昼食に誰かを待つ日は

2021年01月25日(月) 寒さに震えて

 土日の話。ひたすらに雨が降り続けて寒かった。そういえば久しぶりに雨が降ったような気がする。土曜日は友人Fが脚本を書き友人のMが主演を務める演劇を見るために、夕方過ぎに北千住へと出向いた。
 秋葉原から日比谷線に乗り換える道のりを少し間違えて、やけに遠回りをする。北千住はこんなに遠かったっけ。映画を一緒に作るため頻繁に会っていた友人がこの町に住んでいて、前は会うためにわざわざ足を運んでいた。彼は元気にしているんだろうか。いつも待ち合わせていた駅前の大きな喫茶店はもう閉店してしまった。あの場所はもうなく、彼に会うことももうないだろう。「魂の会合」と我々は名づけて、あらゆる分野の話をし、時には涙を流したり、怒ったり怒られたりという特殊な関係性でいたのだが、ある期を堺にぱったりと会わなくなった。彼には才能があったから、この世に何かを残してほしかった。
 北千住について、10分くらい歩いた場所にひっそりと目的の場所がある。そういえば、一年前に柳美里が主催する演劇をここに見に来たことがあると、着いてから気が付いた。あの時はIと一緒で、路上で二人で煙草を吸っている時、見知らぬ高級車が近づいてきて、嫌な感じで注意をされたことが記憶に濃い。
 
 中に入ると、すっかり大人の色気を帯びたFがいた。久しぶり、と声をかけると「久しぶりです」なんて敬語が返ってくる。敬語の仲ではないだろう、と思いながらも、はにかみながら笑うFは全然変わっていなくて、顔を見れただけでも満足だった。
 演劇は、線路に飛び込んで自死しようとする男二人が偶然出会い、そこから始まる奇妙な会話劇と、関係性のねじれが描かれている。決して仲を深めてはいないのだが、それでも相手の存在自体が、互いに大きく作用していることに変わりはない。なぜ死にたいのか、という理由を根ほり葉ほり聞かれているうちに、本心を突かれると、自分の「弱さ」に行き当たる。シャツが汚れて、ハンカチで汚れを落とす男、もう死ぬのだから、そんなことは気にしなくても良いのに。なんて無様なのだろう。どこまで人間らしいのか。しがみついていたのは、汚れか、生きることか。結局死ねない男はその場に泣き崩れる。自分が死のうと決意した日に、偶然同じ気持ちを抱える者が現れたら、それは天使ととるか悪魔ととるか、どちらだろう。天使ではないか?
 でも彼らは互いを慰め合うようなことはしなかった。他愛もない会話をしながらも、電車の音が聞こえてくると、どちらが先に飛び込むかの競争が始まる。半ば意地の張り合いでもあった(電車の本数が少なく、1本来るのに長い時間がかかっているらしかった)。
 大体1時間くらいの小演劇ではあったけれど、久しぶりに生で演劇を見たこともあって、普通に楽しめた。脚本を手掛けるFが持つユーモアがドラマとしてきちんと組み立てられていて、客を飽きさせないようにする工夫が至るところにこなされていたように思う。
 最後にゆっくりと話したかったけれど、速やかな退場を促され、劇場待ちも禁じられていたため、さっさと家に向かうしかなかった。
 この日の夜道は特別に寒く、全身が凍るようで、寒さで頭痛がし、手はほとんどしびれて、結構辛かった。

 日曜日。イメージフォーラムに「本気のしるし」を見に行く。5時間弱の長い映画ではあったものの、長いという気は一切しなかった。これも脚本のおかげだろう。次から次へと話が進んで行く場合、いやでもその流れに乗っかっていくしかない。そうして気が付けば、するするとドラマの展開が気になって、時間さえも忘れているのだ。
 この映画については、一言ではあまり収まりきらない。でも「相手に何かをしてあげたい」という気持ちは、決して思いやりだけから来るものではないと再確認をした。やはり自己肯定感を得たいのだ。私は昨年、障害のある妹に寄ってきた男性に対し、これと全く同じ気持ちを抱いていた。ただの思いやりだけで済まされないような、異様なしつこさがあったし、それは外側から見れば異常でもある。
 人間関係を築いていく方法や手段はいったいいくつあるのだろうか。
 自分の意思がないようで、相手にすべてを預けるようなタイプの人間が、実は全てのヒモを握っている。相手にたぶからせているように見せかけているようで、自分の反応ひとつで様子がガラリと変わる相手を手なづけている。
 マゾヒズムの人間が実は一番サドスティックな面を持っていることと同じだ。
 
 長い映画を見た後は、ちょっと疲れてしまう。渋谷の通りを歩いて、馬車道から電話があったので再コールをしたが、話が全然続かなかった。
 家に帰って、すぐ眠りにつき、今日は朝4時に目覚めて机の上で手を動かした。この静けさと向き合っている時間、私の頭に生まれた物語がある。
 それをなんとかして書ききりたいと、今は思っている。



