ささやかな日々

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2021年11月27日(土) 
なんだかんだと二人展の準備でわたわたしている。容赦なく時間ばかりが過ぎていってしまうので、結構焦っていて、気持ちがぴりぴりしているのかもしれない。家人にちらり、嫌味を言われてしまう。「ぴりぴりしても何も変わらないよ」。確かにそうだ。そもそもこの言葉を嫌味と受け取ってしまうこと自体、私に余裕がなくなっている証拠なんだと思う。気を付けねば。

暗室作業をしなくなって、どのくらい経つんだろう。ふと思う。自分が使い続けてきたフィルムが生産中止になって、それを境にフィルムからデジタルへ移行せざるを得なくなった。というと、フィルムなら他にもあるじゃないか、とよく言われる。が、私にとってあのフィルムの感触は唯一無二で、他のフィルムでいくら試しても、頑張っても、同じものは出せなかった。当時それは私にとって、絶望に近かった。だからもう、いっそ、と、デジタルに移行したんだ。
写真を始めてから十五年近い年月、暗室作業は常に私を支えてくれていた。あの作業がなかったら、越えられなかった夜が一体幾つあったか知れない。あの頃の私を受け止めてくれたのが、あの、暗室作業だった。
窓のない風呂場に引き伸ばし機やパレットをぎゅうぎゅう並べ、明け方までずっと、現像液がへたるまでずっと、ひたすらに作業し続けた。朝、稜線がぼんやり白み始める頃、窓際にはひらひらと濡れた印画紙がはためいていた。ああ、夜が明けるんだ、夜を越えられたんだ、という実感にはだからいつも、暗室の液の匂いと空を背景にはためく印画紙とが一緒にあった。
リストカットに溺れていた時期も、ずたぼろになりながら同時に作業してた。作業がなかったらもっと果てしなく延々とリストカットをし続けていたに違いないから、そうしたらもうこの左腕、今頃使い物にならなくなっていたかもしれない。
そうやって省みると、暗室作業がかけがえのない代物だったことをただただ痛感させられる。あの作業があってくれてよかった。あの時期の私にあの作業があってくれて、本当によかった。
今デジタルに変わっても。基本、やることは同じだ。作業はPC上で為されるけれども、私が為す作業は暗室作業で行っていた範囲のものに限られる。それ以上のものは施さない。暗室でできないものをPC上で為す気持ちには、まだ至らない。

デュプレの音がたまらなく好きだった時期があった。だから全集も買い込んでひたすら聴いていた。それが最近、しっくりハマらなくなった。これまですうっと入って来ていた彼女の音が、何故か跳ね返ってゆく。吃驚だ。
そして試しに、ヨーヨー・マを聴いてみて、ああ、そうか、と気づいた。デュプレの音に比べればヨーヨー・マの音は間違いなく健康的だ。私はたぶん、昔と比べてずいぶん元気になった、その証がこの跳ね返りなのだな、と。妙に納得できた。
私は、何年も何年もかけて、間違いなく変化しているのだな、と。


2021年11月24日(水) 
まさに、光陰矢の如し。次から次に時間という時間が飛び去ってゆくので、まったくもって追いついていけない。今日が何曜日で何日かなんて、ちっとも把握できていない。一日が終わる頃、あ、そういえば今日は何日だったんだ、とはっとするような体たらく。
一日を何とか生き切るのでもはや、精一杯だったりする。

答えはいつだって自分の中に在る。
友がそう呟く。確かにそうなんだろう、と私も思う。なのに何故だろう、そう思いたくない自分もいるのだ。答えがいつだって自分の中にあるなら苦労しないよ、と言い返したくなる自分が。
分かっている。答えが自分の中に在るということを受け容れたくないだけなんだと。答えが自分の中にいつだってあるのだから自分と向き合えばいい、という、そのシンプルなところを受け容れたくないだけなのだ、と。
自分と向き合うのはいつだってしんどい。一体何年そうやって自問自答を続けてゆけば楽になれるのか。半世紀生きてもまだ、分からない。そもそも楽になる方法なんて何処にもないのかもしれないと思えてしまう。
来週の月曜日に重大な局面を迎える友が、今夜も眠れないとぼそり呟く。気づくと体中が強張って震えてきて、一睡もできないのだ、と。
分かる。神経の糸という糸が張り詰め、もし今誰かが不意に触れたら全ての糸がぱしんと音を立てて切れてしまいそうな、そんな状態。私にも覚えがある。ふと気づくと手がかたかたと震えていたり、呼吸をするだけでも必死になってしまうような、そんな状態。
「こうなる前は呼吸なんてできるのが当たり前だったのに」と苦笑する彼女に掛ける言葉も見つからない。分かりすぎてしまって。そんな時どんな言葉を与えられても無駄なのだ。何の役にも立たない。
ふと思い出すあの頃。10階の北側の部屋。窓の外には空しかなくて、いつだって空だけで、だから、吸い込まれそうな錯覚を覚えて、慌てて手を引っ込める。ベランダから身を乗り出して下を見れば米粒のような人影が幾つもうようよ動いている。そこに堕ちていっそ散ってしまいたいと夢想する自分といつも闘っていた。こんなに辛いならもう、いっそ、と。
あの頃私には同居猫がいた。今の彼女にも同居猫がいる。
「もし猫がいてくれなかったら、もうとっくの昔にここからいなくなってますよ、私」
彼女のその言葉がよく分かる。命がもし隣になければ、容易に自分の命を放ってしまえるくらい、私たちはぎりぎりのところを生きていた/生きている。

