりを消して耳を澄ましてみた。ベランダの薔薇の枝々が風に嬲られている。枝が窓に当たり音を立てる。如雨露が所定の場所からとうとう落ちたのだろう、その音が大きく響く。かといって窓を開けて片付けに行けるような雰囲気でもなくて、私はただじっと、体育座りして、窓の外にじっと耳を澄ましている。
私の被害は一体、どういう被害だったんでしょう。ほら、世間にはエントラップメント型性暴力とかグルーミングとかそれぞれ言葉がありますけれど、どうなんでしょう、私の被害は一体。 この間、カウンセラーにそう訊ねた。思い切って訊ねてみた。 カウンセラーは、しばらく間をおいて、こう応えた。 角度によって如何様にも解釈可能だと思うの、こういうことって。だから、一概にどう、とは言えないと思うのよ。ただ、間違いなくあなたは事件の間解離していたのだと、私と医者とはそう解釈しているわ。 いや、そうじゃなくて、ああ、いや、そう、なんというか、何々型とか、そういう、言い方で言うとどういうものになるのか、とそれが知りたいんです。
カウンセラーは結局、はっきりと応えてはくれなかった。ただ、解離という言葉をくっきりと言ったのみだった。 私は。少し宙づりにされたままになった気がした。
落ち着きたいだけなのだ、ということも、私は知っている。自分が落ち着きどころが欲しくて、カウンセラーにこう訊ねているのだろうことを、知っている。信頼している人間に、いいように嬲られ、その後何度も何度も凌辱された過去に、何とかケリをつけたくて、だから、何かこう、明確な名前が欲しいのだ、と。 多分カウンセラーはそれを見越して、私に応えないのだ、と、思った。
私は。 解離ばかりしている。私の眼はしょっちゅう天井に貼りついて私を他人のように見下ろす。おかげで、私は私なはずなのに、私ではない、そういうところばかり生きるほかに術がなくなる。私は私であり、同時に私ではない。何処までも私は私とは別のところに在って、私を置いてきぼりにする。 解離性健忘は、まるで寄せては引く波のように、突然私のところにやってきて呑み込んでは、またつっけんどんに突き放す。だから私は、他人と共有できる現実と共有できない空白とを行き来しなければならなくなる。 一体どうしたら、この両極に橋を架けられるんだろう。
久しぶりにつけたテレビという箱の中で滔々と流れる映像が、暗闇の中ちかちか光り続ける。私はその光をぼんやり眺めながら、つらつらと考えるでもなく考え続けている。 余計な夢なんて見ない。 余計な期待なんてしない。 裏切られても当たり前。 笑われても当たり前。 揶揄されても笑って流す。 すべては最初からあきらめてしまえば、痛みは最小限で済む。
なのに。 私はやっぱり何処かで、期待してしまうのだ、信じてしまうのだ、追いかけてしまうのだ。もしかしたら、もしかしたら今度こそ、と。そうしてまた、転ぶのだ。泥だらけになり、膝を擦りむき、泣きべそを呑み込んで、そうしてまた。
私は、そんなふうにしか、生きられない。 |
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