ささやかな日々

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2022年08月28日(日) 
週末の加害者プログラムで、いきなり挙手をしたとある加害者さんがこう言った。「参加するだけで精一杯なんですよ、被害者のことなんて考えてらんないです、そういう者もいます」と。
ああ、またか、と思ったのが正直なところ。そうやって、ここに出て来る私に反発するひとはこれまでも大勢いた。だから別に、真新しいことでも何でもない。そうですねぇと流す。
でも、心の底で思っている。「あなたが今精一杯なのはそもそも、あなたの問題行動ゆえでしょう。誰のせいでもない、あなた自身のせい。でも私たち被害者はどうか。被害者はこの出来事に何の責任も負っていないのに、毎日毎日生き延びるので精一杯なんですよ」と。あなたの精一杯なんて知ったこっちゃない。むしろ自業自得だろう。それを私にこんなふうに宣わなければならないこと、それ自体が間違ってる、と。
でも、言わない。言ったらそこで、終わるから。対話が終わるから。だから、そこではじっと黙って流す。
私はここに喧嘩をしにきたんじゃない。あなたたちと対話をしにきたのだ、という思いを改めてぎゅっと心の中握り締める。そして、今日のテーマを語り出す。

語り乍ら、時折先程の彼の顔を私は見ていた。彼だけのことじゃない、目の前に被害者と名乗る人間が現れれば、加害者は誰だって恐らく、反発するに違いない。どうしてこんなところに被害者が来るのか、と。でも。そんな反発は、もう、承知の上なのだ。
被害者と加害者。片方だけがいくら頑張っても、どうにも変わっていかない社会なら、ここに橋を架ける方がいいじゃないか。少しでも互いを知り、現実を知り、できることをそれぞれに為す。そうしなければもう、社会はどうにもならないところに来ているんじゃないのか。

最近出所してきたというひとりが、教えてくれた。刑務所内でプログラムを受けた後、受講生たちに彼は呼びかけたのだそうだ。こんなクリニックがあるらしい、一緒に行かないか、一緒に通わないか、と。でも、みなに「自分は病気じゃないから」と鼻であしらわれたそうだ。結局クリニックに繋がったのは彼のみ。
その彼が言う。「情報が少なすぎる」と。こんなクリニックがあることも、こういう症状が病気だということも、みな知らない。だから、出所後こういうところに繋がろうなんてそもそも思いもつかない。考えもしない。と。
また、クリニックに通っていて或る程度症状が落ち着くと通わなくなってくるひとたちも多い。結果孤立し再犯し、ぐるっとまわってここに再び戻って来るひとは結構多い。自分はもう治った、病気なんかじゃない、と思って病院から離れたけれども、結局再犯し、もうだめだ、と思いここに戻って来る。
ふと思う。被害者も似通ったところがあるな、と。被害に遭う前は、自分が被害者になるなんて想像もしていないから、こういう被害に遭った時に通うべき病院があるなんて思ってもみない。そういう情報に繋がらない。だから知らない。そして実際に被害に遭ってしまっても「自分は大丈夫、病気なんかじゃない、きっと大丈夫」なんて自分を叱咤激励し日々を息切れしながら生きるひとは結構いるに違いない。私もそうだった。私が病院に実際に繋がるのに、一年かかった。
また、多少症状が良くなると、もう大丈夫、自分は病人なんかじゃない、もう普通に生きられる、と、病院から逃げ出すひともまた多いのではないだろうか。私もそういう時期があった。病院から逃げ出した時期が。でも、PTSDや解離なんて、そんな簡単に治るものではなく。病院から逃げ出してしばらくして思い知るのだ、自分はちっとも治ってなんていなかった、と。絶望するのだ。そして再び病院に戻って来る。戻らざるを得ないところに至る。
何だろうこの相似。

被害者も加害者も。孤立してはだめだ。絶対に。孤立させてはだめだ。被害者は下手すれば死んでしまうかもしれない。加害者は容易に再犯してしまうかもしれない。
ひとと繋がっていること。大事だ。それが命綱になる。ぎりぎりのところで思いとどまることが、その繋がりによって可能になったりする。

先程挙手し憤りをぶつけてきた加害者さんは、もうその日はそれ以上何も言わなかった。私も敢えて返さなかった。淡々と、テーマについての対話を進めた。
いつか、彼に伝わるといい。何故対話なのか。何故私がここにいるのか。被害当事者が何故、こんなところにしゃしゃり出てきているのか。

私たちは、互いの被害後、加害後を、もっと知るべきだ。少なくとも加害者は、自分の加害行為のその後、被害者のその後を、しかと知るべきだ。その後を知り、知った上で、自分の「責任」を果たしてほしい。
加害者がいくら被害者を忘れても棚上げしても。被害者は決して加害者やその被害を忘れられない。忘れない。


