ささやかな日々

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2021年05月25日(火) 
昨夜ふと見ると蛹の色が変化していた。上部が黒くなっている。息子と二人、じっと凝視する。生まれるのかな、そうかもしれないね、そんな言葉をちらほら交わしながら、ただただじっと見つめていた。ぴくりともしない蛹。でも、その内側では、活火山のマグマの如く、命が脈打っているに違いないと想像する。
そして早朝、朝の5時に息子が飛び起きて虫籠へ。「母ちゃん!蝶になってる、見て!見て!」。絶叫に近い叫び声を上げる。私も飛んでゆくと、急に人の気配を感じて怯えたのだろう、蝶は翅をばたばたと拡げ、近寄るなサインを出してくる。
「よかったね、蝶になったね」
「うん、よかった!」
「でも、クロアゲハじゃないねえ」
「いいじゃん、どんな子でも!無事に生まれればそれで十分だよ!」
息子のその言葉を聞き、私はふと、自分が息子を産んだ時のことを思い出す。高齢出産だったため、義理の両親からは、きっと障害児が生まれるに違いないとか何とか、心無い言葉を幾つも投げつけられた。いいように言われた。言い返す言葉もなく、ただ私は沈黙した。心の中、絶対無事に産んでやる、絶対私はこの子を産むんだ、と、それだけを繰り返し唱えていた。
無事生まれてみれば、掌を返し、「ありがとうねえ」なんて言われる始末。何なんだろうこの豹変ぶりは、と、呆気にとられたものだった。
でも。どうであっても。無事に生まれてくれればそれでよし、なのだ。命が命であることの意味を、改めて思う。
「おなかすいてるよね、どうしたらいい?」
「もうしばらくしたら、ベランダのお花のところに連れてってあげればいい」
「うん、そうする!」
翅が乾いた頃を見計らい、割り箸を虫籠の中そっと差し込む。そこに第一号を掴まらせ、ベランダに移動。白い花の上に乗せてやる。少し風が強くて心配だったけれど、しっかと花に掴まり、風に翅を晒す蝶は、もう一人前だった。
そうだ、蝶やカブトムシは、蛹から孵った時にはもう親も兄弟も誰もいないのだ、とはっとした。彼らは何処までもひとりで生き、ひとりで死ぬのだ。もちろんその道途中で交尾をするのだろうが、それでも。ひとりで生き、ひとりで死ぬ。ひとりで生を全うする。何て潔いのだろう。

そういえば昨日は、依存症の施設での初講義だったんだった。女性が一人もいなくて、男性だけに取り囲まれるというのはやはり、私にはハードルが高いんだな、と痛感する。自分で決めて来た筈なのに、正直自分が何を喋っているのか途中からちっとも分からなくなってしまう。
写真を撮りにみんなで公園に出ても、ふらふらとコンビニに行ってお酒を買い込んでしまう人がいやしないか等、目を配っておかなければならないことを改めて思う。昨日はたまたまそうした人はいなくて済んだけれど。
それにしても。こういう仕事を為すスタッフが無給って、絶対おかしいと思う。そんなんだからスタッフが育たないんじゃないのか?とも思う。
ボランティア=無給、なんて、それが美談になったりもしている現実。でも、そんな状態にしておく限り、余力のある人しかボランティアできないことにもなるし、そもそも、志があって、でもお金がない人は働けない分野になってしまう。そういうの、絶対おかしい。
この仕組みを、いつか変えていかなければ、と強く思う。


2021年05月23日(日) 
早朝の空に表情豊かな雲がぐわんと拡がっていて見入ってしまう。久しぶりだ。今日は晴れるんだな、と、空と雲を眺めながら嬉しくなる。早速洗濯機のスイッチを入れる。このところ雨続きで洗濯を十分にすることができていなかったから、洗濯籠が山盛りになっている。これを片付けられると思うと、もう気持ちが勇んでくる。
それにしても。いい雲だ。いい表情だ。透けて漏れ出づる陽光がきらきら輝いている。それだけで、幸せな気持ちになれる。

