昼食に誰かを待つ日は

2019年12月28日(土) プロポーズを二回した人の話

久しぶりに会う人々と焼肉を食べる。なかには3年ぶりぐらいに会った人もいて、その中で一番よく話し続けるOさん、彼の話をずっと聞いていた。プロポーズを二回したという話がよかったなあ。


「僕ね、プロポーズ二回してるんですよ。一回目失敗しちゃったの。彼女が思うようなシチュエーションでできなかったから」
「え?一回目はどういう風な感じでやったの?」
「まず一休でホテルを探して予約したんだよね。」
「いいじゃない。それで?」
「それで一回ホテルを出て、外に出て散歩したの。日比谷あたりを歩いててさあ。多分だけど、彼女もこのときに何か察してたから、言うんだったらこのタイミングだったと思うだけど寒くてさあ。結局なにも言わないでただぶらぶら1時間くらい散歩して、そのままホテル戻ったんだけどね。その後寝ちゃったんだよね」
「あらあ」
「うん。それで翌朝、よし言わなきゃ!と思って、歯を磨いてる時に言ったんだよね。『結婚する?』って。そしたらね、今じゃないでしょ。それ違うでしょって。花束とか、そういうのが欲しかったって言われちゃったんだよ」

そして彼のプロポーズ一回目は失敗してしまったというのである。私個人としては、歯を磨いている時に何気ない調子で言われるって意外と嬉しいから、彼にそう伝えると「いや、口ではそう言ってても違うんだよ。やっぱりその時に本当にそうされると、なんか違うって絶対思うから。あなたもそれがわかる時が来る」などという。まあ確かにそうかもしれないけれど、と思いつつも二回目のプロポーズの話に耳を傾けた。一回目のプロポーズから半年経った後の話らしい。

「二回目もホテルを予約したんだけど、その前に花屋に行ったの。花束欲しいって言ってたからね。店からおばさんが現れて何をお求めか尋ねられたときに、恥ずかしいけどプロポーズをするからそれにふさわしい花を頼んだんだよ。そうしたらおっきい花束が出てきちゃってさあ。その花束抱えてホテルに行ったんだけど、隠す場所が全然ないの。机の下も、クローゼットの中も、ベッドの下もバレる。結局カーテンの裏に隠したんだけど、まあ下はちょっと見えてた。でも二回目のプロポーズはすっごい喜んでくれてさあ。オルゴールも一緒に渡したんだけど、『音も一緒にプレゼントしてくれるなんてなんて素敵な人なの!』って、予想以上に喜んでくれたからまあよかったよ」

という話を聞いてゲラゲラ笑ってしまった。頑張ったなあというか、この人こんなことする人なのだなあとその一面が微笑ましくなった。

この人は東大でずっと微生物か何かの研究をしていたか何かで理系の人なのだけれども映画も好きで、それも「人間味」に興味があるという。人の反応、人の予想外の動き、このときこんなことするんだあ、という人の動きを見るのが好きなのだという。話では、ちょくちょくダークな部分(まず善良な人間が彼は嫌い、性格悪い人間が好き)が出てきたけれども、そういう部分も人間に興味があるからこそなのだろう。

映画の話になったときに、「僕さ、社会派の映画大嫌いなんだよ。説教くさくない?まず、そういうのを撮る時点で見下してるじゃない。それなのに、いいことしてやってるって感じが嫌なんだよ。そんなの見たってつまんないじゃん。だからほとんど恋愛物にしか興味ない。そこでの人間の動きとか言葉は本当に面白いよ。究極、すべては愛だから。何を撮るのにも何を作るにも、やっぱり愛あってのものだと思うよ」

この人、今愛について語っているのだなあと思うとこの人間さえ面白く見えてきた。

「新しい発見を見るの面白くない? 自分が予想していないことが起こるのを見るのが本当に楽しいよ。だから人間が見たい。見ちゃう」

こういうものの見方をしていたら、世界ってきっと楽しいだろうなあ。
いいこと聞いた!だから、私も人間の動きをもっとよく見てみよう、話したことを覚えていよう、と思って今日はあえて彼の言葉を鍵括弧内に収めてみたのだった。

「喫茶店で話してるカップルの会話とか、本当に面白いよ。録音したいくらい(笑)」
じゃあさ、これから面白い会話を発見したら報告するから何か作ろうよ!という前向きな話で、そうして別れたのだった。
やっぱり人って面白いんだなあ。そこらへんに、あらゆる人の、あらゆる物語が転がっているものね。



