2021年06月29日(火) |
一日中雨降りの予報だったのが、実際は強く眩い日差しに眼を細めるような天気だった。手に下げた雨傘がちょっと恥ずかしそうにしているのが分かる。 整骨院で傷めた肩をみてもらう。「またやっちゃいましたか」という院長の言葉。はい、やっちゃったみたいです、としか応える術もなく。ぎゅっと縮んだままブロックがかかってしまった肩を丁寧に解してもらうのだが、なかなか解れない。ぎゅっとブロックがかかった個所の周辺が、ぎゅうぎゅうに張ってしまい、こちらが今痛みを発しているとのこと。左を向こうとしても痛みが酷くうまく左を向けない。その他、一月に階段落ちした際の古傷も痛んでおり、施術してもらう。
昨夜は若い友人が、死にたいと繰り返し漏らしており、私もしんどかった。死にたい時はもう、どうやったって死にたいのだ。誰が何を言ってくれても届かないくらいそこに傾いていたりする。私自身そうだった。だから、無理に止めても何にもならない。 できるのはただ、ここに私はいるよ、忘れないであなたはひとりじゃないよ、と、静かに発信し続けることくらい。 「私が死んだら、どうして私が死んだのか気づいてもらえたら嬉しいなあ」なんて零す彼女に、かけられる言葉なんて容易には思いつかず。ただただ、自分もそうだったかつての日々を思い出し、なぞり、そこに在り続けるばかり。 あなたが何をしようと、私はここに在る。 あなたがどうしようと、私はここに在る。 あなたが振り向いたらいつだって、私はここにちゃんと在る。 モールス信号のように、ツーツーツツ―と、一晩中心の中信号を発し続ける。
知り合ったSさんが私の夜明けの写真を購入したいと連絡をくださった。モノクロ写真ではなくカラー写真。ありがたいことだ。今日ようやく発注したラムダプリントが仕上がってきたのでお知らせすると「嬉しくて今早速振り込みましたよ」とのご連絡をいただく。重ね重ね感謝。梱包をしながら、無事に届きますように、と心の中反芻する。
昨日はそう、依存症施設でのボランティア活動の日だった。風景構成法。父親に対してコンプレックスを抱いている人たちがこぞってとんがり山や台形山を描いており。分かち合いの時にそれらは父性を示すものなんだよ、最近父親とちゃんと話ができているかなどについても吐露し合う。 対象を、ただ、言われた順番に描いていってしまうだけの人たちも数人だがいて。受講生たちの闇の深さを思い知らされる気がした。 |
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