ささやかな日々

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2021年07月30日(金) 
病院の帰り道、用事があって神保町へ。実は私、神保町の駅を使うのは何年ぶりというくらいに久しぶりだった。理由は簡単で、ずっとずっとずっと避けていたのだ。某出版社に居た頃、毎日のように書店営業やら取次営業やらで通った街と駅。それを思い出すだけでぶるっと背筋に悪寒が走る。だからずっと避けていた。
でも今日は、文房堂に額装をお願いしにいかなければならなくて。どうやってもそこを避けて通れない。だから意を決して行った。
地下から地上に出ると、見知った街がまだそこに在った。加害者に連れて行かれた店もついでに在った。その前を通る時ぶわっと汗が噴き出して、どうしても足早になる自分にちょっと嫌気を覚える。それは過去だ、今じゃない、大昔の出来事だ、もう終わったことだ、と自分に言い聞かす。それでも汗が滴るように流れる。なのに身体の芯はどんどん冷え込んでゆく。
この書店のこの担当者、この古書店のこの担当者…。津波のように記憶が襲ってくる。でもそれは覚悟していたことであって、つまり、こうなることははじめから予想していたことであって、何ら不思議も何もない。私は自分で自分に言い聞かせながら、たかたかと通りを歩く、歩き続ける。
このギャラリー、あの画廊、あっちの書店。何年も何年もここに来ていないはずなのに、身体は見事に記憶を留めており。それがちょっと悔しく感じられて、唇を噛む。
文房堂に駆け込むように入り、エレベーターのボタンを押す。6階。持参してきた作品を額装してほしいことを伝える。
半時間ほどかかります、と店員さんがやわらかな物腰で伝えて来る。わかりました、連絡お待ちしますと携帯電話の番号を伝え、その場を去る。
それだけなのに。
エレベーターで1階まで降りてフロアに立った時には、もう全身、ぎしぎし音が鳴りそうなくらい、軋んでいて。我ながらそれが可笑しくなって、苦笑いしてしまう。とりあえずお茶を飲もう。昔はなかった場所にドトールができていた、ひとり座席に座る。
椅子に座ってみると、どれだけ自分の身体が強張っていたかを思い知らされる。身体がトラウマを記憶する、というのは本当にそうだ、と改めて思う。私の脳味噌の奥の方、走馬灯のように過去のこの街に関係する画像がフラッシュバックし続けている。私はその、流れ続ける映像を、他人事のように、そのままに放置する。解離しやすい自分に、この時ばかりは或る種感謝を覚える。
喫煙ブースで煙草を一本吸ってみる。凍え切っていた身体の芯が少しだけ、緩んだ気がする。
30分後、電話が鳴り、私は額装の済んだ作品を受け取りに再び文房堂へ。さっきよりもゆっくり歩ける。駅までの道は相変わらず色の洪水だけれど、でも、さっきのような激しい悪寒はなく歩き続ける。駅はもう目の前。


2021年07月29日(木) 
息子と台所に立つ。彼はどうしてこんなに、台所に立ちたがるのだろう? 不思議で仕方がない。と思って、はっとする。娘も幼かった頃、何度も何度も私のところに来ては「お手伝い、ない?」と訊いてくれていたっけ。思い出した。でも私は、悉く断ったんだ。いいよ本読んでて、とか、いいよ遊んでて、とか言って。彼女が「肩たたきしようか?」と言う時でさえ、いいよいいよ!と断ってしまっていた。年頃になった彼女が或る日言った、ママはこうだった、と。そのことを、今改めて思い出した。
そうして今隣に立つ息子を見直してみれば、なるほど、そういうものなのかも、なんて思ったり。その気持ちを私はちゃんと受け止めなくちゃいけないんだな、と。そう思えた。「私がいくら言ってもママは訊いてくれなかった」と娘に言わせたみたいに息子に言わせちゃだめだよな、と。
台所だけじゃなく水やりも手伝ってもらうことにする。私がフライパンを操っている間、彼に水やりを頼む。手摺にかかったプランター以外は全部やってくれた彼。ちょっとドヤ顔。その表情がちょっと可笑しくて心の中くすっと笑ってしまう。