ホームセンターまで息子と自転車を走らせる。息子もだいぶ自転車の操り方がうまくなったな、と、一緒に走っていて思う。途中、線路沿いを走る。そのフェンスにはこれでもかというほど朝顔の蔓が巻き付いており。「母ちゃん、朝顔だらけだね!」と息子が大きな声で言う。確か去年見たこの場所の朝顔は深い青だった。そのことを息子に告げると、「今度種採りにこなくちゃね!」なんて言うからちょっと可笑しくなってしまう。我家の朝顔ももう蔓を伸ばし始めて、もうちょっとで網に届くくらいになっているのを思い出す。また今年もしっかり種採りしなくちゃね、と息子に応える。
ホームセンターの緑のコーナーを順繰り廻る。息子はトマトの種を、私は、ほのか、という名のラベンダーと紫式部という名の菫を見つける。他に折角だからとひまわりの種も購入。
早速古い土に新しい土と肥料を混ぜて植える準備をする。息子が手伝ってくれるのだが、土の混ぜ方が結構大胆で、ぼろぼろと土が零れる。ねぇもったいないよ?と言うと、あ、ほんとだ、と掌で一生懸命掬っている。
無事植え終えて、今度はワンコの散歩へ。いつも通らない道を通ったら、柵越しに声をかけられる。見知らぬ年配の女性。どうしたのだろうと近づくと、「これ、一枝いらないかしら?」と。見るとグミの実がたわわに実った枝で。「食べられるのよ、おいしいのよ」と息子ににっこり笑いかける女性。せっかくなので戴くことにする。ワンコが早速反応し、オイラにも分けてくれよ、という表情を浮かべる。
散歩も終わりかけたところで息子が「あ!」と声を上げる。どうした、と彼の行く方向を見ると、なんとそこにはクロアゲハの幼虫が。でもここはアスファルト。一体どうしてこんなところに、と私と息子は慌てて木の枝を差し込む。それでは掬い上げられないので、ちょっと迷った後、息子の掌に幼虫を摘んで渡す。
「早く、早く帰ろう!」「途中でみかんの葉っぱ仕入れないと!」私たちは早足になり、その間もずっと幼虫は動き回る。「落ちちゃうよ!動かないでよ!」息子が一生懸命話しかけるも、もちろん聞き入れる様子は全くなく。
ようやく帰宅し、テーブルの上に仕入れた葉っぱと幼虫を置いて、籠の準備をする。「寄生虫がいたら大変だから」と息子はすでに家にいる子たちと同じ虫籠には入れたくないと言い、小さめの別の籠を用意する。葉っぱと幼虫をようやく籠に避難させ終え、私たちはほっと息をつく。「この子、すげー歩くの早い!」「ほんとだ」私たちはじっと幼虫を観察する。
これで11匹。全員が無事、蝶になれるといいのだけれど。

真夜中、心がささくれ立って気持ちがどす黒くなりかけたのを友が掬い上げてくれる。ありがたや。ああいうどす黒いモノはどんどん内側を膿ませるから早々に手放すにかぎる。友がばっさり切り捨ててくれたおかげで、すーっと心に風が流れた。いい風だ。感謝。


2021年05月22日(土) 
家人から今夜は唐揚げが食べたいと注文があったので、本当は他にしたいことがあったのだけれどそれを棚上げして、唐揚げづくりに勤しんだ。いつもそうだが、私が揚げている間に彼らは食べ始める。その姿を見ると、私はもう、正直、いいや、という気持ちになる。確かに、あたたかいうちに食べてほしいとは思う。だから先に食べられてしまうことを止めはしない。でも。何だろう、私自身はもう、食べる気を失うというのが本音だ。
だから、黙々と揚げ続ける。だいたいもも肉4枚くらいは彼らは平らげるので、せっせと揚げる。油揚用の鍋は小さなものしか持っていないので、全部を揚げ終えるのにだいぶ時間がかかってしまう。今日はずっと立ちっぱなしで揚げてる途中で骨盤周りに鈍痛が起こってきた。しんどいなぁと思いながら、それでも揚げる。
そうしてようやくすべてを終えて食卓に私がついた頃には、彼らはほぼほぼ食べ終わっており。まぁそれもまたいつものことなので何も言いはしないが、私にとって唐揚げは楽しいメニューではなく虐げられていることを思い知らされるメニューのひとつだったりする。もちろん口に出しては言わないが。
それでも。彼らが楽しく食べて、おいしく食べて、喜んでくれるならそれで報われもする。それが今夜はそうじゃなかった。
食後にゲームをやりたいと言い出した息子に、家人が賛同し、じゃぁと私もつきあうことにした。が。しょっぱなから息子と家人が喧嘩をし始めた。ゲームだというのに、喧嘩。何なんだ。
何と言うか、家人のこういうところ、実に大人げないといつも思う。息子がごねると「これはゲームなんだから」と切り捨てる癖に、自分が不利になるとむくれる。いやいや、あんた、これゲームだから、と私は言いたい。あんたいつもそう言ってるでしょ?と。
結局、さいころを廻すのも家人は投げやり。駒を置くのも投げやり。動作のすべてに不機嫌さを醸し出しており。思わず「いい加減にしなよ、そういうの」と言ってしまった。
すると、家人はぶーたれて、つい今しがたまで喧嘩をしていた息子のご機嫌取りを始める。その一方で、私に対して無視を始める。
何なのこの大人げなさ。私はもう、言葉で言うのもあほらしくなって黙り込む。
結局家人は、息子を寝かしつけるまで私に対して無視を通した。私はそれに対して、もう何も言わなかった。
私のあの、唐揚げの作業の労力を誰か返してくれよ、と、心の中で呟かずにはいられなかった。

幼虫たち十匹は無事全員蛹になった。今、虫籠の中はしんと静まり返っている。天井にぶら下がってる子もいれば、壁にぶらさがった子も、また割りばしにぶら下がった子もいれば木の枝にぶらさがった子も。みんな思い思いの場所で蛹になった。色も全員微妙に異なる。当たり前か、十人十色。
息子が、産まれる前身体が透けるんだよね?翅の色が透けて見えるんだよね?と私に問うてくる。だから、そうだよと応える。どんなふうになるのかなあ、早く観たいなあ! 息子が頬を紅潮させながら言う。
私も楽しみだ。虫苦手って言った癖に。

息子と家人がそのまま寝たので私は起き上がり作業部屋へ移動する。とりあえず、月末からの個展の準備の残りをせねばなるまい。気持ちをがらり切り替えて、作業に専念しよう。


