スリムクーラー1L




2021年01月31日(日)

今年の目標を何個か書き出したやつを見ると「心療内科に予約を入れる」とか、そういうのは一応やり始めている。そういうのも三連休の二日目の昼下がりにできたりするから、余裕って大事だなと思う。完全な空白のようなときにふとやってくるように「…やるか」となるのである。ずっと億劫だったワンステップが、朝起きてやけに頭がすっきりしてるときに踏めたり、いつもはぼんやりとしか読めなかった本が急にしゅんでくるとか、なんか空白であるとき、スポンジの目が水を吸ってるのか、あっち(出来事側)から来てるのかわからない感じが好きだ。自己肯定感が上がる。ふだんそういうことはとても少ない。歳を経るにつれ、さらに減りまくっている。

まず外が怖いのだ。外を歩く資格が減ってきていて、山道とか、SAとかなら、「ここまでくるやつは」的な信頼感が漂っていて好きだが、その道中の、なんでもない道がつらい。気のせいか知らないが、若いカップルでもかなり農家の選別を受けたA1ランクのやつ(テキトーに言ってます)とかしか歩いてない。じゃあそのC5ランクのカップルとかはもう車で全部ショートカットしてるかそういうのが密集している地域に住んでいるのかもしれない。それか家でこもってるか、つきあってないか。

近所のスーパーに入ると、まあ食料品の確保なのでいろんな人がいて安堵するが、その間の道のぎゅぅぅぅ…っとした圧迫感がつらい。そして食べ物が置いてあるところでいろんな人を見て弛緩する。食べ物はみんなが買うから仕方なく近所のスーパーにいろんな人がいて、いろんな人がいる気がするが、間のなんでもない道は資格が要る。ひとりひとりがそんなことないよと思ってても総体的に醸成しているので、こちらは殺せる気持ち(概算)をもたないかぎり外に出られない計算になる。でも殺すと思った時にすぐ意志に反応してドシュッとでる槍みたいなやつがないと高校生のすれ違いざまの言い捨てなどには対応できないので、高校生というのは夢や希望があろうが、とりあえずわたしの心の健康に危害を加える可能性が少しでもあるのならば、全員死んだほうがいいのかもしれないなと思う。そしてそういう人間を野放しにしている親という親も全員死んでいただいて結構ですとは思う。そしてそうなるかもしれないこどもを産んでいるこれからの人たちも死んでもらって結構ですし、今すぐタオルで赤ちゃんが動かなくなるまで顔をぎゅっっと押し当ててもらいたい。

日本の歩留まりの悪さを思う。で、しかもコロナのおかげでさらに疑似的に歩留まりになって暗数になれていることにホッとすらしてしまうのだから、日本は終わっている。選挙で日本が終わってるかどうか決めて欲しい。ぼやっとみんなが思ってるのではなく。そして日本が終わってるということが決定したならば子育て世代は全員子殺しをお願いして、日本はもう誰も産まないようにしてほしい。子供がいないと土手にもおりれない。入れないゲートが多すぎる。こんな国は全員が全員子殺しして、どこにでも行けるようにしてほしい。

てそんな外の世界わるないやろーもうええわー
ありがとうございましたー



2021年01月14日(木)

昨日は会社を出たらすぐポーいーしやーきぃもーと聞こえてきたので買ってみた。
石焼き芋を買うのは初めてだった。
でもすぐ食べる場所が思い当たらないのでジャンパーの左ポケットに押し込んで
自転車で帰宅して食べたらまだあったかくて
固形の蜜を食ってるかというほど甘かった。
それだけでけっこう幸せだった。

あとは斎藤環「家族の痕跡」をちびちび読み、
Youtubeをだらだらみた。ミルクボーイの漫才ブームのやつをまた巡ったりして。
ちょうどほどよく忘れてて、また笑えた。

「家族の痕跡」はもともと
「謝れ職業人」という詩のことが書いてあるらしいから買ったのだ。
この詩は私が2chで放流して、私はそのまま「谷脇地獄(いつか後述します)」に突入して
そのまま忘却してしまっていたのだが、
去年この詩が2chで広まった匿名の詩として
「家族の痕跡」で取り上げられてることに気づき
びっくりして、昨年末にAmazonでぽちったのだ。

2chに放流してから広まって、作者不詳のまま引用され、斉藤先生のTwitterでも数年前に作者が判明しましたと書かれていた。作者は松岡宮さん。当時わたしがよく見てた詩の投稿サイトで書かれてた人だ。

この方(松岡さん)はなんというか、平気で生理感に踏み込める感じがすごい。そこに少女漫画的なロマンティックな光景やフェティシズムが入り混じった独特の詩を書かれててすごいなと思う。わたしはこの松岡さんの日記でG(ゴキブリ)とかG痢(下痢)という言い方を学んだ。あとは、この松岡さんの日記で「謝れ職業人」も見たのだった。

で、ずっと自分が謝れ職業人を放流した時期などを自分の日記や検索でずっと照合してたのだが、ちょっと確証がもてないのだった。これはあくまで自分が生きてる証というとアレだが、なんか人様の役にたったか、迷惑だったかということは度外視して、ただ自分なのか自分じゃなかったのかを知りたいという欲に突き動かされている(なんか自分にはこういう欲が何個かあって、定期的にぶり返すが、すぐ疲れ、すぐ潰える)。