2021年01月20日(水) 寒がりの君


 頭がぐぉんぐぉんと回るため、昨日は外に一歩も出ないで家にいた。在宅という名がついてはいるけれど、パソコンの前にずっと座っていられるはずがない。メンタルと身体がやられてしまっては仕事ができない。だから昨日は、充電期間として、ひとりで家の中で遊んだ。
 まずはごはんでも作ろうと、ポトフのようなスープを煮込む。にんじんやジャガイモを切り、キャベツを切り、ベーコンを切り、玉ねぎを切り、お鍋にポイ。それから、馬車道からポールマッカートニーの曲が送られてきたので、それを聞きながら「プラテーロとわたし」を読む。1920年代に書かれたスペインが舞台の、ロバと旅する男のヒトの、ほとんど詩に近い毎日の記録。「ごらんプラテーロ…」、「ねえ、プラテーロ‥」ロバに話しかけるようにして綴られる文に、愛情がにじみ出ていて、なんとも胸がじわじわとしてくる、とても素晴らしい本。
 本を読んで、そのあとスープとカレーを食べて、花の水を取り替えて、ぼんやりする。
 それから唐突にギターが弾きたくなって、引っ張り出した。ビートルズとか、マーシーとか、有名どころを練習していたのだけれど、鼻歌をうたっていたら良いメロディと歌詞が降ってきて、そのまま紙に、文字を書いて、メロディをあてた。その1曲のために3時間くらい費やして、録音して聞いてみると、案外悪くなかった。全然意識しないで詩を書いたけれど、これは紛れもなく歌で、そして馬車道に捧げるような歌になっている。ということで、私はこれを、馬車道に送った。
 彼は耳が良い。送ると、「とてもいいよ。あなたの部屋を思い出す」と、褒めてくれた。森田童子みたい、とも。確かに、声も、歌詞も、なんだか森田童子のようだった。歌詞の出だしは「寒がりの君が顔を赤くしてこの部屋にきたとき」から始まる。馬車道は寒がりだったろうか?でも、馬車道を思い浮かべて作ったんだろう。
 もう今はメロディが思い出せない。
 そして、気づけば夕方になっていた。ようし、と仕事らしきものに取り掛かるが、たいしてやることはなかった。(翌日結構大変な目にあったけど)
 身体も心も、快復したけれど、今こうしてパソコンの前に座っていると、やっぱり健全ではなくなってくる。絶対に、昨日の時間のほうが健全で、しかも生産性があった。でも毎日あんな風に生きていては、生活はままならないのだろう‥‥。ああ、早く帰りたい、おうちで寝たい。
 
 今日は、21時にまたピンク映画を見に行こうかしら、と考えている。でもとてつもなく寒いから、もしかすると行かない可能性もある。ラピュタ阿佐ヶ谷は良い映画館。



2021年01月17日(日) 28歳の誕生日


 誕生日を祝うから、といって蔵前に住む友人が豪勢な料理を作っておもてなしをしてくれた。超大手に転職を決めたRの住む部屋はマンションの8階にあり、スカイツリーが家のすぐ近くに見えて、ベランダからは隅田川も見渡せる。家賃4万5千円の私の2倍以上の家賃を払ってこの部屋にひとりで住んでいる。中は広くて、無駄なものは何一つなく、キッチンは広いし湯船はあるし、テーブルもソファもベッドもある。私からしてみれば贅沢の極みだ。
 誕生日の日に友達がごはんを作ってくれることなんて、これまで一度もなかったから、テーブルに並べられた色とりどりの、美味しそうな料理を見ているだけで嬉しくて、笑みが止まらなかった。きのことチキンのクリーム煮、海老と帆立のサラダ、かぼちゃのパエリア、具沢山のミネストローネと、ウーバーイーツで頼んだカラアゲと、美味しい白ワイン。たらふく食べてお腹がいっぱいになり、あとはうだうだと2〜3時間話をして、お風呂に入って、『時計仕掛けのオレンジ』をみて、気づけば寝ていた。
 翌朝は、いっしょにアップルパイを食べて、そこからは仕事や恋愛やらの話を続ける。彼女はいつでもたくましい。適当で大胆であるのが良い。顔は美人だけれど、性格が男前。「絶対なんとかなるんだよ」という彼女の言葉に励まされる。大学時代には何度も喧嘩をしていたけれど、こうして会ってみると、互いに面倒な自我が減り、相手に対し何かを期待することも減り、さっぱりした関係で接しやすくなった。数少ない女友達と、こうして長い時間話せる時間はいとおしい。
 「私、もう結婚しなくていいわ」という意見で互いに合意。全然結婚をしたいとも思わない。でもそういっているのに限って、意外と早く結婚するんだよなあ。 

 夕方家を出て、次に松竹に会いに行く。新宿につくと、「お誕生日おめでとう」といって、彼女は私に抱きついた。そしてパフェをごちそうしてくれた。私はピスタチオのパフェ。松竹は「煙山さん」というパフェを頼んで食べていた。彼女も今年で社会人になる。「早く働きたいなあ」といえるのが素直にうらやましかった。なんでそんなに働きたいの、と尋ねると、「わたし仕事が好きなんだよ。働いていたい」と平然というので、こんな風にさらりと言えるのは、やっぱりいいことだなあと思いながら、珈琲を飲んだ。
 28歳になったのかあ、と他人事のように思う。29になっても30になってもそうなのだろう。とりあえず、28年間も生きていて、ここまで生きているだけで、立派だよと私は自分をほめることにした。
 