2019年12月27日(金) 鰤、鰤。



昨日で仕事納めでした。いつも通りに仕事をし(ほとんど占い師の方々にメールを打っていた)、皆でいそいそと掃除を開始して、夜になり、西荻窪に向かう。皆で歩いていく途中、誰も忘年会の場所を知らないことに気がついたが、救世主のSサンが現れて彼について行くとすんなり店にたどり着いた。私以外のここにいる女性陣はみな、何かが抜けている。よくこれで回せているよなあと思うけれど、その点もご愛嬌。
西荻窪のその店は隠れ家のようにひっそりとしていて、看板はなかった。オレンジの灯りがもれていて、目をこらすと外に設置された椅子の上に、小さくメニューが掲げられている。店の中に入ると、いい匂いが充満していた。
ザ・西荻窪。西荻窪にいる人(髪型がマッシュルームっぽくて、服装が白や生成り。男の人は皆丸メガネをかけていて、女性は肌が白く華奢で髪の毛が黒く短い)たちがここに全員集っていて、ちょっとびっくり。こういう漫画、絶対にあるよなあと思いながら奥のテーブル席へ。つくづく思うけど、私のいる職場の人たちも漫画に出てくる人たちで、もはやこの日常を誰かに漫画にしてもらえたら、結構笑えると思う。
ここに来る少し前も、皆でエレベーターの中に乗り込んでいたところ一向に下に行かない。下に行かないねえと思いながらもぼーっとしていたら、誰もボタンを押していなくて、全く進んでいなかったのである。

それにしても、お店の料理の美味しいこと。まるでお肉のような厚みの、決して脂臭くない鰤を食べた時には感動で何も言えなかった!その上に乗っているネギも美味しくて、最後の一切れは隣のHさんと半分ずっこにして食べる。白ネギと鱈のグラタン、旬のお野菜、カブのお味噌汁・・・。どれもこれも、美味しい!
私はお酒が飲めないけれど、梨の、薄い、白ワインのような味のするお酒をちびちび飲む。隣のSさん、Hさんは、静かに静かに、日本酒、ワイン、ビールを飲んでいた。この職場は、いわゆる「忘年会」のムードが全く漂わないところがいい。ただのお食事会みたいだった。

たらふく食べて、すこしだけ仕事の話。オリンピックイヤーは本が売れないと言われているから、それは意識しつつ、新しいことを開拓していってほしい、とのこと。
社長が「私はね、朝起きて歯を磨いて、電車に乗って、とかいう同じルーティーンを繰り返していると気が狂いそうになるのね。だから、何か新しいことを始めることに関しては反対しないから、やってみてね」ということだった。そんなこんなで、ご飯もすっかり食べ終えて、今年もありがとうと皆で解散。


そして家に帰るまでの道のり。
こんなに年末感がないのってなんでだろうなあと考える。
師走という気が、一切しないのは私だけでしょうか。


掃除をして、静かに過ごそう。
今日はいい天気だ。



2019年12月25日(水) 新宿駅にて、電話。


1225。クリスマスにこんなに簡単に大事な人と別れるとは思わなかったけれども、じぶんで放った言葉を簡単に引っこ抜けるほど、もう子供ではないから、その言葉をおもしにして、そして背負って、来年からは生きていかなきゃなりません。

1226。しんとした部屋の彼の部屋に荷物を取りに行き、前日に買ったプレゼントと、手紙を机の上に置く。この手紙はさあ、あれだけいろんなことを話していたのに、話せていたのに、まるで誰にでも通じるような言葉しか書いていなくって、あなたあの手紙読んだらきっと吐き気を催すだろうね。でもそういうことしかできなかった。
僕のいない間に荷物を取りに来て、と言われていたから、いない間に忍び込んで、そうして荷物を置き、荷物を取り、それだけで去ろうとしていたにもかかわらず、溜まりに溜まった洗濯物を見て洗濯物をまわしてしまった。洗濯機の音が「ピー」となり止んだら、もうこの部屋にいる用事がないので、それまでの間には思わずいろんなことがぐっと押し寄せてきて、簡単にこの人の記憶を、忘れられるわけないよなあと思いながら、穴の空いた靴下だとか、そういうものを見て、ますます涙が出てきた。それで、一度長い手紙を書いてみたのだけれども、どうも感傷に浸りすぎている自分に冷めて、それはやっぱり残さないことにした。洗濯機の音が、ピーっとなってこれは終りの音でしたから、それらをハンガーに干して、そうして部屋を後にしたのだった。
私は今まで一緒にいた人のことを、もう忘れるために、一切の記憶を抹消しようとしていたけれども、この人のことはとてもそうできるわけが、ないよなあと思う。それはしてはいけないよなあ、と思う。