今週の金曜日は病院だそうだ。前回の病院からまだ一日二日しか経っていない錯覚を覚える。私はその間何をしていたのだろう。一日一日必死に生きて、越えてきたけれど、記憶がない。この記憶がないことの頼りなさといったら。ふと足元を見たら地面がなかった、みたいな怖ろしい頼りなさだ。たまらない。

そういえば恩師から電話があった。心臓に血栓ができたとかで来月下旬病院に入院するという。ホームでは面談が可能になったものの予約制で一回に三十分だという。「おまえのところからここは遠すぎるから、無理しなくていい」と恩師は繰り返し言っていたけれど、その言葉のはしばしから、先生の寂しさが伝わって来る。「来なくていいから、手紙をくれ」。先生のその言葉がぐさり、胸に突き刺さる。私も本当は飛んでゆきたい。でもあまりに先生がいるホームは遠い。片道二時間半。せめて面談が一時間可能なら、と思わずにはいられない。三十分はあまりにあっという間だ。そのために五時間かけて行き来するには今の体調では難しい。
「大丈夫だ、俺はまだ死なないから」。先生のその言葉に、ぐっと唇を噛みしめる。先生、もうちょっと待ってて。記念日が過ぎるまであと二か月ほど。せめてそこまで待ってて。


2021年11月21日(日) 
「そもそも許されると思っていない、許されないことをしたんだから」
「許されないのが当然、と思うことで、考えることから逃げているところがあるかもしれない」

加害者プログラムでそういった声を聴いた。聴きながら、前に聴いたのと少しずつ違ってきてるなと感じた。昔私が参加したての頃、彼らは「どうやったら被害者に赦されるのか」とよく訊ねてきた、そういう記憶がある。それともそれは私の記憶違いなのだろうか。
「そもそも許されると思っていない、許されないことをした」と言う。でもだから「許されないのが当然」だからそれ以上のことを「考えない」のは違うと思う。
許されるか許されないか、は問題ではなく、自分の問題行動を自覚したその瞬間から、どうここから自分は生き直すのか、それを自分に問い続けながらゆくのが筋なのではないのか。考えることから逃げるのは、それこそ許されないことなのではないのか。
被害者である私は、そう感じてしまった。

確かに、自分と向き合い続けるのはしんどいに違いない。
でも、被害者は、被害に遭ったことによって、自分と向き合わざるを得なくなってしまうのだ。あの時「自分が」こうしていれば被害は起きなかったのではないだろうか、あの時「自分が」こうしていればこんなことにはならなかったんじゃなかろうか等々。ひたすら自分を責めながら、生き延びる間中ずっと、自分を責めながら、「あの時の自分」と向き合いながら、在る。
それに対して、彼らはするりするり、と、「問題行動を起こした時の自分」から逃げ続ける。

私は知らなかったのだが。服役したことのある友人に聴くところによると、服役中彼らが言われるのは「更正」という言葉なのだという。更正とは間違いを正すという意味。
しかし、仮釈放する者や執行猶予で保護観察に付されると、その時点で「更生保護法」という言葉、今度は「更正」ではなく「更生」という言葉が使われるのだという。更生とは生き返ること・よみがえること・精神的、社会的に、また物質的に立ち直ることの意味。そんなふうに時に「更正」時に「更生」を使われるのだが、この違いを意識している者は少ないという。
更正と更生ではまったく意味が異なるのに。自分にそれらがそれぞれに使われていることを彼らは意識できない環境にあるのかと思ったら、或る意味愕然とした。
また、満期出所者にはこの更生保護法という言葉にさえ掠らないというから、それでは一体どこで「更生する」ことを彼らは意識すればいいのだろうと私は呆然とせずにはいられなかった。

罪を償うとは、どういうことなのか。
自分と向き合い続けるとはどういうことなのか。
そもそも自分にとって被害者とは何なのか。自分の加害行為によって生み出してしまった被害者とは自分にとって何なのか。
更生するとは。

彼らは、そういったことからするりするりと逃げてゆく。逃げ続ける。しんどいのは分かる。つらいのも分かる。考え続ける、向き合い続けることが、自分が生きてる間中必要なのだというその現実に耐えられない気持ちになるのも百歩譲って分からないわけではない。
が。

