2021年05月25日(火) |
昨夜ふと見ると蛹の色が変化していた。上部が黒くなっている。息子と二人、じっと凝視する。生まれるのかな、そうかもしれないね、そんな言葉をちらほら交わしながら、ただただじっと見つめていた。ぴくりともしない蛹。でも、その内側では、活火山のマグマの如く、命が脈打っているに違いないと想像する。 そして早朝、朝の5時に息子が飛び起きて虫籠へ。「母ちゃん!蝶になってる、見て!見て!」。絶叫に近い叫び声を上げる。私も飛んでゆくと、急に人の気配を感じて怯えたのだろう、蝶は翅をばたばたと拡げ、近寄るなサインを出してくる。 「よかったね、蝶になったね」 「うん、よかった!」 「でも、クロアゲハじゃないねえ」 「いいじゃん、どんな子でも!無事に生まれればそれで十分だよ!」 息子のその言葉を聞き、私はふと、自分が息子を産んだ時のことを思い出す。高齢出産だったため、義理の両親からは、きっと障害児が生まれるに違いないとか何とか、心無い言葉を幾つも投げつけられた。いいように言われた。言い返す言葉もなく、ただ私は沈黙した。心の中、絶対無事に産んでやる、絶対私はこの子を産むんだ、と、それだけを繰り返し唱えていた。 無事生まれてみれば、掌を返し、「ありがとうねえ」なんて言われる始末。何なんだろうこの豹変ぶりは、と、呆気にとられたものだった。 でも。どうであっても。無事に生まれてくれればそれでよし、なのだ。命が命であることの意味を、改めて思う。 「おなかすいてるよね、どうしたらいい?」 「もうしばらくしたら、ベランダのお花のところに連れてってあげればいい」 「うん、そうする!」 翅が乾いた頃を見計らい、割り箸を虫籠の中そっと差し込む。そこに第一号を掴まらせ、ベランダに移動。白い花の上に乗せてやる。少し風が強くて心配だったけれど、しっかと花に掴まり、風に翅を晒す蝶は、もう一人前だった。 そうだ、蝶やカブトムシは、蛹から孵った時にはもう親も兄弟も誰もいないのだ、とはっとした。彼らは何処までもひとりで生き、ひとりで死ぬのだ。もちろんその道途中で交尾をするのだろうが、それでも。ひとりで生き、ひとりで死ぬ。ひとりで生を全うする。何て潔いのだろう。
そういえば昨日は、依存症の施設での初講義だったんだった。女性が一人もいなくて、男性だけに取り囲まれるというのはやはり、私にはハードルが高いんだな、と痛感する。自分で決めて来た筈なのに、正直自分が何を喋っているのか途中からちっとも分からなくなってしまう。 写真を撮りにみんなで公園に出ても、ふらふらとコンビニに行ってお酒を買い込んでしまう人がいやしないか等、目を配っておかなければならないことを改めて思う。昨日はたまたまそうした人はいなくて済んだけれど。 それにしても。こういう仕事を為すスタッフが無給って、絶対おかしいと思う。そんなんだからスタッフが育たないんじゃないのか?とも思う。 ボランティア=無給、なんて、それが美談になったりもしている現実。でも、そんな状態にしておく限り、余力のある人しかボランティアできないことにもなるし、そもそも、志があって、でもお金がない人は働けない分野になってしまう。そういうの、絶対おかしい。 この仕組みを、いつか変えていかなければ、と強く思う。
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