2022年08月26日(金) 
とある監督の映画が上映中止(延期?)になったと知った。知人が予告編を作った映画で、上映直前であったものが、今の状況で上映することはよろしくないということで、決断されたという。あまりに見事にその決断がなされたので、それを知った時私は、正直に言うときょとんとしてしまって、実感がもてないくらいだった。
ああ、こんなことがあり得る世の中になったのか、と、その時改めて、思い知らされた気持ちがした。
呆然と、目の前で起こっている事達を改めて眺め、つくづく思った。最近の、性被害に対しての世間の有様に、私はきっとついていききれないのだ、と。私が被害に遭った頃とは全く、手のひらを返したかのような状況で、「これは何なの? 一体どうなっているの?」と、半ば驚いてしまっている、呆然としてしまっている自分がいることに改めて気づかされた。
大きな変化がおこる時、ひとはそんなふうに、呆然としてしまうことがあるのかもしれない。
予告編を作った知人が、「こうあるべき」と、「これは最良の判断」というような思いを書いていて、それにもまた、私はぼーっとしてしまった。ああ、この決断が最良の判断と言われるようなところまで、社会はようやっとたどり着いたのか、と。
本来、そうであるべきなのだと、そう思う。が、長いこと、そうじゃないところで生きて来てしまった私は、今の状況に半ば取り残されているのかもしれない。
そのことを、思い知る出来事だった。

と同時に強く思うのは、「正義」を掲げて声高に訴え出ることだけがいいことではない、とも。その声に圧し潰される声が必ずあることも、思うのだ。本来その、かそけき声をこそ丁寧に拾い上げることが大切なことであったはず。そのことを、忘れないようにしようと改めて思う。

通院日の今日、心底疲れた。考えなければならないことが目の前に山積みになっている気がした。途方に暮れたい自分がいた。でも、ここで途方に暮れていたらきっと、私は閉じてしまう。

何故、どうして、私が被害に遭った頃そうであってくれなかったのか、と、嘆いて悲鳴を上げたくなる自分もいるのだ。何故どうして、どうして、と。私のこの二十何年は決して、戻って来てくれはしないから。
でも、そんなふうに嘆きたいわけじゃないのだ。本当は喜びたい。ああ、ようやくここまできたのか、よかった、と、素直に呼吸できる心持ちであれたら。
だから今、ここで閉じるわけにはいかないのだ。荒ぶる心の扉をそのまま、何とか必死で抑えている。閉じてはならぬ、と。必死に保っている。
私は本来、心が広い人間なわけじゃない。とても狭い。許容量なんてたかが知れている。だからこそ。

今ここで閉じるわけには、いかないのだ。


2022年08月25日(木) 
息子がトマトの種をほじくり出して土に埋めたのが半月ほど前のこと。わっさわっさと芽が出て来た。こんな簡単に芽って出るものなのか、と、吃驚している。
今、我が家のベランダの端っこには、このトマトの芽と、葡萄の蔓、蜜柑や檸檬の樹の芽で実に賑やかだ。種を蒔いたのは確かに私と息子だが、こんなすんなり次から次にみんな芽を出してくるとは思いもよらないことだった。このわさわさ出て来た芽たちを、一体ここからどうしよう。ベランダがすっかり埋まってしまいそうだ。驚いているけれど、同時にちょっと、嬉しくもある。こんな世の中にあっても、ちゃんと命が息づいていることが間近に感じられて、それは嬉しい。

* * *

被害者にとっても加害者にとっても、やり直しができない、しづらい社会って、怖いってつくづく思う。過去にあった加害行為、それを被害女性に何の断りもなしに暴露して、大騒ぎする世間の有様って、これ立派なセカンドレイプなんじゃないのかって私などは思ってしまう。被害女性が訴え出たのとは訳が違う。自分の身の上に起きた出来事を、断りなしに曝露されたら、どれほどの恐怖だろう、と想像するのは私がおかしいのか?