性犯罪の場合、命を奪ったわけではない。確かにそうだ。性犯罪の中でもたとえば盗撮や下着窃盗だったら「直接被害者に触ったわけでも何でもない」。確かにそうだ。
が、しかし。
たとえ直接被害者の身体を犯していなかったとしても。君たちは、被害者のテリトリーを、心というテリトリーを犯したことに変わりはない。それは重罪ではないのか。
命を奪ったわけでなくとも、心を破壊した、それは重罪ではないのか。
命と心(精神)との重さの比較をしてみろ、命の方が重いじゃないか、というひともいることは知っている。でも私は敢えて言いたい、そこに比較は無意味だと。人間はこの心というものを持っているからこそ、精神というものがあるからこそ、人間足り得ているのではないのか。それを破壊されてもなお、生き続けなければならない地獄について、命より軽いと何故言える?
命も心も、等しく重い。私はそう思う。

罪を償うとは。
被害者とは。
更生するとは。
自分がここから生き直す意味とは。
問い始めたらきりがない。延々と続く問いだ。確かにしんどいだろう。
が。
君らだけがしんどいのでは、ない。君らが産んでしまった被害者はそれ以上に、しんどさを背負って生き続けていかなければならないところに居る。
そのことには、どう君たちは言い訳するんだろう。

「許されると思っていない」「許されないことをしたと思っている」。彼らの言葉を聞いて以降、ずっとそれらの言葉が頭の中をぐるぐる廻っている。
許されると思っていない、許されないことをしたと思っている。
その言葉は、聴きようによっては、ただただ「開き直り」のように聴こえてしまう。それが私には、つらい。
許されることじゃないから、許されないから、だから仕方ないんだ、と、そこで終わりにされてしまったかのように感じられて、それが、つらい。
仕方のないことだったから諦めろ、と放られたかのようで。許されないからしょうがないよ、と、そこで断たれたようで、それがつらい。
私は。
自分に起こったことを、仕方のないこと、にしたくない。私の友人たちに起こったことを、仕方なかったよねなんてことで片付けたくない。仕方なかったことなんてひとつも、ない。そう思っている。
だから、諦めるわけにはいかないのだ。ここで。
私は。
君たちに問う。問い続ける。
君たちはここから、どう生き直すのか。今どう生きているのか。を。


2021年11月16日(火) 
葡萄の種から芽が出て来た、と喜んでいたら、いつの間にか三つも芽が出てきており。息子とふたり、じーっとプランターを覗き込んでしまった。まさかこんなに芽が出るとは思ってもいず。吃驚だ。
薔薇のうどん粉病のことを母に話したら「人間の使う消毒液をさっとかけると治るわよ」と。これまた吃驚。人間の消毒液はつまり、そんなに強力なのか、と、それにも吃驚。早速試してみることにする。
朝顔の種をせっせと摘んでいる。液肥をやるようになってからの種はみんな太っちょだ。こんなにも肥料で違うものなのだな、と、今更なのだが感心している。固形の肥料ならこれまでもやってきたけれど、液肥がこんなに効くものだとは。

溜まりにはまっちゃったのよ、きっと。
友が云う。
私がちょっと疲れたと零したら、そう云われた。溜まり、か。なるほどな、と思った。よほど私は回遊魚のように思われているのかもしれない。と思って、はっとした。いや、回遊魚なのかもしれないな、と。
型にはめられ過ぎなのよきっと今。友が云う。
ふむ、と頷きながら、自分とその周辺を省みる。

そもそも私は何者なのか。
妻で? 母で? 女?
よく分からない。
妻で母で、確かにそういう役目は負っている。
でも。
私は私という一個人、人間であることが私にとっては一番大事で。
そのことを、友の言葉から改めて痛感する。
ああ、私はやっぱり回遊魚だ、と。

せっかく家人や息子が、妻やら母やらという立派な役目を私に与えてくれているのに、私はそれにちっとも満足していない。いや、多少はしている。たぶん。でも、私はきっと、友の言葉を借りれば「窮屈」なのだ。否、居心地が悪いのだ。
私の様な人間が良妻賢母なんて冗談でしょう、と堂々思っている。

疲れている。少し。頭がくらくらする。頭痛とは違う。何と言うか、頭がぼやぼやするのだ。もやもや、ともちょっと違う。重くて、支えきれなくて、ぐらぐらするというか、くらくらするというか。まぁ、そんな感じ。
考えたいことがたくさんありすぎて。なのに私の頭はひとつきりだから、飽和状態で。もはや許容量を軽く超えていて。その、超えてしまってることがきりきりと悔やまれ、じたばたしている。自分のこの狭さ。情けなくなるばかり。

イルカのように泳ぎたい、と書いてきたひとがいた。同時に、イルカのように泳ぐことはできないと知った、だから泳ぎをやめた、と。
私は。
海と友達になりたいから泳ぎを覚えようと思った。覚えて、魚のように泳ぐことはできないけれど、それでも海に少し近づけた気がした。
この差異。どこでどう違いがあったんだろう。角度でいえばたった一度だったのかもしれない、最初の差異は。それが、少しずつ少しずつ角度が開いていって、いつのまにか真逆になっていた、というような。