2021年05月18日(火) 
早朝4時半。東の空を見やれば、ちょうど日が昇ってきたところで。雲がぶわっと波立っており。うわぁ久しぶりに好みの空だ、と声に出して言ってしまうほど。早速カメラを持ってベランダに出る。ひんやりした、でも、ちょっと湿っぽい大気。鳥たちの囀りもすでに始まっており。ソプラノの、明るい囀りがあたりに響き渡っている。

K弁護士に久しぶりに会いに行った。用事があって行ったのだけれど、もう会った瞬間「久しぶりー!」と手を振り合っていた。元気そうでよかった、変わらない笑顔に会えてよかった、と心底思った。
K先生が、自分が担当した加害者とは文通していたりした過去を聞いた。弁護を担当した人たちに「服役先が決まったら連絡頂戴ね」と必ず伝えた、と。いや、服役先を弁護士さえ教えてもらえないこの国の仕組みにまずびっくりしたけれど、先生のように服役後の彼らと文通する弁護士なんてほとんどいないことにも驚きだ。私が文通している受刑者さんたちも言っていた、用事があって自分の弁護を担当してくれた弁護士に連絡しても一切返事が返ってきた試しがない、と。おかしな話だ。
少年院や刑務所にいる間が大事なのは当然だが、本当に大切なのは、その後、だと私は思う。出所した後だ、と。社会に戻ってから、だと。そこで糸の切れた風船みたいな状態になってしまったら、迷子になっていずれ再犯に追い込まれるのは目に見えている。
この仕組みを変えていかない限り、厳罰化だなんだとしたって、犯罪は止まないと私は思う。もっと「その後」に関わっていかないとだめだ、と。
そして、「その後」に関わるべきなのは加害者にだけじゃない、被害者のその後も放置しちゃいけない。被害のその後の方が、ずっとつらく、長い。ヘルプがもっともっと、必要だ。
そんな話を延々、二時間近くぺちゃくちゃ喋っていた。「早くコロナどうにかなってほしいよねぇ」と挟みながら。

帰宅途中で、ある俳優さんが亡くなられたことを知らせるニュースを見かける。ああ、Sちゃんパパ亡くなったのか、私の父母よりずっと若いのに、そうか、と、流れ飛ぶ車窓の景色をぼんやり見やりながら思った。
高校時代、隣のクラスだったSちゃんとそのパパのエピソードを、同級生の女の子たちがあれやこれや喋っていたのがありありと思い出される。どれだけ子煩悩で、かわいいパパか、と、彼女たちは延々喋っていた。当時私は、ほとんど周りの人間たちと喋らない生活を続けていて、だから、いつも、聞き役だった。相槌さえ打たず、ただ、ふんふん、と頷きながら聞くばかりだった。そんな私にさえ、Sちゃんパパのたくさんの噂話は、鮮やかに残っている。そのくらい、SちゃんパパとSちゃんのエピソードは微笑ましく、羨ましくなるものばかりだった。聞きながら、本当に家族というのはそれぞれなのだなと思ったことを思い出す。
当時私は、機能不全家族という言葉やアダルトチルドレンという言葉にようやく巡り合った頃だった。自分の家、家族の有様に疑問を持ち、その状態に息切れし、窒息し、何とかこの状態を脱することはできないのかと、溺れ死にかけていた。うちはうち、よその家はよその家、と私の父母は必ず言った。よそがこうだからって何、関係ない、と。
ネグレクトと過干渉を繰り返す親たちだった。その怒涛のような正反対の波に揉まれ、私も弟もあっぷあっぷしていた。もう溺れかけていた。弟はそうして家を飛び出し、残された私はもはや沈黙した。そうしかできなかった。
拒食症に陥ったのもその頃だった。
いや、今思い出すと、何ともいえない乾いた感じが浮かんでくる。がさがさと乾いた何か。潤いなんて一滴もない、乾ききったざらざらがさがさ感。まだ、解決しきってないものがそのまま、かさぶたになってしまったかのような、そんな感じ。
家族というものが10あれば、まさに十人十色。家族の数だけ色も違う、質も違う、何もかもが異なる。家族は密室で、これほど恐ろしい密室も他にはない、と、私は思う。

夜、息子がぎゃぁぎゃあ文句を言いながら宿題をしている。それに対し家人が「そんなに文句言うならやるな!もうやめろ!」と文句を言う。私は、どっちもどっちだ、と思う。文句言いながらでもやるだけマシだと思うし、そもそも息子に文句を言うなら勉強見てやれよ、スマホでゲームなんてしながら文句言うなよ、と私は思う。
ほんと、どっちもどっち。


2021年05月16日(日) 
加害者プログラムに出席した土曜。瞬く間に終わった。一緒に参加してくれたCちゃんが突然ぼろっと「あなたすごい、ほんとに対話してるんだもん」と言うので逆に私がびっくりした。「だって対話しに来てるんだもん、当たり前じゃんね」と笑うと「私、躊躇うところがあったかも」と。
確かに。それが普通なのかもしれない。Cちゃんも一被害当事者。元がつこうと何だろうと目の前にいるのは加害者に他ならない。でも、私は、彼らと対話するためにここに来たし、ここにいる。そういう気持ちが私にはある。
設問の立て方がよかったのか、今回は活発な議論ができた。彼らがいつも繰り返し使う詫びの言葉が、登場する回数が少なくて済んだ。彼らの、使い古した詫びの言葉など別に聞きたくはない。そんなことより、今何を考えているのか思っているのかを知りたい。その為に来ている。
彼らは。謝罪の言葉を使い慣れ過ぎてしまっている。自分が加害者になった直後から、あらゆる場面で求められる言葉。だから仕方がないともいえるけれど、慣れてしまってはいけないと私は思う。それは違う、と。
そのことも今回伝えた。