部屋を出て、寒いなあと思いながら電車に乗り込んで新宿駅に着いたら、おばあちゃんから電話。
「なっちゃん、元気?おばあちゃんねえ、癌になっちゃった」
びっくりした。容態を聞くと、悪性だったけれど手術をして今は抗がん剤を飲んでるから大丈夫とのこと。でもしんどいし、お乳はもう真っ黒だという。
「なっちゃん、元気になったらまた神戸に来てねえ」
うん、もちろん。なんかあったらすぐに電話して、すぐに行くから。と伝えたけど、
お正月に会いに行くね、とは言えなかった。そうしてこの電話が、なんだか最後になりそうな予感がした。
父親が死んだ時にもねえ、なんだか変な感じがしたの。電話の向こう側から、とても変な感じがした。

おばあちゃんが死んだら、一人で何もできないおじいちゃんはどうしてしまうんだろうと、なぜかおじいちゃんのことが思い浮かんだ。ずーっとずーっと長年連れ添っていたパートナーがぽっくりあの世に逝ってしまったら、あの人は、きっと何にもできないはずだ。

ちょっといろんな事が起きて、一度何もかもを考えるのをやめた。そうするには最適なくらい、外は寒かった。半端に暖かかったら何かを考えてしまえるから。
それにしても、人と会う時間というのは本当に限られていて、一体全体これから誰と会っていくのか、誰が私と会ってくれるのか、その貴重な時間を割いてくれるのだろうか、奪ってしまうのだろうか、と考える。

家について、すぐ寝ちゃった。すぐに寝られるくらい、馬鹿になっちゃったのだろうか。



2019年12月19日(木) 2匹の金魚を水槽の上から俯瞰する夢


何をしていても味気ない毎日で、それでも仕事ではへらへらと笑いメールを打ち、このままPCに向かいながら年老いていくことについての虚しさを考えているうちに夜になる。家に帰るとすぐにヒーターをつけて、そのまま知らぬ間に眠ってしまった。そのときに2匹の金魚が水槽のなかで泳いでいるのを俯瞰している夢を見た。文字通り何も感じず、何もない、今の心境をそのまま反映したような夢である。


風呂場の水が流れなくなって、パイプユニッシュを大量投入するも流れず、もはやパイプユニッシュすら流れていかず、流れていかない液体を見ながら猛烈な虚無感に襲われた。27歳を目の前に控えて、未だにこんな状態なのだから大丈夫なのだろうかと思う。私はおそらく"貧困女子"だ。けれどもそれが原因で精神的に落ち込んでいるとか、そういうわけじゃない。私は暖かい場所で本が読めれば十分だし、ビスケットとコーヒーとタバコがあればとりあえずの至福は得られる。高級なレストランで食事をすることや毎日遊び呆けること、ブランド品などにはめっぽう興味がない。だから、最低限の生活ではあるが特に不満はない。それでも、それでもやっぱりこのままでいいのだろうか、と言う思いは拭えず、誕生日が近づくたびにますますその思いは強くなる。来年の1月に27歳になるわけだが、小学生の頃は漠然と27歳になったら自分は結婚をするのだろう、と思い込んでいた。きっと27歳の頃の母親が強く記憶に残っているからだと思う。
でもきっとそれはできないし、特に結婚に対して強い願望もない。けれども、この間新宿のバーで恋人と話をしている時に、自分でも驚くことに「結婚願望はないけど、子どもは欲しい」と口走っていたのだった。酒を飲めないくせに、ラム酒のロックを飲みながら。私は子どもが欲しいらしい。言葉にすると、それは嘘ではなくて、本当にそう思っているから言ったのだということがわかった。それもこれも、やっぱり年齢のせいだ。27歳が近づいてこなければ、こんなこと口走っていないだろう。恋人はといえば、なんとも言えない表情で私の話を聞いていた。あなたにこんな話をしても仕方がないんだけど、と前置きをおいてこんな話をしたのだから微妙な表情を浮かべるのも無理はない。