友が、愛してるよ、と云う。
だから私も、愛してるよ、と返した。すかさず友が、「空疎ね」と笑った。私の言葉はそんなにも空疎だったのか、と、愕然とし、でも同時に、思ったのだ。
私は愛とか恋とか、実はちっともわからない、と。
愛していると言えば私は自分に関わるすべてのひとたちを或る意味愛している。でも同時に、恋してるわけじゃないし、自分が愛したからとてそれに何か期待しているわけでもない。
愛は束縛、と誰かが言ってた。束縛する気がさらさらない人間からすると、束縛したいほど愛せるってすごい、と。そう、思う。

やっぱり疲れてる。頭がじんわり疲れてる。休もう。


2021年11月14日(日) 
当たり前だが、誰もが等しく死ぬ。いずれ誰もが死ぬ。命は有限だ。
つまり、被害者である私もいずれ死ぬし、加害者も死ぬ。いずれ、誰もが死ぬ。病気かもしれないし事故であっけなく死ぬのかもしれないし、どう死ぬのかなんて選べないし分からない。でも、誰もが死ぬというその一点は、命ある者に等しく言えること、だ。

でも。昨日、MMアーツのMさんが亡くなったことを知って。芋づる式に加害者を思い出して、ぞっとしたんだ。奴も死ぬのか、いや、もうすでに死んでるかもしれないのだ、というそのことに。心底ぞっとしたんだ。
罪を罪とも思わぬまま、奴は死ぬのか。
罪を償うということさえせず、奴は死ぬのか。
まるで自分の方が被害者であるかのような顔をして、死んでゆくのか、いや、もうすでに死んでいるかもしれない。
そう思ったら、たまらなくぞっとしたんだ。

よく、加害者を死刑にしてやりたい、と言うひとがいるけれど。私は違う。死刑なんてあっけない死に方させてやりたくない。そう思い続けてきた。生きて在る限りのたうちまわれ、とどこかで思っていたのかもしれない。自分の罪という綿で少しずつ少しずつ呼吸を失って、そうしてじわじわと死んでゆけ、とくらいに思っていたのかもしれない。今となってはわからないけれども。
でも、あっけない死に方で楽にさせてやりたくなんてない、とは、確かに思っていたんだ。私は。
だから、奴がすでに死んでいるかもしれないと想像した途端、迸る思いがあったんだ。そんなの赦せない、そんなの嫌だ、って。

私は。何度自分を消去しようと試みて、そのたび失敗して生き残ることをさせられてきてしまった。生き残らさせられた、という感覚が、今もまだ、拭い切れないでいる。自ら選んで生きてきたわけでなく、生き残ることをさせられた、というそういうところ。
でも。
もし加害者が病死やら事故死やらで、あっけなくこの世から消えていたとして。そんな呆気ない死に方で奴が消えていたとして。私はこの後味の悪い思いをどう抱えていけばいいのだ、と、途方に暮れてしまったのだ。

死=ある種の救い。ずっとそう思っていた。
でもその救いは私には当時ちっとも訪れてくれず、今に至る。今となっては、生き延びてよかったと思っては、いる。それでも。
私に訪れなかった救いが、加害者には訪れる、というその構図に、私は吐き気を覚えたんだ。
そして。
そんな自分に気づいてしまった時、私はそんな自分に愕然としたんだ。

何やってんだろうなあ自分。もう、ここまでくると笑うしかない。こんなどうしようもない自分だったか、と、改めて思い知らされる。馬鹿だ自分は。正真正銘の馬鹿だ。もう自己嫌悪なんてもんじゃない、声に出して笑い飛ばすほか、術がないくらいの、救いようのない馬鹿だ。

いっそここで死んでやろうか、と思うくらい、自分が嫌いだ。でも、私は死ねない。もはや死ねない。私が死んだら、私より先に逝った友人たちのことを誰が覚えているというのだ。もう私は、死ねないところに来てしまった。
だから。
生きよう。もう、生き残ることをさせられたんでも何でもいい。そんなところ、もはやどうだっていい。させられたんだろうと何だろうと、それでも今生きてここに在ることに変わりはなく。だから。
私は生きよう。ここから生きよう。死が私を迎えに来るその日まで、精いっぱい生きよう。生きて生きて生きて、これでもかってほど生きて、笑って死ぬんだ。
加害者が死のうと生きようと、今ここの私にもはや関係はないのだ。過去の亡霊に引きずられちゃいけない。私は今ここに在る。今ここを生きてる。

世界は。
いつだって扉を開いてそこに在る。私がその開いている扉に気づくかどうか、なのだ。だからとにかく今は手を伸ばそう。手を伸ばして、信じよう。そこに扉があることを。
そうだ、世界は美しい。
世界はもっと、美しい。