夜遅く。手紙を書き始めようと机に向かう。もう一週間前に届いている手紙。返事が書けないでいた。
文通中の受刑者さんのおひとり。誕生学を誰かに教えられたらしく「すごいですね、赤ちゃんって親を選んで生まれてくるんですって」と手紙に書いてきてくれたのだ。自分も自分の両親を選んで生まれてきたんだから、劣悪な環境に甘えてこんな悪くなっちゃったのは全部自分のせいなんだからだめだめですね云々、と便箋7枚全部に、自分がどれほどだめだめかを書いてきていて。読んでいて苦しくなった。何度読んでも、嗚呼、となってしまった。
自分のせい、にしてしまえば、ことは簡単に収まるように見えてしまう。虐待をする両親を選んで生まれたのは自分のせい、虐待されるのも自分のせい、その中で生きてねじまがったのも自分のせい、とにかく、何でもかんでも全部、自分のせい。こうなったのは自分のせいなんだからで片付けちゃおうとする。
それ、違うから。
絶対違うから。
あなたが犯罪を犯した、そのことはあなたが責任を負わなければならない事柄だけれども、あなたが虐待されたことはあなたのせいなんかじゃないしあなたが選んでしたわけでも何でもないし!とにかく、あなたのせいじゃないのよ! …と、私は手紙を読みながら何度もうめき声をあげてしまった。
悩みに悩んで、2つの記事を選んでプリントアウトし、自分が書いた手紙に添えた。「こういう意見もある事柄なんですよー」と。そして、手紙の最後に大きく太字で「〇〇さんは、虐待されたり蔑ろにされたりするのが当たり前の存在なんかじゃぁないです、大切にされるべき大事な存在なんですよ」と書いた。
私の気持ちが伝わるかどうか、分からないけれど、でも、書かずにはいられなかった。
久しぶりに、手紙を書きながら悶々と、見えない何かと闘ってしまった。ちょっと、疲れた。
とりあえず。冷たいものでも飲もう。換気扇の下で煙草を吸いながら。


2021年07月28日(水) 
手紙を書き終えたそばから、ああ書ききれてない!と慌てて追伸を書く自分。手紙というのは本当にいつ書いても難しい。ほんの少しの言葉の選び方の違いで、温度差が生まれて、伝わるものも伝わらなくなってしまう。手紙程、書くことにエネルギーを費やすものはない、と、幾つになってもそう思う。

そういえば私が子供の頃は、「ペンパル募集」なんて掲示板が、雑誌に載っていたりした。どきどきしながら私も何人かの相手と文通していたことがあった。そもそも、引っ越した先で幼馴染に手紙を書く、というのは、今のようにメールがある時代ではなかったからむしろ当たり前だった。ゆみこちゃんという幼馴染との文通は、小学校、中学校と、ずっと続いていたっけ。懐かしや。
パリにいた時、恩師に手紙を毎日書いていた。手紙といっても絵葉書が多かった記憶があるが。恩師との手紙のやりとりは、あれ以来始まったんだった。
私が編集部にいた頃、ファックスで原稿を送って来る作者はまだしも、手紙でしか送ってくれない作者もまだいた。近づく締切にじりじりしながら毎日郵便をチェックしてた。
中学生の頃は、授業中に手紙をこっそり友人とやりとりするのが常だった。ノートの切れ端などを使って、きれいに折って、渡すのだ。その折り方にもめいめい特徴があって、今思い返すと、よくもまぁあんなに器用な折り方を発明してやってたもんだ、とちょっと笑ってしまう。

今日は一通長い手紙を書いた。そして今、猛烈におなかが空いて、おなかとせなかがくっつきそうなくらいだ。無事に届くだろうか…と、いつも心配になってしまう。宛名を書きながら、自分の名前を書きながら、ついどきどきしてしまう。大丈夫かな、なんて。
だから、無事に届いたことが分かると、心の中いつも、小さく飛び跳ねて喜んでしまう。おかしな私の癖。

菫の名前は紫式部、だった。何を勘違いして覚えていたのだろう。首を傾げてしまう。とても地味な、ちょっと暗めの葉っぱの色と花の色。誰が紫式部をこんなふうと想像したのかしらと、私はそのことをあれこれ思い巡らす。
向日葵が何とか無事に台風を越え、ちろりんと黄色い花弁を見せ始めている。去年育てている途中で溶けてしまった向日葵。今年は無事に咲いてくれるといいのだけれど。
アメリカンブルーは陽射しに向かってぐいぐい枝葉を伸ばしている。薔薇たちの新芽が綻び始めてもいる。こんな容赦なく照り付ける陽射しの下でも、彼らは耐え、そしてその営みを止めない。見習わないとな、と、いつも思う。


2021年07月26日(月) 
紅色の夕焼けを見た。天気予報では、台風が来ることを告げている。ベランダの植物たちは台風の風に耐えられるだろうか。今伸びてきて花開かせようとしている向日葵など、きっとひとたまりもないだろう。紫式部という名の菫は這いつくばるように植わっているから大丈夫だろうけれど。薔薇たちはどうだろう、きっと葉がぼろぼろになるに違いない。そんなことを思いながらベランダの掃除をしてみた。プランターが倒れないように補強はしてみた。無駄な抵抗かもしれないけれど。