宗教の問題にしろ政治の問題にしろ、そしてこういった性の問題にしろ、何だか最近、何か変、と感じる。かぎかっこ付の「正義」が巷を闊歩しているようにしか見えない。恐ろしい。そう感じずにはいられない。

今の社会、加害者にとってだけじゃない、被害者にとってもその後がとても生きづらい。このままじゃ、被害者も加害者も両方が、その後を生き直すことができなくなってしまうんじゃないかと思える。
私が被害に遭ってもう二十何年経つのに、いまだ社会がそういうところにいるのは本当に恐ろしいなと思う。少なくとも私は、自分の後に生きる人たちに、こんな生きづらい社会遺していきたくない。


2022年08月19日(金) 
布団という代物はとても大切なものだと思い知った今夏の家族旅行。一日目は夕刻まで雨が断続的に降るという具合で。せっかく海が目の前のコテージ、天気が悪かろうと何だろうと海に行かずには済まないというわけで全員で海へ。
しかしワンコは例年の如く、波の手前で踏ん張って動かなくなった。波の音は彼にとって恐怖以外の何者でもないのは相変わらずらしい。私がワンコを引き取って、カメラ係に。他の家族が高い波にも負けずに果敢に海へ。息子はもう、波乗りもうまくなってきていて、家人とかなり沖の方まで。娘と孫娘はその手前でじゃぶじゃぶ。気持ちよさそうだよ? 君も行かない? 何度もワンコを誘ってみるも、彼は私の背後に隠れてもはや出てこない。写真を撮ってやろうにも私が身体を無理にひねらなければ彼の顔を捉えられない始末。
いい時間になってきたし海遊びを切り上げようかという頃になって雨が止んだ。苦笑いしながらみんなでコテージに戻る。

こんなふうにみんなでバーベキューする日が来るなんて、娘がお年頃のあの頃、誰が考え得ただろう。互いに反発しあうしかなかった日々。あれは一体、どういう時間だったんだろうって今ならぼおっと眺められるけれども、当時はもう、誰かが死ななくちゃもうどうにもならないんじゃないかというところまでみんながみんな追いつめられていた。誰かが死ぬか、殺すか、しなくちゃ、もう済まないんじゃないか、と。誰もがそう、思いつめていた。
あれからまだ五年とちょっとしか経っていないんだと思うと、心底驚いてしまう。まだそれだけ?と。もう十年、二十年経ってるんじゃないか、と思えてしまう。そのくらい、みんなが、当時の立ち位置からそれぞれに変化したんだろうなと思う。誰よりも娘。そして家人も私も。

夜はオトナの時間だ!なんて勇んでいた家人が一番最初にこてんと倒れ込むように寝てしまった。次に私も、娘曰く、眼鏡をかけたまま頬杖ついた形で眠ってしまったらしい。娘は孫娘を寝かしつけながら一人起きてたんだよと朝になって言われた。申し訳ない。そんなこんなでオトナ同士の時間なんて一分も持つことなく終わってしまった今年の旅行だった。

帰宅すると、為すべきことが山積みである現実を否応なく認めざるを得ない状況で。ああ個展まであと一か月半あるかないかなんだよなと改めて頭を抱える。なのに、そんな私の状況をまったく顧みてくれない家人が、構ってくれアピール。いや、個展前なのだからこっちの状況を考えてくれよと心の中叫んでみたが無駄で、結局彼が寝ると言い出すまでつきあわされた。つきあったのは自分だと分かってるから、どかんと自己嫌悪。おねがい、個展が始まるまで私を放置してほしい。私を個展に集中させてほしい。真剣に願う。

そして冒頭の、布団の話だけれど。泊まったコテージの布団が本当に酷くて。朝目が覚めて全身がぎしぎし軋むほどの布団ってどうなの、と思ってしまった。そのくらいぺしゃんこの、ちゃちな布団であった。そして思った。娘が再婚した折には、彼女らにいい布団をプレゼントしよう、と。いや実際そうするかどうかは別にして、そう思ってしまうくらいに、今回の布団が酷くて、布団の大事さを思い知った、という話。


