昼食に誰かを待つ日は

2020年03月26日(木) 生活をする


この間、川端康成が食べたという和菓子を買って食べた。小柄な小さな和菓子で、「青梅」という素敵な名前が付いていた。花がまだ咲く前の桜の木の下でそれを食べていい気持ちだった。
夜の散歩。昼間の落ち込みよう。いろいろが繰り返されて、それでも自分の軸だけはしっかりと保っていなくちゃいけない。だから、ここのところは生活のなかでよく体を動かした。仕事から帰ってきて、まずご飯を作り、食べ、そして翌日用のサンドイッチを仕込む。これだけのルーティーンが自分の軸になって、気が楽になった。弱っているとき、誰かにもたれかかるんではなく、こんな風に生活に気を注ぐということで落ち着いてくる。合間にロシア映画を見に行ったり、本を読んだりしているけれど、こんなぼんやりしていながら、いつも危機感があり、100パーセント休まることはない。この生活も、いつ崩れるかはわからない。スーパーに行くと食料がない。何もかもがなくなったときに一体どうするのか。もし電気が止まって、水が止まったら、どうするのか。私は極端に、不潔にまみれることを恐れている。人間としての尊厳が失われるから。贅沢な生活は全くしていないつもりだが、それでも水があり、洗いたてのタオルで体を拭くことができていることをとても有り難く思う。もしも何もかもが停止して、体を洗うことができず、物を洗えず、ゴミが溜まっていったら、多分私は内側から腐っていく。それは皆きっとそうだと思うけれど。不潔にまみれることが、その状態で生活を強いられることが、本当に怖い。そうしてそれは現実にあり得ることで、もしそうなったときに自分の精神を保つためにどうすればいいのか、ということを考えてしまう。思考する力さえ奪われるだろうか。この最低限の生活を繰り返すと、この最低限の生活がますます当たり前に思えなくなって、尊いものに思われる。今この部屋でひとりで生活をしているこの時期を、忘れたくない。ここで考えていることを忘れたくない。
なんだかとても眠い。眠ろう。



2020年03月18日(水) 開け放たれた窓

いつもより1時間早く目覚めた。誰も来ていない職場に来て、屋上でしばらくぼうっとする。すぐそばに中央線が走っているのが見えて気持ちがいい。昨日はずいぶん風が強かったけれど、そのおかげか雲がほとんどなく快晴だった。朝、見晴らしの良い場所に立つのは爽快。調子も戻ってきたような気がする。
仕事をしていて電話がかかってきてとると、名前も言わずに沈黙があったので「もしもし」と二回尋ねる。また少しの沈黙の後、「今○○の本を読んでいます。フェルメールについての記述は、○○ではなく○○だと思うのですが、どうでしょう!」と清々しい声。あれ、といろいろ驚いて、その後冷静に確認してみると、やはりその子のいうことが正しかった。誤植である。ありがとうございます、と返事をして電話を切って皆に報告。すごく一生懸命、緊張しながら電話をしてきてくれたことが伝わってきて、思わずみんなで微笑んだ。微笑んでいる場合ではないのだけれど。でもその電話はほっこりさせてくれたので、元気が出た。
仕事が終わって渋谷に向かう。Jの映画の試写会を見るつもりだったけど、「いいけど、何回目?この映画を見る暇があるなら、ヴェーラで映画を見ろ」というので、言われたままそうした。『私はモスクワを歩く』という映画を見て、これが大変良かった!ロシアの映画なのに寒々しい場面は皆無で、まるでフランス映画を見ているようだった。ユーモアがたくさん散りばめられていて、劇場でも笑い声が響く。確かにこっちの映画を見て正解だったのかもしれない。見終わって、試写室に行く。お世話になった方にもきてもらっていたので、あいさつをし、映画の感想を聞くと「昔のことを思い出して恥ずかしくなりました」という良い感想。
この映画は自主配給でJ含めあらゆる人たちが毎日頑張っている映画。実力勝負で本当にすごいことをしていると思う。それをいつも外側から、中に入らないように微妙な立ち位置で応援したりしなかったりする自分は何なのだろう、と思う。でも、彼の映画がたくさん広まってくれたらいいな。かつて通っていた学校で、一番仲の良かった友人の試写が行われるとは、あのとき予想しただろうか。何年も経つと変わるものなのだな。私はどうだろう。私はどうなんだろう、といつも思ってしまう。だからちょっと悔しい、というのも本音だけど、それは秘めておく。

