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恋のツキの感想

2019年08月12日(月)

■恋のツキが終わった。

いやー、恋のツキ、終わりましたね。

私、恋のツキが始まってすぐにラストを予想してたんですよ。中村敦彦に謝礼をもらい、渋谷のスクランブル交差点に紛れていく(※今は紛れるほど人がいないかもしれませんね)茗荷谷ファールボールのワコ(41)。これしか予想していなかった。だからあのラストには非常にショックをうけた。風呂でちょっと泣くほどだった。

短絡的に言わせてもらえば、結局のところ、いつもここから風のファイティングポーズで「合法になるまで待て!」と言ってるだけの漫画だったのか。金属バット風にいえば「高校生は肛門から吸収すれば無害!」

■和月先生…

ツキだからなのか、そっこーで和月先生の顔が夜空にうかびました。わざわざ外印の顔を年相応に醜く描いた和月伸宏先生がかわいそうでかわいそうでなりませんでした。

新田先生のように、おもっくそカピバラのように描いて、マスクしたときのほうが老けて見えるぐらいロンダリングされた人物造形による叙述トリックをいかにもあるひとりの女の人生シミュレーションであるかのように叙述トリックするという、これが漫画ですよ、和月先生!

和月先生はるろうに剣心でからくりあるていすとのおじいさん「外印」の顔を「じじいはじじいだろばーろー」と、素直におじいさんにしました。あとあと、単行本の人物造形に関するコラムで「(醜く描いて)誰がよろこぶんだ?」と反省してもおられました。尊敬します。

それからのち、なんかの折、自分の顔をジャンプの表紙に公表するという暴挙にでたりもされました。和月先生にとって「顔」は因業であり、ライフワークでもあるのです…〈fin〉

そうです、和月先生。人が望むものを描いてこそ漫画家なのです。恋のツキを見習ってください先生、恋のツキで、私達はワコの幸せなんか特に望んでいませんでした。おちろコールでした。どう考えても野垂れ死にするもんだとばかり思っていました。いや、祈りといっていいのかもしれませんね。

さっきお風呂場で頭を洗いながらちょっぴり泣きました。


■ああいう終わり方について

ああ、けど、ああいう終わり方もなくはないのですね。新田先生はアスパルテーム製造工場ですもんね。想定の範囲内というか。や、だって、むしろ映画(好き)の人が映画のところに集まるのはごくふつうのことだし、年頃の男子は山の天気とかカルガモとかと一緒ですから、早いめに染め上げとけばああいうふうにちょっと迷走したあとちゃんと帰ってくるブーメラン鴨ネギになるのだろうと思い直しました。ある意味かなり現実の、ありうる範囲内での終わり方でもあるのだ。すごいです。そのままいったら馴れ初め非合法っぽいから運命若干ロンダリングする必要に駆られたもんで、あんな感じになったんすか。ああそうか。なるほどなるほどー

そう思いなおすのに、そう時間はかからなかった。うん、あるある。ありえる。


■ありえるけど腹立つ。都合が良すぎるよ

因果律をうっちゃった感じ。それこそ読者に媚びて外印の顔を美形にした和月伸宏のような。きゃー外印さまー!でも、ありえる範囲内に読み手を誘導した。

しかし、これはもっとも悪どいやりくちのように思える。予定調和というやつでもあり、なあなあというやつでもある。現実はどっちにでも振れる、というやつを中辛のあまくち寄りに仕上げた。だからこのラストは「マッチ売りの少女が最後のマッチで見たやつ」であることを読者自身が相補的なうねりでもって仕上げなければなりません。でないと恋のツキは完成しないのです。というか、あえてガチャガチャの比喩でもって今回はたまたま当たりだったと言ってる。そう、たまたまおみせしたのはいいほうの未来だったのです。

もう少し正確にいえば、なんだかハズレのほうは経済的な満たされと精神的な欠乏の組み合わせであり、当たりのほうは経済的なハズレ(を受け入れられるほどの)精神的充足の組み合わせであると暗に言ってるような感じだ。つまり今までの戦後社会の経済発展と精神的充足との振り子から一蓮托生せずに途中でドアを開け高速を転がり高架からダイブした女にセーフティネットを与えるようなラストだったことが男である俺の怒りを買っているので、俺ももう無責任に車から飛び降りて中央分離帯にぶつけて高架から飛び降りてぐちゃっとなりましょうかー?と脅迫しても誰も何も言ってくれないのでこのラストにはまったく納得がいってないのであるのかもしれない。俺は一応SAかPAまでは車を止めずに走らなければならない。せめてSAかPAまではついていってやれやという怒りがある。つまり説明責任をのちのちの経済的困窮や造られた紆余曲折で贖罪するぐらいなら、一緒にSAかPAまでたどりついて、しっかり話してきれいに(ならないかもしれないけど)別れよう、そして車は乗り捨てよう(しーらんぺっ)と言っているのである。なんか、トイレ行きたいと言われて途中のPAに停めてポーンと鳴ってるトイレを眺めてたらいつのまにか裏の窓から逃げてましたみたいな感じがすっごいしてそれはそれで女性をなめてるというか、そのなめを描いていることが俺の倫理に抵触しているというか、なんかそんな感じである。