2022年08月15日(月) 
昨夜、Aちゃんが釣ってきてお裾分けしてくれた鰤や鯖を捌いていたその最中に、蝶が羽化した。もちろん気づいたのは息子。母ちゃん!見て!翅拡げてる!ちゃんと翅が拡がってる!
二匹の蛹が羽化に失敗してしまった後だったから、息子のその声は半ばうわずっており。「もう逃がしてあげよう、籠から出してあげよう、ね?ね?!」とそれは悲鳴に近い声だった。
蛹の位置が悪くて、二匹とも翅が折れてしまった。そのせいで飛べないどころか体の位置を保つこともできず死んでしまった。そういうことがあり得るとは覚悟していたものの、それでも息子にはそれがたまらなく辛かったのだろう。翅を今目の前で拡げている子だけは、その子の命だけは絶対僕が守る、と、そんな決意が見てとれた。
籠の蓋を開けると途端に部屋の中に飛び出した子。でもまだ羽化したばかりのはず。実際不安定極まりない飛び方をしている。息子が慌てて虫捕り網を持ってきたので本棚の上に逃げ込んだ子を何とか捕らえ、急いでベランダに出す。何処がいいかな何処にする??息子の声は相変わらずうわずっている。私が、じゃあ一番手前の薔薇の樹にしよう、と薔薇の樹の枝に蝶をくっつける。蝶は必死に足を枝に絡ませ身体の位置を定める。
カラスアゲハと思っていたがよく調べたら、クロアゲハだった。後翅にオレンジ色の紋模様があるということはメスか。私があれやこれやぶつぶつ言っていると、息子が一言、どっちでもいいじゃん、ちゃんと翅拡がったんだもん、もうそれでいいじゃん、と鼻水を垂らしている。そうだね、ほんとに。ほんとにそうだ。うん。
写真を一枚、撮って、窓を閉めた。
朝見に行くとまだそこにアゲハ蝶はいて、息子はそれはそれで心配を始める。ちゃんと飛べるんだろうか、何処か傷ついてるんじゃなかろうか、大丈夫だろうか云々。まるではじめての赤子に戸惑っている父親のようだなと心の中苦笑する。私が洗濯物を干しにベランダに出ようとしたその瞬間。
飛んだ。飛び立った。
風に煽られるかのような姿で、ふわっと風に押され、その直後、風に向かっていくかのような態勢で飛んでいった。あっという間に見えなくなった。息子は、がんばってねー、とベランダから手を振っている。もうどこに飛んで行ったか分からないけれど、でもきっと、気持ちは届いたに違いない。
蝶よ、君の旅路は短いのか長いのか、そのどちらでもないのか私には分からない。どちらでもいい、どちらでもいいから、精一杯生きてくれ。命のバトンを繋いでゆけ。

午後、暇を持て余している息子と映画を観に行く。TANG。私は途中うとうとしてしまったのだけれど、息子は夢中になって観ていたようで、観終えた後、「ケンはタングのために、タングはケンのために」だったか、映画の中の台詞を好んで繰り返し唱えている。「こんな声色だったよね?」と首を傾げながら唱えるものだから、その仕草だけでタングに重なってかわゆく見える。

「母ちゃん、この蜜柑の芽、いつ大きくなる? いつ樹になる? 来年に間に合う?」。飛び立った蝶がメスだったことを知った息子が何度も私にそう訊いてくる。来年には間に合わんなあさすがに。植物が、とくにこういった子たちが太くたくましく育つには、何年か時間がかかるものなのだよ息子。私がそんなことをつらつらと応えると、息子が一言、大丈夫、絶対あの子は帰って来る、ここに帰って来るよ、と。そうか、だといいなぁ息子よ。
名無しの権兵衛たちのプランターに水をやりながら夕空を見やる。みなが南西の風に揺れている。樹たちの生きる速度と、蝶のそれと私たち人間のそれとは、まったくもって速度も何も異なっている。それでも。
名無しの権兵衛だろうと名がある子だろうと、自分のテンポで育ってくれればそれでいい。みんなそれぞれに、自分の速度、自分の術がきっとある。


2022年08月13日(土) 
台風のせいだろうか、早朝の東の空が燃え上がる。鮮やかなピンク色、そして黄金色。言葉にしてしまったらそんな簡単な言葉にしかならないのだけれども、そのピンクや黄金色は、これでもかというほど燃え上がり、ゆらゆらと燃え上がり、一瞬一瞬様子を変えた。見事な天空ショーだった。

そんなふうに始まった朝、整骨院に出掛ける日でもあり、いつもなら自転車でひょいっと駅まで走るのだが、さすがに今日はバスで出かける。雨が強まったりやんだり。落ち着かない様子の中、バスから電車に乗り換える。それなりに混んでいた気がするのだけれど、それ以上のことをもう思い出せない。整骨院に行った、ということはうなずけるのだが、それ以上のことを思い出せない。

ぼんやりと思い出せるのは、息子と一緒に近所のスーパーに卵を買いにでかけたその道中の様子の一部。私がついさっきまでの家人とのやりとりでかっかしていると、息子が「だよねー、僕もそう思う!」としきりにうなずいてきて、その頷き方につい笑ってしまった。

「私だって忘れちゃうわよ」と先日Yさんがそう言いながらからからと笑っていた。言いたいことは何となく分かるから、だから言い返しもせず、黙って聞いていたけれど、本当は、本当は、言い返したかった。あんたに何が分かる、と。

うまく言えないけど。ただ忘れてしまうことと、病気の症状として忘れてしまうこととは、やはり、根本的に違う気がする。彼女が私を励ます為に「私もしょっちゅう物忘れあって、あーって思うよ」との言葉も、「忘れちゃうことなんてたいしたことじゃないよ」と彼女がニコニコ笑いながら言うその言葉も。とてもよく分かる気がする。
でも。
そうじゃないのだ。私が絶望するのは、そこ、じゃないのだ。