眠くて眠くて仕方がない。人に会うのはやっぱり疲れる。映画はたくさんの人を巻き込むので、私には向いていなかった。だけど、今無性に撮りたい画がある。窓、窓が開け放たれている夢を見たから。なぜか鮮烈に刻まれているその光景が頭から離れない。解放したいんだろうか。人に会うと隔たりなく接しているつもりが、実は誰より閉鎖的な人間であるということを知っているから。夢がそれらを補完してくれたのかもしれない、あるいは精神的な願望が窓という形で現れたのかもしれない。ユングの本でも読むべきだろうか。なんとなくこの夢は通り過ぎてしまう夢ではないような気がする、という漠然とした感覚は抱いていよう。窓展を改めて見に行きたいな。あの展示は良かった。でも、あんまり覚えていない。物事をしっかり覚えられないな。よくないなあ。それでいいのかしら。もやっと何もかもを曖昧にして都合よく解釈する癖は、糸井重里さんの考え方に似通ってしまうようでちょっと怖い。そういう考え方を、自分もしてしまっているような気がする。もやっとさせて、なかったことにし、あるべき事実がいつの間にか奥の方に引っ込んで目を背ける。そのような癖がついてしまったら、根本的なことは何一つ解決されずに終わる。考え方を改めていかないといけないのかも。思考力を奪われたら終わりだ。思考停止の人間になっちゃだめだ、とJに怒られる。



2020年03月16日(月) 女性のいる部屋

深夜。ひさしぶりに言いようのない不安に襲われて眠れず、すこし眠ったと思えば夢のなかでも恐ろしいことが起こり黒い渦の中に飲み込まれてどうすることもできなかった。部屋のなかが息苦しく感じられ、深夜窓を開く。冷たい空気が部屋のなかに入り込んできて、それですこしだけ落ち着いたが不安は消えず、耳鳴りは止まず、また恐ろしい夢を見て、私は恋人の名前を呼んでいたがもちろん隣にはいなかった。不安の渦は簡単に人を底に落とす。簡単に人を覆ってその場所に永く居座らせようとする。私はかつてその中でもがき苦しんでいたが、同時にそこは居心地が良かった。そう感じたら終わりで、そう感じたら地獄が当たり前になって、何もできなくなるし、人にも会えなくなるし、ただ1日涙を流して終わる。そういう風になるのはもう嫌で、健全に健全に健全に、負けちゃだめだ負けちゃダメだと自分に強く言い聞かせていた。闇が手招きし、ささやくのを必死で拒否していた。それは強い力を持っている。私は頭の中でひたすらに、恋人が自分をさすってくれる手や優しい眼差しや抱擁を思い出していた。闇の中から救い出してくれる優しい手や眼差しがあるということは救いでしかなく、深夜すがるものは、助けを求められる場所は、それしかなかった。前は母親がずっとそばにいてくれていたけれど、同時に私がこういう風になる姿を見て心を痛めて泣いていた。母も不安にさせていた。でもあの人は誰よりの味方だった。今は恋人が誰よりの味方であるのだ、と思える。そうして頭の中でずっと、その手を、眼差しを、温かさを思い出しながら、でも交互に不安や恐怖や底知れない何かがすぐそこにあって、引きずり込まれそうだった。この時間が、とても長く感じられる。お願いだからどうか早く朝が来ますように、光のなかで目を覚ますことができますようにと祈って涙を流しながらなんとか眠り、そうして次目覚めたときには朝だった。ちゃんと朝を迎えられた。

ぼうっとしながら午前中の会議を超えて、仕事も終えて、部屋に戻って、手を動かさないと何もかもがまた振り出しに戻りそうだったから、料理をして掃除をした。動いていないと余計なことを考えてしまいそうで、それが怖かった。久しぶりに今はレコードをかけている。ショパンとリストのピアノ。部屋のなかを改めて見回すと、女性が描かれた絵やポストカードしかないことに気がついた。私の部屋には女性がいる。暗い部屋で編み物をしている女性、白い衣服で扉の前に佇んでいる女性、テーブルの上に肘をついて、おそらく昼食の後のお茶をしている女性。それからマリア様。無意識に購入していたそれたちを眺めている。一人でもちゃんと立てるようになっていたい、そういう女性になっていたい。でも昨日は人が恋しかった。

そばにいるから大丈夫。負けちゃダメだよ。と、言ってくれた恋人は、でも今そばにいない。
それでもあの人がいることが心強い。また泣きそうだ。でもこれは淋しさのせいではない。精神的な問題だと思う。