狭い狭い部屋で風呂場の詰まりをパイプユニッシュで流し、いや流れず、今日は部屋の鍵を閉め忘れて部屋を出てしまっていたようなだらしのない女であって、母親になんか、まだまだなれないよなあなどとぼんやり考えながら、うっすらうっすら虚無感に包まれていた最中、高校の同級生からラインが届く。
「妊娠しました!」
思わず、あああああああああという心の声が実際に口に出た。嬉しい、嬉しい。私が唯一結婚式に出向いた友人。かつて切磋琢磨し合っていた仲間。結婚、妊娠。そして彼女は堅実に銀行に勤め、旦那さんもまた銀行勤め。これが、正式な、真っ当なルートなんだなあ。


あ、あ、おめでとう、と言っているうちにまた歳をとり、お世話になっております、とメールを打ち込んでいる間にまた老いて、こんなことの繰り返しでいたのならいよいよおかしくなりそうだ。けれども今、何もかもに対する熱がなく、怒りすら湧かず、悲しみが顔を出す前に寝てしまい、朝がきて、夜がきて、起きて眠って頭だけが何かを考え時々心臓が激しく鳴り、それが何かを為すかと言われれば何もなさず、何者にもなれず、こんな風に誰も見ていないところに何かを書き込んで、それすらも意味はなく、どこにも行けず、求める人もいない。けれども、このままでも流れていくものはあるでしょう、たどり着くところはあるでしょう、出会うべく人には出会っているでしょう、とも思ってる。冬なのに変な風に暖かいから気がおかしくなるのも無理はない。春の暖かさは人間を狂わせるのに、今日は春のような日だった。だからです、だからでしょう。冬はめっぽう寒くあれ、寒さでとことん冷えたら逆に楽になる。生ぬるい温かさはときどき凶暴ですから、気をつけましょう。



2019年12月14日(土) 鋭くなっ、

昨日の話。
担当編集していた本がようやく形になり、その本を抱えて五反田の某出版社のイベントに向かう。そこには数百人もの占い師や、占い研究家、某雑誌の編集長など様々な人がいて、そのなかで本を抱えて突っ立っている私は完全にアウェイであった。著者とともに挨拶回りをするのだが、体が固まって気の利いたことなど何も言えず、それでも本は全て渡すべき人には手渡った。イベントに集う人たちはかなり異質で会場の空気は濃く、何だか途中で本当に体が重くなってきて、周囲の声が、音が、あらゆるものが頭のなかでグニョグニョになって、気がどっかへ飛んでしまった。すると隣の女性が「今結構きてるでしょ。こんなに人が多いと気が遠くなるから、よかったらこれつけて」と、ピンク色の液体を手のひらに3粒のせてくれた。この液体をつけた手を、まるで香炉の煙を体にふりかけるようにして頭や体、足に手をかざすらしい。人の「気」を受けすぎてしまったときに効くのだそうだ。実際にやったら、本当に体が軽くなった。どうやらオーラソーマと言うものらしい。それで気がついたら一本1000円のそれを買っていて、いそいそとトイレに行き、綺麗な夜景を眺めながら(会場が17階だったため)、再びそれを使用した。この日、あらゆるひとに「ありがとうございます」と言われたのだが、私はお礼を言われるようなことは何もしていないので、なんだかその言葉を素直に受け取ることができなかったのかもしれない。イベントが終わった後、どっと疲れ、あまりにも疲れすぎて涙が出て、誰とも話せず、さっさと会場を後にし、五反田のエクセルオールで死んだようにタバコを吸っていた。
その後の電車の中でも涙が出てくる。恋人と銭湯にいく約束ではあったのだがとてもそんな気にはなれず、今日は一人でいたいと連絡をし、阿佐ヶ谷について、大きなクリスマスツリーの下に設置されているベンチに腰掛けて、腰掛けたまま何もできず、もう鼻水と涙を好きなだけ流して泣いていた。寒かった。そして自分は何もできないのに、何もできていないのに、ありがとうなどと言われて、なんでだろうなんでだろう、すべてどうしてなんでだろう、疑問は自分の存在意義の意味にまで達して、私って何もできないなあ、何もできないのになあ、などともうすべてに対し泣けてきて、ダメだった。久しぶりにそんな風な状態になってしまった。大勢の人間がいるところに身を置くと、身を置いているだけで何かが削れていく。
1時間くらい泣き続けて、ようやく帰ろうと帰り道を歩いて、あまりにも冷え切ってしまった体を温めるべくコンビニに寄って温かい紅茶を買った。そして扉を出ると、向こう側から恋人の姿が見えた。
「泣きっ面だ。甘いものでも食べよう」というので、またコンビニに行って、彼がガトーショコラみたいなものとティラミスを買うのを眺めて、そして部屋に帰った。
隣に座っても、何も言えず何もできない。ケーキを一口食べると、とても甘かった。
とても優しい言葉をかけてもらったことでたしかに気は楽になったけれど根本的な部分は何一つ解決されていなく、この人が眠ってしまった後で深夜3時間くらい、また一人で泣いていた。