私の「忘れる」「失う」には、解離が伴っていて、「忘れる」「失う」ということは、そのままそれだけの分量の解離をしていた、という証明でもあり。

解離なんて無縁、というひとたちから見たら、はてなマークが何百何千と頭の中跳ねまわるだろうけれど、でも、解離を生きている人間からしたら、この、頻繁に起こる解離は、絶望を招くのだ。

ああやっぱり、うまく言えない、言い表せない。まだ言葉にするには十分じゃない。それがなおさら、苛立ちとなって私に食って掛かって来る。

とりあえず深呼吸してみる。無駄でも何でもいい、とりあえずひとつ深呼吸。


2022年08月12日(金) 
通院日。今日は診察のみ。出掛ける30分前に雨がぶわっと降り出して慌てる。家人が「やむよ、きっと」と言うのでじりじりしながら窓の外を気にしていると、本当に止んだ。最近の天気は私が知っていた日本の天気とはかなりかけ離れてきている気がする。雨の質も暑さの質も、何もかも。
診察後、薬を受け取っていると息子から電話。「まだ?もう家出ていいの?」。今日は息子とかき氷屋さんに行く約束をしている。催促の電話だ。「今お薬受け取ってるから、もうちょっと待ってて。あとで電話するから」。伝えて電話を切る。
「ふらつきとかありませんか?めまいや息切れといったものは?」と薬剤師が訊いてくるのでまじまじとその顔を覗き込んでしまう。ああなるほど、はじめての人だからだと納得し、首を振る。申し訳ないが、私はもう何年も何年もこの処方箋を飲み続けているのだ、今更ふらつきなんてあってたまるか、心の中ひねくれて、そう呟いてしまう。もちろん声にはしないけれども。

電車に乗り、目的の駅への到着時刻を確かめてから息子にショートメールを送る。送りながら、待ち合わせができるようになるってすごい成長だよな、と思う。家から最寄りの駅まで自分で自転車で来てもらえる、たったそれだけのことかもしれないが、それによって、今までかかっていた手間暇が半減するんだもの、本当に助かる。
待ち合わせ場所に行くとすでに彼は来ており。ちょっと距離のあるところから彼の表情を窺っていると、ちょっとぶーたれた顔をしているのに気づく。待ちきれない様子だ。そりゃそうだ、かき氷屋さんに行きたいと言い出したのは彼だ。どうしてもこれを食べたいんだと。
ふだん私はこんな値の張るものを食べる習慣はなく。いつもだったら即座にお断りするのだが、彼が半額自分のお小遣いで出すからと言ってきかないので、そこまで言うのならと今日一緒に行く約束をした。夏休みの小さな思い出にもなるかしらと思うところもあった。そういえば今年かき氷をちゃんと食べていないな、と。
小さな店の前にはすでに列ができており。私達は急いで列の最後尾に並ぶ。日傘を持ってくるべきだった、と後悔するも遅し。陽射しは容赦なくこちらを突き刺してくる。持っていたハンドタオルを翳して視界だけでも少し陰らせる。
メニューを改めて見た息子が、生苺ミルクにする!と。もう目がきらっきらに輝いている。不思議だ。私にはこういう欲がない。これこれを絶対食べたいとか飲みたいという理由で行列に並ぶなんて、これまでしたことがない。今日だって、もし私ひとりなら、行列を見た時点でくるり向きを変え帰宅する。息子のお願いだから仕方なく今こうして列に並んでいるだけ。それにしても暑い。
結局30分近く待って、ようやく店内へ。ラッキーなことに、かき氷を作っているその目の前の席に案内される。息子はもう興味津々で、目の前でかき氷を作り始めたお姉さん店員の手元を凝視。それに気づいた店員さんがにこにこ笑って、声をかけてきてくれる。削り終えて薄くなった氷の塊を皿に載せて差し出して「触ってもいいよ、これあげるね」と。触ってみて気づく。実にきめの細かい柔らかい氷。氷に柔らかいとかきめが細かいってあるんだな、と、その時実感する。息子と顔を見合わせて「すごいね、おいしそうだね」と言い合う。
そうしているうちに息子のところに苺のかき氷が、私のところに抹茶小豆のかき氷が運ばれてくる。息子が一口食べたところで、「うわあ」と。「母ちゃん、すげー美味しいよ、食べて食べて!」。その言いっぷりに吹き出してしまいそうになる。
でも、食べて分かる。ああ、息子はこの滑らかで軽やかな氷に感激したのだな、と。練乳を追加でかけても良い仕組みになっていて、息子はこれでもかというほどたっぷり追加で練乳をかけている。私は追加は一切せず、そのまま戴く。
食べるのにいつも時間がかかる息子なのに、早食いの私とほぼ同じ速度で食べきってしまった。山盛りだったかき氷、あっという間になくなった。でも、ふたりとも満足で、顔を見合わせてにんまりする。
「ごちそうさまでしたぁ!」息子がお姉さん店員ににっと笑って言うと、「また来てね」と言われ、嬉しそうに息子が顔を綻ばせる。「お小遣い貯めて来るね」と言い店を出る。出た途端、息子が言う、「母ちゃん、絶対また来よう!」。
まさか自分が、息子とかき氷屋などに出掛け、さらにはまた来ようねと約束を交わすなど、昨日までの私には考えられないことだった。こんなことが自分の人生にあり得るのだなと思うと、心底不思議な気がする。