2020年03月15日(日) みんな赤ちゃんだったのに。

十時過ぎ起床。今日は晴れていて部屋に光が差し込んだ。シャワーを浴びて、バナナきな粉蜂蜜ヨーグルトを食べて、急いで着替えて労働に出向く。
店について、店主が来る前にお客さんが来てしまったから、見よう見まねでカレーを作っていたら案外うまくいった。サラダもちゃんと出せた。スープカレーもちゃんと出せた!店主に褒められる。うれしい。それから今日は4月からこの店で展示をする画家の男の子(?)がやってきたのでチョット話す。絵を見せてもらうと、横尾忠則の絵のような天国地獄曼荼羅夢……のような要素の絵だったので驚いた。よくよく話を聞くと、おばあちゃんが祈祷師だという。それも熊野古道ちかくの。この間行ったばかりだ。
そんなこんなでピーク時間が過ぎて、三時過ぎにはもう労働が終わった。店主が完熟バナナ王をくれる。バナナをふた袋注文したつもりが、なぜかダンボール二箱分届いてしまったようで困っているという。バナナはだんだん黒くなってゆく。ちょうどヨーグルト用のバナナが切れていたので、ありがたく頂戴し、店をあとに。その後古本屋に行って「ロシア短編集」を買い、ルノアールで本を貪り読む。寒々とした場所に暮らす人々、酒場、鬱蒼とした街並み、老人、美しい少女、痘顔の仕立屋…あらゆる想像力をかきたてられて、ずんずんずんずん読んでしまう。色がいつもはっきりしていないところがよく、何もかもクリアではないところがいい。手触りでいうと、サラサラではなくザラザラしている。私は漠然とロシアという国にロマンを感じているのかもしれず、ときどきなぜかロシア語の辞書をたまに読んだり、ロシア民謡を聴いたりしている。寒い、というのが何とも魅力的だ。温度の低い小説がよみたいと思っていたのだが、本当に寒い国で書かれたそれを読むのが一番手っ取り早かった。

そして十八時過ぎ、渋谷に向かう。「娘は戦場で生まれた」を鑑賞。ただただ見つめている最中、恐怖と悲しみと何もかもが押し寄せて涙が溢れて仕方がなかった。子どもが、死体を眺めているんです。なんの罪もない子どもが、ただベランダの外に出ただけで死んでしまうんです。そうして兄弟は、死んだ弟のそばで「何もしていないんだ!」と泣いて、泣いて泣いて、でもその周りにもたくさんの死体がある。こんなことが本当に起こっているということ、信じられない。信じられないけれど事実だった。もう最後のほうは呆然として、でも目を背けてはならないと画面を見つめていた。どうして、生まれる場所を選べないのだろう。どうして、私は今は安全で、あの子たちは危険なのだろう。どうして、殺す側の人間と、死ぬ側の人間がいるのだろう。なぜ誰も止められないのだろう。そうまでして、そうまでも危険な状況のなかで、でもなぜ子どもが生まれてくるのだろう。映画のなかで、妊婦が撃たれたあと病室に運ばれ、医師が帝王切開をして腹のなかの赤子を取り出したシーンを、多分忘れられないだろう。赤子は息をしなかった。真っ白い体で、なにも知らずに腹のなかから取り出された赤子、こんな状況のなかで、無理やり出された赤子。医師は、あきらめずに何度もなんども赤子の息を吹き返すために、ひっくり返してなんども叩き、あきらめなかった。周りではたくさんの人が死んでいるのに、ここでは子どもの命を取り戻すために戦っている人がいた。そうして、赤子は息をして、泣いたのだ。その瞬間、その瞬間に私は、全身に鳥肌が立った。息をした、それだけがその瞬間の全てだったように思う。殺す側の人間も、みんな赤ちゃんだったじゃない。みんな、誰かの手を借りて、泣くことを望まれて生まれてきたのじゃない。なのにどうして、その赤ちゃんだった、その赤ちゃんだった人たちはどこで間違えてしまうのだろう。あなたも私も誰かの手から、取り出されて抱かれて、泣いて、確実にその鳴き声は誰かの希望だったはず。あの手の記憶を、誰しもがちゃんと覚えていれば、忘れなければ、そういうふうな作りになっていれば、人間が人間を殺すことなど、絶対にできやしないはずなのに。どこで間違えてしまうんだろう。どうして、弱かった、何もできなかった頃の自分を、忘れてしまうの。