で、2004年ごろに2chに単独でスレ立てされてるほうを自分が上げたかどうかの記憶がない。

そして、2006年ごろにおそらくニュー速的なスレに上げてるやつに関しては記憶がある、ような気がする。

そんなことしかわからない。で、気持ち的には2004年のやつも自分だと思いたいが、当時ひきこもりだった私としては、板的に可能性が低い(たしか2004年のは就活板だったはず)ので、わたしは広めた人ではない、という残念な感情を抱いてしまう。

「家族の痕跡」、これは文庫版で、「謝れ」は162ページに書いてあるらしいのだが、今読んでるのは90ペーシなので、まだまだ道のりは遠い。

私はコロナ禍から、なんか「谷脇地獄」の手前にあった、断絶した興味をまたつなぎ始めている。それが無意味とわかっててもそこから繋いでいってしまう。もう家族や知人友人もいなくなって、ただ働いて、自立していることだけが残った。

サードプレイスとか、人に適度に依存するのが本当の自立だとどっかでしょっちゅう読んでる気がするけれども、そういうのも「家族」と「谷脇地獄」で潰えた。

学生マンションおじさんとか、学生マンションおばさんをマッチングさせる専門のアプリとかがあればな、とは思う。

「あんた、学生マンションのおっちゃん遊びに来てはるえ、挨拶し」
「遊びには、来てない。」
「こんにちは」
「おう」
「家賃は?」
「やかましな。6万7千円」
「家買いなさいよ」
「みてるよ。けど広すぎたりして独り用の家って案外ないもんやで」
「結婚は?」
「いや正直どっちか先決めたらあともどっちか決まる感じ。それで家を結婚に合わせて3LDKにするとか、もう結婚諦めて1LDKにするか、あいだとって2LDK(昨日何食べた?は2LDKやった気がするな)」
「いうてるまに40やないの(オナホばっかりコレクションしてたらどないしょ)」
「もう結婚はええかなと思う。家族嫌いやし(こないだ内側から射精するとこ見るためにエンドスコープ買いました)」
「ホーム画面にmarrishあるやないの(急に死んだらどうすんの、このウレタンの尻)」
「人信じれへんけど、もしかしたらとは思ってまう」
「どうすんの」
「おかんの口癖、それが一番死んで欲しい、お前こそどうすんのやねん。はよ死んでほしい」
「」


○○(地名)のおっちゃん、おばちゃん

2021年01月13日(水)

ちっちゃかった頃、よく祖母や母が「○○(地名)のおっちゃんが…」とか話してるのを聞いた。

なんとも思ってなかったのだが、今、まさに、自分がその「○○のおっちゃん」になってるんじゃないかと思うことがある。

で、考えてみると、いとこもいない関係の、つまり結婚してなかったり子供がおらず、ひとりでへんぴなところで暮らしてるおっちゃんおばちゃんについては、所在地+おっちゃんおばちゃんと呼ばれるというシステムだったのかなあと思う。いとこがいれば「○○ちゃんのおっちゃん」でいいのだが、そういうのがいないと、居るところにおっちゃんおばちゃんとくっつけて呼ばれるんだ。

でもあのころはまだ全然、しゃべらない、胡麻のおっちゃんとか瀬田のおばちゃんが、たまに放浪者のようにやってきて、何日か朴訥と過ごし、またふわぁっと帰っていく…というよくわからない時間があった。遊んだ記憶もしゃべった記憶もないのだが、いた記憶だけがある。たぶん今もう死んでるだろう。

現代社会において、わたしがそんな感じで今ある眷属のリングのなかに居れるかっていうと、そんな隙はまったくなくて、ああ、鷹揚さのない、きもちのわりぃ社会だなと思わずにいられない。

そういうものが「影」を落としてはいけない社会なのだ、と思う。なんか4人で道幅いっぱいに横並びでまったく人が見えないかのように話している人も、影を落としたくないからホームレスを見ないし、誰も避けようとしないのだ。「下がる」と、「影」の意識をもつと、暗渠行き、つまり終わりなのだ。日本には、行き先は暗渠しかない。たまにそういう上昇志向じゃなくて、(仲間から)堕ちない志向のようなものを若い人から感じる。その堕ちるというのも結局はクラスタの移動であって、なにも嘆くことじゃないのだが。若いうちは。と書いてみて、たまにテレビできく「40やのに」とか「男やのに」とかは、ひとのチャレンジ精神をとにかく阻むなあとおもう。くぐりぬけて美談になれないようなものも蠢いていける世の中にしていきたいなあ。あー。

1Kの学生マンションに住んでるので、最近SUUMOでそろそろ定住しようとおもって中古物件を見てるが、さっき言った胡麻とか瀬田というのは買えそうなのだがそこそこへんぴなのだ。それで、地名のおっちゃんのことやおばちゃんのことを考えていた。自分もその地名のおっちゃんになる(誰にも知られずに!)のだと、ふとおもった次第。

※一応言っとくが、別に胡麻や瀬田がへんぴだと言ってるわけじゃないんじゃないですよ。

 < 過去  INDEX  未来 >


nemaru [MAIL]

My追加