おいしいって忘れちゃったよ。そうタイトルを付したテキストを、昔書いたことがあった。PTSDになり味覚嗅覚が失われた頃のことだ。何年も何年も、私は匂いも味もないところで生きて来た。そのおかげというべきなのか、食に対しての欲が本当に薄い。おいしいものを食べに行こう、という気がまったくもってない。おいしい、という感覚がいまだに薄いからだ。
でも。
「僕全部制覇したい!お小遣い貯めるからまた来ようね、絶対だよ!」、繰り返しそう言っては「美味しかったなあ、もう最高!」とうっとりした顔をしている息子を見ると、おいしいってこういうことを言うのだな、とじんわり沁みて来る。
信号待ちしていると、息子がさらにこんなことを言う。「僕、アルバイトできるようになったら、かき氷屋さんでやるんだ。おいしいかき氷いっぱい作ってさ、零れた奴はつまみ食いしちゃったりしてさ、いいなー!絶対やる!」。
自分の人生に、こんな楽しみがいまさら加わることがあるなんて、思ってもみないことだった。「母ちゃん、次何味食べたい? 僕ね、今度は苺にホイップクリーム絶対乗っけるんだ!」。
息子のわくわくどきどきは、止まらない。


2022年08月08日(月) 
ぼんやりと夜が明ける。朝が来る。強い風が吹き抜けてゆく。ベランダに立っているとうなじの後れ毛が風に嬲られる。
寝るタイミングをうまく掴めないままの日が続いている。椅子でならいつでもうとうとできるのに、横になるという行為ができない。

昔友から聞かされたことがある。近親姦の被害に遭い続けた子からの話。真っ暗闇の中息を潜めてじっとしている方が落ち着く、と。下手に豆電球などがついていると、恐ろしい、と。また手が伸びてきて被害に遭うんじゃないか、と、それが怖いんだ、と。真っ暗闇の中なら、もしかしたら見つからないでいられるかもしれないって思えるんだ、と。
彼女のその時の声はこれでもかというくらい切実で、だから痛かった。たまらなかった。私には到底計り知れない痛みがそこにあった。
私は逆で、豆電球でもいいから微かにでいいから小さくていいから、ひとつでいいから、明かりがついていてくれないと恐ろしい。できるなら煌々と明かりをつけっぱなしにしておきたい、朝まで。横にならずに済むように、何処までも煌々と明かりをつけっぱなしにしておきたい、と。そう話した。彼女とふたり、「真逆だねぇ!」と大笑いしたのを覚えている。
同じ性被害でも、その被害が起こった状況や時、関係、そういった様々な事柄によって、その後の有様は180度異なって来るんだな、と、その時改めて思った。
そういう意味で、同じ被害、なんて、何処にもない。

犯罪被害者、と言うだけで「え?!」と引かれるのが常だけれど、さらにそこに「性」がつくと、みな黙り込んでしまうのはあれは何故なの。別に何も特別なことじゃないじゃないか。性被害、これでもかってほどあるのに。まるで、「犯罪被害の中でも性被害は特別、特殊」といわんばかりの勢いじゃないか。そんなのって、おかしくないか?
性は決して特別じゃぁない。特別じゃないからこそ、大事に扱わなければならない。私はそう思っている。当たり前のものほど、当たり前にそこにあるものほど、大切に扱わなければならない、と。
私が、自分は性犯罪被害者だ、と口にするようになったのはもう二十数年前のことだけれど、当時は今よりももっと、嫌悪された。性犯罪被害者?!なにそれ?!といわんばかりの勢いで、下手すればこちらの口を抑えにかかる人もいたくらいだった。そういう輩にとっては、どこまでいっても「性」は、「性被害」は、特別、特殊。特別な人間がなるもの、特殊な立場の人間だけがなるもの、みたいな。冗談じゃない、誰だってこの直後被害者になり得る可能性を持っているってのに。