2021年11月13日(土) 
やはりこの子は雑草でも何でもない、葡萄の芽だ。ほんの1センチほどの芽を凝視しながら私は思う。よくもまぁ出てきたものだ、すごいね君。そんなことを心の中呟く。まさか芽が出る子がいるとは思いもせず、何となく蒔いただけなのに。植物の命って、本当に強い。
数日前出した手紙たちがこぞって届いている頃、電話をくれるひともいれば、今手紙を書き始めたところですと声をかけてくるひともいたり。昔のようにたかだか電話一本でもその前に速達でやりとりしあうような、そんな状況とはまるっきり違う今、それがいいのか悪いのか私にはわからない。味わいがなくなった、と言えば簡単に済んでしまう。でも、それだけじゃない、待つ、という行為、それに費やされる時間、心の在処が、永遠に失われたのだな、と改めて思う。一度失われたものはよほどのことがないかぎり二度とは戻らない。

孫娘の誕生日が昨日だった。彼女が生まれてもう四年になるのかとしみじみ感じ入る。あっという間の四年間だった。娘たちにとってはもっとそうであるに違いない。結婚し、出産し、離婚し、そして今子育ての真っただ中。

Yさんから手紙が立て続けに届く。それと前後して、MMアーツのMMさんが今年春亡くなったことを知る。まだ若かったはず。TMちゃんの落胆はいかなるものだったろう。そんなことを考え、そいて足を止める。
そんなことも知らず今日までずっと生きていた私。ふと思う、私の直接の加害者ももしかしたらもういい年で、死んでいなくなっているかもしれない。そう考えたらちょっとぞっとした。私はそのことを知るすべもないから、どうしようもないのだが。

PTSDと性暴力という記事を読んだ。その中で、PTSDは確かに回復が見られることもあるけれどそれでも一度失ったものは戻らないし時間も巻き戻すことはできないということが書かれていて、本当にそうだと頷く。たとえPTSD自体は回復したとしても、それらは決して元に戻ることは、ない。
その残酷さ。

加害者は被害者に赦されたがるという話を以前書いた。それは違うと思うということについても。
その思いは決して変わることなく今日も私のうちに在る。
じゃあ加害者は一体誰に謝罪すればいいのか、誰に赦されればいいのか。という問いが残る。文通相手の受刑者Yさんにちょうどそう問われた。
加害者は加害者自身を受け容れ赦す必要があるんじゃないか、と。そう思うのだ、私は。自分自身の罪を罪として受け容れ、問題行動を問題行動として認識し受け容れ、そのうえで、自分に赦されなければ、きっと何も変わらない。何度でも繰り返すのではないか、と。
他者に委ねてはならない事柄なんだ、と、そう思うのだ。まだ言葉ではうまく言い尽くせないが。それでも私は、そう思う。


2021年11月10日(水) 
すこんと抜けるように晴れた朝。息子と一緒にクリサンセマムの種を蒔く。息子が黄色のアップライトイエローの種を、私がノースポールの種をそれぞれ。大きくなれよぉ、と声をかけながら息子が蒔くので、私も心の中、おっきくなぁれ、と呪文を繰り返す。
ぶどうの種を蒔いたプランターから出た芽は、どうも宿根菫のものらしい。が、新たに一個、ぐいっと頭を持ち上げてきた子がいる。今種の皮をかぶったままなので分からないが、この子こそ、ぶどうの芽なんじゃなかろうか。早く葉が開かないかな、いや、こんな、これから寒い時期に芽が出てきて果たして大丈夫なんだろうか等々、あれやこれや創造しどきどきしている。
頭がくわんと揺れる現象が続いている。洗濯物を取り込む時、持ったままぐわんと頭が揺れ、もう少しで倒れるところだった。気を付けないといけない。のぼせるとも違う、眩暈としか言いようのない感じなのだが、これで転倒したら眩暈どころの話じゃ済まなくなる。また階段落ちなんて、もう二度と御免だ。あの辛さは味わいたくない。
薔薇のうどんこ病の具合はだいぶ回復に向かってきた。新芽を次々容赦なく摘んだおかげなんだろうが、そのせいで幾つもの蕾も無駄にしてしまった。これからまた花をつけてね、なんて樹に向かって言ってみるが、それこそ都合がいいってもんだとも思う。本当にごめんね。
それにしても風が強い。干した洗濯物がびゅるびゅると風に煽られている。でも冷たくない、ぬるい風だ。「母ちゃん、今日暑いね」と息子が言う。確かにこの季節なのに暑い。風も南西方向からの風らしい。

ヨガの帰りに珈琲豆屋に立ち寄る。この季節に出るノエルという豆が好きで、こまめに買ってしまう。クリスマスが終わるとなくなってしまう豆だから、つい買いだめに走ってしまう。その店の入口に、クリスマスのチョコレートが飾ってあり、あ、これは息子が喜びそうだなと手を伸ばしてしまう。クリスマスツリーのチョコとサンタのチョコ。並べて立てておいたら喜ぶんじゃなかろうか。豆と併せて購入する。

明日は撮影。急遽決まった12月の二人展の為の撮影だ。失敗するわけにはいかない。機材の点検は済ませた。できる準備は全部した。したはずなのだが、心配性の自分は何度も鞄の中を覗いてしまう。いやいくら覗いたって変わらないよと思うのだが。
洗濯機が壊れて、給水がまったくできなくなって、明日新しい洗濯機が届くまでは桶で水汲みをしては洗濯している。家人と息子の洗濯物で一回、ワンコの洗濯物で一回、タオルで一回。つまり三回洗濯機を廻すのだけれど、全自動洗濯機の威力ってこんなにもあったんだ、と今更ながらその存在のでかさを痛感している。洗うたびに水汲み、すすぎのたびに水汲み。延々続くこの動作。さすがに肘と手首が痛くなってきた。全自動洗濯機様々なんだなと、つくづく思う。