帰宅すると、何と虫籠の天井に蛹がぶら下がっているではないか。え、何故どうして、こんな場所に、と、仰天する。一体どうやってここに彼は昇ったのか、どうやって糸を掛けたのか、あれやこれやはてな印が頭の中ぐるぐる廻って、でも、何だか可笑しくて笑ってしまった。ガンバレ蛹。
最初に蛹になった子は、無事蛹らしい形に変化している。こちらもぐんぐん変わっていっている。生きてるんだなあ、と思う。

生きることは、死ぬことに直結している。いかに生きるかはそのまま、いかに死ぬか、だ。潔く、笑って死にたいと思う。そう思うから、一瞬一瞬、今ここ、を十全に生きたい。その連なりこそが、納得のいく死に繋がると思うから。

このところ身体の痛みが半端ない。ぎしぎし痛む。頭痛も頻発している。負荷がかかりすぎてるんだろうなと思う。でも、今止まるわけにもいかない。

Nから連絡が来る。退院したこと、声も出るようになったこと。ごめんなさい、と。加害者と鉢合わせしてしまってから、ありとあらゆる周りの人が敵に思えるようになってしまったこと。その思いで頭が占領されてしまったこと等。
私と違って、彼女には加害者に対する憎悪と怒りとが、明確に、強烈に、在る。最初から。私はぼんやり、それを、羨ましいなと思ってきたところがある。でも、同時に、しんどいだろうな、とも。
Nがそれらから解放される日は果たして来るんだろうか。その為には、と考えると、私は言葉を失ってしまう。
被害者が怒りや憎しみから解放される日って、いつなんだろう? 私のように、それらを抱けなかった人間はさておいて。抱かざるを得なかった被害者たちは、それらを手放せる時って、本当に来るんだろうか。

しんどい、な。


2021年05月14日(金) 
クロアゲハの幼虫を育てている息子と一緒に、彼らが喰らう葉を探す毎日。キンカンの樹を育てているお宅を見つけると、おずおずと「枝を一本いただけますか」と頼んでみる。何を突然、という顔をされた後、事情を話すとああなるほどとくすくす笑われ、どうぞと言われることがたいていで。ありがとうございますと一礼して枝を頂く。そうやって毎日いくつかの枝を手に入れ、せっせと幼虫たちに食べさせる。
そのかいあってか、脱皮に失敗して死んでしまった一匹を除き、今のところ全員が元気に育ってくれている。彼らは何故か、広い虫籠の中、ひとところに集まる習性があるようで。ふと見ると、たいてい集まってごにょごにょしている。青虫の井戸端会議という不思議な光景。
「母ちゃん!見て!こっち!糸吐いてる!!」。息子が叫ぶので近寄ってみる。私の老眼では糸を確認できないが、確かに蛹になろうとしている気配を感じる。「もうこの子を動かしちゃだめだよ、死んじゃうからね」。息子に言うと、「動かしちゃダメって言われると動かしたくなるよねえ」と笑うものの、じっと凝視し続ける姿は真剣そのもの。息子のその顔を私は横からこっそり見つめる。
やがてじっと動かなくなった幼虫。息子が声に出して応援する。「頑張れ、頑張れ、ちゃんと蝶になって!」。何度も言いながら、寝床に就いた。
明日の朝には、無事蛹になれたかどうか、はっきりするだろう。息子だけじゃない、私も実はちょっとどきどきしている。無事蛹になれますように。何事もありませんように。祈る。

整骨院の日。首を折ると腹部と両手が痺れることを話す。あと骨盤周りの鈍痛と先週脚が猛烈に痛んだことも。施術の後、身体を冷やさないこと、できるかぎり下を長時間向かないことなど注意を受ける。今日しきれなかったところは来週続きをやりますからね、くれぐれも注意を守ってくださいね、と。
そう言われ気を付けて行為してみると、首を折る動作があちこちにあって、どきっとする。そのたび腹部と両手に痺れを覚え、あ!と焦る。必要以上に首を折った状態を続けないよう気を付けるのだが、これがまた結構難儀。
そうしているうちに今日も又ホットフラッシュの嵐に見舞われる。最近ちょっと頻発している。今度心療内科に行った時主治医に話そう。