実家まで、息子と私とそれぞれに自転車に乗って出かけた数日前。無事往復できたことで自信を持ったのだろう、今日私の仕事場に出掛けるのも何の躊躇いもなく自転車に跨り走り出した息子。その背中を見ていて、こうやって子供はひとつずつ自信をつけてゆくものなのだなと実感。
親には計り知れない、子供にしか味わえない未知の領域なるもの。彼らにとっての未知の領域は、だから、こちらがどう想像を巡らしても足りることはなく。彼らには彼らの世界の拡がり方があるのだと、改めて思い知らされる。私には私の世界があるように、彼には彼の世界がすでにあるのだ。大事な、こと。
私が普通に走って約40分の道程を、彼とふたり、二台の自転車で初めて走って一時間強かかった。でも走り切った時のあの彼の顔ったら。まさににかーっと満面の笑顔だった。ああこんな顔久しぶりに見るなぁとちょっと眩しくなったほど。彼が自信をつける瞬間に立ち会うことができて、私はラッキーなんだな。

それにしても。暑い。夜でも蒸している。汗が止まらない。


2022年08月07日(日) 
S君からの連絡を受け、考えた末、展示の際に冊子を販売することに決めた。決めたと同時に作業を始めたのだが、ああ作りたかったのだなと今更納得した。10年という月日は短いようで長く、長いようで短い。それでも、改めてその10年を綴じることで、それが長くもあり短くもあったいとおしい月日であったことを思い知る。
展示に向けてテキストを書いたり、展示の構成を考えたりする時間というのはとても幸せな時間だと思っている。いや、大変ではあるのだけれど、その大変さも含め、幸せな時間だな、と。そう思うのだ。
自分が積み重ねてきた時間にどっぷり浸かることができる時間。そこから新たに、今引き上げたいものたちを選び出す時間。それをどんな形で、どんな角度で提示するか。要するに、個展という一点に向かってまっしぐらに駆けることができる時間、なのだ。
ただし。今回は今が夏休みという点が普段と違っている。普段だったら四六時中展示のことばかり考えて、ああでもないこうでもないとできるのだけれど、今は夏休み。金魚の糞の如くに息子が私の周りでぎゃあぎゃあ騒いでいる。彼の相手をしないと「愛が足りない!」と文句を言われ続ける。とにもかくにもしょっちゅう「母ちゃーん!こっちきてー!」と呼びつけられる。そんな具合だから自分に集中することがほぼ不可能。ああ、私は展示のことを考えたいのだよ、少しは放っておいてよ、と絶叫したい気持ちに駆られる。もちろん絶叫もままならないというのが現実なのだけれど。

Nちゃんから唐突に連絡が。数年前会って、それからしばらくして彼女がネットから消えた。その事情を今知らされる。ああそれはいたしかたがない、というよりも、今大丈夫なのかが気になって気になって、心配になる。
何度もメッセージを読み返し、じんわり、ああ生きていてくれてありがとう、と思う。どういう理由があろうと、今そこにいること、いてくれることに感謝せずにはいられない気持ちになる。とにかく、よかった。
まだ私がシングルマザーだった頃、彼女は季節になると果物を送ってくれた。大きな大きな梨。娘がそれをいつも楽しみにしていた。「今年そういえばあの梨食べてない。あの梨のひと、元気?」と娘が尋ねてきたことも。そのくらい、日常に沁み込んでいた。
とにかくも、生きていてくれてありがとう。また連絡をくれてありがとう。

ばぁばの庭にはきっとカマキリが居るに違いない、ということで、息子とふたり自転車に乗って出かける。と書いたが、確かに自転車で出かけたのだが、今回はじめて、彼は自分の自転車を自分で漕いで出掛けた。
私ひとりならば、30分程度の距離なのだが、はじめて走る彼と、とにかく安全運転を心がけて走ったら、1時間以上かかってしまった。それでも、完走した彼の顔は実に晴れやかで。いい顔をしている。そうか、彼にはこういう成功体験をもっともっとさせてやらなくちゃいけないのだなと改めて思う。自分でやり遂げた、という感覚。実感。そういったものをもっともっと、もっともっと体験させてやらなくては。
だが、期待に反してばぁばの庭でカマキリをゲットすることは叶わず。ばぁば一言「午前中というか、朝早い時間なら見かけるけど、昼過ぎじゃぁね、虫さん出てこないわよ」。そうなのか? 知らなかった。不思議そうな顔をした私に父がにまっと笑って言う、「母さんは高校の頃生物部に入ってたことがあるくらい生物好きなんだよ」。知らなかった。驚いて振り返ると母は母で「だって楽しいじゃない、生き物。でもね、うさぎの解剖だけは参加しなかった。嫌でしょ、そんなの。私無理」そう言って笑う。私は、心の中で、高校生だっただろう母と生物部でじっと生き物を観察している母の横顔を想像する。さぞや美しい横顔だったに違いない。にしても生物部とは。
結局、今度日を改めて、カマキリ探しにくることに決める。息子は「今度ももちろん僕が自転車で走っていいんだよね?」「いいよー、もちろん!」。そんなやりとりさえ、今日は心地よい。