昨日雨の中次の加害者プログラムの為の打ち合わせに行ってきた。S先生と向き合い、あのテーマどうだろう、このテーマはどうだろうと話し合う。いつも思うのだが、加害者のひとたちに通じるように、伝わるように、言葉を選ぶのが結構難しい。彼らはいつだって自分の加害行為=問題行動から目を逸らすから、言葉の選び方を間違えるとあっけなく彼らはそっぽを向く。自分の問題行動を他人事のようにしてしまう。でもそれでは意味がないのだ。きちんと向き合っていただかねば、無意味なのだ。彼らの認知の歪みは、半端じゃぁない。
ようやくテーマを決め、その言い廻しも決まる。
「先生、ここまでしないとだめなんですかねぇ」
「だめですねえ、彼らはすぐ逸れていきますからね」
「そういえばこの本(薬丸岳著作)加害者本人と加害者家族らの物語なんですが、こういうの読んで彼らは想像しないんでしょうか」
「しないですね。他人事というか、自分に近づけて読むという行為は彼らはまずしない」
「私なんて読みながら、いちいち立ち止まって考えずにはいられなかったんですがねえ」
「ですよね。その想像ができないのが彼らなので…」
「…ですね」
帰り道、そんなふうにそこまで彼らを頑なにさせているものって何なんだろう、とぼんやり考える。答えは、容易には出ない。


2021年11月09日(火) 
年の差は埋まらないのだなということを痛感する今日この頃。

家人と私の年の差は九年である。どうやってもこの溝は埋まらない。どう駆け足で生きようと逆にゆっくり生きようと、この差は埋まらない。時は誰にも平等に流れているものだから、だ。
たとえば私が酷い五十肩になって通院が必要になって、毎週来てほしい、できれば三日に一度来てほしい、と言われたと告げても、彼にはその緊急性がまったく理解できないのだな、と。改めて痛感し、がっくりする。

それから。
自分のプライドがちょっとでも傷つけられると感情をぶちまけてくるのをやめていただきたい。
風呂上り息子が「父ちゃん酔っぱらってる。ずっと寝てる。僕ちょっと呆れちゃった」と笑いながら言ったその言葉を私が否定しなかったと、私を責め立てて来る。いや、事実を事実として呑み込んだだけなのに、まるで私がそう言ったそう言って嘲笑したかのような言い方をして私を責め立てるのはやめてほしい。非常に不愉快だ。

自分はあなたに気を使っている、と家人はよく言う。その気遣いをあなたは当たり前のように享受する、それを止めてくれ、という。
いやいやいや、私がまるでまったく気を使っていないかのように君は言うけれど、違うよね?君が気づかないところで、私は君にずいぶん配慮しているよ?ただそれを私は主張しないだけだよ?
君こそ、それを、当たり前、と享受しているのではないのかい?

「母ちゃん離婚するならボク母ちゃんについてくけどね」。息子がぼろっと言った。そんなことを言わせてしまった息子に、申し訳なさいっぱいで、頭をぐりぐりっと撫でた。そのくらいしかすぐにできなくて、できない自分が情けなかった。
「父ちゃん、怒る相手間違えてるよね。なんで僕に言わないの? 母ちゃんが言ったんじゃないのに。母ちゃんのせいじゃないじゃんね。おかしいよね」
家人よ、息子にこうまで言われて、それでもまだ私に文句のメッセージを送り続けるのかい?もういい加減にしてほしい。

ここまで書いて、やっぱり、誰かを悪く言うのって、虚しいなとつくづく思う。救いがない。どこまでも坂道を転がり落ちるような虚しさ。こういうことを日記に書くことのさらなる虚しさ。もう、やめよう。

明日はきっといい日になる。いや、いい日に、する。


2021年11月06日(土) 
宿根菫の種をようやく拾えた。いつも気づくと弾けてしまっていて、ちっとも拾えなかったのだ。嬉しい。そしてちょうど母から電話があり、母がいつも育てている菫の種を送ってくれるという。届いたら息子と早速種を蒔こう。もう種蒔きの時期ぎりぎりだ。
薔薇のうどん粉病があっという間に拡がってしまった。慌てて片っ端から切り落とす。本当は土も替えてやらねばならないのだろうが、それはさすがに今手が回らない。とにもかくにも病葉はすべて摘む。摘んだ病葉の山を見、ちょっと胸が締め付けられる。せっかくこの世界にやってきたのに、病葉だったが故にこんなふうに摘まれてしまう切なさ。ごめんね、と心の中呟く。
そしてもうひとつ、息子と私とで植えたぶどうの種の芽なのかどうかわからないのだが、これまで見たことのない形の葉が。この子は誰れなんだろう。ぶどうならいいのだけれど。まだ分からないので雑草と間違わないように気を付けて見守っている。