受刑者さんたちから立て続けに手紙が届く。手紙を開きながら、彼らがあの場所にいることの意味を考えてみる。罪を償う、ということが本当にあの場所で為されているのか、罪を償うとは一体どういうことなのか、社会に戻って来る彼らから社会性を奪ってしまっていやしないのか、それは再犯につながるのではないか、などなど。
ぐるぐる、ぐるぐる、考え続ける。答えなんて出ない。それでも考えてしまう。
私の文通相手はたまたま、どちらも自分の揺らぎながらも、懸命に自分の内の歪みと向き合おうと努めているように見えるけれど、そうじゃない人たちももちろんいて。でもそういう人たちもまたいずれは社会に戻ってきてしまうわけで。そうなった時、社会に彼らを受け止める受け皿なんてあるんだろうか。
あまりに、今の現実と刑務所内の状況とが、乖離していやしないだろうか。
考えてしまう。考え込んでしまう。じゃあ、乖離していたとして、別の方法が他にあるのか、と問われると、私の甘い考えなんて通用しないことは重々承知で、それでも。頭を抱えてしまうんだ。今のこのままは、やっぱりおかしいんじゃないか、と。


2021年05月12日(水) 
昨日は掛井五郎先生の展示へCちゃんと伺う。千鳥ヶ淵の小さなギャラリー。先生のアトリエの品々や作品、そして言葉が、静かで密やかな空間にしんしんと並んでいるのが印象的だった。私達以外誰もいなくて、だからゆっくり堪能することができた。Cちゃんは、現代作家って苦手なんです、過去の作家の模倣に思えて、と遠慮なく言っていた。確かにそうなのかもなあと思うが、じゃあ模倣でないまったくのオリジナルって、あり得るんだろうかと私などは考えてしまう。
鼻の長い顔、という作品だったか、欲しい!と思って見たら売約済の赤いシールがぺたりと貼ってあり。がっくり肩を落とした次第。欲しかったな、あの作品。
それから、飾ってあった版画集「夜の絵」、あの語りはシェル・シルヴァスタインの絵本「おおきな木」を彷彿とさせるものだった。とてもじゃないが手の届かない額で手元に置くなんてできないけれど、展示で全てを通して見ることが叶って、それだけでも嬉しい。余談だが、私はあの絵本のエンディングに納得がいかなくて、昔々、続編を独りこっそり作ったのだった。小さな冊子に手書きの絵を添えて。懐かしいなあ。そんなことも、掛井五郎先生の展示を拝見しながらつらつらと思い出した。そんなふうに幼少期のあれこれを心地よく思い出させるのも先生の作品の力。
あまりにもこの社会が冷たくて凄惨としていて、だからそんな時に先生の作品に直接触れることができて、本当によかった。私は先生の作品が好きだ。こんなにも残酷でちっぽけな「人間」なんて糞くらえだけれど、それでも、と思わせてくれる。人間として生まれたからにはそれでも、と。
先生が、生き残ったからには自分が兄さんの遺志を継いで絵描きに、と思ったのが、木内克との出会いで彫刻家を目指すことになったのだと昔語って聞かせてくれたのがつい昨日のことのように思い出される。生き残った自分にできることを、と。生き残る、という言葉、今ならすごくよく分かる。もちろん、私なりにでしかないけれども。
先生は戦争から生き残り、私は被害体験から生き残り。それぞれ違う生き残りだけれど。それでも。
Cちゃんにも話したのだけれど。現存作家を応援するって大事な営みだと私は思っている。物故作家は、もちろん素晴らしい作家だからこそ残ってゆくのだろう。でも、現存作家の作品を購入し応援すること、これは、同時代に生きて在るからこそできることなんだと私は思っている。だから、寂しいお財布事情はあるが、それでも私は応援してしまうのだ。

今日は天気が悪いわけではないのに、身体のあちこちが痛む。特に左骨盤と腹部と脚。要するに左側の腰から下。別に何処か傷めたわけでもないのに。困ったな。テニスボールでせっせとケアしているのに痛みの強さに追いついてゆかない。薬を飲もうかどうしようか、さっきから悩んでいる。
受刑者さんから手紙が届く。相変わらず丁寧な、美しい整った字の手紙。手紙を書く時間は限られているはずなのに、彼の字が乱れたことは一度もない。そのことの方が実は私は心配だったりする。展示が終わるまで返事は要りません、と書かれていたのだけれど、もう早速書きたいことがあれこれ浮かんできてこれまた困っている。
うん、飲もう薬。これ以上痛みが強くなったらとてもじゃないが座っていられない。飲もう。
そんな私の傍らで、夜はしんしんと更けゆく。