映画を見た後は何も喋りたくなくて、もくもくと歩いた。とてつもないものを、見てしまったよ。

誰かを、命と一緒に信じたいね。



2020年03月14日(土) 鳴る音

ひさしぶりにアコーディオンに触れる。体に背負うそれはずっしりと重い。でも鍵盤を押し、そして蛇腹を動かすと音が出ることがいちいち嬉しい。たどたどしいながらに簡単な曲を練習する。練習をしている間、先生はあまりそばにいない。奥で煙草を吸って音を聞いている。ときどき私がヘンテコな音を出してそのまま進んでしまうとき、そばに来て指の位置を教えてくれる。ずいぶん楽しそうに弾くわねえ、という。楽しいです、と答える。そしてずっと、同じ曲を繰り返し弾く。弾いて、弾くたびに音が全然違う。
「もうそろそろ、やめにする?」「いえ。あともうすこし」「ふふ、わかりました」そう言って先生はまた奥に引っ込んで、わたしは鏡の前でそれを気がすむまで弾く。
次はエーデルワイスを練習する予定。私の最終目標はクライスラーの「愛の哀しみ」を弾けるようになることです。

終わるとチョコレートとコーヒーが机に用意されていて、食べながら先生とおしゃべりをする。この時のチョコレートは奇跡のようにおいしい。脳も体もぜんぶが疲れているとき、チョコレートをひとかけら食べると力がわいてくる。それから気がつけば2時間くらいおしゃべりをしている。音楽のこと、映画のこと、本のこと、人間のこと、人生の底暗さ、お一人様がいかに気楽であるかということ、部屋のこと、いろいろ。


先生は言葉よりも先に楽譜を覚えてしまったという。だからか、話す言葉がリズムを持っている。音楽は弾くことではなくて、想像することが大事だという。まったく音符のことなどわからない私に、四分音符から休符などを教えてくれた。そのあとで、譜面に音符を書き写すことを始めてみて、と勧めてくれた。ド、の音を想像して、ファ、の音を想像して……初歩の初歩から始めてみよう。ただ単純に、したことのないことをすることが好きだから、この作業は今から楽しみだ。音楽はとても数学的なんだと知って、その発見が面白かった。差し引きゼロにするためのあらゆる計算が緻密に盛り込まれているということ。

先生は幼少期、自分の全てを家族に否定されて育ったという。お前はなにもできない人間なんだと刷り込まれたと。「そういう人間は基本的にもうひとのことを信用できないし、きちんと人を愛することができないんです」人間に必要ななにかが、もう子どもの頃から欠けてしまっていると。けれども音楽だけはそばにあった。だから音楽はあのひとの全てで、それしかないという。よく先生の口から「原さん」という方の名前が出る。その方だけをおそらく先生は信用しているのだと思う。前に、先生と原さんが喫茶店でおしゃべりとしているところにばったりで出くわして、気がつけばその席に招かれて、私は原さんとずいぶん話をした。知識が豊富で、好奇心が旺盛な、魅力的な男性だった。でも昨日、先生が言っていた。原さんもそうなんです、と。あのひとも両親からずっと否定して育っている、と。ふたりはだから、よく音楽を聴き、よく本を読み、よく映画を観ている。そういうものだけが拠り所だったんだろう。先生は原さんの話をするときにはよく笑うので、私もつられて笑う。ふたりが出会って、良かったなと心から思う。

今日は雨。昨日朝方まで文章を書いていて、何を書いても満足がいかなくてなんども書き直した。でももう、ここで、終わり。朝4時過ぎに文章を送って、それからなぜか体がどくどくいって、眠れなかった。自分のなにかを人に差し出すのが怖い。本当に怖い。誰も読まなくていいと思う。送らなきゃよかった、と思う。そうしながら眠ると、夢のなかで知らない女の子がいつまでも泣いていた。全然知らない人なのに、それは自分であるようだった。