日の出時刻、東の空が今朝もぼんやり霞んでいる。くっきりとした色合いを期待していたのだけれど、今朝も裏切られた感じ。ちょっとがっかり。でも、太陽が地平線を割って現れたその瞬間は、霞んだ大気を切り裂いてまっすぐに陽光の手が伸ばされる。この一瞬の陽光の神々しさったら。背筋が伸びる。
洗濯機をせっせと廻す。乾燥した空気でぱりっと仕上がる今日この頃、ちょっと乾燥し過ぎかしらとも思うのだが、気持ちよく洗濯物が乾くと、それだけで嬉しい。そういえば娘が「私洗濯物を畳むの大好き」と言っていた。よく乾いた洗濯物の匂いが私も好きだ。それだけで幸せな気持ちになれる。

急遽二人展が決まった。一か月後。一か月後に作品を展示するなんてこれまでやったことはないが、何とかせねばなるまい。やるとなったからにはやるのだ。思い切り自分の中の螺子を廻す。一か月なんてあっという間に違いない。やれることは片っ端から片づけていかないと。

週末は、ともかく忙しい。息子のダンスの発表会に向けて練習やらリハーサルやらひたすら詰まっている。今日もせっせと自転車を駅4つ分走らせてダンス教室へ。息子を送り届けたら親の私は「密を避ける為」に外へ。さて今日はどこで時間を潰そうかということで一駅分戻って珈琲屋へ席を取る。
そこに不思議な老女がいた。83歳だと言う彼女は、ひとりで入って来る女性を見つけるとすぐ声をかけて自分の隣の席に座らせる。そしてひたすら喋っている。私はひとりになりたくてウォークマンのボリュームを上げ、申し訳ないが片耳を塞いで作業を続ける。受刑者さんに手紙を書かなくてはいけないのだ。おしゃべりにおつきあいはできないのだ。自分に言い聞かせ、せっせと手紙を書く。が、どうしても途切れ途切れにお隣さんの声が耳に届く。
「息子は今」「孫は今」「ひ孫は今」と続く彼女の自分語り。話されている側は戸惑った表情を浮かべ、彼女がトイレに立った隙にすっと離れてゆく。なんだかちょっと寂しいな、と思いながら、私はノートパソコンの画面をじっと見つめている。
三時間。そうして時間を潰し、再び息子を迎えに教室まで自転車を飛ばす。
「母ちゃん、おなかすいた」
「じゃあ自転車の後ろで肉まん食べる?買う?」
「うん」
肉まんをゲットして自転車をさらに走らせる。私達は走りながらとにかく喋る。いや、息子が喋るので私も返事をするという具合。今日はダンスをしながらクリスマスプレゼントが早く届かないかなと考え続けていた話。
「母ちゃん、サンタさん見たことある?」
「あるよ」
「あるの?!」
「うん。チラ見したことある」
「どうだった?どんな顔してた?」
「チラ見だから顔まで見てないけど。でもね。サンタを見ちゃうと、もうサンタは来てくれなくなるんだよ」
「え?!」
「だって母ちゃん、その次の年から、サンタ来なくなったもん」
「えーーー!それ、やだ」
「だから、クリスマスの日は早々に寝ちゃわないとだめなんだよ」
「えええええ」
息子が目を白黒させているだろうその表情が、自転車を走りながらもありありと浮かび、私は笑いをかみ殺す。でもほんとなんだよ、サンタが誰だかわかっちゃったら、もうサンタは来なくなるんだよ。だから、もうしばらくサンタはどんな顔かな、どんなふうに来るのかな、と、あれこれ夢想して楽しんでてちょうだいね、息子よ。
あっという間に暮れてゆく秋の夕暮れ。私達はようやく家に辿り着く。さて、ワンコの散歩に行かなくちゃ。


2021年11月03日(水) 
宿根菫の葉を何となしに捲ってみる。するとその陰に何本もの新芽が。弾けた種から育った子たちだ。こんな葉の陰で、それでも懸命にか細い手を伸ばしている。そして何年も上っ放しにしているイフェイオンや水仙の球根たちが集まるプランターからは、次々芽が萌え出始めている。この子たちももう何年目だろう。覚えていない。花なんてもう小さいものしか咲かないけれど、それでも律義に毎年芽を出してくる。その懸命な呼吸が嬉しい。このところ血圧の変動が激しいのか、ふらついて仕方がない。今もタイプをしながら頭がくらりとしている。どうしてしまったのだろう。何かがおかしい。この身体の変調、さすがにおかしいと私自身思う。