2022年08月05日(金) 
携帯を失くした。病院の帰り道、たぶん座席に置いたんだ、そのまま立ち上がってしまったんだと思う。降りて扉が閉まってすぐ気づいたから、駅員のところに走った。しばらく電話をかけていた駅員が一言「電話をかけても駅員が出ないということは忙しいということで、恐らく確認してもらえないので、あの電車は一時間後折り返してきますから、自分で確認してみてください」と。驚いた。こんな対応をされるとは思っていず、どうしたらいいのか途方に暮れた。最近の駅の対応はこういうものなのか。
結局、あっちこっち公衆電話から電話をかけまくって、届け出もして、その挙句見つからず。SIM再発行してもらう。携帯も新しく購入。我ながら凹んだ。

いつから私は家人と息子のキャンプに付き合うようになったのだろう。私はキャンプが好きじゃない。むしろ嫌いだ。そのことは何度も伝えたのだが。恐らく彼らは私の「嫌い」がどれほどのものだか全く理解してくれていない。前の晩から緊張で眠れなくてへとへとになるくらい嫌いなんだと今回伝えてみたが、ふーん、という薄い反応。そんなもんなんだろう、彼らにとって私の気持ちなんて、と、頬杖つきながら彼らの横顔をぼんやり眺めた。
ひとの気持ちなんて、想像しなくちゃ分からない。想像したって分からないこともたくさんある。そもそも自分の気持ちがちゃんと自分で分かっているかと言えばそれさえままならないこともあるくらいなのだ。他人の気持ちなんて本当に、心を尽くして想像しなければ分かったもんじゃない。
想像する。この能力を使わなくなったら、或いは、使えなくなったら、人間、或る意味で終わりだと思う。想像力。本当に大事だ。
自戒を込めて。

息子が育てていたカマキリが、三度目の脱皮で失敗してしまった。背骨のところが大きくくの字に曲がってしまい、立とうにも立てない状況。つまり、自分で捕食できなくなってしまった。このままだとすぐ死んでしまうだろう。
半泣きになっていた息子が、突如、バッタの足を引っこ抜いてカマキリの口に持っていった。「食べなよ、食べるんだよ、でないと死んじゃうよ!」。こうなった時の彼の集中力はすごい。微動だにせず、ひたすら掌の上のカマキリの口にバッタの足をくっつけている。私が洗い物を始める前からそれは始まり、洗い物が終わっても彼は動かない。
そんな彼に根負けしたのだろう。カマキリが一口食べたらしい。「母ちゃん!ほら見て!食べ始めた!!!」
そしてキャンプから帰宅した今日、カマキリはまだちゃんと生きていて、息子は捕って来た蝉を解体してカマキリの口に運んでいる。しっかり食べているそうで。私はさすがに半分こになった蝉の身体を見る気持ちにはなれず、台所からウンウンと頷くだけにした。
それにしても彼の執念というか何と言うか。気持ちってすごいなと思った。絶対次の脱皮まで生き延びられるようご飯を食べさせてやるんだと彼は勇んでいる。次脱皮したらもしかしたら身体が元に戻るかもしれない、と。本当にそんなことあるんだろうか? 私には全然分からない。

中村キース・へリング美術館の「混沌と希望」、それからえほんミュージアム清里の「しおたにまみこ絵本原画展」をキャンプの途中で観た。キース・へリングの方に息子は興味を持つかと思ったら、大して反応はなく。一方絵本美術館では興奮気味に「この絵いいね」とか「この絵具何に使ったのかな。この鉛筆すごいね」なんて次から次に言葉が出て来る。そして何よりも、自分が読んだことのある絵本の作家の展示のポスターを見つけては、「これも観たかったな!」と。
彼の興味の方向への私の認識が改められた一場面だった。

疲れているはずなのに、さっきまで眠気があったはずなのに、ちっとも横になれる気がしない。何となく気が立っている。たぶん、やらなくちゃと思うことが山積みだからだ。それと、今、あまり家人の横で眠りたくない気持ちもあって。仕方ないこればかりは。
何だろうなあ、彼に対しての気持ちがイガイガしている。そういう感じ。

夜はまだ始まったばかり。できること、やってしまおう。


浅岡忍 HOMEMAIL

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