あとで譜面と楽譜を探しに行きたいけれど、家にずっと引きこもっていたい。でもせっかくの休みが終わってしまう。やっぱりあとで家を出てみようかな。



2020年03月10日(火) 雨の日にした、あれこれ。

今日は一日中雨が降っていた。雨だと自転車に乗れない。だから駅に向かうことになる。そんな日はちょっと特別で、寄り道をしてしまう。今日も今日とて、仕事終了時間に誰よりも早く事務所から出て、ドトールでアイスコーヒーを飲みながら本を読む。その後駅内のパン屋に寄って、パンをふたつ買った。ひとつ300円以上もしたけど、なんとなく今日はそういうことがしたかったから別にいい。明日仕事場で食べようと思っている。そのままバス停にむかったが、着く手前でバスが発車してしまったので、すぐ近くのドン・キホーテに向かった。入った瞬間にコロナウイルスが蔓延しやすいのはドン・キホーテではないだろうかと考える。人と人との距離が近い。何もかもの距離が近い。ギュウギュウ詰めとはこのことだ。私はちょっとこの場所に長くいると具合が悪くなってくる。明りが眩しいし、めまぐるしいし、空気が健全でないような気がするので。けれどもさすがドン・キホーテ。あらゆるものが安くて、特に買おうと思っていなかったプルーンなどをカゴに入れていた。それからアーモンドチョコ二箱、ティーパック、などなど。一番欲しかった野菜の水切りが出来るあれがどこにもなかった。せっかくお洒落なパン屋さんに行ったのに、その後に寄ったドン・キホーテで、何もかもがなかったことのように……。
その後はバスに乗りながら、INO hidefumiさんの曲をずっときいていた。奇蹟のランデヴーという歌をリピートしていて、せいちゃんにそれを送りつけたらすぐに電話がかかってきた。バスを降りて、家に着いて、掛け直す。一年に一度会うか会わないかのせいちゃんと、まずはくだらない話をし、その後各々の近況を報告し合う。せいちゃんには年上の恋人ができていた。彼女のそういう話は久しぶりだったのでうれしかったけど、早く言いなさいとちょっと怒る。岩手に住んでいるからなかなか会えない。でもこうしてふらりと電話をしてくるところ、その距離感、がとても心地いい。せいちゃんがこっちに来るときは、私が部屋にいなくても部屋の鍵を貸して、勝手に暮らしていていいよと言える。電話をしている時に、買ったチョコを一箱食べ終えてしまった。その後でサラダを摂取し、リンゴを剥いてきなことハチミツをかけて食べてみたけど、リンゴにはあまり合わなかった。それからジャガイモとブロッコリーを蒸す。明日のスパゲッティに投入する予定。


ひさしぶりにアコーディオンの先生に連絡をした。何ヶ月も行けていなかったので、ちょっと気まづいような気もしたけれど、ちゃんと返事が返ってきて安心。私も会いたいです、と言ってくれた。今年はなにかしらの曲を一曲弾けるようになりたい。もしなにもなくなっても、アコーディオンさえあれば人生が楽しくなるんじゃないの、という幼稚な発想は持ち続けていたい。



2020年03月05日(木) 風が吹いても誰もいない


はろう、はろう。昨夜は自分で前髪を切った。きれいに切れたと思ったのに翌朝鏡を見るとギザギザしている。しかし隠しようはなくこのまま職場へ向かった。左右で長さが違うことを指摘されたけれど、面倒だからこのままにしておく。

徹底的な観察者になったら人生が変わるだろうか。自分のことにはもう興味も関心もないから、周りにいる奇異な人をよく観察し、記録したら、それはひとつの有効な時間つぶしになるだろうか。
私は今自分というものを持っていない。けれど、知りたいひとはいる。話したいひともいる。そのことについて、その関係性については誰よりよく知っていたい。そうでないと、自分の立ち位置が全然わからなくなって不安になってくるから。なぜあなたは私の近くにいて、なぜ私はあなたの近くにいるのか。ここで話されていること、それは何を意味して、本当に伝えられるべきことはどこにあるのか、そういうことをもっと探っていきたい。不思議と、こうして文字を書いているうちにそれが漠然と現れるときがある。人と話す時間と、書く時間は私にとって全然別のもの。よく知るためにはとにかく書かなくちゃいけない。そうして私が本当に知りたいことというのはなんだと思う? なんだと思う。

どこにも属さず風のように揺られて生きているうちに、さまざまなものが通り過ぎて気がつけば真っ暗闇になっていたなんていうことがあったとしても、きっと後悔はしないけれど、風が吹くままに飛ばされた先で誰もかれもがいなかったら、誰も待っていなかったら、ひどく寂しくなるだろう。

そうかあ、私は今一人になりたいんだ、とこれを書いていて気がついた。あまりに人と一緒にいる時間が当たり前になっていた。けれども今私は誰のところにも行き着きたくないようだ。待ってくれている人がいるからなんだと思う。どこにいても誰と居ても基本的にはひとりだということを忘れる。人といるときのほうが一人ぼっちなのだということをよく知っているんだけどね。


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左岸 [MAIL]