俺も、しーらんぺしたいな。


ほんと、このしーらんぺは俺もしーらんぺである。もうしるかっ 少子化だろうがなんだろうがしるかっ もう車はSAかPAで停めるので、タウンページもおわるっていうし、ちょうどいいじゃん? もう俺たちをNシステムで把握しないでください(とか言いながらスマホでめっちゃ監視されてるやつw)運転するの疲れたし維持費も馬鹿にならんし、もう俺もやりたくない、水道管女子とか発電女子とかやっといてください


■さらに…

彼女に不安がなかったわけじゃない。それが余計に腹立たしい。

乗り換え先がもっと雑だった時のおそれ、さらに言えば乗り換え先という概念そのものへの疑い。これはシガテラ(古谷実)の「大人」概念と、対照的ではあるが、考えのたどりつく先はよく似る気がする。保証についての思索が巡らされるからだ。そして、この保証についての答えは出ない。乗り換え先というものに対する答えや備えもしっかりできたとは言い難い。なった時になるべく自身の選択を恨まないであるとかいった条項を、真言のように刻み込むぐらいしかできないのだ。

精神的充足を得るために断つ肉は、持続的な関係だったものや経済的なものだ。持続的な関係だったものは精神的充足と置換され、上書きされる。不安の焦点はあくまで経済的なものに搾られ、ふうくんは視野から消える。将来的な不和や健康は(現時点では)問題ではない。

精神的充足とは略して人間力であり、これは私が一番欠乏症のやつであり、私の心のすねのとこをトンカチで叩くと足がビョ〜ンと跳ね上がって逆方向に折れておでこに突き刺さるのだと思う。私は紙兎ロペとかと同じ材質で出来てるのだと思う。ふうくんのように、当たり前だと思い、しゃべれなく、雑くなり、隙だらけで、愛を語れず、よわく、古いのだ。

私はキルア世代(GI編のレイザーとの対決シーン参照。ゴン(後発)とヒソカ(先発)に挟まれて前と後ろのバランス調整する、ツェヅゲラからはめっちゃリスペクトしてくれるけど、女からは牛乳石鹸野郎だと思われるだけの悲しい悲しい世代なのです…)なのです。

で、女はツェズゲラをやらないし、私たちは男感をアップデートせんければなりません。つれえ。しんだろかな。今日も仕事でゴンとヒソカのあいだに挟まれてレイザーの玉を受け止め帰宅する。玄関先で靴箱の上に鍵を置くと、くびもとで魔法がかかったマフラーのように羊水にほどけていく性自認と性役割のインドアフィッシュインドアフィッシュ(大事なことなので2回)。首もとからするるーっと泳ぎだします。性自認というのも不適切かもしれまっせん。いつも外でやってるのと逆、というわけでもなく、役割とか自認とかもうどうでもいいんす。性とかも、好きにさせてくんさい。こんな自分のために、わざわざ巻き込んでいる人もありませんから、ひとり。自認も役割もなくやらせていただいています。そう、巻き込むなっちゅうねんという怒りもあるのかな。人を。


■懲罰

懲罰というか、応報駆動してない話に対する憤りというか、シンプルに言えば(元カレ)棄てた(高校生に)飛んだ(なんだかんだあったけど結局)堕ちなかった(着地した)この流れ、一応5巻で堕ちてるけれども、これが元カレの喰らったやつと同等といえば、幾分軽くないか?とか、なんかそんな天秤めいたことを感じながら薬研ゴリッていいですか?

飛んだことに対して報酬があり、棄てたことに対する罰があんまりないようにみえる。調律・調剤するのは新田章なので文句は言えないが、この処方でよろしかったんでしょうか。

堕ちなかった理由も納得できなくはないが、恋のツキの「尽き」のほうを早めに読ませて「ツイてるほう」の「ツキ」で甘辛く炊いて終わらした。その、いちいち両方やる「ぬるさ」が、KKOなんかよりダンゼン乙女になりたかったのに畜生涯サリーマン根性やらされてる人間にとっちゃある意味きつい。憤りを覚えてしまう。


■ああ、運転やめたいな

新田章の漫画のイライラは「え、おれのほうが因果なんか信じてるめんどくさいやつなのか?」という気分にさせられるところで、私の「常識」とか「べき」をチュンチュンインベーダー風に撃ってくる。

伏線はなくはなかった。ワコが入院したとき、マスクをした顔の方が不細工(というか年相応)に見えた。なんか脱脂綿を中に縫い付けたようなマスクをしたワコだったが、マスクをした人のほうが老けて感じられる世界、マスクよりも顔の方が幅を利かせる世界。こういった倒錯した世界の中で「加齢臭」と罵られたワコの友達の旦那、これいかに。そういや、イコ君が電気つけっぱの伏線はどこかで回収されたのか。

自分の鮮度をBETして心だけで手に入れたといえば聞こえは良いのかもしれないが、関係をロンダリングされていく人たちはどうなんだろう。いてはいけないってことはない。だが暗数に、この懸崖に、無数の残機が谷底に転がってることを今回示せなかったことはちょっとした罪なんじゃないかと思う。ちょっと痛むだけならいいんだが。

新田章の世界では、BETするべき身体が誤魔化されている。代入可能な顔、人生の長さと若さの延長と描線は複雑に絡まっている。それこそ恋のツキ冒頭の、言いたいことを言わないで違和感を溜め込んでいるような破裂寸前の描線なのだと思う。


■後記

書いたあと読み返したら「当たりが多いとおもえるように」と書いてあった。ここ2ヶ月頭の中で醸成脱線していった恋のツキのイメージとはだいぶ違っていた。

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nemaru [MAIL]

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