漫ろ日記
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テスト
■8.8(日) 台風
8/8 2:30、39℃。いたたまれずに3度目の解熱剤を飲む。 5:30、36.8℃。大汗をかいてようやくここまで下がる。もう上がらないといいんだが。
7:00、36.5℃、平熱キープしている。いよいよ男子マラソンがスタートする。起床してきたM氏に、チキンライスをつくってもらう。お腹が空いたのにようやく気づく。体重は30年ぶりくらいの最軽量をマークする。
身体はまだ怠いが、なんとかTVモニタの前にすわる。 男子マラソン、大迫傑選手の粘りがうれしい。強い選手だと思う。二位集団との差がなかなか縮まらないなかで、あの位置をキープしながらも(最後のあたりは脇腹に手を添えていたりした)なんとか肉薄しようと前しか見ずに走っていた。結果は6位だが、好いレースを見せていただいたと思う。 服部勇馬選手は、重度の熱中症のなかとにかく完走したことに、ただただ敬意を表するしかない。直前でNHK-BSの特集番組を観ていて、この人は優しい人だな、と感じる。その優しさが勝負の面でどうでるのだろうとも感じたが、別に熱中症と人格とは関係がない。 3選手とも、ほんとうにお疲れ様でした。
そのままの流れで、マラソンの後に女子バレー3位決定戦「韓国vsセルビア」を観る。セルビア共和国、かつてはユーゴスラビア連邦だったところだ。 けっきょく、韓国はストレートで負けてしまう。そこでドアベルが鳴り、Amazonからの本が届いたのだが、それは詩人で翻訳家の山崎佳代子『ベオグラード日誌』(書肆山田)。偶然とはなかなかに面白い。
2021年08月07日(土) |
モデルナ・ワクチン接種2回目(2) |
■8.7(土) 晴れ
(承前) 体温はぐんぐん上がっていく。日付が変わった8/7 1:40頃には39℃、4:30には40℃。
置き薬の解熱剤を使い、7:30くらいにいったん37.7℃へ。 しかしそれも束の間、再び39℃台へ。M氏に市販の解熱剤を買ってきてもらい、投薬したら、14:00には37.3℃。
ようやく落ち着くかと思いきや、17:45には三度の39℃台へ戻る。いま2回目の解熱剤を飲んだところ。もう卒論どころではない。
20:00、熱は38.8℃。下がる気配はまったくナシ。
2021年08月06日(金) |
モデルナ・ワクチン接種2回目(1) |
■8.6(金) 晴れ
昼過ぎに、モデルナ・ワクチン2回目接種へと大学へ向かう。わたしのような通信生にも接種していただけるなんて有難い限りだ。
2回目の接種後はなにかと厄介だというのが世の定説で、家人M氏にも「スポドリ、用意していたほうがいいよ」と言われても、そうかなくらいで聞き流していたくらい。
さて、発熱がはじまったのが20:00頃。検温したら、37.3℃だ。 身体も怠くなったので、五輪野球の結果が気になるがベッドへ。 ここからが辛い時間になっていくのである。
■8.3(火) 晴れ
昨日、M氏が息子だけを連れてプールに出かけたことで、娘が怒っている。M氏は「事前に、あなたに『ふたりで行ってくるからね』と確認したでしょ」と言うが、それは大人の理窟で、娘にしたら「なんで?」という話になる。そんなことは解っていたから、わたしも「なんで彼女を置いてプールに行くの」と訊くと、「彼女は夏期講習中でしょ」というが、それはどこぞの国の総理の物言いと同じで、なんの説得力もない。 そもそも最初から、娘が怒るだろうという展開は見えていたはずだし、見えていなかったというのは詭弁だろう。
わたしは呆れていて、M氏と娘のケンカに加わることはしたくないのでずっと黙っている。
五輪大会ももう第12日目なんだなあ、としみじみ。
■8.2(月) 晴れ
葬儀その他の疲れはないように感じていたのだが、そう単純でもないらしく、つまりはあまりやる気が出てこない。ま、仕事に対するわたしの基本スタンスはいつもそんな感じなのだが。
大会第11日目の結果。体操女子種目別のゆかで、村上茉愛選手が銅メダル。レスリング男子グレコローマンスタイル60キロ級で文田健一郎選手が銀メダル。
2021年08月01日(日) |
【五輪日誌 5日 目】キャンプへ |
■8.1(日) 晴れときどき曇り
葬儀の疲れもキッザニアの疲れもあることはあるのだが、今日は、今日こそはと、朝から卒論を書いていく。もくもく会にZoomで早朝から入室する。 もちろんだが、トラップはあちこちに仕掛けられ、インタラプトは容赦ない。それでも夏の日の朝は清清しいなと、facebookで友人たちが休みを満喫している写真を覗いて思う。
家人M氏からは、子どもたちをドッジボール部に連れて行けと、さっそく言われるが、ひとまず無視しておく。報復は受容することにする。昨日、あれだけ子どもたちに奉仕したのだ、今日くらいは静かに放っておいて欲しい。
無視していたら、願いが叶ったので、引きつづき卒論を進める。わたしの理想はこのまま日没までドラフト原稿を書きながら、夜はオリンピックのハイライトなんぞを観つつアルコールの海にダイブすることである。
はたして、ささやかなその願いは成就するんだろうか。そう思いつつ、新聞を眺める。 日経はまあ解るとして、朝日朝刊一面の「核の風吹く村 弟は16歳だった」という、「グローバルヒバクシャ 被爆76年」という連載は、このタイミングで必要だったんだろうか。
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