 今日は帰ったら、何か荷物が届くらしい。何が届くのかなあ。馬車道は、私の誕生日にひとりで白ワインとナッツを食べて、遠くで祝福をしてくれたそうだ。嬉しいね。



2021年01月13日(水) 最後の一枚



 尾道で撮った写真を現像。カメラに光が入ってしまったせいか、ほとんど何も写っていなくて悲しくなった。尾道の坂を少し上ったところにある一軒家に5日間滞在し、真下にある小学校から子どもたちの声や、ピアノや太鼓の音が聞こえていた。少し離れたところには瀬戸内海があって、家から船が見えて、ぶおーっという笛の音が聞こえていた。朝はいつも穏やかな光が差し込む。馬車道と一緒に朝食を作って食べて、広いお風呂に浸かる。窓を開けると小さな崖がすぐ側にあり、そこに咲く小さな葉っぱがきらめいて、湯気が立ち上る湯船のなかで、それを眺めていた。そのような一瞬一瞬を忘れたくなくて、シャッターを押していたというのに。
 
 でも、最後の一枚は綺麗にうつっている。それはおととい馬車道を撮ったものだ。竹ペンで、カードに船を書いている姿を収めた。逆光で影のようになってはいるけれど、きちんと撮れていた。この船は、尾道で見たものだ。それが今部屋にあることが嬉しい。

 花はまだ綺麗に咲いていて、暖房をつけていると、春と勘違いするのかものすごい勢いで花びらが開いてゆく。赤と黄色と白い花。ポップで可愛い花。枯れてほしくないな。せっかく馬車道が花瓶に挿してくれたものだから。

 昨晩、私はまたもや馬車道に自分のことばかりを話してしまい、反省した。彼は映画を撮る人で、私の周りにも映画を撮る人がいる。私も映画を撮りたくて、でもそんなことはとても恥ずかしくて言えなくて、それでもやっぱり、尾道でカメラを持っている時に、ああ映画を撮りたいと思っていた。でもこんなことは人には言えることではない。考えるだけで何もできない自分が嫌で、馬車道に色々言いつける。私は自分に足かせをはめて、事を複雑に、難しく考えすぎる。映画のことなんて、まだ何にも知らなかったときに、映画と呼べるかはわからないけれども、でもそれを私は撮った。無知だからできたのだと、今では思う。そうして、今でもそれが一番大切なことであるのだとも。少し堅苦しくなりすぎてしまったな。なんにも知らない、というのが一番強いのに。

 いつになるのかはわからないけれど、私ももう一度何かを作りたいと、昨日は改めて思った。馬車道は、「あなたのやり方を探せばいい。一緒に探そう」と力強いことを言ってくれたので、嬉しかった。

 その前に、仕事で、もうすぐ1冊の本が出来上がる。今日は良いレイアウトがあがってきた。これから赤字の校正作業に取り掛かります。



2021年01月12日(火) 赤と黄の花瓶と船


朝起きると馬車道が部屋にいて、私は起きた瞬間に頭を天井にぶつけた。寒い冬の日。船越桂の「私の中の泉」を見に行き、ル・シネマで『燃ゆる女の肖像』を鑑賞。隣で鼻をすする音がずっと聞こえていた。馬車道はボロボロと泣いていたのだった。映画を見終えた後は一言も話さず、黙々と、渋谷を歩いた。
かつて愛し合っていたにも関わらず、ある場所で再会をしても、どちらか一方は気が付かない。目線が交わらないまま終わる。
「あなたともそうなってしまうんじゃないかと考えたよ」


白山眼鏡で眼鏡を見る。あなたには赤いフチの眼鏡があうよ、という。だから私は赤いフチの眼鏡を買おうかな。その後、お花屋さんで花を買った。小ぶりの赤い花と、黄色のチューリップに、白い小さな葉っぱみたいなもの。帰宅後、馬車道が花を花瓶にさしてくれた。ありがとう。


僕はあなたのことを守りたいよ。と言ってくれる、スーパーマンのような馬車道は、そして昨日また帰っていった。淋しいから見送りはしていない。部屋の中で、またねえといって、そして去って行った。ベランダに出ると、下に馬車道がいる。変なダンスをしていた。
馬車道がポストカードに書いてくれた船の絵を眺めて朝を迎える。
次はいつ会えるのだろう。
私たちは、最高の計画を立てている。これは絶対に完成させねばいけない。
素晴らしい作品になるのに違いない。


私は、裸以上に丸裸になってゆく。ある人間に自分のすべてを晒すのは恐ろしいことだと思っていたが、馬車道にはそれができた。

「生きようね」
「おう。生きよう」


ヴェルベットアンダーグラウンドを聞いて、二人で走る。


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左岸 [MAIL]