依存症施設でアートセラピーの授業。今日はフォトコラージュ。「小学生みたいだなあ」なんて最初照れながら糊付けやら鋏での切り抜きをしていたひとたちも、気づいたら夢中になってチョキチョキぺったん、している。予定では30分で終わらせるはずだったが、あまりにもみんなが一心不乱に作業しているのを見て、声をかけるのを躊躇ってしまった。結局45分、作業。
共働きのご家庭に育ったひとの、何処か寂し気な画面。今は親に感謝しているというメンバーの、「感謝!」「おかげさまです」といった文言の入った画面。家族全員で食卓についたことがないというメンバーの画面。コラージュ療法で重要なカタルシス効果があちこちで立ち現れていて、それに立ち会った私までもが浄化されてゆくような気持ちにさせられた。ありがたいことだ。
終わりの会で、メンバーのおひとりが、「いつも気づきをありがとうございます」と。だから私も「こちらこそありがとうございます」と応えた。

夜遅く、ようやく手紙を書き終えることができた。受刑者さんへの手紙。ふと、交換した手紙の束を遡ってみる。気づいたらもう三年、文通していたのか、と驚く。あっという間だなあ時が経つのは。
でもそれも、来月で終了だ。あと一通、二通で終わる。考え込んでしまう。この文通の間に私は彼に何を伝えられたんだろう、と。いまさらなのだけれども。自分の未熟さに、唇を噛むばかり。
一方で、他の方との文通は続く。これを肥やしに、次の一歩を踏み出そう。

しみじみ思う。
誰かが誰かを気遣い、その誰かがまた誰かを気遣い、そんなふうにしてひととひととは繋がってるんだ、と。悪意が働くことだってもちろん当然ある。いやむしろそればかりかもしれないけれども。それでも。
私はそれよりも、ひとが持つ、互いを気遣う想いの方を、信じて、見つめていたいと思う。


2021年07月21日(水) 
日記をつけられない心持ちの時も、早朝の空の写真だけは続けていた。我ながら頑張ったと思う。
午前4時過ぎ、毎朝毎朝ベランダに出て、空を見つめ、そうして写真を撮る。自分が見ている空がそのままきれいに写真に再現出来ていたりするととても嬉しくて、同時にほっとした。大丈夫、私はまだやれる、とそう思った。
そんなふうに自分を励ましながら、日々過ごしていた気がする。

友が、根気強く私に話しかけてくれる。そのたび、ありがたいなあと思う。でも、ありがとうという言葉以外に浮かばなくて、結局ありがとうを伝えるので精いっぱいになってしまったり。
それでも時は容赦なく過ぎ往く。飛ぶように去って行く。ちょっと気を抜くと、「今」を逃してしまうから、必死に食らいついてゆく。

ラベンダーの一株が枯れてしまった。時々夏にやらかす、こういう失態。その隣のプランターでは菫が律義に咲いて、種を飛ばしている。挿し木した薔薇の枝も、半分近くダメにしてしまった。でも、花束でもらった紫陽花の挿し枝だけは、何とか保っている。このまま根付いてくれるといいのだけれど。

夏休み初日。息子と「竜とそばかすの姫」を観にゆく。映画を観る前にインターネット上での評判を見てしまって、そこに「内容詰め込み過ぎ!」とか「話が無理矢理っぽい」とか、読んでしまって後悔した。読まなきゃよかった、って。
でも、映画が始まったら、あっという間に引き込まれて、気づいたらぼろぼろ涙が零れていた。特に、主人公の女の子が歌を歌おうとするのに嘔吐してしまう場面や、自分のリアルの姿を晒す場面。身につまされて、思わずこぶしを握り締めていた。容赦なく涙が零れた。
映画が終わってから、帰り道息子と「もう一回観たいねー!よかったねー!」と言葉を交わしながら歩いた。
帰宅してインターネットをちょこっとだけ覗いた。相変わらず、正義の名を盾にして足の引っ張り合いが垣間見られて、胸がぎゅっとなった。意見を交わすのは大事、でも。もはや意見を戦わすだけなら、相手が潰れるまで相手を潰すまで意見を乱射するだけなら、インターネットなんて場は意味がなくなってしまうと思う。そもそもインターネットという場はなぜ生まれたんだろう。今その、純粋に、それが生まれた時のことを、思い出せるひとはどれだけいるだろう。