2021年05月09日(日) 
早朝、あまりの曇天にあんぐり口が開いてしまう。まるで雨が降りそうじゃないか、と、慌てて廻しかけた洗濯機を止め、天気予報を確認する。雨の予報はなし。じきに晴れてくるとのこと。安心して再び洗濯機のスイッチを入れ直す。
今日は息子とばぁばの家まで行くことに。クロアゲハの幼虫たちの食料をゲットしに行く。母の庭にはキンカンもレモンの樹もゆずの樹も、みんなある。柑橘系の葉ならきっと食べてくれるに違いない、ということで、7時前に家を出、自転車を走らせること一時間。ようやく辿り着く。
母の庭は相変わらず賑やかで。「もう80になって庭の手入れがまったく追いついていかなくなったのよ」と母は愚痴るのだが、そのそばから「これようやっと根付いたのよ、見て」なんて言っている。確かに手入れは十分には行き届いていないのだろうが、母の、庭への愛情は変わらずで、私は安心する。
キンカンやレモンだけではなかった、母はなんとグレープフルーツの樹まで育ててしまっていた。「種からね、育ててみたのよ。でもあんまり美味しくなかったわ」と笑う。いや、母よ、種から育てることが珍しいのだよ、と心の中反論する。
ゆずの樹に、クロアゲハの幼虫を一匹発見。息子と二人にんまりして、早速葉を手折る。ビニール袋を膨らませてその中にそっと入れる。この子も我が家の虫籠の仲間入りに決定。
父の足の腫れは、ズボンを履いた上からも分かる程で。膝も変形し始めているらしい。口には出さないが耳もさらに遠くなったようだ。母がこっそり私の耳元で「補聴器作らなくちゃって思うのよ」と言う。
ビニール袋いっぱいに、キンカンやらレモンやらゆずやら何やら、とにかく柑橘系の枝葉を摘んで詰め込む。あっという間に山盛り。これで当分なんとかなるね、と息子とハイタッチする。
コロナを気にしている父母に、早々に手を振り別れる。息子が「じいじもばあばも可哀想だね、コロナのせいだね、コロナめ、まったくー!」と自転車の後部座席で叫んでいる。本当にそうだ。コロナなんてもんがなければ。
自転車を走らせる帰り道、私は心の中、あれやこれや思っていた。父と母はそう遠くない将来逝くだろう。最近会えば遺言書がどうだとかああだとか、しつこく言ってくる。私はあまり真剣に聞いていない。お金の話を父母とするのは苦手だ。そもそも彼らと長い時間顔を突き合わせているのはまだ私には無理だ。しんどい。
いや確かに、彼らが私を、彼らなりに愛してくれていたことは知っている、分かっている。承知もしている。でも、だからといって私は彼らとの距離をこれ以上詰めるつもりはない。一定距離を保っておかなければ、私と彼らはきっとまた、互いに傷つけ合うしかなくなる。

夕方ワンコの散歩を終えて帰宅してから、ベランダの植物たちにたっぷり水を遣る。朝の曇天なんて何処へやら、夏日としか思えない程強い日差しで、プランターの土はからからに乾いていた。たんまりたんまり、なんてぶつくさ言いながら水を遣る。何度も風呂場とベランダを往復する私を、ワンコが不思議そうに見ている。
早い夕飯を食べ終えてすぐ、家人は寝てしまった。息子が驚いたような呆れたような顔で「ねぇ母ちゃん、もう父ちゃん寝ちゃったよ、一分も経ってないよ?」と笑う。「僕全然寝れないよ」とも。だから「ワンコの背中に手を置いて目を閉じてると、あっという間に眠れるよ」と教えてやる。「ほんと?」「ほんとだよ」。
息子と私がそれぞれにワンコの背に手を置くと、ちょっと迷惑そうな顔をしたものの、黙って伏せをしているワンコ。なかなかデキた奴だな、おまえは。
それにしても。一日中ぼんやりと頭痛が。鈍い痛み。二錠だけ薬を飲む。これで痛みが取れるといいのだけれど。


2021年05月08日(土) 
クロアゲハの幼虫を息子が学校から連れて帰ってきてからというもの、我が家のテーブルのど真ん中に虫籠が鎮座している。息子はことあるごとに虫籠を注視し、私に状況を報告してくる。「今みーちゃん(脱皮して緑色になった幼虫のこと)が僕のこと見た!」「黒助(まだ脱皮も済んでいない子のこと)がばくばく葉っぱ食べてる」「あ、うんちした!」。何から何まで報告してくる。
私は幼少期、母の庭に産み付けられたアゲハやクロアゲハの卵を段ボール箱に集めて、それを育てていたことがあった。弟と二人、やっぱり四六時中見つめていた。息子の今の姿を見ていると、その頃のことをありありと思い出す。
「ねぇ母ちゃん、この子寄生虫されてないかな、大丈夫かな」心配性の息子は脱皮したばかりのみーちゃんを指さして言う。「大丈夫だよ、黒助の頃からここに入って安全だったから」私は台所で洗い物をしながら彼に応じる。
みーちゃんがまだ黒助で、脱皮をするその瞬間を、私たちは見守った。それまでむしゃむしゃ葉を食べていたのが動かなくなり、じきにもぞもぞ、と身体をくねらせ、ゆっくりゆっくり脱皮した。母ちゃん、すごいね!すごいね!息子のその時の目の輝きは、100万ボルトと言っても過言じゃないくらいだった。考えてみれば彼にとって脱皮を見守るのは初めてのことだったかもしれない。なるほどなぁと彼の後頭部を見つめながら思う。今彼の頭の中ははじめてのことだらけでぐるぐる渦巻きができているに違いない。心の中はどきどきわくわくが溢れ返っているに違いない。そんなことを私は想像しながら、彼と虫籠をじっと見守った。
「母ちゃん、脱皮終わっても、全然動かない。食べない。どうしちゃったの?」
「ああ、脱皮はさ、すんごく疲れるんだよ、体力使うの。だから今休憩中なんだよ」
「ほんと?死んでない?」
「ほんと。全然大丈夫」
今、緑に脱皮した子は二匹。他十匹近く幼虫がいる。学校のみかんの樹にも幼虫はまだまだいて、おかげで葉っぱが全然足りない。「先生がこれ以上とるなって言うんだよ。どうすんだよ、この子たちのご飯」。息子が心配する。
考えた末、実家の母に電話をしてみる。かくかくしかじか、説明をすると、「この間キンカンの樹は剪定しちゃったけど、まぁいいわよ、少しならあるから」とのこと。明日息子とふたりで葉っぱを分けてもらいに行く予定。その間にも幼虫たちはせっせと葉っぱを喰らう。