朝、ふと思いついて、買っておいたマーコットでジャムを作ることにする。息子に皮むきを手伝ってもらう。せっせとふたりで皮を剥き、実を解し、鍋に投入。とろ火でことこと煮込む。砂糖は少なめ。レモンを加えようかとも一瞬思ったのだけれど、マーコットの酸味で十分かも、と思い直し入れずに済ます。きれいな橙色のジャムができあがった。瓶詰にして四つ。友人ふたり、そして実家の両親へ、残りは私たち自身で戴くことにする。
ジャムづくりというのは幸せな作業だと思う。煮詰めて煮詰めて、その間めいいっぱい愛情と手間を注いで、それらが結晶のように煮詰まってそうしてできあがる。きらきら輝く橙色を見つめながら、おいしく食べてもらってね、と呪文をかける。

9月、10月はあっという間に過ぎ去り、暦は11月に。今年も残りあとわずか。信じられない速さだ。この分だとこれからの十年間はまさに言葉通りあっという間に過ぎるに違いない。そしてふと近くにいる息子の十年を想像する。私の十年とは違う、新しいやはじめてがぎゅうぎゅうに詰まった十年なんだろう。その十年が、次の十年の足掛かりになる。息子よ、精一杯生きろ。

境界線、ということについてぼんやり考え続けている。私は線引きが下手だ。自分の領域を守るための線引きが特に苦手だ。ついつい踏み込ませてしまう。でもそのせいで互いに傷つけ合ってしまう。そんなことになるくらいなら、最初に私がきちんと、線引きをしてみせるべきだった、と、悔やむ。後悔先に立たずとはこのこと。
家人にもそのことについて言われる。踏み込ませ過ぎなんだ君は、と。その結果相手に執着を抱かせ碌な結果にならなかったケースがいくつもあるじゃないか、と。
確かに。家人の言う通り、いい加減それらの過去のケースから学んだ方がいい。自分に嫌気がさしつつも、つきあっていくしかないのだから、しっかりせねば、と思う。
自分のことは自分が一番分かっていないのだろう。自分を日々見つめているつもりではあるが、まったくもって足りていない、そのことを痛感する。

そういえば。今朝、ほんの一瞬、棚引く東の空の雲が色づいた。美しい蛍光色のようなピンクと紫の間の色だった。本当に一瞬で、カメラに収めた後部屋に入り振り向いたその時には、周りの灰色の雲に呑まれて消え去っていた。
世界は美しい、と私と娘に語った友人がいたけれど。こんな光景に出会う時、私はその彼を思い出すのだ。世界はもっと美しい。


2021年11月01日(月) 
時々、被害者に許してもらうにはどうしたらいいか、というようなことを訊いてくる加害者がいる。
申し訳ないが、はっきり言う。勘違いも甚だしいと思う。
被害者に許されればそれで済むのか? 否。

加害者の多くは、自分が犯した問題行動その瞬間のみを想定して、そこに向かって謝罪しようとする。そして許されたがる。
しかし、被害者にとってその、加害者が犯した加害行為だけが問題なのではないのだ。その後生き続けることにおいて、生きづらいことこの上なくなってしまった、そのことが大変なのだ。
この差異。
ちゃんと考えていない加害者が多すぎる。

そもそも、被害者に許されれば自分の罪が消えてなくなると思っていること自体間違いだ。生涯背負っても足りないくらいのことを自分が犯した、それが罪であるという意識がなさすぎる。
被害者が許すか許さないか、そんなことは脇に置いて、自分がどう生きるべきなのか、そこを自身に問い質さずして、何も始まらない。そのことに至っていない加害者の何と多いことか。
自身が何故こんな罪を犯したのか、罪を犯さずにはいられなかったのか、そういったことから始まって、ここからいかに生き直すか、生きてゆくのか、そういったところまで、自身に常に自問自答していかなければならない。それが、罪と向き合うことなのではないのか?
誰かに許されれば罪から解放されると思っている時点で、間違っていると私は思う。

そもそも許すという字が違うと思う。
赦すか赦さないか。だ。
そしてそれは、他の誰も侵してはならない、被害当事者だけがその選択を決定できるのだ。
そして、被害者に赦されようと赦されまいと、加害者は己の罪と向き合いながら、生きてゆかねばならない。そういうものだと私は思っている。

性犯罪加害者になってしまった君よ、すぐに被害者に許されようとか思わないでくれ。そうではなく、ここからどう生き直すのか、そもそも自分が何故こんな罪を犯したのか、それはどれほどのひとや時間を巻き込み、誰かの人生を薙ぎ倒したのか、等々、他人に問うのではなく自分で考えていってほしい。問うて誰かが応えてくれる、それで安心してしまってはならないんだ。常に自問自答を続けること、それが、いかに生きるかに繋がるのだから。その姿を、生き様を、被害者はじっと、見つめている。

更正、じゃない。更生、なのだ。
罪を犯したその先にあるのは更正じゃない。更生、だ。私はいつもそう思っている。だからこそ、今ここから何ができるのか、どう生きるのか、実際どう生きているのか、が常に問われていると思う。生き様で示せよ、赦されたいと本気で思うのならば。
赦されようと赦されまいと、自分はこう生き直すのだ、こう生きるのだ、と。懸命になってくれよ。

そう言いたくなるくらい、被害者は日々、一瞬一瞬、綱渡りの生を生きてるんだ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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