2022年10月29日(土) |
息子と自転車で実家まで出掛ける。珈琲好きの父母にエスプレッソをご馳走することを思いつき、エスプレッソメーカーと珈琲豆をリュックに詰め込む。途中で濃厚なショコラケーキを買い足そう。あれはエスプレッソにとてもよく合う。 いい天気で風もちょうどいい感じ。気持ちよく走り続ける。その間中息子が後ろから私にあれやこれや話しかけて来る。かれはおしゃべりがとても好きだ。いや、黙っているのがきっと苦手なんだ。寂しん坊だから。私はひとつひとつ大きい声で相槌を打つ。畳みかけるようにさらに息子がおしゃべりする。そんな具合。 一番最初息子と自転車で実家へ行った時は一時間ゆうにかかった。でも二度目の今日は四十分程度で済んだ。大きな交差点からひたすら上り坂が続く。それを越えないと実家には辿り着けない。息子に「ガンバレ!」と声をかけながらふたりして坂を上がる。上りきると今度は下りになる。その上りきった丘から見る景色はいつ見ても美しい。今日は大気が澄んでいるせいで遠い遠い町の山の尾根がくっきり浮かび上がっている。「やー、上りきったところで見れる景色がこれって、最高だね!」なんて息子がいっちょまえに言うもんだから、私は笑ってしまう。 実家の庭では檸檬が鈴なりで、あと一週間か十日もすればちょうどいい具合に色づくところ。ゆずはちょうどよく実っていたので少し分けてもらう。そういえばここで夏にクロアゲハの幼虫を見つけたのだった。私が最初、蛾の幼虫かと思ってしまったそれが、クロアゲハの幼虫だった。あとで息子に「蛾の幼虫と間違えるなんて!」と酷く怒られた。 父の片耳はもう、ほとんど聞こえていないのかもしれない。母とそう話す。私達がそれなりの声でしゃべっていても、その最中に父に話しかけても返事がない。ここで無視するのはおかしいという場面がいっぱいあって、私たちは声のボリュームをフルにして再度父に話しかける。すると返事がある。呆気なく。やっぱり、聞こえていないのだ。 「もうね、ふたりでいて、普通に喋って聞こえないから、すごいストレスになる時があるのよねえ」母がしみじみ言う。毎日のことだから、そりゃそうだろうと思う。「ママのお小遣いで補聴器買ってプレゼントしたのに、頑としてつけないの」「ああ、そうだろうねえ、お父さんはきっとそうだろうなあ」「もうね、絶対つけない。認めたくないんでしょうね、自分が聞こえてないって」「うんうん」。そんな母は、この春肩の筋を断裂したにも関わらずいまも毎週末バトミントンを続けている。痛いんだけどねぇ、お医者さんとも話したんだけど、バトミントンは続けた方がいいわね、ってことでね、続けてるのよ。母がさらりそう言う。もう八十を越えた母には、好きにしてもらった方がいいと私も思うから、敢えて止めない。 息子が落ち着きなく四六時中動いていることにこめかみをちりちりさせている父に、私が苦笑すると、母が、「お父さんはね、子どもに慣れてないのよ。しょうがないわよ、子育てしてないんだから」。あっさりそう言う。まあ、第一級の企業戦士として生きて来た父を私も知っているから、私も心の内で深く頷く。「男の子なんてね、あんなものよ、時期がくれば落ち着くんだから、放っておいて大丈夫なのにね」「お母さんそう思う?」「思うわよ。何せ四人兄弟私以外全員男の中で育ってますからね私は。どうってことないわ」。確かに、そういえば母はそういう兄弟構成だった。もう母以外の兄弟はみな、死んでしまった。上から二番目の母が唯一、生きている。 ひとそれぞれ、みんな、いろんな親しいひとたちを見送ってきているのだな、と、改めて思う。見送り方はひとそれぞれなんだろう、きっと。母なら母の見送り方、父なら父の見送り方。私には私の、見送り方があって不思議じゃぁない。
じゃぁまたね、と手を振って私たちは実家を後にする。息子が大きな声で「またねぇ!」と言うと、母が「またねぇ!」と返してくれる。もちろん父は黙っている。 帰り道も息子はあれやこれやおしゃべりを続ける。「ねぇ母ちゃん!あのさ!」「なに」「あのセブンイレブン、最初の時にアイス食べたところだよね?」「ん?あ、そうだねえ」「ってことはもう半分過ぎたね、帰り道は速いね!」。 家に着いた頃にはもう、日が傾き始めており。西の空には雲ひとつない。そうして日が、堕ちてゆく。 |
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