最近世間を賑わしている事柄を少し距離を置いて眺めていると、思うのだ。「今ここ」を十二分に生きてるひとってどれだけいるんだろう、って。そして、失敗しないで一生を貫けるひとなんて、果たしているんだろうか、って。
誰もが被害者に、同時に加害者に、なり得るこの世界において、被害者にも加害者にもならず、挫折もせず失敗もせず生きていけるひとなんて、本当にいるんだろうか。そして、一度被害者ないし加害者になってしまったら、生涯被害者/加害者と烙印を押されて生きていかなくちゃならないなんて、そんな社会、そんな世界、息苦しくないんだろうか。
少なくとも私は、息苦しい。


2021年07月04日(日) 
久しぶりに眠ってしまった。眼が覚めた時やけにすっきりしていて、何か変だなと思って時計を見ると午前2時半。え、こんなに私寝たの?というのが最初に思ったこと。そそくさと置き出してもう一度時計を見る。いやほんとに私寝たんだわ、と思ったらちょっと可笑しくなって笑ってしまった。
普通は眠って当たり前なのだろう。でも私はいまだ、眠ること、横になることが不得意。そんな私にとって、5時間も眠るなんて吃驚以外の何者でもない。
そんなこんなの朝、ワンコが私の顔を見ながらトイレをし、私はそれを片付ける役。

恩師に手紙を書く。その前は受刑者さんに手紙を。立て続けに手紙を書いたせいか、ちょっと頭がいっぱいになる。手紙を書く時はいつだって、頭が沸騰する。一生懸命その相手に向けて思いを寄せるから、身体にも力が籠る。
恩師に会えなくなってどのくらい経つんだろう。コロナのせいで先生のホームに行けなくなった。それまで会おうと思えばいつだって会えていたのに、それが突然叶わなくなった。先生のお歳は私の四十上。もういつ亡くなったっておかしくない年齢。先生、逝ってしまわないでね、ちゃんと会えるようになるまで待っていて。そんな思いが手紙を書いているとぐるぐる廻る。身体中がその思いでぐるぐる巻きになる。

この間のカウンセリングで、過去の亡霊があちこちに出て来てる、という話になった。私が食卓の話をしたからだ。
食卓にゆっくり座っていられない、食べるという行為も駆け込むようにしか為せない話。落ち着かないのだ、もっと言うと、食卓が怖い。
「どうして怖いの」
「何と言うか、食卓っていつだって恐ろしいもの、みたいな印象が私の中にあって。そもそも私、食卓でいい思い出何もない」
「たとえば」
「父母との食卓といえば、無言で黙々と食べる、そしていつ雷が落ちるかひやひやしながら食べる、そんな感じ。いつだって緊張の中にいる」
「お父さんお母さんはもう、今、いないでしょう?」
「確かに、今いないんだけど。ありありとそこに居る」
「過去の亡霊に囚われちゃってるのね」
「過去の亡霊?」
「そうでしょう? だって今そこにいるわけじゃないのだもの」
「…」
「今はどうなの? 今の食卓は」
「落ち着かないというか、ゆっくり座っていられない。味が分からない」
「どうして?」
「家人はゆっくりよく噛むようにしなさいって言うんだけど。なんか、いらいらしてきちゃって、早々に食べ終えて、換気扇の下に煙草を吸いに行く。ようやくほっとする」
「なるほど。でもどうしていらいらするの?」
「どうしてだろう。何と言うかこう、すべてをぶち壊したくなるというか、怖い感じがずっと付き纏っていて。家人はいつだってお酒飲むし。家人がお酒を飲むとその背後に義父母が思い出される」
「アルコール依存のお二人ね。でもそれはそこには実際にはいない人でしょう?」
「そうなんだけど…いるんですよ」
「過去の亡霊よ?」
「いや、過去になってないんです全然。今そこに居る」
カウンセラーと話しながら、ああそうだ、私にとって父母も義父母も、加害者たちもみな、過去にはなりきっていないのだ、ということを痛感する。だからうろうろと、私の周りを浮遊している。私はそれに囚われている。
分かっている、囚われているのだということは。でも。薙ぎ払えないのだ。過去になりきらない。
カウンセリングルームを出てから、しばらく頭の芯がじんじんした。でも、もうちょっと考えておかないと、という気持ちもあって。私はじんじんする頭であれやこれや考えてみる。でも何も納得できる答えなんて見当たらない。

過去にする。過去になる。過去のもの。

いつの間にか夜明けの時刻。雨がじっとりと降っている。ざあざあと降っている。肌寒い朝だ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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