Nが保護入院になり、連絡がとれないまま日が過ぎる。身体が痛い。心の痛みがそのまま身体の痛みとなって噴出している感じだ。テニスボールでいくらケアしても足りない。じんじん身体のあちこちが痛む。痺れる。
その一方で、私の眼の前、虫籠の中に命がたくさん在る。みな無心に蠢き、喰らい、眠る。命の営みが淡々とそこで行われている。
Nは今頃やっぱり、私がそうだったように、「生き残らさせられた」とい思っているかもしれない。生き残りたくなんてなかった、きれいさっぱり死にたかった、と思っているかもしれない。それでも。
私はあなたがせめて、生きて在ってくれて嬉しいよ。ねぇN、私はいつもここに在るから。忘れないで。


2021年05月06日(木) 
家人の代わりに私が朝ワンコの散歩へ。静かに細かな雨が舞っている。その中をしとしと歩く。ワンコが時々私を見上げて来るので、私もワンコを見つめる。どうしたの、と声をかけると、ワンコがふんっと鼻を鳴らす。
ホワイトクリスマスが今年は幾つも大きな蕾をつけてくれて嬉しい。強風のせいで傷ついてしまうことばかりだけれど、そんな中、何とか無事に咲いてくれた子もいて。私はこの花の色と香りがたまらなく好きなのだ。涼やかなその白の色味と香り。薔薇なのだけれど、でも、決してしつこくもくどくもない。だから私はこの子に会うとほっとする。
朝顔が次々芽を出してくれている。この雨のせいで葉の先に小さな水粒をくっつけて、でもぴんと葉を開かせている。元気だなあと思う。
ビオラはもうそろそろ終わり。もうすでに種をつけている子もいるほど。長いこと私を楽しませてくれてありがとう。この種を摘んで、来年また蒔くからね。花たちに話しかけながら眺める。

整骨院で施術を受ける。肩が凝っているはず、と言われるが、まったく自覚がない。もはや凝りというよりも板のようになっていますよと笑われる。実際、先生が押してくる場所は確かに痛くて、ひぃひぃ声を上げてしまう。ここを解したいんですよねぇと言いながら先生はぐいぐい押してくる。でもそういえばこの先生にいくら強く押されても揉み返しが起きたことは一度もないなと今更ながら気づき、ありがたいなあと思う。
帰り道郵便局へ。ようやっと宛名をすべて書き終えたDMを投函。全部で115通あった。これでもずいぶん減らしたつもりだったのだけれど。
帰宅すると、息子が虫籠を持って帰って来るところで。「母ちゃん、今度はアゲハの幼虫だよ!母ちゃん育てたことあるんでしょ!!!」。確かに私はアゲハ蝶の幼虫なら何度も育てたことがある。虫籠の中を覗くと、まだ生まれたばかりの、黒い姿。一匹だけ少し大きい子がいて、今まさに脱皮するところ。息子に声をかけ二人で見守る。もにょもにょ、もにょもにょ身体を動かして、懸命に皮を脱いでゆく幼虫。「わわっ、緑だ、緑になった!」。息子の目が輝く。はじめてはいつだってわくわくどきどきがいっぱいだ。

プリンターをせっせと動かす。本当はまだ準備を整える必要はないのかもしれないが、私はぎりぎりに為すのが苦手なのだ。結局、すべての作品をプリントアウトし終える。新しく注文したマットにセットするものが11枚、貼りパネにセットするものが24枚、その他諸々。残りはもう、大型パネルを外注するだけ、だ。これで、ゆっくりできる。
改めて、展示に寄せて書いたテキストを読み直す。Mくんに頼んで英訳したものも用意した。読みながら、この心境に辿り着くまで長かったなあと省みる。五年も要した。でも、鈍感な私にこの五年という時間は必要だったに違いない。そう思うことにする。
明日は精神科への通院日。Nのことを話したい。自分の内に留めておくには少々しんどい。いや、しんどい、ともちょっと違う。何も感じなくなってきてしまっている自分を感じて、それが、まずいな、と思うというのが本当のところだ。いつの間にか私は、哀しみや悔しさといった感情たちを丸ごと、自分から切り離してしまっている。これが酷くなると感情が閉じ込められてしまう。
早く明日にならないかな。なって、欲しい。