そして今日。結局朝も泣いていて、何もできないまま彼が部屋を去るのを眺めていた。
でもその後はちゃんとできたと思う。このままじゃダメだと立ち上がり、掃除をし、スーパーに行き、菊地成孔の夜電波をきき、そしてだんだん元気が湧いてきて、豊洲に向かう。カヨちゃんと、ナンバーガールのライブを見た。その熱量に、エネルギーに、体が勝手に揺れて圧倒される。人が多いのに全く体が重くならないのは、皆が同じ熱を共有しているからで、バラバラじゃないから。「気」の先が目の前のナンバーガールに注がれているから。それが大変気持ち良かった。向井さんの頭を撫でたい、あの頭を撫でたい、と思いながら見てしまったのだけれども、なぜそんなことになっちゃったんだろうか。私、ライブ中に誰かの頭を撫でたいなどこれまで一度も思ったことないのに。あの叫び、あの叫び。かすかに死の匂いを感じるあの熱に、とてつもない色気を感じて夢中になった。中2の頃に私にナンバーガールを教えてくれたT。ありがとう。
帰りはカヨちゃんと帰って、高円寺でタイ料理を食べて家に帰ってきた。とても寒い日で、まだ目が腫れている。



2019年12月11日(水) 加湿器の底に溜まった白い毒

このところ日記をだいぶサボっていた。何か大きなことがあるときに書くものではなく、何もない些細な日常を連ねることに日記の意義があると思うのだけれども、何もないものをわざわざ言葉に変換して書くという作業もだいぶ労力の要ることだ。大きなことは、事件みたいなことは、割と書きやすい。だからこそわざわざ書かなくても良い。小さなことを書き溜めていきたいと思っているのだが、夜になるともう些細なことなど忘れてしまう。

今日も今日とて仕事。仕事中に加湿器の水を取り替えようと蓋を開き水を注ぐと、その水が白く濁って澱んでいた。加湿器なのに、この水を空中に分散させるのは毒を撒いていることと同じではあるまいかと感じ、いそいそと加湿器のコンセントを引っこ抜き、水道に連れて行った。なぜだか洗っても落ちず、ポット用の洗浄剤を投入。入れると、風呂場で使うバブのようにしゅうしゅうと水に溶けてゆく。そのまま触らず放置して、今これを書き起こすまで、放置していたことを忘れていた。明日は蓋を開けて中の水を取り出して、もう一度洗ってみよう。

もう直ぐ年末で、なんと9日間も休みがある。それを楽しみと捉えられれば良いのだが、なぜか今私は気分がめっきり落ち込んでいる。長期休み明けの仕事の憂鬱さが勝ってしまっているのであった。長い休みの始まり、始まった瞬間に確実に1日1日が終わってゆき、もはや始まったその瞬間から終わりに向けてのカウントダウンを始めてしまう。それが憂鬱。

そして忘年会の誘いがありがたいことにちらほら来ているが、それすらも憂鬱で、予定を入れる、予定を合わせる、予定を調整する、ということがストレスだ。今はラインで、調整くんとやらで皆が各々のスケジュールをマルバツサンカクで記入して、誰がどの日にOKでどの日にNGかということがすぐにわかるようになっている。でも私はそこに回答すらしていなく、やんわりと遠回しに回答を促される。気持ちはサンカクだが、サンカクって答える曖昧なやつがあまり好きじゃない。まるかばつしかないだろ、と思う。

明日、ジョーがジョージアへ行くという。いいな。私もドナウ川を一人で見に行きたい。
一人で旅をして、旅をしたまま誰も彼もに忘れ去られて真っ白な綺麗な白髪で華麗に別人のように、舞い戻りたい。そんな夢想は夢想で終わり。ジョー、行ってらっしゃい。


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左岸 [MAIL]