2021年05月03日(月) 
Nと連絡がとれなくなって、嫌な予感しかなかった。その予感は当たっていた。Hちゃんが気を使ってNのところまで車を飛ばしてくれて、知った。首を吊ったこと。お母さんがそれに気づいてすんでのところで縄を切り、命だけは助かったこと、そのまま保護入院になったこと。
諸々のことがどっと押し寄せて、私の頭は真っ白になった。また友人を自殺で失うところだったかもしれないと思っただけで、ぞっとした。しかもそれがNという、十年来の友人だったかもしれないという、もう、考えるそばから解離を起こすしかないような。
すべての実感がない。どこか他人事で。もはやどうにも変えることのできない現実の前でただ、呆然と突っ立つ私は、すべてから距離があるかのように感じられ。何もかもが映画か何かの世界のような。そう、私の目の前で淡々と流れる映画のような。そんな、感じ。現実なのに現実じゃあない。私の細胞のすべてが現実としてそれを感じることを拒絶しているかのような。
よりによって何故Nが。ここにきてなぜNが。と、私のぼおっとする頭はひたすらそれを連呼している。何故、よりによって何故Nが、今。
ここまで必死に生き延びてきたじゃないか。何とか生きてここまで辿り着いたんじゃないか。なのに何故。
なんて、そんなこといくら問うたって意味なんてない。もはや、こうなってしまった以上、何の意味もない。問うだけ無駄なのに。
Nよ、私はあなたの頑張りをよく知ってる。これでもかってほど知ってる。ねぇさん、ねぇさん、あのね、といつも報告をしてくれるあなただった。つらいこともかなしいことも。「いつもしんどい話ばっかねぇさんに報告してるから、たまにはいいことも報告したくて頑張ったよ」なんて、そんな場面もあったよね。とても嬉しくて、私は電話のこちら側でにこにこにこにこ笑ったんだった。
すべてが泡のように弾けてしまう。飛んでいってしまう。私の手をするり抜けて、どこかに消えてしまう。
保護入院がいつ解けるのか、今はもう何も分からないです、とお母さんが言っていた。今回は長くかかるかもしれないと、それだけ思っています、とも。
私に何ができるんだろう。何ができなくて、何ができるだろう。
少しずつ夜闇が緩み始めるこの時刻。Nは眠れているだろうか。病院は今コロナ禍で、お見舞いを一切受け付けていないのだという。親族さえダメなのだという。そんな中、Nは辛い思いをしていないだろうか。
私がどんなに蹲って、唇噛んで蹲っている時でも、時は容赦なく流れ続ける。待ってなんてくれない。こんな時でさえも。
できるのは、私にできるのはだから、ただ生きて在ること。生きてここに在って、彼女が戻ってきた時には笑って出迎えること。
それしか、思いつかない。


2021年05月02日(日) 
稲光と豪風の夜。息子がそのたび「母ちゃん、光った!ほら、光った!」と報告しに来る。あまりに頻繁で私は反応するのが面倒くさくなって、ふんふんふん、と適当に相槌を打つ。もともと私は稲光が嫌いじゃない。雷鳴が嫌いじゃない。よほど近くに落ちない限り、驚くこともない。
でも翌朝、ベランダに出て慌てる。一番大きな重たいコンボルブルスのプランターがひっくり返っており。それほどに昨夜の風は強かったのか、と。愕然とする。
掌で土を集め、拾い上げ、プランターに戻す。でももうひっくり返ってしまったコンボルブルスは元には戻らない。作業する手を止めてその傷ついた姿を見つめる。ひしゃげたコンボルブルスは悲しそうに、とても悲しそうにそこに在って。私は申し訳なくなって思わず、ごめんねと声に出して言ってしまう。
ホワイトクリスマスの大きな蕾たちも傷だらけで、原形をとどめないほど花弁が変色してしまっている。今年は大きな花が幾つも見られるな、と楽しみにしていたのに。幾重にも重なる花弁の先が茶色く変色してしまった子らを、順々に鋏で切る。開いてくれるか分からないけれどもとりあえず花瓶に挿す。
振り返る夜明け前の空はうっすら靄っており。雨上がりなのに靄るのは珍しいなと、私はしばしその空を見やる。薄桃色に染まった地平線あたりに向かって手を伸ばす。届かないことが分かっているのだけれどつい。

一か月後に控えた個展用のDMが仕上がってきた。思った通りの仕上がりになりほっとする。紙を特殊紙にしてみたから、どうなるかなと気になっていた。結果オーライ。よかった。
150通近く手書きで宛名を書く。この作業がしんどい。しんどいのだけれど、印字して投函、というのができない。展示を始めてから二十余年、ひたすら手書きで宛名を書いている。
一枚、また一枚。名前を書いては記憶の中のその人を探す。たくさん言葉を交わしてきた人もいれば、挨拶程度の方もいる。だいぶ疎遠になってしまった人もいれば、いまだ密に連絡を取り合う相手もいる。その誰もに、心の中、よろしく、と声を掛ける。そんな声、誰にも届くわけもなく、聴こえるわけもなく、だからまさしく独り言に過ぎないと分かっているのだけれど、一枚仕上げるたびに、宛名を見つめ、心の中言ってしまう。
ふと思い出す。昔、絵葉書ばかりを届けてくれる人がいたな、と。北の国に住むその人の字は、実に美しい、細面の字で、私はいつもその字に見惚れたんだった。独特な言い回しを好むその人の文は、私の心にひとつひとつ響いて残った。ブルーブラックのインク。懐かしい。彼女は今頃、何処で何をしているのだろう。家を出る、と言って或る日突然、忽然と姿を消した。一度だけ、住所の書かれていない絵葉書が届いた。大丈夫、何とかやってる、とだけ書いてあった。それ以来彼女の行方を、私は知らない。
でも時々こんなふうに思い出して、私はだから、そんな時は空に向かって思うのだ。

元気でいますか。生きていますか。私は、ここにいます。


浅岡忍 HOMEMAIL

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